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公爵家からの手紙1
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「うん。注文した分しっかりあるね。この調子でまた頼むよ。次は今月末頃にくるから、それまでにこの注文書のもの揃えておいておくれね」
「はい。またお願いします」
ハービル村にあるたった一つの金物商店は、古めかしい作りの家屋だが、造りがしっかりしていてせせこましくない。おっとりした老店主の性格がそのまま現れたような店だ。ディアス商会の傘下ではないが、ミラルダさんはここの老店主とも取引を持っていて、長年懇意なのだと言う。
今日俺はその一角を借りて、ミラルダさんに調味料と編みカゴの買い取りをしてもらっていた。ささやかなカウンターテーブルに付随した、足の長い丸椅子に腰掛け、席一つ分あけて横に座るミラルダさんにぺこりと頭を下げた。
ミラルダさんは俺から買い取った調味料を木箱に入れ直してから、後ろに控えていた部下の女性を振り返りその木箱を手渡した。
「イヴァ、ハバトに買い取った分の支払いをしてあげとくれ」
指示を受けた女性が速やかに差し出した銀貨を、俺はまた軽く頭を下げて受け取る。今日は銀貨五枚の稼ぎだ。悪くはない。でも、今日の俺にはそれより気になることがある。
「あの、ミラルダさん。国外の新店舗の様子はどうですか?」
帳票などを片付けて帰り支度をしていたミラルダさんにそれとなく尋ねる。俺としてはとても自然に聞けた気でいたのだが、遣り手婦人はニヤリとからかいを含んだ意地悪な顔をした。
「あんた素直にイアンは元気かって聞いたらいいじゃないさ。私も開店の日しか行けてないからわかんないが、あのおバカのことだから楽しくやってるんじゃないかね。それ以前に、イアンのことなら私よりハバトの方が詳しいんじゃないか?イアンから手紙が来るんだろ?」
「…手紙は来ますけど、イアンは手紙下手みたいで自分のことよりわたしのことばっかり聞いてくるんですよ。本人の近況はいつも、元気だとか疲れただとか一言くらいしかないんです」
イアンをカガリナから送り出してから二月半、リャクマの新店が開店してから十日程が経った。スペンサーさんからの助言通り、イアンには出立前に「離れてしまうのが寂しい、離れても友達でいて欲しい」と話したら、それはもう盛大に馬鹿笑いをされた。その後、犬にするように俺の頭をもみくちゃに撫で回したイアンは、俺の気の所為でなければとても機嫌が良かった。いちおうは手紙をくれているから、イアンも俺と友達でいたいと思ってくれたのだろう。
手紙はすぐ返してくれるし思っていたよりずっとマメではあるが、イアンはあまり長い手紙は書かない質のようだ。手紙の内容の半分は「飯を食え、よく寝ろ、何かあれば相談しろ」みたいなことばかり書いてくる。イアン本人は、本当に心配してる俺の気持ちちゃんとわかってるんだろうか。
「あらあら、そうかい。イアンはハバトのことが可愛くて仕方ないんだねえ。最初あんたらが仲良いって聞いた時は意外に思ったもんだけど、案外相性がいいんだねえ」
ミラルダさんは自身の荷物を整え終えたようだが、腰を上げずにカウンターに逞しい片腕を乗せて、寛いだ姿勢を取った。どうやらこのおしゃべり好きな婦人は、俺との雑談に付き合ってくれるらしい。
「あいつ仕事好きみたいだから、自覚なく無理してないか心配です。もしまたリャクマの支店に行くことがあれば、イアンのこと宜しくお願いします」
「それは全く構わないけど、ハバト。それより例のやたらおキレイな彼はどうしたんだい。イアンなんて軽い男を気にかけて、浮気でも疑われたらたまったもんじゃないだろ」
「え。あ、浮気。そんなんじゃ…」
てっきり忘れていた。ミラルダさんには、セブさんと俺が恋仲だと勘違いをさせたままだったと今更気付いて、少しばかり心が沈む。どこまで話していいものか悩ましいが、いっそ正直に魔女の秘薬を求めて来た客だったと言ってしまっても差し支えはないのかもしれない。彼がまた俺を訪ねてくる可能性は、とても低いようだから。
スペンサーさんから聞いていた予定通りに、セブさんが所属する隊が王都に帰還したのは今から三月近く前のことだ。片田舎にいる俺がそれを直接確認など出来ない。それを知ったのは帰還の半月も後のことだった。
その日はいつにもまして上機嫌だったミラルダさんに、「エイレジンとの外交問題は、王立騎士団が動いて落とし所がついたみたいだよ」と、ナッタルで発行されている地方紙を見せられ、それがスペンサーさんの話と重なった。
そこでやっと俺は、セブさんの今回の仕事が国にとってとんでもない重要任務だったのだと知った。
俺はミラルダさんにその地方紙を譲ってもらった。記事で知れることなど高が知れてはいたが、俺にはそれでも十分な衝撃だった。隣国エイレジンの不穏な動勢の調査に向かった騎士団が、バルデスへの侵攻を企てていた不穏分子を制圧して無事王都に帰還したのだという。そして、学のない俺にはどういう理屈かはよくわからないが、その不穏分子制圧の件が自国側の交渉材料になり、エイレジンを共和同盟に加盟させることに成功したのだそうだ。
今回の騎士団の功績は、国内だけに留まらず周辺国からも高く評価された。遠征の立案から指揮まで行った小隊長を始め、遠征に参加した団員複数名に叙爵が為されることになり、その叙爵式が来月十の日に開かれるのだという。
彼は、無事帰って来ている。それが知れたことで俺は深く安堵した。
ただ、彼が俺の元を訪ねてくることは一向になかった。以前は二週間と空かずに届いた彼からの手紙も、一月経っても二月経っても、そろそろ三月経とうとする今となっても届かない。
彼に、忘れられてしまったのかもしれない。もしそうならとても悲しいが、俺を忘れているということは、魔女にしか手に負えないような怪我や病がないということだ。それはとてもとても幸運なことで、何ものにも代えがたい。
直近の外交問題が収束に向かっている今、戦争の危機感も遠退いた。わざわざ遠方から治療士を呼び付けて抱える必要もないだろう。
セブさんのために俺に出来ることが、ひとつもなくなってしまった。
「はい。またお願いします」
ハービル村にあるたった一つの金物商店は、古めかしい作りの家屋だが、造りがしっかりしていてせせこましくない。おっとりした老店主の性格がそのまま現れたような店だ。ディアス商会の傘下ではないが、ミラルダさんはここの老店主とも取引を持っていて、長年懇意なのだと言う。
今日俺はその一角を借りて、ミラルダさんに調味料と編みカゴの買い取りをしてもらっていた。ささやかなカウンターテーブルに付随した、足の長い丸椅子に腰掛け、席一つ分あけて横に座るミラルダさんにぺこりと頭を下げた。
ミラルダさんは俺から買い取った調味料を木箱に入れ直してから、後ろに控えていた部下の女性を振り返りその木箱を手渡した。
「イヴァ、ハバトに買い取った分の支払いをしてあげとくれ」
指示を受けた女性が速やかに差し出した銀貨を、俺はまた軽く頭を下げて受け取る。今日は銀貨五枚の稼ぎだ。悪くはない。でも、今日の俺にはそれより気になることがある。
「あの、ミラルダさん。国外の新店舗の様子はどうですか?」
帳票などを片付けて帰り支度をしていたミラルダさんにそれとなく尋ねる。俺としてはとても自然に聞けた気でいたのだが、遣り手婦人はニヤリとからかいを含んだ意地悪な顔をした。
「あんた素直にイアンは元気かって聞いたらいいじゃないさ。私も開店の日しか行けてないからわかんないが、あのおバカのことだから楽しくやってるんじゃないかね。それ以前に、イアンのことなら私よりハバトの方が詳しいんじゃないか?イアンから手紙が来るんだろ?」
「…手紙は来ますけど、イアンは手紙下手みたいで自分のことよりわたしのことばっかり聞いてくるんですよ。本人の近況はいつも、元気だとか疲れただとか一言くらいしかないんです」
イアンをカガリナから送り出してから二月半、リャクマの新店が開店してから十日程が経った。スペンサーさんからの助言通り、イアンには出立前に「離れてしまうのが寂しい、離れても友達でいて欲しい」と話したら、それはもう盛大に馬鹿笑いをされた。その後、犬にするように俺の頭をもみくちゃに撫で回したイアンは、俺の気の所為でなければとても機嫌が良かった。いちおうは手紙をくれているから、イアンも俺と友達でいたいと思ってくれたのだろう。
手紙はすぐ返してくれるし思っていたよりずっとマメではあるが、イアンはあまり長い手紙は書かない質のようだ。手紙の内容の半分は「飯を食え、よく寝ろ、何かあれば相談しろ」みたいなことばかり書いてくる。イアン本人は、本当に心配してる俺の気持ちちゃんとわかってるんだろうか。
「あらあら、そうかい。イアンはハバトのことが可愛くて仕方ないんだねえ。最初あんたらが仲良いって聞いた時は意外に思ったもんだけど、案外相性がいいんだねえ」
ミラルダさんは自身の荷物を整え終えたようだが、腰を上げずにカウンターに逞しい片腕を乗せて、寛いだ姿勢を取った。どうやらこのおしゃべり好きな婦人は、俺との雑談に付き合ってくれるらしい。
「あいつ仕事好きみたいだから、自覚なく無理してないか心配です。もしまたリャクマの支店に行くことがあれば、イアンのこと宜しくお願いします」
「それは全く構わないけど、ハバト。それより例のやたらおキレイな彼はどうしたんだい。イアンなんて軽い男を気にかけて、浮気でも疑われたらたまったもんじゃないだろ」
「え。あ、浮気。そんなんじゃ…」
てっきり忘れていた。ミラルダさんには、セブさんと俺が恋仲だと勘違いをさせたままだったと今更気付いて、少しばかり心が沈む。どこまで話していいものか悩ましいが、いっそ正直に魔女の秘薬を求めて来た客だったと言ってしまっても差し支えはないのかもしれない。彼がまた俺を訪ねてくる可能性は、とても低いようだから。
スペンサーさんから聞いていた予定通りに、セブさんが所属する隊が王都に帰還したのは今から三月近く前のことだ。片田舎にいる俺がそれを直接確認など出来ない。それを知ったのは帰還の半月も後のことだった。
その日はいつにもまして上機嫌だったミラルダさんに、「エイレジンとの外交問題は、王立騎士団が動いて落とし所がついたみたいだよ」と、ナッタルで発行されている地方紙を見せられ、それがスペンサーさんの話と重なった。
そこでやっと俺は、セブさんの今回の仕事が国にとってとんでもない重要任務だったのだと知った。
俺はミラルダさんにその地方紙を譲ってもらった。記事で知れることなど高が知れてはいたが、俺にはそれでも十分な衝撃だった。隣国エイレジンの不穏な動勢の調査に向かった騎士団が、バルデスへの侵攻を企てていた不穏分子を制圧して無事王都に帰還したのだという。そして、学のない俺にはどういう理屈かはよくわからないが、その不穏分子制圧の件が自国側の交渉材料になり、エイレジンを共和同盟に加盟させることに成功したのだそうだ。
今回の騎士団の功績は、国内だけに留まらず周辺国からも高く評価された。遠征の立案から指揮まで行った小隊長を始め、遠征に参加した団員複数名に叙爵が為されることになり、その叙爵式が来月十の日に開かれるのだという。
彼は、無事帰って来ている。それが知れたことで俺は深く安堵した。
ただ、彼が俺の元を訪ねてくることは一向になかった。以前は二週間と空かずに届いた彼からの手紙も、一月経っても二月経っても、そろそろ三月経とうとする今となっても届かない。
彼に、忘れられてしまったのかもしれない。もしそうならとても悲しいが、俺を忘れているということは、魔女にしか手に負えないような怪我や病がないということだ。それはとてもとても幸運なことで、何ものにも代えがたい。
直近の外交問題が収束に向かっている今、戦争の危機感も遠退いた。わざわざ遠方から治療士を呼び付けて抱える必要もないだろう。
セブさんのために俺に出来ることが、ひとつもなくなってしまった。
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