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第二章 禁断の勇者と魔王の夜宴

Page.38 氷結する勇気

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 勇気のページ……確かメルもそれが勇者の証だと言っていた気がする。
 ただ、俺はその効果を聞きそびれたままだ。

「勇気のページ、それは人々を導く力です。良いように言えば……ね。実際は名前を記した者を意のままに操ることが出来るページなのですよ」

「意のままに……操るだって!?」

「あなた自身がそう警戒する必要はありません。別にただペンで名前を書けば成立というわけではありませんから。冥約のページと同じで明確な意思と血が必要になります」

「……ということは、ここにいる人たちは自分の意思であなたに従っていると? そんなはずはない! だって、みんなこんなに怯えた顔をしている!」

「人間、嫌な事でもやらないといけない時があるのです。人間社会から逃げたあなたにはわからないでしょうが……ね。借金返済のため、家族を守るため、犯した罪を許して貰うため……大人にはいろいろあるのですよ。正直、勇気のページの効果がなくとも私に従い命を懸ける人がほとんどだと思いますが、ページの効果があった方が……!」

 操られた人々の攻撃が始まった。
 やはりみんな機敏で、とても素人の動きとは思えない!

「操られていることは彼らにとっても得なのです。戦いの心得がない素人でも戦力として役にたち、生き残る確率も格段に上がる。それに私だって彼らの自由を常に奪っているわけではありません。勇気のページの効果の発動には魔力が必要ですからね。仕事のない日は基本的にずっと自由ですよ」

「いつ操られるかわからない状況で過ごす日常は、果たして本当の自由と言えるのか!?」

「本当の自由などこの世にはありませんよ。みな何かに縛られて生きている。だがそれは幸福なことなのです。ちなみに勇気のページは冥約のページと違い、いつでも私の意思で名前を消せます。役目を終えた人はちゃんと解放しているのですよ。そこらへんの冒険者なんかよりもずっと安全で稼ぎも良い仕事を与えられていると自負していますがね」

「果たしてそうかな?」

 この人たちに毒針は防がれてしまう。
 しかし、触れることが出来る『針』ではなく、触れることが出来ない『霧』ならばどうだ!

麻痺毒霧パラミスト!」

 俺の体の周りに紫の霧が発生し、あっという間に人々を包み込んだ。
 霧が晴れる頃にはみんな眠るように地面に転がっていた。

「なるほど……考えたものですね。どうやら、ただの負け犬という考えは改めた方が良さそうだ」

「昔の俺は確かに負け犬だった。でも、今は違う!」

「ええ、多少は出来る負け犬ですね!」

 俺の放った毒の霧を勇者は冷気で押し返した。
 こいつ……風魔法も使えるのか!?

「一つの属性しか使えないのに勇者は名乗りませんよ。勇気のページを持っていたとしても、恥ずかしいですからね」

「くぅ……!」

 俺の体がまた冷えて凍り付く。
 まだギリギリ動けるけど、これ以上は致命的だ……。

「多少は出来る負け犬にランクアップしたあなたに私の名を教えてあげましょう。フリージ・アイスバーン……氷結の勇者フリージとは私のことです」

「申し訳ないけど、私のことと言われても俺は知らないな……」

「無知を誇らないことです。魔王の配下として勇者の名すら把握していないことは恥ですよ」

「眼中になかったもんでね。視野が狭いんで……」

 くっ、なんか皮肉というより自虐になってるな……。
 まあ、この会話の間にも凍り付いた体は溶けていく。

「無駄話はもういいです。それより、先ほどの『果たしてそうかな?』という言葉の意味を聞かせなさい。私は本当に良い条件で働かせていると思っていますよ」

「……都合が良すぎる。確かに稼ぎは良いかもしれないし、戦闘も勝手にやってくれるから生き残る確率も高いかもしれない。でも、やっぱり体の自由を完全に奪われる恐怖の方がずっとずっと上回ると思う。俺なら他の仕事を選ぶ」

「仕事を選べない状況の人もいるのですよ」

「それにしても多い。なぜこんなにお前のもとに流れ込んでくるのか」

「つまり、あなたが言いたいのは……」

「お前が人々を従わなければならない状態に追い込んでるんだろ? 自由を奪われ、勇者の駒として使われる以外の選択肢を奪っているんだ。他でもない、勇者であるお前が!」

「フフフ……やはり少しは出来がいい負け犬ですね。ええ、その通りです。流石に気まぐれで『自殺しろ』と命令されても従わざるを得ない勇気のページに名前を書いてくれる者はいません。普通は……ね。だから普通じゃない状況に追い込む! 裏で根回しして、人生のどん底に転落してもらうんです」

 圧倒的な勇者の特権、それを支える確固たる暴力がそれを可能にしているんだ。
 人々は逆らうことが出来ない……!

「まあ、どん底に落ちてもらうって言っても、どん底より少しマシ程度の人を主に狙っているんですけどね。だから大して変わらない。むしろ社会の掃き溜めにいる彼らを勇者のお供として使ってあげているのだから誇ってほしいものですね」

 ああ、こいつは奴と一緒なんだ……。
 勝手に人の命の価値を決めつけて、自分の方が正しく使えると思い込んでいる!
 自分に与えられた勇者という素晴らしい力すら正しく使えていないのに!

「私だって、彼らには感謝しているんですよ? 戦いは数。勇者といえど魔王の軍勢に一人きりでは敗北必至です。しかし、普通の冒険者では力不足……。そこで役に立つのが勇者である私の意のままに操れる駒ですよ。これは勇者が魔王にうち勝つために与えられた力! そして、この使い方は正当なのです!」

 体が熱い……。
 あの時のように、俺の毒の身体が煮えたぎっているような感覚だ……。

「しかし、あなたには私が悪者に見えているのでしょう?」

「当たり前だ」

「では聞きますが、この場にいる魔王やその配下たちは人間に悪さをしていないのでしょうか? もしかしたら人間大好きな魔王がいてもおかしくはありませんが、それは全員ですか? いや違う! こいつらは私以上に人間に……いや、人類そのものに害を与えているのです! 彼らを排除するためには、こちらも非情にならなければならない! それでも私が悪者というのですか?」

「確かにここは魔王の宴の場だ……。みんながみんな人間にとって善ではないだろうし、逆もまたしかりです。もしかしたら、宴の後に家に帰って人間をいたぶっているかも……」

「ええ、その通りです。可能性は高いのです」

「まあでも可能性を考える前に、いま現在みんなを人生のどん底に突き落としたことを自白して、良い人もいるかもしれない魔族たちをいたぶっている勇者を倒してから考えても……遅くはないかなって。容疑者よりも現行犯をどうにかしなきゃって頭の良いあなたならわかりますよね?」

「…………」

「とりあえず、あんたは倒す。俺の魔王様にも手を出すだろうし、これは決定だ」

「やはり……フフフ……ただの負け犬ではない。意外と理屈の通ったことを言う……。しかし、大きな間違えが一つ! あなたに私を『とりあえず』倒せる力はない! いや、どうしたって倒せるはずがない! 捨て駒を排除したくらいで、この氷結の勇者フリージに勝てるものか!」

 今までとは比べ物にならない冷気が俺を襲う。
 これは……俺の中の怒りの熱では溶かせそうもない……。
 確かにこのグツグツと湧きあがる感覚はあの時と一緒だ。
 しかし、熱量が足りていない。

 アーノルドとの戦いの時との違いはなんだ?
 フリージだってあいつと変わらない男のはずだ……。

 いや、全然違う。
 俺自身がまだ奴の被害者になっていないんだ!
 それに奴は俺が魔王に従っていることは知っているけど、それがパステル・ポーキュパインという少女だということは知らない。
 個人を認識していない分、パステルにとっての脅威度は少し低くなる。

 この程度の怒りでは【死竜毒ハイドラ】の真の力を出し切ることは出来ない。
 でも、他の魔法ではこの冷気はどうにもならない。
 フリージの前で完全に凍り付いてしまえば、俺は砕かれて死ぬ。
 その死の直前、怒りのボルテージが最大になるまで待つしかない……のか?
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