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第1章
第11話 童子楼主と狼
しおりを挟むー火車・一階 帳場衆休憩室ー
紫円と用心棒・清が顔を合わせた丁度その頃。
閉楼して灯りの落ちた暗い闇を纏った空間、火車の一階・帳場衆が休憩室兼食事場として活用している部屋に、二人の人物が机中央に置かれた小さな行燈を挟んで対面していた。
一人は言わずと知れたこの楼閣の主・鹿火。
幼い外見に似合わぬ顰め面で対面の人物に煩わしげ視線を送っている。
そしてもう一人、その煩わしげな視線を陰りのある笑みで受け流している対面に座る男。
二人を照らす行燈の僅かな灯りの範囲外に広がる闇に同化する様な黒地の着物を着流し荒く足を組んでいるその人物はー…。
「ー…それで。何用あって来た、くそ狼。
見て分かる通り本日は臨時休業、店仕舞いしているんだが?」
「ははっ!ご挨拶なことだな楼主。
そんなくそ狼だなんて藪から棒に…酷いじゃないか。
俺にはちゃんと柳という名があることは貴女も知っている筈なんだが」
“くそ”を強調しすぎでは?と戯けて言う男のからかう態度に辟易した様に鼻を鳴らすと、強調しすぎなものか、と呟く。
「くそをくそと呼んでなにが悪い?
私の貴重な起床時間をそのくそがつく輩に潰されているかと思うと腹の立つ。
第一、柳というのはなではなく家名だろうが」
「まぁそれはそうだけれどねぇ…皆柳としか呼ばないんだから柳が名で良いじゃないか。
それに理由は幾度となく聞いても無回答だから今更聞かないけれど貴女…起床時間短すぎない?
何か用事がある度に君の短すぎる出勤時に合わせて火車を訪れるのも骨なんだぞ」
「じゃあ来なければいい。
はいそれで解決、話終了お疲れさんおやすみ~」
「待て待て待て!それはない、ないぞ楼主!」
ひらひらと手を振り席を立とうとした楼主をくそ狼ー…柳が引き止める。
「はぁぁぁ~…。いかんせん楼主殿は短気が過ぎるのではないかな…。
もう少し俺に対して寛容になってくれてもいいと思うぞ?それなりに長い付き合いなのに、名前で呼ぶことも許してくれないし」
「何故貴様の如きくそ狼に名を呼ぶことを許さなければならんのだ。
第一貴様が用があるのは私本人ではなく私の持つ情報だろうが!」
「いやまぁそう言われればそうなんだけどね?そうは言ってもだ、君に会いに来ているには違いないんだし、ね?」
「なにが“ね?”じゃ気色悪いんじゃこの野郎。
それで。
そろそろ強引に押しかけて来た目的を話さんか。…でなくば本当に去るぞ狼」
「はいはいどうも口下手なものですみませなんだ楼主殿」
カツカツと苛立たしげに下駄を踏み鳴らす鹿火にとってつけた様な笑みで謝罪を述べるとちらりと彼女の背後の壁にかかる時計を見やる。
時刻は現在夜の11時半を回っている。
(残り時間は少ないな。まぁ来た時間がきた時間だし、分かりきっていたことではあるが…さて)
「では楼主殿にお聞きしよう。
ここ数日ー…言ってしまえば昨日今日の間に変わった出来事、事件、或いは客。何れかに何か心当たりは?」
果たして自身の求めている情報…収穫はあるだろうか?
行燈の照らす薄暗い灯りの中、くそ狼と呼ばれた男ー柳はその渾名に相応しく目を爛々と輝かせながらそう鹿火に問いかけ、うっそりと笑った。
==================================
「何を勿体ぶって聞いてくるかと思えば…実に内容のないつまらん質問だ。
そもそもの話、新たな出来事、事件の把握は貴様らの仕事だろう“赤狼”?
毎度毎度、よくもまぁ懲りもせず。
貴様の職務怠慢を棚に上げて一楼閣の主人たる私に聞くのがお門違いだといい加減自覚しろ」
「くく…事実その通りであるからある意味返す言葉もないが。だが言い訳をさせて貰えば一応部下を持ち指示を出して行動し続けなければならない多忙な身なんでね、これでも。
動かせる部下の数も少なければ、限界もある。
その点君は常に火車に居るし、何より職業柄もあってこの街一番の情報通。頼らない手はないだろう?」
それで、語れる情報は?と視線で問いかけてくる目前のくそ狼こと柳を大きな両眼を細めて睨め付けてみるものの暖簾に腕押し、どこ吹く風である。
(つくづく図々しい男だな相変わらず…にしても面倒な…ん?)
胡乱げな眼差しを柳に送っていた鹿火は、ふと真顔になると次の瞬間ニタリと人の悪い笑みを浮かべた。
「変わった出来事、事件、客……ねぇ…。
心当たりはまぁないでもないが」
「その話詳しく」
「ん。…なんだ、報酬も無しにぺらぺら話すほど私は安くないぞ?」
ずいッと手を前に差し出して先に報酬をよこせ、話はそれからだと訴える鹿火に、苦笑いを浮かべつつはいよ、と地面に置いておいた報酬を持ち上げ差し出す。
「ほう!!今日は“鏡花水月”(高級酒)か!!
貴様も大分分かってきたではないか、なぁくそ狼」
「……高かった分の情報を早いところ頂ければそれに勝る幸せはないんだが、な」
早よ情報寄越せとせっつく柳を無視して素早く酒瓶を奪い取ると、背後の時計を見やり、“時間切れだな”と席を立つ。
「おいおいそれはないんじゃないか楼主」
取るものだけ取ってはいさよならかよとの非難の言葉に対してぴくりと片眉を上げると、大事そうに酒瓶を抱えるのとは逆の手の人差し指をついと天井に向ける。
「私が時間切れと言ったら時間切れなんだよ。
だがまぁ…情報が手に入ればそれでいいんだろう?
情報どころか本人が上にいるぞ?」
「!!へぇ…?」
ちらりと鹿火の指さした天井、二階に目をやりギラリと目を輝かせた柳が視線を戻した時には既に。
楼主・鹿火の姿は部屋のどこにもありはしなかった。
時計に目をやれば午前0時丁度。
ボー…ンという低く重い音が時計から鳴り、柳は席を立つ。
「相変わらず、時間には厳しい人だ。
さて…お言葉に甘えて、
その変わった客とやらの顔を拝みに行かせてもらいますか」
言うや、楼閣の二階へ続く階段へと歩き出した。
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