創煙師

帆田 久

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第1章

第5話 “火車”の女楼主 鹿火

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 一つ 二つ 三つに四つ
 花の都に 花咲けど
 ただただ 一つの 花の蜜
 望んでやまない 我は虫

 望み 求めて 蜜吸えど
 共に花咲く ことも叶わぬ
 我が身のなんと 虚しさよ
 
 どうせ共に 咲けぬのならば
 どうか  どうか
 その身を いっそ
 共に散らせて くれまいか
 共に散っては くれまいか


 3階の大広間に、竪琴の音とともに朗々と詩が響く。
この妓楼の“太夫”にして、人気同様美意識も、知識も、寝所の振る舞いも、そして誇りプライドにおいても一等高い三人の女達。ひな菊、あさ露にゆう華は、低く、それでいて柔らかく詩を歌う紫円の姿と声に、ほぅ…とうっとりとしたため息をついた。
 詩人が使うような小振りの竪琴を鳴らして詩を終えると、照れたようにあはは、と笑い、事の持ち主であるひな菊に手渡し返す。

「有難うございました。きれいな音色の竪琴ですね。詩なんて久しぶりに歌いましたが、琴の音の良さに助けられました」

えへへっと、細面なのにしっかりと上背のある優美な男前の“はにかみ笑い”に、キュン!と心の臓に急襲を受けた三人は、赤らむ顔そのままに、興奮気味に紫円を囲む。


「竪琴の音は私も好きよ?でもでも!紫円様のお声はそれ以上に滑らかで心地よくってっっ、もっといつまでもお聞きしていたいなぁ!!」

と、せっかく丁寧に返された竪琴を後ろに放り、ひしっと紫円に抱きつくひな菊に。


「あらあらひな菊、はしたないわよ?でもそうよね…。ともすれば哀に過ぎる詩を情緒たっぷりに、それでいてやわらかに表現なさるなんて!なかなか出来ることではありませんわ」

何処かの有名な詩人に手ほどきを?と膳の上ですっかりと冷えた酒を紫円の前に用意されたお猪口にトクトクと注ぎつつ、まるで自身が酔っているかのように顔を赤らめて問うあさ露と。


「・・・・・・低くって、艶っぽくて、とても素敵。すごくこの『場』にあっていてよ?」

まさか狙ってのこと?悪い男ね、と先に倍する匂い立つような強烈な色香を放ちながら、ゆったりとした紫円の包衣の裾口から手を滑り込ませてつつー…と中にある腕をなぞり上げる、ゆう華。

「・・・・・・。」

 三者三様に男を褒める美女たちを尻目に、傍に控えて座る雫はひどく冷めていた。

「わわッあの!詩はその昔友人に無理やり覚えさせられたのを思い出しただけでその、大したことでは!あ、でも、声を褒めて頂けるなんて、なにやら嬉しいですねぇ」

 急激に密着度を上げてくる女達に戸惑いつつも、褒められたことが素直に嬉しかったようだ。人から褒められるだなんて本当、いつぶりだろうなどとひとりごちた紫円はそこでようやく思い出したように慌てだした。
静観していた雫の方に向き直るとまたぞろ眉を八の字にして困り顔。
(この男、私にはこんな顔ばかり。私はお前のお助け人じゃないんだけど…)
 太夫たちにはあんなにも微笑みかけていたくせに、ひとりだけ童子扱いかと、無表情ながらもじっとり右目を据わらせた雫の様子に気づく素振りもなく、男はなんとか太夫達の猛攻から抜け出そうと藻掻いている。

「あの…雫さんに街までの道案内を頼んだのは私ですし、街についてからも心もとなくてここまで付いて来てしまった私が悪いのですが…。ここ、どうみても普通のお部屋じゃないですよね!?ひな菊さん達のこと雫さん“太夫”とか呼んでましたし、とんでもなく綺麗ですし!!…ちょ、ちょっとばかりそのぉ…懐具合に自信が…(汗)」

 なんせしがない飾り職人ですから、ああどうしようときまり悪げに頭を抱える紫円に、雫が口を開くより早く、またもや女達が騒ぎ出した。


「ええ~??そんな事気にしてたの紫円様!?確かに私達この楼でも一等高いことが自慢だけどさぁ、今晩は自腹切るよぉ!!」
と、ひな菊。

「そうですよ紫円様。何せ聞けば雫さんを追っていた山賊を追い払ってくださった大恩人。我が“火車”に欠くことのできない働き者の可愛い雫さんの恩人なればこそ、楼の三太夫総出で歓待するのは当然のこと」
と、あさ露。

「そうそう。雫は私達女衆全員の妹のようなものだしねぇ。それに紫円様ご安心なさいましな、私達今では高すぎて客がつく日の方が稀ですの。なので私達の退屈を紛らわす手伝いだとお思いになって、ね?」
 お金のことなど気にせず楽しもうと誘いをかける、ゆう華。

「ええ!?そ、そうなんですかぁ。恩人だからと言われると些か心が痛いのですが、…本当にご迷惑に、というか営業妨害になってません、私?」

「「「 は い 全 く 」」」
(いやいやなってる、なってるから。太夫姐さん達もいい加減にしとかないと、そろそろまずい…!)

声を揃えて紫円の不安を払拭する太夫達に、流石に雫も焦りをにじませる。

ー雫が“火車”に戻った時、彼女がいつもの時間に戻ってこないことで妓楼内では大きな騒ぎとなっていたのだ。故に、開楼ぎりぎりに戻ってきた雫と、その後ろからまるで見覚えのない派手な男が姿を見せると、皆一斉にどういうことだ、何があったと雫に詰め寄った。
 無表情に淡々と山中での出来事を語るに連れてどんどん顔を青ざめさせていった働き手達は皆、所在なさげに佇んでいた紫円に頭を下げて礼をいった。中でも女衆が紫円の並外れた美貌も相まって余計に騒ぎ、それを宥めるために三太夫が“一刻”程、特別に自らの稼ぎで歓待すると決まった。
そのはずだったのだが。

 “一刻”という時間、まぁいわゆる大体二時間のことであり人気が高ければ高い程、この妓楼では“刻”が細かく割られて高値がつく。
で。
もうその“一刻”はすでに過ぎている。

 太夫達が適当にごまかした為に紫円は気づいていないが、べらぼうに値が張る太夫達。それすなわち人気が過ぎて高くせねば群がる客をさばけないということ。加えて、“太夫”の名が付くと、客の選り好みが許されるために金だけでは買えず、その希少さと高価さが彼女らの人気を更に押し上げ、毎夜毎夜彼女らにひと目会わん!と金を持った客たちが大勢楼に訪れるのだ。
 なので、彼女らが一人として“仕事”をしないということはあり得ず、ましてや先程ひな菊が口走った“今晩”という言葉になんの否定もいれない他の太夫二人の態度が意味するところを知って、背に流れる汗が止まらない。
 しばらく下に降りていないが、時間は間もなく夜10時。
帳場には太夫らを求める客が詰めかけ、我先に“刻札”の予約をとろうとするだろう。もし、そんな中、彼女ら全員の“今晩”がすべて、たった一人の男によって貸し切られたと客らが知ったならば。
(暴動が起きかねない。…それに)

 客らの事もそうだが、雫にはもう一つ、焦りの元がある。この大妓楼“火車”には、唯一にして絶対君主たる年齢不詳の女楼主がいる。
 彼女には謎が多く、年齢も不詳ならこの楼内に存在すると云われている彼女の“私室”の場所を知るものは一人としていない。朝や昼間は絶対に姿を見せず、唯一人前に現れるのが、夜。それも、ほんの二時間。
 そう。
10時とは、普段太夫ら稼ぎ頭が仕事を始める時刻でありまた、この大妓楼“火車”の女楼主が楼に顔を出す時刻なのである。彼女は気風がよく、性格は豪快にして男前。男に厳しく、女に優しい。それでも男女問わず、楼内すべての働き手達に好かれる理由は、明確な規則を彼らに示し、それを徹底遵守しているから。

1つ・給金が他のどの女郎屋よりも高くあること
2つ・必ず1週(7日)の内2日は休みを取ること
3つ・“刻”に厳しいこと

 特に自分が顔を出す夜10時から12時までのたった2時間の間、つまり楼が一番忙しい時に、“情”にかまけて勝手に長めの刻札に差し替えたり、仕事自体をせずさぼってる輩には容赦がないこと。
 己が楼のために定めた決め事は確実に守る。故にー。

(こんな“仕事”と関係のない、あの人が許すわけない)
このままでは、トップ3人気の太夫達全員、自分が連れてきた男のせいでまとめて楼から追放されてしまうやも。

「太夫姐さん方、もう10時になります。…もうどうぞこの辺で」
お開きにしてはと雫が彼女達に声を掛けるがしかし。それは少しばかり、遅かった。
 スパァーーーーン!と小気味良い音を立てて開かれた戸から大広間に足を踏み入れた、女楼主・鹿火かのかの声が響き渡る。


「おいひな菊、あさ露、ゆう華、…ついでに雫!!このクソ忙しい“稼ぎ時”に、なぁに油売ってやがる!男一人と乳繰り合ってる暇がありゃあ、きちんと仕事に精出しな!!」

 太夫の看板が泣くぞ!と室内にも関わらず足には天狗下駄、物言いに反して響く高く幼い声。歯車を模した髪留めで真っ黒な髪を後頭部の高い位置で一つにまとめ、朱色の着物を纏った、見た目がまるきり幼女(?)の形をした楼主・鹿火は、零れんばかりの大きな両瞳を剣呑に眇めてその場に仁王立ち、室内にいる4人を睥睨したのだった。


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