上 下
24 / 83

遠征の前に1

しおりを挟む
 セブさんと手紙をやり取りするようになって、二月程経った。文通を始めた頃はまだ日中は暖かな秋口だったが、今ではめっきり風が冷たく、晴天の日でも、庭に水やりをするだけで底冷えするほどだ。寒がりな俺は常に暖炉に火を入れないと耐えられない。今朝も布団を体に巻いたまま起き出して、真っ先に暖炉に火を入れた。そろそろ薪も集めに行かないといけない。
 そんなことを考えながら身支度をしていると、真新しい玄関扉に備え付けられた郵便受けの中に、何か白いものが見えた。セブさんからの手紙だ。心がぐんと沸き立つ。

 彼からの手紙は、だいたい九日に一度程届く。そして、届いたらその日のうちに返事を書くようにしている。セブさんに伝えたいことがいっぱいあるからではなくて、彼からの返信が嬉しいから一日でもそれを遅らせたくなくて、代わり映えのしない平凡な毎日から小さなことを切り取って書き綴ってなるべく封筒を厚くして送る。手紙のやり取りが初めての俺の文章は、きっと読みやすいものではないと思う。それでも長い手紙にするのは、彼からなるべく多くの言葉を返してもらいたいからだ。

 彼からの手紙は、俺の暮らしの中で一番の楽しみになっていた。書かれている内容は、どんなことでも構わない。彼の字で、彼の言葉で綴られるものなら、どんな名著より俺には価値があり、手紙が届く度に胸が踊った。上質で品よい白い封筒は彼自身の誠実な性格が表れているようだった。汚したくなくて、文箱としてイアンの店で丈夫な木箱も買った。用途を話したらイアンには呆れた顔をされたが、俺はいい買い物をしたと思ってる。

 今日届いた手紙も見慣れた真っ白な封筒で、一見して彼からの手紙だと知れた。ただ、気になったのはその厚みだった。いつもより心なしか薄いのだ。使い慣れた小刀を持っていつもの木椅子に腰掛けた。
 もしかして、頻繁に俺への手紙を書くことに疲れてしまったのだろうか。もしかして、俺との手紙のやり取りはセブさんに負担になってしまっているのではないか。そう考えたら、いつもはわくわくする開封作業が、急に恐ろしく思えてしまった。もし、内容を読んで少しでも彼の疲労が見えたら、手紙のやり取りを減らすか、いっそ無くす提案をしよう。
 そう思って、小刀で開封した封筒から便箋を取り出した。

 手紙はいつも通り季節の挨拶で始まり、俺に不調や暮らしの不具合が無いか尋ねる文言を挟んで、前回俺が書いた新しく作った調味料のことを丁寧に褒め上げてから、王都では今南国の冒険譚活劇と温かな甘味が流行っていることなどがとても生真面目な文体で書かれていた。そして、いつもであればこの後に彼自身の近況が続き、俺はそれを一番楽しみにしていた。しかし、その楽しみは、たった二行におさまっていた。

『二週間後、しばらく国を離れることになった。いつ戻れるかわからない。その前にハバトにどうしても会いたい。今から君の下に向かう』

 それを読んだ俺は、嬉しさより驚きで内心飛び上がった。

 飽くまで感覚だが、王都からの手紙はたぶん七日から十日弱かけて届けられている。そして、たぶん王都からハービル村までもだいたい同じくらいの日数で来れる。いっそ、貴族であるセブさんなら乗合馬車ではなく所有の馬車なりを使って来ることも出来るだろうから、もう少し速いかもしれない。つまり、こうしている間もセブさんがいつ到着してもおかしくないのだ。

「え、あ、えと、どうしよ、とりあえず、買い物!」

 俺は寒さも忘れて、大急ぎで彼を迎える準備を始めた。





 結論から言ってしまえば、セブさんは手紙を受け取ったその日の夕方に訪ねて来た。その時俺は調味料や薬の類を作って台所をひっちゃかめっちゃかにしていた。かろうじて自分にいつもの変身魔法はかけたものの、若い女性としてはなかなかよろしくない小汚さだったと思う。でも、セブさんはそんなこと一欠片も気にした様子もなく、「会いたかった。可愛い可愛い、私の魔女」と、相変わらず一分の隙もない宝石の美しさで微笑んで、俺をまるで大切なものみたいに抱き締めてくれた。


「急に訪ねてしまってすまない。何を差し置いても、どうしても君に会いたかった」

 暖かそうな黒色の毛皮を襟元に用いた厚手のマントを彼から預かって上着掛けにかけ、いつも通り木椅子を勧めて腰を休めてもらう。セブさんが来てくれた時のために木椅子は新調していたので、長身のセブさんが座ってももう軋んだりしない。
 以前は体の左側に佩いていた大振りの直剣が、今は右側にあり、それをベルトから下ろすとガチリ、と重い音を鳴らした。直剣はすぐ近くの壁に立てかけられた。

「事前に手紙に来訪を知らせてくださったのに、こんな状態でこちらこそすみません」

「ああ。手紙は先に届いていたか。それでも急な話だったことに変わりない。都合が悪ければ早々に辞するつもりで来た」

 申し訳なさそうに、今にも腰を上げてしまいそうなセブさんの肩に手を当てて「まだ帰っちゃダメです!」と押し留める。俺がそのまま力を入れると、彼はふっ、と笑ってやっと背をもたせかけた。

「左腕の具合はどうですか?見せてもらうことは出来ますか?」

 セブさんが頷いたのを確認してから、古い方の木椅子を持ってきて対面に座る。こちらの椅子は案の定キイと小さく悲鳴を上げた。
 手紙では、最初こそ強張りがあったが、ひと月もする頃にはそれも残っていないと言っていた。
 差し出された腕は、二月前見た時の赤みも残っておらず、とてもキレイな皮膚の下に、鍛錬を怠っていないことの証明のような立派な筋肉の硬さを感じる。肘、手首、指、と順番に関節の可動を確認し、最後に俺の手を握ってもらって握力に違和感がないかも尋ねると、大きく首肯された。ひとまずは、安心だろうか。

「君のおかげで空白期間もほとんど無く職に戻れた。武具の扱いも然程変わりなく、上役には腕を一度なくしたとは思えないと気味悪がられる程だ」

「んふふ。それは本当によかったです。セブさんのキレイな手が戻ってわたしも嬉しいです」

 彼の左手を両手で包み握り締めると、右手が俺の頬を捉えて引き寄せた。

「ハバトに両手で触れられることが何より喜ばしい」

 翠玉にじっと見つめられて、堪らず俺の方からかすめるような軽いキスを仕掛けると、「相変わらず可愛らしくて困ったな」と全く困って無さそうな非の打ち所のない笑みを浮かべた。

「いつまでここにいられますか?」

「夜半前には村を出る」

「……忙しいですね。国外に、遠くに、行くんですもんね。準備も大変でしょう」

 寂しい、と口を衝いて出てしまいそうになって、ぐっと堪えた。顔を見て早々にそんな言葉を言いたくない。でも、セブさんには俺の子供じみた気持ちなど筒抜けていそうだ。煌めく濃緑が心配気に俺を覗き込んでいる。

「詳しくは話せないが、今回の遠征は私が要を担う。私がうまく立ち回ることが出来れば早く国に戻れる。もちろん、その逆も有り得るが」

「それは、セブさんが一番危険な役目だってことですか…?」

「一番かどうかはわかりかねるが、矢面に立つことにはなるな。ただ、成果を上げれば騎士としての階級も上がるだろう。そうすれば以後は雑兵の扱いは無くなる」

 だから快く送り出して欲しい、と言外に請われているのだと思う。為さねばならないことを目の前に、醜く縋られては後味も悪いだろう。彼の大きな手をきゅっと握り締めた。

「セブさんならきっとすぐ仕事を終えられます。今日は体に良いものでも作りますから、夕飯食べて行かれませんか?」

 俺の反応は正解だったのだろう。セブさんがほっとしたように表情を和らげた。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結】お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!

MEIKO
BL
第12回BL大賞奨励賞いただきました!ありがとうございます。僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して、公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…我慢の限界で田舎の領地から家出をして来た。もう戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが我らが坊ちゃま…ジュリアス様だ!坊ちゃまと初めて会った時、不思議な感覚を覚えた。そして突然閃く「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけにジュリアス様が主人公だ!」 知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。だけど何で?全然シナリオ通りじゃないんですけど? お気に入り&いいね&感想をいただけると嬉しいです!孤独な作業なので(笑)励みになります。 ※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。

普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている

迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。 読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)  魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。  ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。  それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。  それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。  勘弁してほしい。  僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。

貴方だけは愛しません

玲凛
BL
王太子を愛し過ぎたが為に、罪を犯した侯爵家の次男アリステアは処刑された……最愛の人に憎まれ蔑まれて……そうしてアリステアは死んだ筈だったが、気がつくと何故か六歳の姿に戻っていた。そんな不可思議な現象を味わったアリステアだったが、これはやり直すチャンスだと思い決意する……もう二度とあの人を愛したりしないと。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

処理中です...