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第二章 禁断の勇者と魔王の夜宴

Page.36 兄と妹と……

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 宴の会場にはいくつもの大型テントがある。
 その中でも特別目立つ真紅のテントはソーラウィンド家専用のテントだ。

 エンジェはそこに隠れて一人涙を流していた。
 使用人もすべて追い払い完全に一人ぼっち。
 いつもそばにいて慰めてくれるキューリィも今日ばかりはいない。

 兄フレイアも試合の後は姿を見せず、一言も会話を交わしていない。
 きっと失望されたのだとエンジェは思い込んでいる。
 それも仕方ないことだ。
 今回の試合に限ってはエンジェの完敗だった。

 パステルは試合のルールとエンジェ・ソーラウィンドという魔王を理解し、勝ちへつながる最適解を選んだ。
 その方法はめちゃくちゃで、この武闘大会だけでしか通用しないものであるのは確か。
 しかし、逆に考えればこの試合に限っては完璧だったのだ。

 自分はその手のひらの上で踊らされていただけ……。
 試合が終わって頭が冷静になっていくほど、エンジェの中でみじめさが大きくなっていった。
 だから彼女は真っ赤な大きなテントの片隅で一人泣いていた。
 こんな時は誰とも話したくない。
 近くに誰かがいることすら辛い……。

「あ、いた」

 そんな時に限って、一番会いたくない者がやって来た。
 テントと地面の間に出来るわずかな隙間から上半身を潜り込ませ、話しかけてきたのはパステル・ポーキュパイン。
 涙を流す原因を作った張本人だった。

「うぅ……ここは家の者以外立ち入り禁止ですのよ……。さっさと帰りなさい……」

 泣き顔を見せまいとエンジェは顔を逸らす。

「立ち入ってはおらんぞ。ほれ寝ころんで体の半分だけを……と、屁理屈はいらんな。謝罪が終わればすぐに帰る。少しだけ私に時間をくれないか?」

「謝罪……? 今更そんなことされても……わたくしがみじめになるだけですわ……。謝るぐらいなら勝たなければよかったのに……」

「勝ったことを謝るつもりはない。私もいまでは配下を抱える魔王だ。勝負事でわざと負ける姿など見せたくない。私なんかのことを慕ってくれる皆に悪いからな。初めから全力で戦い……勝つつもりだった」

「では、なにを謝るというんですの……」

「最後に種明かしというか……自慢話のようなことをしてしまった。それが申し訳ないと思ったのだ。なにも公衆の面前ですることではなかった。本当にすまなかった」

「そんな……些細なことをわざわざ……。わたくしが勝っていたら、おそらくあんなものでは……」

 エンジェは自分の言っていることにハッとした。
 そう……もし自分がパステルに勝っていたらどうだっただろう。
 きっと、酷い言葉を浴びせかけていたし、それを申し訳ないと考えることすらなかっただろう。
 だってパステルは自分に負けて当然なのだから。
 しかし、今となってはこの考え方も恥ずかしく思えた。

「どうして……あなたはそんなに変われたの……。魔界から人間界に来て、過ごした時間は同じくらいのはずなのに……」

「それは私自身の努力というより、出会いの力だ」

 パステルは人間界に来てから自分の身に起こったことを話した。
 ハイドラ、エンデ、メイリ、サクラコ……それぞれの出会い。
 そして、一人だけ屋敷で待っていたあの戦いのことも。

「私の中にお前と向き合う余裕が出来たのは、皆のおかげだ。私が今生きているのも、修羅のしおりを手に入れられたのも皆のおかげだ。私が変わったとすれば、やはり幸運とも呼べる出会いの力なのだ」

 エンジェは悟った。
 パステルは中身がごっそり変わったわけではないのだと。
 大きく変わったのはあくまで彼女を取り巻く環境。
 魔界ではいつも何かに怯えて暮らしていたパステルも、新天地で信頼できる仲間と出会えばこうも変わって見えるのだ。

 明るくて前向きで、少し生意気な話し方だけど人の心に敏感で……。
 パステルのことをこんな風に思ったのは、エンジェにとって初めてのことだった。

「だが、出会いだけで人の本質は変わらないと思う。出会ったものとどう付き合っていくか……。私の場合はやはり強くなりたいと思った。さっきも話したが、エンジェと再会する少し前に戦いがあった。静かな魔境の中で起こった小さな戦いで、真実を知る者はほとんどいない。しかし、我々にとっては大きな戦いだった」

「あの……いつもパステルの隣にいる男の人を……」

「ああ、エンデを陥れ殺そうとした男が相手だった。ある意味そいつのお陰で私たちは出会ったが、だからといって感謝などカケラもできない根っからの悪党だ。しかし、そんな相手との戦いの時に私はエンデの側にいてやれなかった」

「そ、それは当然のことではありませんの? 魔王を守るのが配下の役目。そんな危険な相手にパステルを近づけたいわけありませんわ」

「その通りだが、私の場合は隠れている以外の選択肢がなかった。戦わないのではなく、戦えなかったのだ。もしエンデや他の者に危険が迫っても、私は何も知らずに屋敷の隅で待っていることしか出来ない」

「まあ、そうなりますわね……」

「魔王というのはあえて座して動かぬものだが、わたしは『動けぬ』のだ。それでもエンデたちは私の面倒を見てくれるかもしれない。でも、私自身それではダメだと思った。この幸運な出会いに甘えるだけではなく、自分も変わらないといけないと」

「…………」

「その新たな一歩が今回の試合だったのだ。戦えないなら戦えないで、せめて動ける魔王になろうと思ってな! まあ、かなり無茶をしたし、エンデにはさらに心配をかけることになってしまったが……」

 謝りに来たはずなのにパステルは心底楽しそうに話す。
 しかし、エンジェはそんな彼女の話に惹かれ、体を傾けて聞いている。
 エンジェはなんとなく納得し始めていた。
 先ほどまでは理解不能だったパステルの変化、そして自分が負けたことを。

「何をしている……エンジェ」

「あっ、に、兄さま!?」

 二人の少女の前に現れたのはエンジェの兄フレイアだった。
 このテントはソーラウィンド家専用のもの。
 当然、現在の当主であるフレイアが入ってきてもおかしくない。

「どうやらこの場に相応しくないものが紛れ込んでいるようだ」

「こ、これはその……」

「お前には敗者のプライドというものが無いのか。自分を負かし、辱めた相手と談笑するなど」

「うぅ……」

「お前は敗者だ。しかし、今日の戦いで得たものもある。それを理解し身に着けるために宴の場を離れ、修行に励んでいると思っていたが……まさか、こんなところでコソコソとなれ合っているとはな」

「別になれ合っていたわけではありませんわ……」

「では、何をしていたというのだ。私にはお前がその娘に心を許しているように見えたが」

「それの何が悪いというのだ」

 兄妹の話を聞いていたパステルがついに割って入った。
 体を完全にテントの中に入れ、堂々と立ち上がる。

「ここはお前の来て良い場所ではないぞ、パステル・ポーキュパイン。だがしかし、今回だけはあの戦いっぷりに免じて不問としてやる。早急に去るがいい……」

「無論すぐに帰らせてもらう。だが、さっきから聞いていればおぬしは適当な言葉を並べて、本当に言いたいことを言っておらん」

「私が本当に言いたいことだと……?」

「そんなにエンジェのことを気にかけているのならば、どうして『お兄ちゃんが手取り足取り教えてあげる』と言えんのだ!」

「ぐうううぅ……!?」

「おぬしはエンジェのことを本当に大切にしている。だからこそ、修行をしてほしいならば相手になってやれ。エンジェが自分の魔法の暴走を恐れていることは当然知っているだろう? 暴走しても受け止めてやれるだけの力と信頼がある者でなければエンジェも安心して修行ができん」

「しかし、私も……普段は忙しい身でな……。エンジェの相手を出来る時間は少ないのだ……」

「つまり、少しはあるのではないか。最愛の妹にその少しの時間を使ってやってはくれないか」

「むぅ……!」

「それに、何か気づいたことがあるならばもっとわかりやすく助言をしてやるべきだ。エンジェはこう見えて考え込むタイプなのだ。なんとなく正解がわかっていても、考えすぎて何もわからなくなる。だが、尊敬する兄の言葉ならば素直に信じられるはずだ」

「そういうものは自分で発見するから意味がある。人に教えられるだけでは、自分で考えられなくなってしまう」

「その通りだ。だが、誰しも一人で正しい道を歩くのは難しい。時には言葉も必要だ。おぬしの場合は特にな。エンジェとあまり素直な気持ちで話したことがないだろう? いつも偉大な兄でいようとして」

「それの……何が悪い!」

「おぬしの中に『理想の妹』がいるように、エンジェの中にも『理想の自分』がいる。もしかしたら、その二つの姿の目指す場所はまったく違うかもしれない。先ほどおぬしは『今日の戦いで得たもの』と言ったが、その得たものの認識も二人の中で違っているかもしれない」

「ふ……ふふ……流石はここ数年間もっともエンジェの近くにいた娘だ。よく……我が妹を知っているような口を利く……」

 フレイアの目は泳ぎ、言葉は震えていた。
 『お兄ちゃんが手取り足取り教えてあげる』の部分が相当効いたのだ。
 それを口に出せればどれだけ楽なことか……。
 しかし、冷たく突き放すことで兄としての威厳を保ってきた彼には恥ずかしくてたまらない。
 嫌がられたり、その言葉を笑われたりしたらどうしよう……と考えてしまう。

「ふ……ふふふ……」

 フレイアはテントの中をぐるぐると歩き始める。
 口はカラカラ、特に言い返す言葉も思いつかない。
 その足は少しずつテントの出入り口へと近づいていった。
 妹の同級生に図星を突かれたので、兄はさりげなく退散するつもりだ。
 しかしその時、テントの出入り口に人影が見えた。

「エンジェ様、泣いてばかりでは水分が不足いたします。お飲み物をお持ちしましたので……」

「ああ、助かるぞ」

 口が乾いて仕方なかったフレイアには話が聞こえていなかった。
 使用人が持ってきたグラスの水を一気に飲み干してしまった。

「フ、フレイア様!? それは……」

「兄さまはとても喉が渇いていたのですわ。飲んでしまったものは仕方ありませんから、もう一度お水を持ってきて……」

「グ……ガハッ!! うぐうううぅ……!!」

 フレイアが突然血を吐き、その場にうずくまる。
 顔は青く、汗が滝のように流れる。

「兄さま!? どうされたのですか!」

 すぐに駆け寄って介抱しようとするエンジェをフレイアは突き飛ばした。

「に、兄さまどうして……」

 驚いて立ち上がれないエンジェ。
 パステルは彼女の体を後ろから抱いて何とか立ち上がらせる。

「そうだ……エンジェを連れて逃げろ……」

 なんとか声を振り絞るフレイアの後ろで、使用人は隠し持っていたナイフを抜く。

「こ、ここ、こうなった以上……仕方がない!」

 その刃がフレイアの首筋めがけて振り下ろされた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「あ……」

 さっきまで俺の話を楽しそうに聞いていたシーラさんの体が、ばたりと草の上に倒れる。
 その首には透明な刃が突き刺さり、とめどなく血が流れている。

「シーラさん!?」

 首は七割ほど切り裂かれている。
 もうほとんど体から離れていると言ってもいい。
 だが、魔王の強靭な体と俺の【秘薬竜涙メディティア】なら命をつなぐことが出来るかもしれない。
 そのために刺さったままの刃を抜かねば!

 手に取ってみると、その透明な刃は恐ろしく冷たい。
 比喩表現ではなく、本当に冷たい氷の刃なんだ。
 でも、この冷気のおかげで傷口が冷やされて出血は抑えられている。
 助かる……助けられるはずだ……。

 頭をもって体の方に押し付ける。
 傷口をくっつけたところに【秘薬竜涙メディティア】で生み出した透明な薬を大量に流す。
 心臓は動いている……。
 死んでいないのならば俺の魔法は効くはずだ……。

 その時、俺はシーラさんの命を助けることに必死になって、そもそも彼女をこんなにした相手は誰なんだということを考えていなかった。
 身をもって答えを知ったのは、それからわずか数秒後のことだった。

「うっ……! がっ……!」

 体に何かが刺さる感覚。かすかな痛みもある。
 俺の体は毒で出来ている。
 本来ならば物理的な攻撃はすべて受け流せる。
 しかし、その氷の刃は液状化しようとする俺の体を凍り付かせていた。

「これだから魔王という種族は信用ならない。情報にない個体がいるではありませんか」

 大きな独り言と共に姿を現した男を……俺は知らない。
 だが、この男と似たオーラをまとう人とは最近会ったばかりだ。
 これだけの魔族に気づかれずに接近し、魔王に一撃で致命傷を負わせる人間……。

「勇者……か」
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