Antique Love

奏 みくみ

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古書とアイスコーヒーと鈴の音

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 待ち合わせをしている訳でもないのに、急いで自転車を走らせる。

 今日は寝坊をしてしまい、いつもより家を出る時間が遅くなってしまった。言いようのない焦りが、僕の背中をぐいぐいと押す。

 緩やかな長い坂道では、平地を進むより、やはり速度は落ちた。乗っていても降りていても、きっと速さは変わらない。だけど、漕いでいるよりは早い気がして、僕は自転車を降り歩いた。

 額から頬へ流れた汗が、アスファルトに落ち小さな水玉を作っていく。朝シャワーを浴びたのに、これじゃあ意味がなかったな……と苦笑。

 坂を登りきると見慣れた店が視界に入る。ここでやっと腕で汗を拭った。

「いらっしゃいませ。……どうしたんですか? すごい汗」

 店に入ると、驚いた様な声が僕を出迎える。いつも冷静を装っているのだが、焦って来たせいかすっかりそうする事を忘れてしまっていた。息も上がったままだ。

「あぁ……。自転車で坂を登りきれるか、試してみたくなって……」
「えー、子供みたい」

 君に一分でも早く逢いたくて、急いで来たんだ。

 ……そんな事言える訳がない。しかも、これではまるで気障な男の口説き文句みたいじゃないか。

 ごまかす以外、道はない。

 僕の嘘を疑う事なく、彼女…賀川 麻衣は屈託なく笑った。注文は聞かず奥のカウンターへ入っていく。こちらの求めるものは、麻衣にはもう分かっているのだ。

「それで、結果はどうでした?」

いつもの席へ座ると、すぐにアイスコーヒーが出てきた。麻衣が大きな瞳をキラキラさせて尋ねてくる。ちょこんと小首を傾げる仕草が愛らしく、思わず口許が緩んでしまった。

「撃沈。歳を感じたよ……」
「でも二宮さん、私とひとつしか変わらないじゃないですか」

 クスクスと笑う麻衣。僕も笑った。

 じゃあ……ごゆっくり、そう言い残し席を離れる彼女を、僕はまだ引き止められない。

 おかわりのアイスコーヒー一杯分、僕らの距離は縮まったが、店主と常連客という関係性は変わる事はない。

 勇気を出せない僕は、やっぱり古書の奥から彼女を見つめるしか出来なかった。

 少しだけ縮まった距離が教えてくれたのは、

 彼女の名前、僕よりひとつ下の歳、自他ともに認めるお祖父ちゃん子だという事だけ。

 それでも、何も知らず栗色の髪が揺れるのを見ている時から考えれば、進歩だ。進歩だと言い聞かせるしかない。

 自分の名前を覚えてくれたのも、喜ぶべき事実なんだ……。

 
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