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第一章 出会い編
第54話 三人目の愚者〜策に溺れた者(前)〜
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side:ケイン
時は少しばかり遡り、大夜会前ー…
誰の姿もない廊下を歩く、一人の男。
昨日と同じ廊下を同じ速度で歩むその足取りに迷いはない。
すらりと高い背丈、同じ髪型、神経質そうな顔立ち、貼り付けたような笑み。
ただ一つ違いがあるとすればその服装だろうか。
貴族然とした昨日とは違い、主人に傅く侍従の衣装に身を包んだその男ーケインは階下に集い今か今かと大夜会の開催を待ちわびる喧騒を耳に拾うと笑顔を消して煩わしげに僅かに眉を潜めた。
(見栄と階級と財力を競うばかりの煩わしい催事など、何が楽しいのだか……)
無意識にふんと鼻を鳴らして昨日と同じく、あの男の部屋まで足を運ぶ。
扉の前で立ち止まりコンコン、とノックをするのも昨日と同じ。
しかしー…
(?)
昨日とは違い、応答がない。
再度ノックを繰り返しても結果が変わることはなかった。
(あの男め、一人で大夜会に行ったのではないだろうな)
疑念が頭を擡げたが、花に完全に支配されていた昨日の様子を思い出してすぐにその疑念を打ち消す。
アレの影響下にある以上、自力で正気に戻ることは困難。そして長くその状況にあればあるほど正気を失い、そうなれば洗脳が解かれたところで余程精神が頑強な者でない限り、すぐに壊れてしまうからだ。
埒もなし、と些か焦れて扉のノブを捻ると鍵がかかってないことに気づく。やはりまだ部屋にいるのだと確信しつつもだったら尚更何故返事がないのだと訝しむ。
(……まさか本当に壊れているのではあるまいな……)
だとしたらつくづく使えん男だと心中で罵りながら慎重に扉を開くと、暗い部屋の奥ー、ベッドに横になり眠る男の姿を確認し、奇妙な安堵感を抱く。やはり部屋には居たようだ。
同時に自分の命令が実行されていないことにかなりの苛立ちを覚え、ずかずかとベッドまで歩みを進めるとドカッ!!と強くベッドを蹴る。
「おい、屑!何を呑気に寝ている。
支度をして待っていろと言って…」
「言ってましたね、ええ覚えてますよケイン」
「!!?」
突然開いた目と口に驚き瞬時に後方へと飛び、後ずさる。
唯一の退避口である部屋の扉を背にして嫌な汗が額に滲むのも構わずベッドを凝視していると、ゆっくりとした動作で上体を起こして男ー、ロイドは立ち上がった。
こちらをまっすぐ見つめるアメジストの瞳が暗闇の中にあっても存在感を示し、まるで暗闇の中に赤紫の玉が二つ浮いているようだ。
ノブに手をかけ逃亡のタイミングを探る俺の耳に、笑いを含んだ男の声がまとわりつく。
「もう一度言いましょうか?
ちゃんと覚えていますよ。
人のことを屑と呼びながら娘の所在を確認してきたことも、大夜会に入り込む為侍従として連れて行くよう命令してきたことも」
「………いつ、正気に戻った?」
ゆっくりとデスクへと近づいた赤髪の男は、デスクの上の眼鏡を手に取り、ああ!と殊更明るく声を上げる。
そうして花瓶に飾られた花に手をやると
「少なくとも……1週間以上前から私は正気ですよ、ケイン・デクスター」
ぐしゃりとそれを握りつぶした。
瞬間、扉を開け放ち廊下へとまろび出ると、来た道を必死に走り出した。
(くそ!
まさか正気にっ……昨日のは完全に演技か!)
走りながら男の演技を見抜けなかった自分自身に悪態を吐く。
異物の存在ばかりを気にするあまりまるでそれに気付けなかった、完全なる失態だ。
油断をしていた?そうかもしれない。
何故ならこの9年、思い通りになっていたから。
しかしいつ、誰が。奴を正気に戻したのか。
シェイラではない、アレは1週間前に王都に入ったのだから奴の言っていたことと辻褄が合わない。
皇帝とやらでもない、自力で?それこそあり得ない!!
入場客や馬車でごった返す正面口を避けて使用人用の出入り口を目指す。
街中ならば人混みに紛れるのも手だが、今の自分の格好は侍従のそれ。
気位の高い貴族達にぶつかりでもすれば騒がれて難癖をつけられる。
そうして駆けつけた衛兵に捕われるのがオチだ。
途中、何事かと走る俺を振り返った侍従がいたが、そんなこと知ったことか。
使用人用出入口から出れば不自然にはならない、と頭の中で逃げる算段をしながら目的地に到達。
外に出さえすれば逃げる方法などいくらでも。
そう思って開いた出入口の向こうには
「……よう、色男。そんなに急いでどこ行こうってんだ?」
大柄の人間の形をした獣が、そこに仁王立ちして立っていた。
ニタリと下品この上ない笑みを浮かべた男の顔を視認した次の瞬間、腹部の衝撃と共に視界が暗転した。
『折角ここまで来て逃げんのはなしだぜ、ケイン?』
そんな言葉を聞いたのを最後に、ブツッと意識が途切れた。
時は少しばかり遡り、大夜会前ー…
誰の姿もない廊下を歩く、一人の男。
昨日と同じ廊下を同じ速度で歩むその足取りに迷いはない。
すらりと高い背丈、同じ髪型、神経質そうな顔立ち、貼り付けたような笑み。
ただ一つ違いがあるとすればその服装だろうか。
貴族然とした昨日とは違い、主人に傅く侍従の衣装に身を包んだその男ーケインは階下に集い今か今かと大夜会の開催を待ちわびる喧騒を耳に拾うと笑顔を消して煩わしげに僅かに眉を潜めた。
(見栄と階級と財力を競うばかりの煩わしい催事など、何が楽しいのだか……)
無意識にふんと鼻を鳴らして昨日と同じく、あの男の部屋まで足を運ぶ。
扉の前で立ち止まりコンコン、とノックをするのも昨日と同じ。
しかしー…
(?)
昨日とは違い、応答がない。
再度ノックを繰り返しても結果が変わることはなかった。
(あの男め、一人で大夜会に行ったのではないだろうな)
疑念が頭を擡げたが、花に完全に支配されていた昨日の様子を思い出してすぐにその疑念を打ち消す。
アレの影響下にある以上、自力で正気に戻ることは困難。そして長くその状況にあればあるほど正気を失い、そうなれば洗脳が解かれたところで余程精神が頑強な者でない限り、すぐに壊れてしまうからだ。
埒もなし、と些か焦れて扉のノブを捻ると鍵がかかってないことに気づく。やはりまだ部屋にいるのだと確信しつつもだったら尚更何故返事がないのだと訝しむ。
(……まさか本当に壊れているのではあるまいな……)
だとしたらつくづく使えん男だと心中で罵りながら慎重に扉を開くと、暗い部屋の奥ー、ベッドに横になり眠る男の姿を確認し、奇妙な安堵感を抱く。やはり部屋には居たようだ。
同時に自分の命令が実行されていないことにかなりの苛立ちを覚え、ずかずかとベッドまで歩みを進めるとドカッ!!と強くベッドを蹴る。
「おい、屑!何を呑気に寝ている。
支度をして待っていろと言って…」
「言ってましたね、ええ覚えてますよケイン」
「!!?」
突然開いた目と口に驚き瞬時に後方へと飛び、後ずさる。
唯一の退避口である部屋の扉を背にして嫌な汗が額に滲むのも構わずベッドを凝視していると、ゆっくりとした動作で上体を起こして男ー、ロイドは立ち上がった。
こちらをまっすぐ見つめるアメジストの瞳が暗闇の中にあっても存在感を示し、まるで暗闇の中に赤紫の玉が二つ浮いているようだ。
ノブに手をかけ逃亡のタイミングを探る俺の耳に、笑いを含んだ男の声がまとわりつく。
「もう一度言いましょうか?
ちゃんと覚えていますよ。
人のことを屑と呼びながら娘の所在を確認してきたことも、大夜会に入り込む為侍従として連れて行くよう命令してきたことも」
「………いつ、正気に戻った?」
ゆっくりとデスクへと近づいた赤髪の男は、デスクの上の眼鏡を手に取り、ああ!と殊更明るく声を上げる。
そうして花瓶に飾られた花に手をやると
「少なくとも……1週間以上前から私は正気ですよ、ケイン・デクスター」
ぐしゃりとそれを握りつぶした。
瞬間、扉を開け放ち廊下へとまろび出ると、来た道を必死に走り出した。
(くそ!
まさか正気にっ……昨日のは完全に演技か!)
走りながら男の演技を見抜けなかった自分自身に悪態を吐く。
異物の存在ばかりを気にするあまりまるでそれに気付けなかった、完全なる失態だ。
油断をしていた?そうかもしれない。
何故ならこの9年、思い通りになっていたから。
しかしいつ、誰が。奴を正気に戻したのか。
シェイラではない、アレは1週間前に王都に入ったのだから奴の言っていたことと辻褄が合わない。
皇帝とやらでもない、自力で?それこそあり得ない!!
入場客や馬車でごった返す正面口を避けて使用人用の出入り口を目指す。
街中ならば人混みに紛れるのも手だが、今の自分の格好は侍従のそれ。
気位の高い貴族達にぶつかりでもすれば騒がれて難癖をつけられる。
そうして駆けつけた衛兵に捕われるのがオチだ。
途中、何事かと走る俺を振り返った侍従がいたが、そんなこと知ったことか。
使用人用出入口から出れば不自然にはならない、と頭の中で逃げる算段をしながら目的地に到達。
外に出さえすれば逃げる方法などいくらでも。
そう思って開いた出入口の向こうには
「……よう、色男。そんなに急いでどこ行こうってんだ?」
大柄の人間の形をした獣が、そこに仁王立ちして立っていた。
ニタリと下品この上ない笑みを浮かべた男の顔を視認した次の瞬間、腹部の衝撃と共に視界が暗転した。
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