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第1部 第1章
縁談
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ナーロッパ歴1056年10月18日。
ここまでアリシアを先導してきたメイドが、扉をノックした。
「失礼します。旦那様、アリシアお嬢様をお連れしました」
扉が開かれ、アリシアが入室する。メイドはそのまま手際よく飲み物の用意を始めた。
「ああ。少し長くなるから、そこに座りなさい」
そう言うと、彼女の父サイラスは執務机の上の書類を片付けてから、アリシアの前に座る。
それにあわせて二人の前にコーヒーが置かれる。ナーロッパに栽培できる土地はない。密貿易商人から購入したのだろうななどとアリシアは益体もないことを考えはじめる。そのせいで、サイラスの言葉への反応が遅れた。
「アリシア、そなたの縁談相手が決まったぞ。」
まさか、縁談があるとは思っていなかった。婚約破棄されて、半年もたっていないのだから。
まず、帝国貴族はあり得ない。身分で釣り合いが取れなおかつ同世代の独身の男性貴族はいない。男爵や子爵令嬢なら第2夫人や愛妾という選択肢もあるが、それはピルイン選帝公令嬢と言う立場が許さない。高位かつ高齢貴族の後妻ならばあるいは可能性があるかもしれないが、初婚のアリシアを差し出すほどの価値がある相手は、と考えるとやはり彼女の頭に思い浮かばなかった。
と言う事は他国なのは間違いないとアリシアは判断した。
そして、このタイミングとなれば、アリシアが初めに思い浮かんだのは……。
「かしこまりました。このタイミングと言う事はリューベック王国ですか?」
だ。
「ほお。何故そう思う?」
サイラスは興味深そうに見つめる。
「簡単ですわ。まず帝国貴族はあり得ません、今空きがないですし、さらに言うならば私は嫌われていますから。と言う事は他国しかありません」
「なるほど。しかし、何故リューベック王国と思ったのだ?」
父がカップに口をつけて続ける。
「フラリン王国が隣国のアストゥリウ王国の内戦に干渉した以上、フラリン王国がアストゥリウ王国を同盟国という名の事実上の属国にするのは時間の問題。そうなればフラリン王国は後顧の憂いもなく東方に進出し、ロアーヌ帝国と戦端を開くのは疑いありません」
アリシアもコーヒーを口につけて続ける。
「しかし、フラリン王国とロアーヌ帝国国境には要塞群も広がり、さらに4万以上の兵力を本国に温存している以上、ロアーヌ帝国軍でもフラリン王国本土への侵攻は難しい。ならばフラリン王国がアストゥリウ王国を平定するまでの隙をつき、北方の小国群を勢力下に収めてフラリン王国との決戦に備える。帝国の戦略方針がそう定まるのは当然です。そして、リューベック王国は帝国が北方に進出するならば必ず掌握せねばならない要所ですから」
リューベック王国は海路、陸路、河川とすべての交通が集中した要所である。ここを完全に抑えなければ、帝国の北方進出は夢のまた夢である。
無論、根本的な軍事力に大差がある以上、軍を用いて征服することも可能だ。だが、リューベック王国は巨大な経済力があり、傭兵を大量に雇って抵抗されれば思わぬ出血と時間が必要になる可能性がある。そうなればその後の北方進出に支障を来すし、戦が長引けば他国の介入も考えられる。それならば、まず懐柔政策を帝国は選ぶであろうとアリシアは考えたのだ。
「当たりだ」
サイラスは苦笑を浮かべながら続けた。
「で、何故ピルイン家から姫を出すか分かるか?」
「これ以上シュタデーン公の勢力拡大をさせるわけにはいかないからでしょう。この北伐は我々ピルイン家がなんとしても主導権を握らねば帝国北部はシュタデーン家が覇権を握る事になります」
シュタデーン選帝公とピルイン選帝公は帝国北部の有力諸侯であるが、近年シュタデーン選帝公はベルガ王国と同君連合を組んだりポトラント王国の一部を切り取ったりして急速に勢力を拡大していた。そしてアリシアの婚約破棄を契機に、シュタデーン公の中央進出の意志が明らかになった。「敵の敵は味方」の原則通りにピルイン選帝公と中央に強い影響力を持つハーベンブルク選帝公は共同でシュタデーン公を牽制する事になったが、後手に回っているのが現状だ。
ここで巻き返しをはかるなら北伐の主導権をピルイン家が握るしかない。
「本当に可愛くないな。だから、婚約を破棄されたり、男に嫌われるのだぞ」
サイラスは大きくため息をついて続けた。
「そなたにはアルベルト王太子殿下に嫁いでもらう事になるが、まだこれから大使が交渉するという段階だ」
アリシアはてっきり決定事項だと思ったが、まだ交渉にすら入ってなかった。
遅いなとアリシアは思うが口には出さない。出したのは別の話である。
「父上、フラリン王国が勝った時はそれで良いとしてもフェリオル王が勝った場合は考えなくとも宜しいのですか?」
「簒奪王か……」
サイラスは嫌な顔になる。
庶子の身でありながら父王と兄王子らを討って王位を奪った簒奪王をサイラスは嫌っているのだ。
「簒奪王の手勢は二万弱程度、フラリン王国が出した軍は四万、それにアストゥリウ王国の反フェリオル派の諸侯軍が二万。計六万だ。簒奪王とその手勢が戦慣れしていようが、三倍の兵力を覆すのは無理だ」
それと、とサイラスは続ける。
「リューベックに嫁いだら政治や軍事の事に口を出して我が家を貶めるような事をするなよ。そなたは世継ぎをなすことと奥を纏めることだけを考えれば良いのだ」
「承知……しております」
アリシアは少し悔しそうに答える。
女が政治に口を出す事は基本的に許されていないのだ、少なくともロアーヌ帝国では。
ここまでアリシアを先導してきたメイドが、扉をノックした。
「失礼します。旦那様、アリシアお嬢様をお連れしました」
扉が開かれ、アリシアが入室する。メイドはそのまま手際よく飲み物の用意を始めた。
「ああ。少し長くなるから、そこに座りなさい」
そう言うと、彼女の父サイラスは執務机の上の書類を片付けてから、アリシアの前に座る。
それにあわせて二人の前にコーヒーが置かれる。ナーロッパに栽培できる土地はない。密貿易商人から購入したのだろうななどとアリシアは益体もないことを考えはじめる。そのせいで、サイラスの言葉への反応が遅れた。
「アリシア、そなたの縁談相手が決まったぞ。」
まさか、縁談があるとは思っていなかった。婚約破棄されて、半年もたっていないのだから。
まず、帝国貴族はあり得ない。身分で釣り合いが取れなおかつ同世代の独身の男性貴族はいない。男爵や子爵令嬢なら第2夫人や愛妾という選択肢もあるが、それはピルイン選帝公令嬢と言う立場が許さない。高位かつ高齢貴族の後妻ならばあるいは可能性があるかもしれないが、初婚のアリシアを差し出すほどの価値がある相手は、と考えるとやはり彼女の頭に思い浮かばなかった。
と言う事は他国なのは間違いないとアリシアは判断した。
そして、このタイミングとなれば、アリシアが初めに思い浮かんだのは……。
「かしこまりました。このタイミングと言う事はリューベック王国ですか?」
だ。
「ほお。何故そう思う?」
サイラスは興味深そうに見つめる。
「簡単ですわ。まず帝国貴族はあり得ません、今空きがないですし、さらに言うならば私は嫌われていますから。と言う事は他国しかありません」
「なるほど。しかし、何故リューベック王国と思ったのだ?」
父がカップに口をつけて続ける。
「フラリン王国が隣国のアストゥリウ王国の内戦に干渉した以上、フラリン王国がアストゥリウ王国を同盟国という名の事実上の属国にするのは時間の問題。そうなればフラリン王国は後顧の憂いもなく東方に進出し、ロアーヌ帝国と戦端を開くのは疑いありません」
アリシアもコーヒーを口につけて続ける。
「しかし、フラリン王国とロアーヌ帝国国境には要塞群も広がり、さらに4万以上の兵力を本国に温存している以上、ロアーヌ帝国軍でもフラリン王国本土への侵攻は難しい。ならばフラリン王国がアストゥリウ王国を平定するまでの隙をつき、北方の小国群を勢力下に収めてフラリン王国との決戦に備える。帝国の戦略方針がそう定まるのは当然です。そして、リューベック王国は帝国が北方に進出するならば必ず掌握せねばならない要所ですから」
リューベック王国は海路、陸路、河川とすべての交通が集中した要所である。ここを完全に抑えなければ、帝国の北方進出は夢のまた夢である。
無論、根本的な軍事力に大差がある以上、軍を用いて征服することも可能だ。だが、リューベック王国は巨大な経済力があり、傭兵を大量に雇って抵抗されれば思わぬ出血と時間が必要になる可能性がある。そうなればその後の北方進出に支障を来すし、戦が長引けば他国の介入も考えられる。それならば、まず懐柔政策を帝国は選ぶであろうとアリシアは考えたのだ。
「当たりだ」
サイラスは苦笑を浮かべながら続けた。
「で、何故ピルイン家から姫を出すか分かるか?」
「これ以上シュタデーン公の勢力拡大をさせるわけにはいかないからでしょう。この北伐は我々ピルイン家がなんとしても主導権を握らねば帝国北部はシュタデーン家が覇権を握る事になります」
シュタデーン選帝公とピルイン選帝公は帝国北部の有力諸侯であるが、近年シュタデーン選帝公はベルガ王国と同君連合を組んだりポトラント王国の一部を切り取ったりして急速に勢力を拡大していた。そしてアリシアの婚約破棄を契機に、シュタデーン公の中央進出の意志が明らかになった。「敵の敵は味方」の原則通りにピルイン選帝公と中央に強い影響力を持つハーベンブルク選帝公は共同でシュタデーン公を牽制する事になったが、後手に回っているのが現状だ。
ここで巻き返しをはかるなら北伐の主導権をピルイン家が握るしかない。
「本当に可愛くないな。だから、婚約を破棄されたり、男に嫌われるのだぞ」
サイラスは大きくため息をついて続けた。
「そなたにはアルベルト王太子殿下に嫁いでもらう事になるが、まだこれから大使が交渉するという段階だ」
アリシアはてっきり決定事項だと思ったが、まだ交渉にすら入ってなかった。
遅いなとアリシアは思うが口には出さない。出したのは別の話である。
「父上、フラリン王国が勝った時はそれで良いとしてもフェリオル王が勝った場合は考えなくとも宜しいのですか?」
「簒奪王か……」
サイラスは嫌な顔になる。
庶子の身でありながら父王と兄王子らを討って王位を奪った簒奪王をサイラスは嫌っているのだ。
「簒奪王の手勢は二万弱程度、フラリン王国が出した軍は四万、それにアストゥリウ王国の反フェリオル派の諸侯軍が二万。計六万だ。簒奪王とその手勢が戦慣れしていようが、三倍の兵力を覆すのは無理だ」
それと、とサイラスは続ける。
「リューベックに嫁いだら政治や軍事の事に口を出して我が家を貶めるような事をするなよ。そなたは世継ぎをなすことと奥を纏めることだけを考えれば良いのだ」
「承知……しております」
アリシアは少し悔しそうに答える。
女が政治に口を出す事は基本的に許されていないのだ、少なくともロアーヌ帝国では。
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