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耐える冬2

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 合成の火を高く燃やしながら、鍋の中を忙しなくかき混ぜる。魔力で効能の調整をしつつも、頭の中は先程スペンサーさんから手渡された手紙の内容が、鍋の中身のようにぐるぐる回っている。
 ずっと待ち望んでいるセブさんからのものではない。もたらされたのはイアンからの初めての手紙だ。


「魔女の家って意外と何にもなくて暇だねえ」

 ばあばの揺り椅子を占領しながら、スペンサーさんはのんきにお茶を啜った。カガリナへの買い出しから戻った後は、薬の目処が立ったためか幾分雰囲気を砕けさせている。

「魔女だったばあばが死んでから結構経ちましたし、元々魔道具もほとんど置いてないですからね。ばあばはあまり便利な生活は好まなかったので、我が家は村中のものと変わりありません」

 スペンサーさんは片方の肘置きに顎肘を付き、無邪気に笑って「普通の家より何もないかもね」とゆらゆら揺れる。爽やかな雰囲気のせいか、全く嫌味なく聞こえるのがすごい。

 うちの蔵書に早々に飽きてしまったスペンサーさんは、暇を持て余した結果部屋の掃除から始まり、家裏に出て薪割りまでしてくれた。俺がやるとなかなかの重労働なのに、スペンサーさんは汗ひとつかかずにこなすのだから驚きだ。

「そう言えばさあ、あの手紙渡してきた彼、随分肝が座ってるね。僕が騎士なのわかってるだろうに物怖じしないんだものな。顔しか知らない相手に、郵便屋の代わりにされるとは思わなかった」

 買い出しに行った際にスペンサーさんはディアス商会の支店に立ち寄り、そこでイアンと出会し覚えのある顔だと声をかけたのだそうだ。スペンサーさんが俺に薬の依頼をしに来たことを知ったイアンは、切手代が浮くと俺宛ての手紙を彼に託したらしい。迷いなく人を使うイアンが、あまりに彼らしくて笑ってしまう。

「イアンは怖いもの知らずかもしれないですね。誰に対してもちょっと横柄で、ちょっとお節介なんです」

 少し強引だけど、俺みたいなとろいやつからしたら、それが心地よい時もある。

「もしかしてさ、ハバトちゃんとイアンくんって恋人同士だったりする?」

 スペンサーさんは、そんな一歩踏み込んだ話でも、まるで天気の話でもするみたいにさらりと聞けるところがすごい。
 最後の調整を終えた薬液の入った鍋を火から下ろして、テーブルに敷いた布巾の上に乗せた。並べておいた清潔な空の小瓶らから一つ手に取り、丁寧に薬液を注ぎ移していく。

「友人ですよ。恋人に見えますか?」

 俺が答えると、いかにも会話を楽しんでいるらしく、愉快そうに深海のような青が細まる。

「んー、あんまり見えないね。でも彼からの手紙読んでからハバトちゃん元気ないから、もしかして痴情のもつれってやつかと期待しちゃったかな」

 俺自分は隠せているつもりだったので、内心を見透かされていたことに仄かな気恥ずかしさを覚える。でもスペンサーさんの軽さに救われて、俺の口が特段重くなることはなかった。

「それは残念でした。イアンはとても大切な友達なんです。だけど、しばらく会えなくなってしまいそうで、今正直動揺してます」

 照れ隠しで「でも薬は手を抜いたりしてないので安心してください」と冗談めかして、薬液で満たした小瓶の一つを軽く振ると、「もちろん信じてるよ」とスペンサーさんはくすくす笑った。

「イアンくんどこか行っちゃうのかい?本人結構ご機嫌で仕事してたけど」

 ご機嫌かあ。そりゃそうだ。なんてったってなあ。

「栄転です。ディアス商会がリャクマに支店を出すことになって、その新店舗の店長にイアンが抜擢されたそうです。大切な友人の昇進を祝福したいんですが、リャクマは遠いですしどうにも寂しいですね」

 リャクマは大陸の南東に位置する島国だ。国内の移動ですらおぼつかない俺に、とってはとてつもなく遠い場所だ。イアンからの手紙には、出立は二週間後、新店を軌道に乗せるまでしばらく休み無く働くことになるだろうと書かれていた。きっと、年単位で会えなくなる。
 思わず溜め息をついた俺に嫌な顔もせず、にこやかなままのスペンサーさんは「ハバトちゃんはそういう年頃だよね」と、揺り椅子の上で姿勢を正した。

「君くらいの年頃は友達が大事で仕方ないもんだろうが、友達ってのはたいてい一生近くにいられるもんではないんだ。でも、お互いを親しく思い続けられる限り、離れていてもいつまでも友達でいられる」

「…イアンもわたしと友達でいたいと思ってくれるでしょうか」

「ハハっ。青くていいね。そんなの本人に素直に伝えたらいい。きっとイアンくんは喜ぶだろう。その上で笑顔で送り出してあげれば完璧だ」

 俺がゆるゆると頷くと、スペンサーさんは「なんかジジくさいこと言っちゃって恥ずかしいな」と、全く臆面のない表情で揺り椅子から立ち上がり、テーブルに並べられた治療薬の小瓶を一つ手に取った。

「薬はこれで完成?」

 最後の一瓶の蓋をして、スペンサーさんの前にそれも並べる。鮮やかな青緑色の液体が、ざらりと鈍色に日を反射する。

「はい。数、足りますか?」

 治療薬の小瓶は14個。俺が一度に作った中では最も多いが、それが騎士団のような大所帯が求める必要数に足りているのか、俺では判断がつかない。恐る恐るスペンサーさんの反応を窺うと、にこりと微笑まれた。

「うん。問題ない。一小隊分だからね。十分なんじゃないかな」

 ほっと安堵の息を吐いて、持参していた魔力の気配がする袋に小瓶を入れていくスペンサーさんを見守る。たぶん緩衝作用のある術がかかった袋だ。
 小瓶を全て回収すると「代金支払わなきゃね」と、スペンサーさんは上着掛けの近くに放っていた自身の荷物から、嫌に重そうな革袋を取り出し、案の定それをそのまま俺に差し出した。
 受け取るのを躊躇っていると、スペンサーさんは受け取れと催促するように革袋を軽く揺すった。中から重ったるい硬貨の音がして、俺は尚更怖気づく。

「あの、多過ぎませんか?材料費を全部出して頂いてるのでそんなに薬代を頂く理由がありません」

 俺としては至極真っ当なことを言ったつもりなのに、ここに来て初めてスペンサーさんが酷く困ったような顔をした。

「これは正当な報酬だ。受け取ってもらわないと僕が詰められる。ハバトちゃんへの報酬は絶対にケチるなって、あいつからキツく言われてるんだよ」

 どうやらそれは建て前とかでなく、事実のようだった。以前のセブさんのように、俺に革袋を差し出す腕は揺るがず頑なだ。そこでふと、あることに気づく。

「もしかして、あいつって言うのはセブさんのことですか?」

「僕相手にそんなぞんざいに意見するやつなんて他にいないな」

 ふふ、と小さく笑うスペンサーさんに、嘘はないように見える。尋ねるなら、きっと今しかないだろう。怖くて聞けなかったそれを、俺は勢いのままに口にする。

「あの、セブさんは、無事なんですか?」

 絞り出した俺の声は酷く聞き苦しかったが、スペンサーさんはニコリとお得意の爽やかな満面の笑みを浮かべた。

「大丈夫、元気に生きてるよ。任務を完遂して今帰路についてる。ただ隊内の重傷者が思っていた以上に出たみたいでね。あいつが帰路から治療薬の買い付け依頼を出したから今僕がここにいるってわけだ」

「そう、ですか。良かった…」

 彼が、生きて帰ってきてくれる。じわじわと喜びが全身に広がる。脱力してしまいそうになるのをこらえて拳を眉間に当ててゆっくり深呼吸すると、やたらと湿っぽい溜め息のようになった。

「ハバトちゃんは知らないだろうけどさあ」

 喜びに浸っていた俺は一拍遅れて「うん」と不躾な相槌を返してしまったが、彼は俺の無礼を気にした様子もなく笑みを浮かべたまま俺を真っ直ぐ見た。

「あいつって、間者を見つけるのが得意なんだよ」

「そうなんですか?」

 俺が率直に聞き返すと、革袋を無造作にテーブルの上に置いたスペンサーさんは、「理屈は僕にもわからないんだけどね」と腕を組んで斜に立った。

「欺きや謀りに敏いんだ。周りは第六感だとか呼んで納得してるけど、そんな生易しい表現で済まない精度だ。今回の任務もその特技のおかげで早く片付いたらしい」

 間者だとか謀りだとか不穏な言葉に、また胸がざわざわする。そんな俺とは対照的に、スペンサーさんは軽快な口調で「そんな顔をしないでくれ」と組んでいた腕を解いた。

「つまりはさ、腕も立つし欺瞞にも掛からないあいつは簡単には死なないよ。君が死にそうな顔で心配する必要はないって話だ」

 そんなに酷い顔をしていただろうか。爽やかな騎士様の言葉に神妙に頷きながら、両手で自分の頬を捏ねる。

「今回遠征に出ていた小隊は全員欠けなくバルデス国内には入っているし、十日程で王都に着く。きっと近々君にもあいつから連絡が行くだろう。心穏やかに待っていたらいいよ」

「それを聞けて安心しました。ありがとうございます、スペンサーさん」

「君のためになったなら何よりだ。薬も受け取ったし僕は帰るよ」

「はい、また今度」

 スペンサーさんは俺の肩を二度叩いて、颯爽と玄関を出て行った。そのしばらく後に、どこからともなく聞き覚えのある、悲鳴のような魔獣の咆哮が濃石の森に轟いた。
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