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4 触るな

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「奥山、先輩」


今までなら、姿を見れただけで喜んでいた自分。
しかし今となっては、自分の前で無邪気に笑んでいるこの存在が恐ろしい。
喉は緊張と恐怖で干上がり、表情も強張っているのがわかるがどうしようもなく。
しかしそんな俺の様子などまるで気がついていないのか、
あれ?などと首を傾げて奥山は笑っている。


「ははっ、なんだよ聖?
いつもは“蓮二さん”って呼ぶくせに。
今更先輩呼びかぁ?ん?」

「……」

「ほらほら、蓮二さんって言ってみ?」


(なんなんだよ、あんた……)

ニコニコと人好きのする明るい笑顔で名前呼びを促してくる目の前の男は、
先日までの様子と変わりのない邪気のないものだった。
まるで先週末の夜、自身が見聞きした彼の姿と言動こそが幻覚だと言わんばかりの。

だが、確かに自分は見たし、聞いた。
べったりと片腕に香水くさそうな派手な女を侍らせながら、ガラの悪い男達にしていた会話も。
その会話中懐から取り出したと、
男達が財布から取り出した札束を交換してニヤつく光景も。

確かに自身のバイト先で、自分の耳と目に、焼き付いたものだ。
彼にとって俺が、後輩でもなんでもない、
ただの都合のいい小遣い稼ぎの道具である事実を痛感したんだ。

ついさっきまでは、利用されたと知っても、失恋したことのショックの方が強かった。
なのに今では、目の前の男が怖くて堪らない。
次々と恐怖が彼との思い出を塗りつぶしていく。
俺が彼の言葉になんの返事もしないことにいい加減焦れたのか、
彼は少しばかり苛立ったように眉を顰めた。
が、すぐに取り繕うように優しく笑うと、

「ん~今日はご機嫌斜めなのかぁ?
ま、いいや!
ほらほらとっとと部活行くぞ聖?
また姿勢のチェックしてやるよ。
なんか顔色悪いし、なんだったら久し振りにマッサージして」

『マッサージ』
『姿勢のチェック』

今までも彼が実行してきたことだ。
更衣室で、二人きりで、服は邪魔だからと和装も制服のシャツを脱いで。
単なる、優しい先輩の、親しい後輩への指導とか優しさからくる行動。
そう思っていたのに。

(今度は…!?)

もしかしたら、カメラ自体、まだ更衣室についたままかもしれない。
もしかしたら自分以外の写真も売っているかも。
駄目だ。
吐き気がする。


「……いいです」

「は?」

「だから、もう、結構です。
俺、もう部活は辞めましたから」

必要ありませんと告げれば、一瞬呆然としてすぐにまたまた~とふざけ笑う。
こちらは少しもふざけていないというのに、
全く真剣に話を聞く素振りがない。
前はこの少しいい加減なところにも根が暗い自分は救われていると思っていたのに。

(はは…俺ってホント、節穴だよ。父さん、母さん)

中学卒業を目前にして揃ってあの世に行ってしまった両親に、
心の中で見る目のない息子でごめんと謝った。
そして、これ以上この男と対面していたくない。


「何もふざけてません。なので部室にも更衣室にも修練場にも行きません。
主将を任命してもらって悪いんですが、どうやら俺には荷が重すぎたようです。
では俺、用事がありますんでこれで」

「は?いやちょっと待てって」


早口で別れの挨拶を済ませて後ずさると、
薄い笑みの中に幾分かの焦りを浮かべて俺の肩目掛けて手を伸ばしてきた。

(っ触るな……!)

湧きたった怖気に、しかし声が出ない。足が動かない。

(俺って、こんなに弱かったっけ)

もう少しで肩に彼の手が触れる恐怖の中、
ふと益体もなく、そう思った。



ああ もう なにもかんがえたくない



恐怖に竦んでいた身体から張り詰めてピンと伸びた糸がプツンと切れるように力が抜けて。
身体が後ろに傾き、視界が霞んだ。







いつまで経っても、背中や後頭部が床に打ち付けられた衝撃が襲ってこない。


若干霞んだ視界がすっと晴れるとそこには…

(佐伯先輩…?
樋口先輩と、鬼塚先輩、も………?)


何故か目の前には剣道部主将の佐伯先輩が背を向けていて。
空手部主将の鬼塚先輩が俺の背中を大きな手で支えて隣に立っていて。
柔道部主将の樋口先輩は佐伯先輩の向こう側に佇んでいた。
奥山の後ろ襟を引っ掴んだまま。


「……っえ?」


彼らは俺を庇うように立ちながら、俺を見ていなかった。
彼らは奥山 蓮二を見ていた。
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