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遠征の前に4

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 暇を告げようとするセブさんをしばし食後の紅茶で引き留め、片付けかけのままになっていた台所の片隅から、日中用意していた小瓶を三つ持ってくる。

「セブさん、少し荷物が増えても大丈夫ですか?」

 安物のカップを優雅に傾ける優美な人に、俺は「これをセブさんに渡したくて準備してたんです」と、手の中の小瓶を軽く掲げて見せる。どれも小瓶は俺の手で握り込めそうな程に小さい。うち二つは液体が入っており、もう一つは粉末が入っている。

「それはなんだ?」

 セブさんはカップを静かに置いて、まるで微笑ましいものでもみるように、長い白金色のまつげがけぶる目を細めた。
 俺は液体の入った小瓶二つをテーブルの上に並べて置いた。

「この青い液体薬は外傷治療薬です。セブさんの左腕の治癒に使ったものよりだいぶ効果は落ちますが、少しくらいの欠損や軽い内臓の損傷、失血症状なら治せます」

 一つ目の説明をしていると、「一般の薬師が悲鳴を上げそうなものを容易く出してくるのだな」と苦笑いをされた。俺としては、もっと強い薬をたくさん作って渡したいところだったのだが、如何せん材料が足りなかった。

「こっちの乳白色の液体薬は、植物性、動物性毒素への対抗衛生薬です。追加で呪法の類に干渉して相殺出来る効果を付与してます。初期段階であれば、前回の石化のような重篤な呪法も完全に打ち消します。どちらの薬液も、経口でも経皮でも効果がありますが、魔力のある人は経口の方が体内魔力で効果の底上げが期待出来ます」

「素晴らし過ぎて使い所を間違えられないな。人目に触れては君を欲する人間が増えてしまう」

「そんなの、セブさんが無事なら何でも良いです」

 彼が俺を心配してくれていることは嬉しい。でも、本当に彼が無事に帰って来てくれるなら、俺の作る秘薬や俺自身がどうなっても構わない。それだけは譲れないから、セブさんの目を見て強く言い切った。いつも凛々しく輝いているエメラルドが、珍しく驚きで見開かれた。

「だから、お願いです。何かあればこの薬は躊躇いなく使ってください」

 俺の意思の固さを理解してくれたのか、セブさんは極々かすかに息を飲んでから、ゆっくり破顔した。

「ありがとう。君の望むままに」

 精悍な眼差しが優しく解けて、重く心地よい低音が柔らかくなる。セブさんの笑った時の温かい雰囲気が好きだ。胸がぎゅーっとなって、俺まで頬が緩んで笑ってしまう。

「あと、これは余計かもしれないんですが、新作のスパイスも持って行ってください。もしいらなければ捨ててしまっても構いません」

 もう一つ、粉末の入った小瓶をそっと差し出す。砕いたハーブと乾燥ニンニクと岩塩に、粉末状に特殊加工した果汁とお酢が入っている。
 魔力で加工したので、粒の表面が研磨されたようになって、わずかながらざらめのような艶がある。透明な小瓶の中だとまるで玩具菓子のようだ。

「綺麗だな。何に使うのが君のおすすめだろうか」

 小瓶を掲げ持ち、魔法灯の光に透かすように覗き込む。

「ハーブとニンニクの香りが強いので、肉や魚に塗り込んで焼くのが楽ですしおすすめです。溶かしバターに混ぜてパンに塗っても美味しいと思います」

「ん。それは楽しみだな。大事に使おう。ありがとう、ハバト」

 全ての小瓶を繊細な手付きで大事そうにポーチにしまうと、セブさんはやおら俺に向き直り「ハバト」としっとりとした声で俺を呼んだ。

「はい…」

 優しく長い指が俺の手首を掴んで、弱い力で引き寄せた。促されるままに近づくと、腰を強引に抱かれて「腰を下ろして」と、甘い声でセブさんの膝上に座るようねだられる。俺が彼のそんな声に逆らえるはずなんかない。これでもいちおう男である俺を乗せても、セブさんの膝上はとても安定していていた。
 少し固い指先が俺の唇をさらさらと撫でた。耳元に顔を寄せたセブさんに、吐息で「口付けてもいいか?」と問われ、そろそろと頷くとゆっくりと唇が合わさった。
 強い喜びで、目眩がしそうなほど頭の芯が甘く痺れる。離れたくないと切に願う俺の気持ちを汲んでくれたのか、時間をかけて口腔内まで余すことなく巧みに触れ合わされた。
 少し乾いた厚い唇の感触も、俺の反応を楽しむようにゆったりと口腔を舐めあげてくる熱い舌も、全て覚えて決して忘れたくない。
 気持ちが良くて息が上がる。きっと今俺は酷くだらしない顔をしていることだろう。

「ハバト、離れても君を想っている」

 鼻先に触れる距離で囁かれる誠実で切実なそれに、愛を感じてしまうのは間違いだろうか。もし、彼が少しでも俺を愛してくれているなら、俺が彼を愛していても許されるだろうか。酷く自分勝手な願望が胸をよぎる。未だに本来の姿を見せられもしないで、彼を騙し続けている俺が、本当の意味で彼に愛されるなんてことあるわけないのに。

 堪えきれない雫がぼろぼろと頬を流れ落ちる。俺の名を再び呼び、彼が涙を唇で拭ってくれる。俺は、
掠れた声で「必ず、帰って来て」と懇願を口にした。

「もし、どんな怪我をしてもわたしが治してみせます。だから帰って来てください。任務なんてどうだっていい。国が何を失ったって構わないんです。だから、どうかあなただけは生きて帰って来てください」

 嗚咽混じりの俺の声はさぞ聞きづらいことだろう。でもそのひとつひとつに彼は優しく相槌を打ち、唇と指先で頬や額を撫でてくれた。俺が最後に「お願いです。俺は、あなたを…」と言葉をつまらせると、優しく目を細めじっと俺の目を見つめてから、もう一度優しくゆっくり口付けて、両の腕できつく抱き締めてくれた。

「必ず帰る。君の下に、必ず」
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