風花の竜

多田羅 和成

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三年目の秋(1)

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 三年目の春は、オレンジの爽やかな香りすらも霞む不穏な空気をオスカーは感じていた。明るさが取り柄な酒場のお姉さんも、どこか不安そうな顔を覗かせている。自分が旅を出ている間に何かがあった。オスカーは長年の旅で培われた勘が告げている。

 街の空気も心配だが、何より心配なのはエルピスのことであった。彼は街と離れた場所にいるとはいえ、この国の守護竜だ。国政に関わりのある王族からも、話を聞いていることだろう。

 自由がなくても、国の為に何百年と神殿に鎮座しているエルピスのことだから、冷静そうな顔をしつつも、心では痛めている様子を想像するのは難しくない。

 まだ二年目の関わりでしかないが、彼が国を愛していることも、初めての親友が作り上げた国を捨てられないことも理解をしている。しているからこそ、山へと向かう足が早くなっていく。

 約束をしているからもあるが、何よりも親友として早く傍にいたかったからだ。憂いているであろうエルピスを癒したかった。だから、足を奪う獣道も、視界を奪う木枝にも気にせずに駆け抜けていく。前まで短く感じていた道も、意地悪になって長くなっている気がした。息が苦しくなるほど、肺から酸素がいなくなった頃に、神殿が姿を現した。

 真っ白な神殿は変わらず穢れを知らないようで、汚れ一つ存在を許されていなかった。大理石の廊下を歩いていくと、話し声が聞こえてくる。恐らく、エルピスとこの国の王ディアンだろう。近づくにつれて、話の内容が聞こえてくる。

「カルーラ帝国の動きが活発化しています。相変わらずエルピス様を狙っているのでしょう。先代の帝王は目論みはあったのは、分かっていましたが、行動に動かすことはありませんでした。しかし、今代の帝王は野心家なのか、小競り合いが多くなっています。このままでは……」

「我が出るわけにもいかないだろう。それをすれば余計に拗れる」

「分かっております。出来る限り戦争にならないように細心の注意を払います」

 ここまで聞いてオスカーは複雑な思いを抱いていた。どうやら隣国に存在するカルーラ帝国の関係が悪化をしているらしい。街の空気が重かったのは、、戦争寸前だからだろう。このままでは、もしかすると港も閉鎖になるかもしれない。この国の民ではないオスカーは滞在することは難しくなるだろう。

 親友に顔を覗かせるつもりが、重要な話を聞いてしまった。一旦、出直そうかと考え、背中を向けようとしたが、竜の耳とは人間よりも優れているようだ。僅かな足音に気づいたエルピスはオスカーの方に向かい、立ち去ろうとしていた彼の右腕を掴んだ。

「何故帰ろうとするオスカーよ。約束を忘れたのか」

 帰ろうとしたオスカーに機嫌を損ねたのか。眉間に皺を寄せて、低い声でエルピスはオスカーに問いかける。

 その様子にオスカーは悪戯がバレた子どものように、気まずそうにしながら、左手で自分の頬を掻く。会えて嬉しいのに、不機嫌なエルピスを見ると申し訳ない気持ちも半分あるせいで、複雑な気持ちだ。

「約束を忘れる訳ないだろエル。おいらは会いたくて、あの獣道を走ったんだ。だけど、ほら、王様と大事な話をしている様子だったから、明日にしようかなと思っただけさ」

「なら、もう話は終わった。そうだろうディアン」

「えぇ、ちょうど終わりました」

 エルピスの言葉にディアンは内心驚きながらも、顔には出さないようにし、エルピスが望むであろう言葉を口にする。その言葉に、エルピスは何か問題あるかとばかりに、睨みつけるものだから、オスカーは苦笑いをするしかなかった。

「おいらが悪かった。だから、睨まないでおくれよ。可愛い顔が台無しだぜ」

「我は可愛くなどない」

「では、私はこれにて。おい、不敬な真似はするでないぞ」

 困ったような笑みを浮かべてオスカーが向き合えば、エルピスは満足そうな顔をする。その様子を見たディアンは、少し考えるような顔をした。その後、ディアンはエルピスに深くお辞儀をし、オスカーに忠告をしたならば神殿から後にする。

 残されたオスカーの気まずさなど知らないエルピスは、ずいっと顔を近づける。エルピスの顔の近さにオスカーの心臓は跳ねた。

「今回も旅の話をしてくれるのだろ。早く話せ」

「わ、分かった。分かった。キスが出来そうなぐらい顔が近いから、一旦離れようぜ。おいらのことが好きなのは分かっているからさ」

「むっ、すまぬ。最近、暗い話ばかりで気が滅入っていたからな。オスカーに会えるのが楽しみだったのだ」

「ははっ、そりゃ嬉しい限りだ」

 エルピスの素直な言葉に、オスカーの顔に熱が籠る。人間とは、素直に気持ちを伝えることが難しい生き物である。本音と建前を使い分け、自分の心を守るが、竜であるエルピスは建前がないように見えた。いつだって自分の気持ちを真っすぐに伝える。

 そんなエルピスの行動も態度もオスカーからしたら好ましいものであった。だからこそ、怖かった。悪意によって穢れの知らないエルピスの心が、汚れてしまう光景を見たくないのだ。我儘だとは分かっていた。それでも、エルピスの心に影が宿さないことをオスカーは願い続ける。その為ならば、自分はエルピスの盾になることも厭わないだろう。

 遠い土地の話をオスカーは、面白おかしくエルピスに伝える。忍びよる戦争の足音をかき消すように。春の風を感じながら、平和な時に寄り添うのであった。
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