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異世界に転移した少女は聖王猊下のお気に入り
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「ここ…どこ?」
神崎詩織は実に普通の少女である。日本に生まれ、家族に愛されて、平穏に暮らしていた彼女は高校をあとちょっとで卒業するというある日、暴走車が子供に突っ込んで行くのが見えて咄嗟に飛び出して子供を突き飛ばした。そして身体に衝撃を感じ目を閉じた。次に目を開けた時には、明らかに以前いた場所でも、病院でもない荘厳な雰囲気の建物にいた。
「目が覚めましたか?」
「え、は、はい!」
目が覚めた詩織は、明らかに聖職者であろう格好をした女性に声を掛けられた。
「あの…ここは…」
「ここは聖プルヌス病院です。聖プルヌス教会、聖プルヌス孤児院、聖プルヌス養老院に併設された病院ですよ。…可哀想に、貴女は教会の前で行き倒れていたのですよ。まだこんなに幼いというのに…私で良ければ話を聞きますよ。孤児院の方にも入れるように手配しておきましょう」
詩織はここまで聞いてようやく自分が置かれた状況を理解した。『異世界転移』…よく小説で読んでいたそれが、我が身に降り注いだのだ。
異世界にいきなり飛ばされたのは理解したが、しかしそれでどうしろと言うのか。幸い何故か外国語であるはずの言葉はお互いに通じるようだが…多分、親元から離れたことすらない自分が一人で生きていけるほど甘い世界ではないだろう。身元が不確かであるのもそれに拍車をかける。この女性は孤児院に入れるように手配してくれるらしいし、ここはひとつ甘えておくべきか。
「あの…孤児院って何歳まで入れるのでしょうか?」
「十八歳までですよ。それまでの間に職業訓練も受けられますし、望むならば神学も受けられます。貴女はまだ十六歳くらいでしょう?社会人になるまでには十分に間に合いますよ」
なるほど、自分はそんなに子供に見えるのか。
「あの…私が今年の春に十九歳だって言ったら…どうなりますか?」
「…。そう、貴女は大人のフリをして生きてきたのね。ええ、この世界は子供一人で生きていけるほど甘いものではないもの。仕方ないわ。けど、大丈夫。ここはそんな貴女達子供を守るための施設です。どうか、私達大人に甘えて?」
ね?と首をかしげる女性。ああ、これは十八歳だと言っても、もうすぐ十九歳だと言っても信じては貰えないだろうなと悟った詩織。日本人は外国人から幼く見られることがあるとは本当だったかと落胆する。しかしこれはラッキーかもしれない。なにせ頼れるものもない状況だ。孤児院に入れるのは幾らも楽だろう。
「…ありがとうございます。私は、神崎詩織と言います」
「カンザキ・シオリ?カンザキと呼べばいいかしら?」
「えっと、神崎が苗字で詩織が名前です」
「シオリね?私はリーリウム。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「でも、苗字があるなんて、外国の貴族だったの?名前の文化も違うみたいだし…」
「え、えっと…」
「…あ。いいの。無理に話さなくても大丈夫よ。外国人なら、あまりこの国の文化にも慣れてないのかしら?孤児院での生活に支障が出ないように配慮してもらいましょうね。…でも、話したくなったらいつでも言ってね?お話くらいなら聞けるから」
「…ありがとうございます」
リーリウムが居てくれて良かった。これでなんとかやっていけそうだ。
ー…
詩織がこの世界に飛ばされて一週間。詩織は、この世界はどうやらテンプルムというらしいと知った。そしてこの国はサンクトゥアーリウムというらしい。プルヌス教という宗派がこの世界の大半を占めるらしく、サンクトゥアーリウムも例外ではない。というかむしろ総本山だ。この聖プルヌス教会は別名中央教会と言われ、ケラスス・プルヌス猊下と呼ばれる聖王様が住んでいる。そして十八歳という若さで国政を担っているらしい。
詩織は孤児院での生活にはやくも慣れていた。それは皆が詩織に気を遣ってくれているからであり、詩織もそれを自覚してして少しでも恩返しをしようと孤児院内での雑用を買って出ている。そんな健気な詩織を大人も子供も大層気に入って余計に可愛がるようになった。
だから、詩織が神学を勧められるのも当然のことであった。
「神学、ですか」
「ええ。勤勉な貴方ならすぐに身につくでしょうから、どうかしら?将来還俗するにしても、きっと良い勉強になるわよ?箔もつくから就職にも有利だし」
リーリウムに勧められるままに神学を習うこととなった詩織。まずは旧神語と呼ばれる昔の言葉を習うところから始まった…のだが。
「え、これが旧神語ですか?」
「ええ。どうかしましたか?…難しいかも知れませんが、覚えてしまえばなんてことないですよ。大丈夫、ゆっくり覚えていきましょう」
教師である司祭は詩織が固まったのを見て詩織を気遣う。しかし詩織は未知の言語に固まったのではなく…旧神語が日本語であることに固まったのだ。
このテンプルムの言葉は何故か通じるものの明らかに外国語だった。文字もだ。それがどうしたことか、旧神語は日本語なのだ!
『アケル司祭様。この言葉は旧神語ですか?』
試しに日本語でアケル司祭に話しかけてみる。
「!…なんてことだ、貴女は旧神語を理解しているのですね?文字はどうですか?」
『バッチリです。ここのこの文は、神は世界を二つに分けた、ですよね?』
「…猊下をお呼びします!貴女はここで旧神語第二聖書の翻訳を!」
「え?は、はい!」
何故か旧神語の翻訳をするように指示された詩織は素直に従う。そして一時間ほど経ってから、ケラスス・プルヌスが詩織の元を訪れた。
「ふん、こんな小娘が一体なんだというんだ…ほら、小娘。お前の翻訳したという写本を見せてみろ」
「は、はい、猊下!写本というほどでもありませんが…」
「ふん。…ん?これは…」
詩織の翻訳は完璧である。当たり前だ。母国語なのだから。
「…小娘」
「は、はい、猊下」
「僕の弟子にしてやる。名前は?」
「神崎詩織…シオリ・カンザキです…?あの、弟子って?」
「シオリか。苗字があるということは外国の旧貴族か?なるほど、それなら頷けるというもの。ここまで旧神語を理解しているならば、僕の弟子として十分にやっていけるだろう」
「は、はぁ…」
「アケル。シオリを僕の正式な弟子として登録しろ。公表するのは一週間後くらいでいい。シオリの住まいは孤児院だったな?今すぐ僕の部屋の隣に移せ」
「はい、猊下!」
「え、そ、そこまでしていただくわけには…!」
「いいから。それよりもシオリ、第五聖書のこの文なんだがな、一般には神は天にて人を護るとされているが、僕は神は天にて人を見守るだと訳すべきだと思うんだが、どうだ?」
「はい。普通に神は天にて人を見守るって書いてありますよね」
「やはりか!第六聖書のこの文なんだがな…」
「それはですね…」
ー…
詩織はケラススの正式な弟子として公表された。その頃にはケラススと詩織の距離はかなり近付いていた。ケラススは詩織との会話で自分の翻訳の正しさを実感できたし、詩織は神学を吸収できるだけ吸収できたのだ。そして何よりケラススは優秀な詩織を気に入ったし、詩織は優しくしてくれるケラススが大好きになっていた。
「シオリ、今日は第十八聖書の翻訳に付き合ってくれるか?」
「もちろんです、猊下!」
「いい加減ケラススと呼べと言っているだろう」
「あ…そうでした。ケラスス様!」
「よし」
ケラススが詩織の頭を撫でる。詩織は気持ちよさそうに目を細める。それを鋭い目で睨みつけている人物がいることに、詩織は気付いていなかった。
ー…
「…まただ」
詩織はある問題に悩まされていた。所謂いじめ、嫌がらせという奴だ。聖プルヌス教会内に住居があるためそちらの警備は万全であるが、一歩教会の外に踏み出すとそれはもう酷かった。詩織が可愛がっていた野生の鳥が殺されていたり、詩織が気に入っていた本が燃やされたり。詩織はケラススのお気に入り、唯一の弟子。他者から見ればただの外国人でしかない彼女がとびきりの扱いを受けることを許せない人物がいるらしい。もっとも、この聖プルヌス教会に関わりが深い人物であれば詩織の健気さを知っているのでこんなことはしないだろう。外部の人間の犯行だろうと目される。
「シオリ!おかえり。今日も孤児院に行っていたのか?」
「はい…」
「…どうした?また…鳥を殺されたのか?」
「仲良くしていた子の、雛が…」
「そうか…」
「…私のせいです」
「…それは違うぞ、シオリ。よし。このお師匠様がサクッと解決してやろう!」
「え?」
「証拠を集めていたんだがな、ようやく敵が尻尾を出したのだ!断罪してやろう。その小鳥たちのためにもな」
「ケラスス様…ありがとうございます」
「気にするな」
詩織の頭を撫でるケラスス。その温かさに、詩織はようやく安心して息をつくことが出来た。
ー…
詩織はケラススの開いたパーティーに唯一の正式な弟子として参加した。ケラススは緊張してかたくなっている詩織の側を離れない。そこにある令嬢が現れた。
「ご機嫌よう、ケラスス様」
「久しいな、ラープム」
「ケラスス様、そんな汚いどぶネズミを側においてはいけませんわ。ケラスス様の品位が下がります」
「…」
詩織はなにも言い返さない。事前にケラススから聞いていたから。
「何を言う。汚いどぶネズミはお前だろう?ラープム」
「…は?」
目が点になるラープム。ラープムは公爵令嬢だ。そして誰もが羨む絶対的な肉体美を誇る。顔立ちだって整っているし、だからそんなことを憧れのケラススから言われるだなんて思っても見なかったのだ。次第にラープムとケラスス、詩織の周りに野次馬が集まり始める。
「このサンクトゥアーリウム國では家畜以外の生き物の殺生は基本的に禁じられているはずだ。しかし、お前は我が弟子シオリ憎さにその禁忌を犯したな。僕の部下に調べさせたから間違いはないぞ。なんなら証拠の映像石だってある」
映像石とは、魔法で五分ほどの映像を記録した特別な宝石である。
「…!」
「殺生罪は終身刑。お前は死ぬまで牢の中だ。己の愚かさを呪うがいい」
野次馬と化した者達がざわざわと騒ぎ出す。公爵令嬢の醜聞にみんな興味津々である。
「まっ…待ってくださいませ、ケラスス様!」
「僕の名前を呼ぶな。穢れる」
「…っ、私はただ、猊下が好きで、愛していて、それで!」
「囀るな、耳が腐る」
「…!そ、そんな…」
絶望に打ちひしがれるラープムは、そのまま衛兵に地下牢へ連れて行かれた。ラープムの親はケラススの怒りに触れた娘を忌々しく思いながら、必死に詩織に媚びを売りなんとかケラススのご機嫌をとる。ケラススはラープムの親にも監督不行き届きを理由として領地の一部没収を言い渡したが、それ以上は何もお咎めはなしとした。何もせずとも、今回の醜聞で十分ダメージを与えられるから。ラープムの公開処刑が済んだ後は何事もなかったようにパーティーは再開され、楽しげな雰囲気の中で終了した。
ー…
「ケラスス様…」
「シオリ」
ケラススはパーティーの後、詩織を自室に呼び出した。
「どうかされましたか?」
「…いや。小鳥達の件、助けてやれなくてすまなかった」
「そんな!ラープムさんを断罪してくれたじゃないですか!」
「…だが」
「いいんです。…小鳥達には申し訳なかったですけれど、それは私のせいです。ケラスス様は悪くないです」
詩織はケラススに近付いて、背伸びをしてそっとケラススの頭を撫でる。
「…シオリ」
「いつもケラスス様がしてくれるから、お返しです!」
「…シオリ。月が、綺麗だな」
「…え?」
真っ直ぐに射抜くような目で詩織を見つめるケラスス。詩織はその言葉の意味を知っている。そして、その言葉をケラススに教えたことを覚えている。
「…ケラスス様、私は外国人で、身元も不確かで…」
「そんなことは知っている。そんなことを聞いてはいない。わかるだろう?」
そう言うとケラススは詩織の腕を引いて思い切り抱きしめた。
「ケラスス様…っ!」
「こうしてずっと胸の中に閉じこめておきたいほどの想いだと言えば伝わるか?」
「私とじゃ、きっと苦労します!」
「それでもいい。お前がいい」
「ケラスス様…」
詩織は意を決した。
「ケラスス様…私、貴方となら、死んでもいいです」
「!シオリ!大好きだ!愛してる!」
二人は月明かりの下で、誓いのキスを交わした。これから二人は師弟ではなく婚約者に変わることとなる。詩織への風当たりは強くなるだろう。けれど詩織は確かな幸せを感じていた。突然異世界に飛ばされてからというもの、どこかで自分の居場所を探していた詩織は、やっとケラススの腕の中で、ここだと思える場所を見つけられたのだ。
神崎詩織は実に普通の少女である。日本に生まれ、家族に愛されて、平穏に暮らしていた彼女は高校をあとちょっとで卒業するというある日、暴走車が子供に突っ込んで行くのが見えて咄嗟に飛び出して子供を突き飛ばした。そして身体に衝撃を感じ目を閉じた。次に目を開けた時には、明らかに以前いた場所でも、病院でもない荘厳な雰囲気の建物にいた。
「目が覚めましたか?」
「え、は、はい!」
目が覚めた詩織は、明らかに聖職者であろう格好をした女性に声を掛けられた。
「あの…ここは…」
「ここは聖プルヌス病院です。聖プルヌス教会、聖プルヌス孤児院、聖プルヌス養老院に併設された病院ですよ。…可哀想に、貴女は教会の前で行き倒れていたのですよ。まだこんなに幼いというのに…私で良ければ話を聞きますよ。孤児院の方にも入れるように手配しておきましょう」
詩織はここまで聞いてようやく自分が置かれた状況を理解した。『異世界転移』…よく小説で読んでいたそれが、我が身に降り注いだのだ。
異世界にいきなり飛ばされたのは理解したが、しかしそれでどうしろと言うのか。幸い何故か外国語であるはずの言葉はお互いに通じるようだが…多分、親元から離れたことすらない自分が一人で生きていけるほど甘い世界ではないだろう。身元が不確かであるのもそれに拍車をかける。この女性は孤児院に入れるように手配してくれるらしいし、ここはひとつ甘えておくべきか。
「あの…孤児院って何歳まで入れるのでしょうか?」
「十八歳までですよ。それまでの間に職業訓練も受けられますし、望むならば神学も受けられます。貴女はまだ十六歳くらいでしょう?社会人になるまでには十分に間に合いますよ」
なるほど、自分はそんなに子供に見えるのか。
「あの…私が今年の春に十九歳だって言ったら…どうなりますか?」
「…。そう、貴女は大人のフリをして生きてきたのね。ええ、この世界は子供一人で生きていけるほど甘いものではないもの。仕方ないわ。けど、大丈夫。ここはそんな貴女達子供を守るための施設です。どうか、私達大人に甘えて?」
ね?と首をかしげる女性。ああ、これは十八歳だと言っても、もうすぐ十九歳だと言っても信じては貰えないだろうなと悟った詩織。日本人は外国人から幼く見られることがあるとは本当だったかと落胆する。しかしこれはラッキーかもしれない。なにせ頼れるものもない状況だ。孤児院に入れるのは幾らも楽だろう。
「…ありがとうございます。私は、神崎詩織と言います」
「カンザキ・シオリ?カンザキと呼べばいいかしら?」
「えっと、神崎が苗字で詩織が名前です」
「シオリね?私はリーリウム。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「でも、苗字があるなんて、外国の貴族だったの?名前の文化も違うみたいだし…」
「え、えっと…」
「…あ。いいの。無理に話さなくても大丈夫よ。外国人なら、あまりこの国の文化にも慣れてないのかしら?孤児院での生活に支障が出ないように配慮してもらいましょうね。…でも、話したくなったらいつでも言ってね?お話くらいなら聞けるから」
「…ありがとうございます」
リーリウムが居てくれて良かった。これでなんとかやっていけそうだ。
ー…
詩織がこの世界に飛ばされて一週間。詩織は、この世界はどうやらテンプルムというらしいと知った。そしてこの国はサンクトゥアーリウムというらしい。プルヌス教という宗派がこの世界の大半を占めるらしく、サンクトゥアーリウムも例外ではない。というかむしろ総本山だ。この聖プルヌス教会は別名中央教会と言われ、ケラスス・プルヌス猊下と呼ばれる聖王様が住んでいる。そして十八歳という若さで国政を担っているらしい。
詩織は孤児院での生活にはやくも慣れていた。それは皆が詩織に気を遣ってくれているからであり、詩織もそれを自覚してして少しでも恩返しをしようと孤児院内での雑用を買って出ている。そんな健気な詩織を大人も子供も大層気に入って余計に可愛がるようになった。
だから、詩織が神学を勧められるのも当然のことであった。
「神学、ですか」
「ええ。勤勉な貴方ならすぐに身につくでしょうから、どうかしら?将来還俗するにしても、きっと良い勉強になるわよ?箔もつくから就職にも有利だし」
リーリウムに勧められるままに神学を習うこととなった詩織。まずは旧神語と呼ばれる昔の言葉を習うところから始まった…のだが。
「え、これが旧神語ですか?」
「ええ。どうかしましたか?…難しいかも知れませんが、覚えてしまえばなんてことないですよ。大丈夫、ゆっくり覚えていきましょう」
教師である司祭は詩織が固まったのを見て詩織を気遣う。しかし詩織は未知の言語に固まったのではなく…旧神語が日本語であることに固まったのだ。
このテンプルムの言葉は何故か通じるものの明らかに外国語だった。文字もだ。それがどうしたことか、旧神語は日本語なのだ!
『アケル司祭様。この言葉は旧神語ですか?』
試しに日本語でアケル司祭に話しかけてみる。
「!…なんてことだ、貴女は旧神語を理解しているのですね?文字はどうですか?」
『バッチリです。ここのこの文は、神は世界を二つに分けた、ですよね?』
「…猊下をお呼びします!貴女はここで旧神語第二聖書の翻訳を!」
「え?は、はい!」
何故か旧神語の翻訳をするように指示された詩織は素直に従う。そして一時間ほど経ってから、ケラスス・プルヌスが詩織の元を訪れた。
「ふん、こんな小娘が一体なんだというんだ…ほら、小娘。お前の翻訳したという写本を見せてみろ」
「は、はい、猊下!写本というほどでもありませんが…」
「ふん。…ん?これは…」
詩織の翻訳は完璧である。当たり前だ。母国語なのだから。
「…小娘」
「は、はい、猊下」
「僕の弟子にしてやる。名前は?」
「神崎詩織…シオリ・カンザキです…?あの、弟子って?」
「シオリか。苗字があるということは外国の旧貴族か?なるほど、それなら頷けるというもの。ここまで旧神語を理解しているならば、僕の弟子として十分にやっていけるだろう」
「は、はぁ…」
「アケル。シオリを僕の正式な弟子として登録しろ。公表するのは一週間後くらいでいい。シオリの住まいは孤児院だったな?今すぐ僕の部屋の隣に移せ」
「はい、猊下!」
「え、そ、そこまでしていただくわけには…!」
「いいから。それよりもシオリ、第五聖書のこの文なんだがな、一般には神は天にて人を護るとされているが、僕は神は天にて人を見守るだと訳すべきだと思うんだが、どうだ?」
「はい。普通に神は天にて人を見守るって書いてありますよね」
「やはりか!第六聖書のこの文なんだがな…」
「それはですね…」
ー…
詩織はケラススの正式な弟子として公表された。その頃にはケラススと詩織の距離はかなり近付いていた。ケラススは詩織との会話で自分の翻訳の正しさを実感できたし、詩織は神学を吸収できるだけ吸収できたのだ。そして何よりケラススは優秀な詩織を気に入ったし、詩織は優しくしてくれるケラススが大好きになっていた。
「シオリ、今日は第十八聖書の翻訳に付き合ってくれるか?」
「もちろんです、猊下!」
「いい加減ケラススと呼べと言っているだろう」
「あ…そうでした。ケラスス様!」
「よし」
ケラススが詩織の頭を撫でる。詩織は気持ちよさそうに目を細める。それを鋭い目で睨みつけている人物がいることに、詩織は気付いていなかった。
ー…
「…まただ」
詩織はある問題に悩まされていた。所謂いじめ、嫌がらせという奴だ。聖プルヌス教会内に住居があるためそちらの警備は万全であるが、一歩教会の外に踏み出すとそれはもう酷かった。詩織が可愛がっていた野生の鳥が殺されていたり、詩織が気に入っていた本が燃やされたり。詩織はケラススのお気に入り、唯一の弟子。他者から見ればただの外国人でしかない彼女がとびきりの扱いを受けることを許せない人物がいるらしい。もっとも、この聖プルヌス教会に関わりが深い人物であれば詩織の健気さを知っているのでこんなことはしないだろう。外部の人間の犯行だろうと目される。
「シオリ!おかえり。今日も孤児院に行っていたのか?」
「はい…」
「…どうした?また…鳥を殺されたのか?」
「仲良くしていた子の、雛が…」
「そうか…」
「…私のせいです」
「…それは違うぞ、シオリ。よし。このお師匠様がサクッと解決してやろう!」
「え?」
「証拠を集めていたんだがな、ようやく敵が尻尾を出したのだ!断罪してやろう。その小鳥たちのためにもな」
「ケラスス様…ありがとうございます」
「気にするな」
詩織の頭を撫でるケラスス。その温かさに、詩織はようやく安心して息をつくことが出来た。
ー…
詩織はケラススの開いたパーティーに唯一の正式な弟子として参加した。ケラススは緊張してかたくなっている詩織の側を離れない。そこにある令嬢が現れた。
「ご機嫌よう、ケラスス様」
「久しいな、ラープム」
「ケラスス様、そんな汚いどぶネズミを側においてはいけませんわ。ケラスス様の品位が下がります」
「…」
詩織はなにも言い返さない。事前にケラススから聞いていたから。
「何を言う。汚いどぶネズミはお前だろう?ラープム」
「…は?」
目が点になるラープム。ラープムは公爵令嬢だ。そして誰もが羨む絶対的な肉体美を誇る。顔立ちだって整っているし、だからそんなことを憧れのケラススから言われるだなんて思っても見なかったのだ。次第にラープムとケラスス、詩織の周りに野次馬が集まり始める。
「このサンクトゥアーリウム國では家畜以外の生き物の殺生は基本的に禁じられているはずだ。しかし、お前は我が弟子シオリ憎さにその禁忌を犯したな。僕の部下に調べさせたから間違いはないぞ。なんなら証拠の映像石だってある」
映像石とは、魔法で五分ほどの映像を記録した特別な宝石である。
「…!」
「殺生罪は終身刑。お前は死ぬまで牢の中だ。己の愚かさを呪うがいい」
野次馬と化した者達がざわざわと騒ぎ出す。公爵令嬢の醜聞にみんな興味津々である。
「まっ…待ってくださいませ、ケラスス様!」
「僕の名前を呼ぶな。穢れる」
「…っ、私はただ、猊下が好きで、愛していて、それで!」
「囀るな、耳が腐る」
「…!そ、そんな…」
絶望に打ちひしがれるラープムは、そのまま衛兵に地下牢へ連れて行かれた。ラープムの親はケラススの怒りに触れた娘を忌々しく思いながら、必死に詩織に媚びを売りなんとかケラススのご機嫌をとる。ケラススはラープムの親にも監督不行き届きを理由として領地の一部没収を言い渡したが、それ以上は何もお咎めはなしとした。何もせずとも、今回の醜聞で十分ダメージを与えられるから。ラープムの公開処刑が済んだ後は何事もなかったようにパーティーは再開され、楽しげな雰囲気の中で終了した。
ー…
「ケラスス様…」
「シオリ」
ケラススはパーティーの後、詩織を自室に呼び出した。
「どうかされましたか?」
「…いや。小鳥達の件、助けてやれなくてすまなかった」
「そんな!ラープムさんを断罪してくれたじゃないですか!」
「…だが」
「いいんです。…小鳥達には申し訳なかったですけれど、それは私のせいです。ケラスス様は悪くないです」
詩織はケラススに近付いて、背伸びをしてそっとケラススの頭を撫でる。
「…シオリ」
「いつもケラスス様がしてくれるから、お返しです!」
「…シオリ。月が、綺麗だな」
「…え?」
真っ直ぐに射抜くような目で詩織を見つめるケラスス。詩織はその言葉の意味を知っている。そして、その言葉をケラススに教えたことを覚えている。
「…ケラスス様、私は外国人で、身元も不確かで…」
「そんなことは知っている。そんなことを聞いてはいない。わかるだろう?」
そう言うとケラススは詩織の腕を引いて思い切り抱きしめた。
「ケラスス様…っ!」
「こうしてずっと胸の中に閉じこめておきたいほどの想いだと言えば伝わるか?」
「私とじゃ、きっと苦労します!」
「それでもいい。お前がいい」
「ケラスス様…」
詩織は意を決した。
「ケラスス様…私、貴方となら、死んでもいいです」
「!シオリ!大好きだ!愛してる!」
二人は月明かりの下で、誓いのキスを交わした。これから二人は師弟ではなく婚約者に変わることとなる。詩織への風当たりは強くなるだろう。けれど詩織は確かな幸せを感じていた。突然異世界に飛ばされてからというもの、どこかで自分の居場所を探していた詩織は、やっとケラススの腕の中で、ここだと思える場所を見つけられたのだ。
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