閣下は罪人と結ばれる

帆田 久

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4:名を教えて

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例の孤島で少女を救助し連れ帰ったその翌朝ーー



朝の鍛錬を終えて朝食を取るために一度自室へと着替えに戻る最中。

リン、と鈴鳴りの音が頭の中を反響した感覚とともに、
少女が目覚めたのだと何故か感じて、少女が眠る部屋へと急ぐ。

(彼女が、目覚めた!)

やっと会える!と部屋に近付くにつれて鼓動が跳ねるのを自覚しつつ、
足早に部屋へとたどり着く。

なるべくそうっとドアを開けて中を伺うと、
そこにはゆっくりと上体を起こしながら自身の手を不思議そうに見下ろしている彼女の姿が。

(ああ…なんて)

美しいのだろう……!

寝乱れ、それでも艶を失うことのない黒髪が、窓から差し込む朝日の光を反射させて光沢を帯びているように見える。
痩せ細った彼女の身体とその端正な顔立ちと相まって、
今にも消えてしまいそうな儚さを抱かせるが、それすらも美しい。

「起きたのか」

驚かせる事はわかり切ってはいたが、それでも声をかけずにはいられなかった。
一瞬でも早く、彼女の瞳に俺を映して欲しい。
俺の声に驚いた彼女が顔を上げて、瞳があらわになる。
とろりと、今にも溶け出しそうなほど柔らかくも甘そうな蜂蜜色が、
自分を見つめている。

近寄り、彼女に触れたい

そんな衝動のままに、彼女に近付き、小さく細い彼女の手の上から自身の無骨な手を重ねた。
僅かに肩を揺らした彼女が、じっと俺を見つめてくる。


「起き抜けにすまないな。
だが、どうしてもしっかりと無事に目を覚ますかと心配でな」

「………」

やはり起き抜け1番にいきなり声をかけるのは不躾だっただろうか?
なんとか打ち解けてもらいたい一心で言葉を繋ぐも。

「俺はジルクバル・ロウガルという。
これでも一応ここビルスト国ではそこそこ名の知れた家の者だから安心して欲しい。
君の名は?」

「………」

(やはり返答なし、か)
警戒心を高めてしまったようだ。
救助の際に彼女の手足に嵌っていた物を脳裏に思い出し、苦い物が込み上げてくる。
彼女に何があってあんな物を嵌められる羽目になったのか、
何故海に溺れて漂っていたのか。
聞きたい事はいくらでもあったが、どうやら今の俺では話してももらえないのだろう。

高揚していた気持ちが萎んでいくのを自覚しつつ、
なるべく柔らかい表情を心がけ続けるのは単にこれ以上彼女に距離を置かれたくないという小心からだ。


「……やはり目を覚ましたばかりでこんな図体のでかい、
それも獣人と顔を合わせるなんて怖いし警戒するよな…、すまん」

彼女は人間だ。
人間の中には未だ獣人に嫌悪感を示す者も多くいる。
特にここ、ビルスト国以外の国では。
折角出会えた番なのに、拒絶されたくはない。

「…とりあえず家の者が胃に優しい物を用意して持ってくるから食べてくれ。
充分に休んでそれで自分のことを話しても良いと思ったなら」

一度仕切り直そう。
同じ獣人でも、老人であるルフ爺やその細君であるララなら俺より受け入れやすいかも知れない。
徐々に慣らして嫌悪感を取り除けばいずれ自分にも笑顔を向けてくれるやも…
と嫌われるのを恐れるあまり消極的になりつつも、
彼女の手を離して腰を身を起こしかけーー、

(………?)

つん、と突っ張るような感覚に、動きを止める。
原因はと見下ろすと、彼女が俺の服の裾を掴んでいた。

彼女が、自分から俺を引き止めている?
喜びがあふれそうになるのを必死で押し殺して彼女を凝視すると、
彼女が何やら必死に俺と視線を合わせて何かを告げようとしているようだった。
口もぱくぱくと動いている(可愛い!)が、そこから言葉が発せられる事はない。

そこに至りようやく、とある可能性が頭に過ぎる。



「……もしかして、口が聞けない、のか?」

「……。!?…………っ!?」


俺の言葉に酷く驚いたように口に手を当てて言葉を発しようと試み、あえなく失敗に終わってまた驚いている彼女。
どうやら彼女自身、話せていないことを自覚していなかったようだ。

(俺と口を聞くのが嫌だったわけではない、のか…)

知らず強張っていた口角が緩むのを感じる。

「おそらく君のつけていた手足のアレの影響だろう。
長い時間正常な魔力循環が行われないと身体機能のどこかしらに不具合が生じるようになるからな。
とはいえ、時間をかければいずれ戻る。
…文字は書けるか?」


懐から手帳とペンを取り出して差し出せば、ゆっくりとそれを彼女が手に取った。

「ゆっくりでいい。
折角拾った命、しかも君は…いや、
それについてはもう少し互いを知ってからの方が良さそうだ。
兎に角、名前だけでも教えてはもらえないか」


頼む、と目に力を込めて念じながら懇願する。
あまりに俺の懇願が必死過ぎたのか、くすりと僅かに空気を揺らして彼女が微笑った。

それはまるで可憐なリリィがふるりと風に揺れて身を震わせたような錯覚を覚えるほどに可憐で、ぼぉっと見惚れてしまう。

時にしてはほんの僅かだったのだろう。
ふと手に温もりを感じて視線を動かすと、
彼女がペンを間に挟んだ手帳を俺に渡して俺の手を握っていた。

ゆっくりと手を外した彼女の温もりを未練がましく追いかけた後、手の中の手帳のペンが挟まったページを開き…


「これから宜しく、
俺のことも、ジルと呼んでくれ」


“どうやら命を助けて頂いた様子、心からの感謝を。
名をディステルと申します。
どうぞ[ディー]とお呼びください  ジルクバル・ロウガル様”


美しく流れるような文字。

こんな初対面の獣人に愛称で呼ぶことを許可してくれた彼女に、
もしかして自分だけでなく彼女も自分に何かを感じてくれたのか。

果たして書かれているこの名が、彼女の本当の名であるかはわからない。
だが、不思議と彼女が嘘を吐いているとは微塵も思わなかった。


生まれてこの方覚えのない温かな熱を身に灯らせて、
俺は心からの返答を返した。


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