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第1部 第1章

ラーンベルク夜襲戦(中)2

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 その頃、フラリン国王メンデル2世を補佐する三務卿の一人であり、ラーンベルク包囲軍の指揮を取っている軍務卿ローベル公は拳で鞍を叩いた。 驚いた馬が前足を跳ね上げる。
「何たるざまか!」
 先程ラーンベルク要塞に籠城していたアストゥリウ王国軍が撃って出たのだ。
 出撃して来たアストゥリウ王国軍を殲滅して、ラーンベルク要塞を一気に占領するチャンスと見て攻撃を開始したのに、兵力で勝る我がフラリン軍がじわじわとおされてるのだ。
 ラーンベルク包囲軍は4万、ラーンベルク要塞に籠城していたアストゥリウ軍は1万しかいない。それなのに、フラリン軍がおされているのだから、まさにフラリン軍の恥と言えた。
 屈辱で顔を赤くしているローベル公にフラリン軍本営がアストゥリウ王国軍の襲撃を受けているとの凶報が入る。

 かのような報告を受けたローベル公の顔は蒼白になっていた。
 それもそのはず。
 ラーンベルク要塞に籠城していたアストゥリウ王国軍が撃って出てきた事により、また押されている事によりラーンベルク要塞を包囲していたフラリン軍とヘルメスをかついだアストゥリウ王国諸侯の軍勢計4万は拘束されていると言っても過言ではない。

 包囲軍の予備戦力を本営の救援に回すという手もありはするのだが、包囲軍主力がおされており、またアストゥリウ諸侯軍がラーンベルク包囲軍のかなりの部分を構成している以上、万が一の裏切りに備えるためにもフラリン軍部隊をこれ以上引き抜く訳には行かない。
 ましてやアストゥリウ諸侯の軍を国王陛下の本営に救援に派遣するなど論外である。
 もし、万が一フラリン軍本営が陥落でもすれば、この戦いの敗北は決定的ととなり、戦場はアストゥリウ王国からフラリン本国に移る。
 内戦状態であったアストゥリウ王国がフラリン王国を侵攻する可能性は極めて低いが、消耗しているフラリン王国を見て東に接する大国ロアーヌ帝国が喜んで侵攻してくるだろう。
 そうなれば、ローベル公の本領と家が危なくなると言う訳だ。

 しかし……とローベル公は気持ちを落ちつかせる。
 フラリン軍の本営は約2万、そのうち半数近くの兵が略奪に出ていたとしても1万以上の兵力はある。
 それにアストゥリウ王国軍の主力がラーンベルク要塞に入っている事を確認している。
 さらに、この近辺には斥候も何度も出し、アストゥリウ王国部隊は確認されていなかった事を考慮すれば、どこかに兵を伏せていたのだろう。隠し通せたという事は本営を襲撃して来た敵軍の兵力は多数ではない。
 であれば、フラリン軍本営の厚みにアストゥリウ王国軍の勢いが鈍り、やがて撃退されるであろう。

「何の心配もいらぬ。我が軍の本営を襲撃しているアストゥリウ王国軍とラーンベルク要塞に籠城していた軍はこれで撃破できる。そして崩れる敵を追撃すれば大手柄じゃ!」
 味方を鼓舞する空元気でなく、本気でこの状況は逆に手柄をたてるチャンスだとローベル公は考えたが、2時間もかからず、事実によって誤りを指摘される事になるのである。







 フラリン王国軍の本営はもはや壊滅寸前であった。

 本営は2万の軍勢で固められていた。

 本営の北、南、東、西は4千の将兵から編成される4個軍団で固め、国王の本営も近衛隊を中核とした4千の兵で固めている。
 だが、南方に展開してたラモン伯の軍団と西に展開していたサラー侯の軍団がそれぞれ早期に壊滅してしまった。やむなく東方を守備していたレバノン公が本営南に進軍してアノー軍団に当たり、本営北方を守っていたパラネ侯は西に進軍してフェリオル直率の軍勢を押しとどめようとした。
 しかし、この2軍団はともに半数以上の兵が略奪に出ており、しかもまさかの劣勢を受け兵の脱走も相次ぎ、1500程の兵力に激減していたのだ。
 それでも2軍団とも何とか西、南に展開できたのは良いものの、アストゥリウ王国軍の猛攻を受け、まともな陣形を整える事もできずに苦戦を強いられる。

 兵達を動揺させるのを恐れて平静を装っていたレバノン公も、パラネ侯、ラモン伯、サラー侯が相次いで討ち死にしたとの凶報が入り、顔を青くした。
「かくなる上は国王陛下をお逃がしし、態勢を立て直すしかない」
 幸い、フラリン軍の兵力はアストゥリウ軍を圧倒している。
(国王陛下さえ無事なら最終的にこの戦争に勝利するのは我々だ。確かにこの戦いは大敗だが、これは夜襲戦だ。夜間、散り散りに逃げ惑っている兵への追撃など、いかにフェリオル配下の軍勢が精鋭だろうと不可能だ。朝になって、敵が休養し本営に残された膨大な物資を略奪している間に、こちらは敗兵を収容して再編すればよい。フラリン軍は4万の大軍、半分が討たれたとしてもまだ2万は残る。後は本国に馬を走らせ動員が終えている軍をこちらに回せばいい。国王陛下さえご無事であればこの局地戦での敗北などいくらでも覆せる)そう素早くレバノン公は計算する。

 レバノン公は意を決し、自分の手勢を集めるべく、集合のラッパを吹かせる。
 近衛隊と合流し、メンデル2世を脱出させねばならないからだ。

 しかし、その決断は遅かった。
 フラリン軍の防衛線を突破したアノー軍団の先鋒を務めるウォルフの大隊の弓隊がレバノン公の陣に一斉射撃を行った。
 レバノン公の兵は次々と血しぶきとともに倒れた。
 レバノン公の兵は慌てて盾を上にかざす。

 戦術の定石通りに続けて、二度、三度矢を放って戦力をさらに消耗させてくる物と思っていたからだ。
 しかし、ウォルフ大隊の指揮官ウォルフは準備射撃でこれ以上戦力を消耗させる必要がないと判断し突撃を命じた。
 矢を放った弓兵が退くのと入れ替わりに、騎士と歩兵の黒い集団が突撃を開始する。
 味方の不利に浮き足立っているレバノン公の手勢では、とうていこれを支える事はできなかった。
 レバノン公の軍勢は敗残兵の群へとたちまちのうちに変わる。

「退くな! ここが崩れれば陛下の本営も危うくなるのだぞ!」
 それでも、レバノン公は怒号し、逃げようとする兵に剣を振り回し、何とか潰走を止めようとした。
 だが、そうこうしてるうちに、アストゥリウ王国の騎士や歩兵が、公爵の周辺まで押し寄せて、ついにはレバノン公自身も危ない形勢となってきた。

「もはや、これまでか」
 舌打ちとともに祖国フラリン王国がある東の方に駆け抜けようとする公爵の前に黒衣の騎士が現れた。

「レバノン公と、お見受けいたす」
 戦闘の結果か、少し声がかれていたが、レバノン公は聞こえたので頷ずいて尋ねる。
「いかにも。 我はレバノン公爵家の当主なり。お主は?」

「アストゥリウ王国国王フェリオル・オーギュースト陛下の臣ウォルフ。黒旗軍の大隊長を務める者なり……」
 騎士の礼に従い、黒騎士は自分の名を告げた。
 しかし、姓がなく大隊長と言う単語を聞いた瞬間、レバノン公の目に、軽蔑の色が宿る。姓がないと言うのは貴族階級ではないからだ。
 レバノン公等の有力貴族の大半は平民など人間扱いしていない。言うならば豚や牛等の家畜と余り変わりはなく、王族や有力貴族に奉仕出来なくなったら死んでしまえと言う価値観だ。
 貧しい老人がいくら餓死しようと普通王や領主は動かない。もっとも若者にまで餓死者が出るならば話は別だが。

 要するにレバノン公の価値観からすると家畜に一騎打ちを挑まれたようなものだ。
 嫌味を言いたくなるのもまあ当然であろう。

「戯けた話だ。平民風情が」
 相手の使い込まれた粗末な兜と鎧を蔑むように見て、嘲笑を浮かべる。
「レバノン公爵家の主に一騎打ちを挑むと言うのか? しかも、平民風情が大隊長とは。……いやはや、世の中も変わったものだな」

 ウォルフは、公爵の侮辱に反応せず、平静に答える。
「さよう。お命頂戴」

「下民が……」
 公爵は剣を振り上げて、黒衣の敵に突進する。
 しかし、レバノン公の一撃はウォルフと名乗った騎士に無造作に受け止められる。
 二合、三合剣を交わすと、二人は馬上で鍔迫り合いの体勢になる。
 レバノン公は軽蔑の色を交えながら告げる。
「高貴なる公爵に、卑しき平民が斬りかかる。まさしく、世も末だな」

 ウォルフは微笑を浮かべる。
「公爵のおっしゃる通り、確かに時代は変わった」
 ウォルフは剣を握っていた手に力を込めた。
 今まで手加減していたのか、黒騎士の剣が公爵の首に迫る。

「うぬぬ、下民が!!」

「公爵よ、卑しき平民が、大貴族を討ち果たすほどに時代は変わったのだ!」
 ウォルフは剣を押しこみ、公爵の抵抗を破ろうとした時、レバノン公は絶好のタイミングで馬を後退させたと思うと、黒騎士に突進させた。

「下民、地獄でその思い上がりを後悔せよ!」
 馬術と剣術の粋をつくした渾身の一撃だが、ウォルフの剣はそれよりも早かった。
 ウォルフは自ら剣の下に飛び込むようにして、斬撃をかわし、下から剣を跳ね上げると公爵の肉体が地上に落ちる。
 公爵と平民の一騎打ちの勝敗は明らかになった。

「ま、待て。我を助けよ。我は公爵家の当主。金ならいくらでも払う」
 地面に倒れたレバノン公は大貴族らしかぬ命乞いをする。
「おお、そうだ。金だけでは不満と言うのなら我が国王の本営に案内してやろう。大きな手柄が立てられるぞ。な、だから命だけは……」

(己が主君を自分の命欲しさに売り渡すとは……それが貴族のやる事か。)
 心の中で呟いたウォルフは無言で馬から下り公爵の首筋に剣先を当てた。
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