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第二章 禁断の勇者と魔王の夜宴

Page.21 勇気の足音

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「本当に魔境に向かわれるのですか? 確かに魔王のウワサはありますが、その姿を見た者は……」

「ええ、わかっていますとも。精神的に不安定な冒険者一人だけなのでしょう? だからこそ、勇者である私が確かめに行こうというのですよ。だって強いですもの」

 アウグストは早朝から冷や汗が止まらなかった。
 昨日、突然マカルフに現れた勇者がエンデの住む魔境の探索に意欲を示したのだ。
 なんとか怪しまれない程度に引き留めて見たり、歓迎するふりをして料理や酒を提供して探索までの時間を引き延ばそうと試みた結果、一晩町に留めることには成功した。
 しかし、勇者は前日から酒だけは飲まず、とんでもなく早寝で早起きだった。
 万全の状態でいまから魔境に向かおうという勇者に、二日酔いのアウグストが立ちはだかる。

「あの魔境は毒の霧がたちこめています。いくら勇者様でも準備なしでは……」

「準備はしてありますよ、いつだって。それに私は勇者ですから、残念ながら普通の人とは体の強さが違うんです」

 残念ながら……か。
 アウグストは自分の目的を読まれていると悟った。
 もう足止めは不可能だ。
 ギルドマスターに勇者を止める力はない。
 それは権利的な意味でも実力的な意味でも同じだ。

「アウグストさん……でしたっけ?」

「はい、アウグスト・ウィートフィールドです」

「私は別にあなたが魔王に肩入れしているからといって裁いたり本部に報告したりする気はありませんよ」

「はい……」

「ただ、これから魔王に会いに行く以上、その人柄や戦力などいろんな情報が出来る限り欲しいのです。言いたいことはわかりますよね?」

「はい……」

 アウグストは知っている情報をすべて話した。
 ただ、魔王に関する情報はアウグストも本当に知らなかった。
 唯一人間側で魔王を見たことがあるサリーは、アーノルドの魔法で洗脳されてからというもの、本来の思い込みの激しい性格もあいまって記憶が混乱していた。

 特に魔王の情報がハッキリとしない。
 それもそのはず、パステルと少し話しただけでは幼い子供という印象しか残らないだろう。
 わかりやすく目立つ姿をしているメイリやサクラコの方が記憶に残るのは当然だ。

「ふむふむ、元冒険者のエンデくんですか~。なかなか複雑な事情はあるみたいですね~」

「他の仲間は大して知りませんが、エンデ自身は悪い奴ではありません。どうか、話を聞いてやってはくれませんか? そうすれば討伐する必要はないとわかるはずです!」

「うふふ、それは会ってからのお楽しみ……とか言ってみたり」

 勇者はアウグストに背を向け、魔境への道を歩み始めた。

「さぁて、今回の魔王様はどんな子でしょうね~」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「ふぁ~……暇なものだなぁ……」

 日課の訓練と朝食を終えたパステルがあくびをしてソファーに沈み込む。
 アーノルドの戦いの後、魔境に入ってくる人はいなくなった。
 まあ、魔境自体がそこそこ広いので、マカルフ方面以外の特殊なルートからの侵入者までは把握しきれていないけど、少なくとも屋敷の近辺では見ていない。
 まさに平和そのものだった。

 パステルも暇そうにしているけど、別にそれは戦いを望んでいるわけじゃない。
 ただ、ホッと落ち着ける時間がやっと作れるようになっただけだ。
 思い返せば人間界に来てからのパステルは、奇妙な出会いの連続だっただろうなぁ。

「何か私にも趣味が欲しいなぁエンデ。何が良いと思う?」

「そうだなぁ……家庭菜園とかどう? 食べ物は生きるために絶対に必要だし、続けるモチベーションにもなると思うよ」

「うむ、名案だな。我々もそろそろ人間界で食料を調達できるようにならなければならんしな。ゴルドからの投資をこれ以上あてにできん」

「他の魔王は人間界でどうやって食べ物を手に入れてるんだろう?」

「それは侵略や略奪だろうな。支配した地域の人間から搾り取っているか、土地を奪って自給自足か」

「ずいぶん物騒だね……。もっと穏便なやり方はないのかな?」

「本来こちらの世界に魔王の居場所はないからな。どこかに割り込んで居場所を作らざるを得ん。それに他の魔王は多くの配下を抱えているから、どうしても養うためには大量の物資がいる。我々のように少数ならば、人間に紛れて町で買い物をして暮らすことも出来るだろうが……。巨大魔獣とか飼っているとどうしようもない」

「あはは……やっぱそういうの飼ってる魔王もいるんだ」

「名家と呼ばれる魔王を多く輩出している一族が見栄を張るためにな。手なずけられるバケモノなどエサを食う割に戦力にならん。戦力になるようなバケモノは暴れて手が付けられん。やはり話のわかる者だけを集めた少数精鋭こそが至高なのだ」

「まあ、俺たちは少数にならざるを得ないんだけどね」

「それを言うでない」

 パステルは苦笑いする。
 戦力のことはともかくとして、家庭菜園はやることとして進めていくべきだな。
 自分で食べる物を作るというのは有意義だし、土地はいくらでもある。
 中庭もそうだけど、屋敷の周辺も最近は霧が晴れて日が射すこともある。

 野菜を作ってもいいし、この魔境で採れる薬草を栽培してもいい。
 薬草は薬の材料になるし、人間の町で売るのも悪くない。
 俺自身が薬学を勉強して自分で薬を作るのもいいかも。
 幸い俺の体は毒に強い。人体実験し放題だ。

 人間社会に帰るつもりはないけど、この世界は人間の世界だ。
 物を手に入れるにも人間界のお金がいるし、魔界の物を取り寄せるにしても人間界で手に入れたものを対価に交換する必要がある。
 お金の稼ぎ方はどうしても考えないといけない。

 略奪とか侵略とかで欲しい物を手に入れるのは得策じゃない。
 俺たちはまだまだ小さい存在だ。
 出来る限り敵を増やしたくない……。

 ぴんぽ~ん!

「……何の音?」

「門に取り付けられている呼び鈴が押された音だな。誰か来たようだぞ」

「この屋敷に? ギルドマスターかな?」

 この屋敷の存在を知りつつ用事がある人なんてギルマスしかいない。
 アーノルドの事件で何か進展があったか、問題があったか……。

「エンデ、そこの水晶を使って門の状況を確認してみるといい。門の上にはガーゴイルが設置されているから、その目を利用するのだ」

「そんなことも出来るんだ……」

 ゴルドとの通信でも使った水晶に触れ、門の前のガーゴイルをイメージする。
 ガーゴイルには俺の魔力が流れているので、簡単につなぐことが出来た。

 水晶に映ったのは……アウグストじゃない?
 もっと背が高くて髪が長い。色は金髪で、白髪交じりのアウグストとは似ても似つかない。
 服装は修道服のようだけど、結構派手に改造されているような……。

「あなたは……神を信じますか? それとも……」

「あ、結構です」

 聞きなれた誘い文句を耳にしたせいで本能的に会話を切ってしまった。
 いわゆる宗教勧誘だろう。
 こんな時代だから意外といろんな宗教が世の中には跋扈ばっこしている。
 弱肉強食の世界で弱者がすがるものは神ぐらいしかいない。

 俺も昔は間違いなく弱者だったのでよく勧誘された。
 しかし、金はないし何かを信じられるほど頭が良くなかったので断ってきた。
 苦しい時は誘いに乗ろうかなと思ったこともあるけど、今ならわかる。
 どうしてもダメな時に自分を助けてくれるのは、遠くの世界で見守ってくれている神様ではなく、同じ世界に生きる誰かの善意なのだと。
 俺はもう救われている。今度は誰かを救う番なんだ。

「エンデ、自分の世界に入っているところ悪いが、尋ねてきたのは誰だ?」

「なんか派手な服を着たシスターだったよ。宗教勧誘さ」

「ほう、最近は質素さではなく派手さをアピールするのだな。確かに金を持っていそうな宗派の方が信じたくなるかもしれん。なんだかんだ人は美味しい食べ物で腹が満たされていなければ幸せにはなれんからな」

「まったくだ」

「それにしても、最近の宗教勧誘はこんなところにまでくるのだな。なんとも熱心なものだ。茶くらいは出してやるべきだったか」

「確かにこんなところにまで……」

 リビングにいる全員の動きが固まる。
 そう、今ここにはメイリもサクラコもいるのだ。
 みなのんびり自分の時間を過ごしていたところだ。

 だから、気づかなかった。
 こんなところに宗教勧誘なんて来るはずないという簡単な事実に。
 たった一日で平和ボケしていた。

「エンデ、もう一度水晶を使え!」

「わかった! えっと……もう門の前にはいない!」

「なら、帰ったか……。いったいなんなのだ……」

 コンコンコン!

 今度は屋敷の玄関がノックされた。
 門を勝手に開けて中に侵入してきている!
 バリアも素通りされているし、ガーゴイルもゴーレムも反応していない。

「あなたは……神を信じますか? それとも……愛を信じますか?」

 扉越しにまた同じ声が聞こえる。
 すぐそこにいる……!

「メイリ! パステルを奥に! 出来る限り玄関から遠ざけて! サクラコは俺と一緒に侵入者を迎え撃つ!」

「かしこまりました」

「了解ってな!」

「む、無理をする出ないぞエンデ!」

「わかってる!」

 さあ、玄関の前には俺とサクラコだけが残った。
 侵入者はどう来る……。

「あなたは……神を信じますか? それとも……愛を信じますか?」

 玄関の前で定期的にその質問を投げかけてくるだけだ。
 しばらく待っても同じことの繰り返し。
 ただ、少しずつ声が苦しそうになってきた。

「あ、あなたは……あー、あの、エンデくんいますかー!? 返事くらいしてくださいよー! いるのはギルドマスターから聞いてわかってるんですからね!」

 アウグストを知っている?
 ならば彼に危害を加えて聞き出したのではない限り、彼女はギルドの人間ということになる。
 俺の正体を理解したうえで来たのならば、ギルド本部の人間か勇者……。

「エンデです。ご用は何でしょう?」

「あなたは……神を信じますか? それとも……愛を信じますか?」

 そこに戻るのか……。
 答えないといけないようだ。
 もちろん俺の信じるものは……。

「愛を信じています」

 これがなにかの魔法発動のトリガーになっていなければいいが……。

「ほう、愛を信じますか! ラブ・フォーエバーですね!」

「…………」

 この人はただの狂人かもしれない。
 アウグストもこの調子でまとわりつかれて俺の話をしてしまったのかも。

「あのー、ここは危ない場所なんで帰った方が良いですよ」

「はい、わかっていますとも! 残念ながら私は勇者ですから」

 ガチャッと玄関の扉が開け放たれた。
 いつの間にか鍵はあいていた。

「初めましてエンデくん。私の名前はメル。みんなからは『禁断の勇者』と呼ばれてます。君とは長い付き合いになると良いな~」

 女性でありながら後ずさりしたくなるような長身、崩れない笑顔、まったく感じ取れない魔力……。
 服装など関係なく、彼女は見ただけで勇者だった。

「良いお家に住んでますね~。防犯も行き届いていて、外装内装とも落ち着いています。立地も最高! 静かでのんびりしていて、私もこういうところに住みたいなぁ~」

 ただ、その言動だけがまったく風格と一致せず、それがまた俺を混乱させた。
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