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嫉妬の所在1

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「あれは、昔馴染みなのか?」

 あれ、の指すものがすぐにはわからず、一拍遅れて隣を歩くセブさんの顔を仰ぎ見る。俺が相当わかってない顔をしていたようで、「黒髪の男だ」と追加説明してくれた。

「イアンのことですか?」

 目だけで頷かれた。

「さっき宿屋で知り合ったばかりです。今朝乗り合い馬車で一緒になった、あの婦人が取り仕切っている商会の支店で働いてるんですって。偶然ってすごいですねえ。怖い人かと思ったら意外と優しくて助けてもらいました」
 
 セブさんと二人並んで帰れることがとても嬉しくて饒舌になってしまう。頬が緩んでふわふわぽかぽか温かい。
 でも、浮かれ気分の俺に反して、見上げた彼の表情が固い。

「セブさん…?」

 エメラルドの瞳に真っ直ぐ見つめられて息を飲む。腰に回された腕に力が込められ、「すまない」と何故か謝られてしまった。頭の中は「何が?」でいっぱいだ。

「ハバトがあまりに心許しているようだったので、柄にもなく嫉妬などしてしまった」

 嫉妬って、相手の何かを羨ましく思うってことだよな?セブさんが羨ましく思う程、俺とイアンは仲の良い友人に見えたんだろうか。実際は俺には友人なんてひとりもいないし、セブさんに羨ましがられるものなんて俺にはひとつもない。

「わたしとイアンより、セブさんと同僚の、スペンサーさん?の方が仲が良いと思いますよ」

 セブさんの眉間に軽くシワが寄った。

「スペンサーとはただの腐れ縁で、仲が良いという程ではない」

 あんなに軽快なやり取りが出来るのだから、俺からしたらすごく仲良しだと思うけど、セブさんは優しくて素敵な人だからもっと仲の良い友人がたくさんいるのかもしれない。それはとても羨ましい。

「スペンサーさんに会いに来たのはお仕事の関係ですか?もしかして王都に戻られてしまいますか?」

「いや。あいつに用があってここに来たのではない」

 小道から大通りに出ると、セブさんはすぐに辻馬車をつかまえて、そつのない所作で俺を先に馬車に乗せてから自身も颯爽と乗り込んだ。
 俺たちが乗り込んだのは二人乗りの箱馬車で、隣に腰を下ろしたセブさんとの距離が近い。
 狭い車内にあっても、直剣をベルトから外さずにズラして片腿に乗せるようにしているのは、もしかしていざという時片手でも抜けるようにしてるのだろうか。そんな、素人の俺が考えても仕方のないことを思いながらセブさんを見つめる。

 ローレンスさん曰く、セブさんは貴族騎士だという。貴族として、騎士としての彼を、俺は知らないし、知る権利はない。悲しいけど。

 馬車が動き出すと、懐から手の平大の小袋を取り出したセブさんがそれを俺に手渡した。車内を照らす魔法灯の淡い光の中で一見するだけでは、それが何かわからずしばし呆けてしまった。

「金竜涎だ」

 全く予期していなかった物の名を告げられて、つい「え!」と叫んで喜びで腰が浮きかける。

「すごい!どこで手に入れたんですか?セブさんさすがです。カッコいいです」

 俺のテンションの上がりようにセブさんは少しばかり驚いたようだが、すぐに優しく破顔した。

「今日訪れた闇市の店の者が言っていただろう。“南通りのクラフテアという店に売った”と。買い取り交渉に来てみれば、金竜涎の買い占め理由があのスペンサーの豪遊だとわかった。この金竜涎は、私の事情をだいたい理解したあいつが買い上げて寄越した。代わりにあいつが男娼まで侍らせていたことは奥方には黙っておくことになった」

 端正な貴族様が口元を歪めて、たちの悪いいたずらっ子のような顔をする貴重なところを見てしまった。

「なるほど。今日スペンサーさんとは偶然会ったんですね。こんな高価なものを買ってくださるなんて、スペンサーさんも太っ腹ですねえ」

「スペンサーが娼館で使ってる額を考えれば些末なものだし、あいつがこんな地方の花街で加減せずに遊ぶから、浮かれた店側も金竜涎の買い占めなんて狂ったことをするんだ」

「ふふふ。セブさんちょっとだけ怒ってますね」

「少しな。君を娼館になど行かせたくなかった」

「またわたし子供扱いされてますか?わたしだって娼館に来たっていいじゃないですか」

 男娼がいるんだから、女の人だって娼館には来るのだろう。

「子供扱いなどしていない。君が行っても楽しい場所ではないというだけだ。それとも、娼館で働くなどと言い出すわけではないだろうな」

 どんなお姉さんたちが働いてるんだろうとか、どんなことするんだろうとか、娼館自体に興味がなくはないけど、そんなこといろいろと恥ずかしくて言えない。「えっと、うーん」と言い淀んでいるうちにセブさんの麗しい顔が何故か険しくなっていく。

「魔女の秘薬を作れば望むままに稼げるだろう。何故体を売る必要がある?まさか、娼館での色事に興味があるなどとは言わないな?」

 娼館での色事への興味は正直あります。
 なんて馬鹿正直に言ったら、どう考えても痴女だ。

「…そんなこと、ないです」

「何故目をそらす、ハバト。娼館ではどんな人間かもわからない男たちに好きにされるとわかっているか?もしや、すでにどこぞの男に体を明け渡したことがあるのか?」

 体ごとこちらに向き直り、俺の左肩をがっちり掴む。言葉を重ねるごとに表情と声色が険しさを更に増していくセブさんは、どう見てもめちゃめちゃ怒ってる。さっきのスペンサーさんへの怒りなんて比じゃない。彼が何に怒っているのかわからない。性行為の経験の有無に怒ってる?性行為をしたことがあったらダメなのかな。未婚のうちはダメとか?本当はしたことないけど、それを打ち明けないと彼の怒りは収まらないだろうか。

「えっと、ごめんなさい…」

 恥ずかしくて居た堪れず、それだけ言って深く俯く。手の中の小袋が目に入り、つい先程までのにこやかに笑っていた彼が恋しい。俺が余計なことを言ったせいで怒らせたのに、そんな自分勝手なことを考えてしまう。

「私が言い値で買おう」

 セブさんが言ったことの意味を理解する前に、彼の長い指が俺の顎をさらって顔を上げさせられた。覆いかぶさるように、セブさんの苦々しげな顔が近付いてくるのを、ただぼんやりと見ていた。魔法灯の明かりが、胸下まであるなめらかな白金の長い髪の表面を、すべるように輝かせている。

 俺の口に、彼の唇が柔く触れる。キスだ、と急速に理解をして、さっきまでの些末な羞恥もぐるぐるとした思考も、全部一気に吹っ飛んでしまう。
 彼の唇が薄く開かれ食まれると、まるで彼に求められているみたいで、脳天気な俺の頭の中は幸せな気持ちでいっぱいになった。
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