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第37話 番外編 モブアルファの失恋(モブ視点)

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「おはようございまぁす、藤田課長」
「あー。おはよ」
 挨拶してくるベータの女性社員ににっこり挨拶を返して、俺は商品企画部のオフィスを見回した。
 彼はまだ出社していない。俺は眉を寄せた。いつも始業前、かなり早めに出勤しているのに、どうしたっていうんだ。
「中野主任がまだ来てないって珍しいな」
「ですよねー。3連休で寝坊してるのかも」
 媚を含んだ眼差しに苦笑する。どうやら病欠の連絡は来てないらしい。
「来たらメールして教えて」
「はーい。やっぱりこの間のウェブ会議の件ですか? もともと皆さん何かあったら中野主任のところに来てましたけど、あれ以来特にいろいろ相談すること、多くなりましたよね」

「みんな?」

 俺は相手に気づかれないように、ごく普通に尋ねた。
「ええ。藤田課長以外に前から来られていた村田室長と斉藤さん。それから最近は平山課長とか近藤補佐、大江くんも」

 男オメガの大江以外は、俺も含めて男アルファじゃねえか。それも独身とかバツありの人生を謳歌してる精鋭揃い。
 俺は密かにぎりっと奥歯を噛み締めた。
 給湯室で女性社員に言い寄られて、上手く躱してるのは見てたけど、さらにライバル増加って。しかも男ばっかり。マジかよ。

「へーえ。手強いなあ」
 俺はひっそりと呟いた。けれど相手は耳聡く食いついた。
「手強いって。なんですかそれ」
「いや、新商品シリーズのこと相談する順番待ち」
 ひらひらと女性社員に手を振る。
「ま、中野さん来たら教えて」
 声をかけて自分の席に向かう。気をつけないと、顔が強張りそうだった。


 俺はアルファだ。それはすなわち、勝ち組人生が確定してるってこと。
 こんなこと表立って言うつもりはないよ、大人ですから。
 だけどさ、事実として俺はアルファで、努力なんかしなくても上手くやってこれたわけ。
 オメガはもちろんその他大勢のベータより、成績はよく、運動神経もよく、容姿も魅力的と言われてモテてきた。ベータからもオメガからも誘いをかけられ、童貞捨てたのは中学生で、それ以降恋人を切らしたことはない。
 ほらな、こんなこと聞かされたら顔しかめるだろ。わかってるって。
 なんでアルファがこんなに恵まれてるかは知らない。エラい学者先生によると、アルファは番に執着する性質で絶対に他人に渡したくないから、強く、賢く、魅力的に進化したんだそうだ。なんてったっけ。性淘汰だか性選択って言ってたと思う。

 でも俺はそんな馬鹿な学説信じてない。だってさ、そんな魅力的な番ってどこにいんの。

 まずベータにそんなのいるわけないだろ。
 オメガ集めた合コンには何回も行ったよ。そしたらさ、みんな「発情期しんどい、専業になりたい」ばっか。おいおい、そんなあからさまに性処理係兼ATM求めんなよって話だわ。
 アルファは……男女関係なく、マウントの取り合いがきつくて、結婚とか無理ゲー。結婚相手には癒やしを求めたい。

 いるわけねえんだよ。控え目で癒やしてくれて、俺が「おおっ」て思うぐらい頭がよく、身持ちの固い貞淑な美人。どこのプロ彼女だ。

 ……そうだ。いるわけないって思ってた。
 まさか同じ会社のベータの男から目が離せなくなるなんて、思ってもみなかった。



 中野新は同じ会社の商品企画部に勤務するベータ男性だ。あいつがバース性問わず女だったら、男でもオメガだったら、付き合ってくれをすっ飛ばしてプロポーズしてたと思う。
 俺はずっとベータをバカにしていた。努力しても俺に届かず逆恨みするやつを笑ってたし、努力もせずに俺を妬むやつはもっとバカにしていた。
 だから、バース性を言い訳にせず、地道に努力してアルファを凌ぐ結果を出す中野と仕事で組むうちに、俺は彼から目が離せなくなった。そして仕事にかこつけて距離を詰めた。

「中野さん、昼飯一緒に食わね?」
「藤田課長、開発技術部ですよね。なんで商品企画部にばっか出入りしてんですか」
 斉藤。お前だって経理のくせに、なんで昼飯一緒に行こうとしてんだよ。若僧が、いい度胸じゃねえか。
 斉藤だけじゃない。
「そうだぞー。なんでも中野に相談する前に、もうちょい自分とこの部署でアイデアを詰めてから来いや」
 村田室長、あんた広告宣伝室の室長だよな。なんで自分のオフィスほっぽって商品企画部うろちょろしてる。

 こんなにも皆に狙われながら、中野は誰にも気持ちを寄せる様子はなかった。終業後に飲みに誘ったら、俺と中野狙いの女たちもついてくるから、仕事の話しかできない。お前ら邪魔なんだよ。
 中野に近づくこともできず、じりじりする間に毎日は過ぎた。

 だから社員の親睦をはかるという名目で開催された納涼会で、俺は中野の隣をキープし、絶対に離れなかった。トイレに行ったらこの席を取られてもう二度と戻れないから、つまみも食べない、ビール1杯すら飲まなかった。笑える。必死か。
 だってここ最近、中野は遅くまで残業していて忙しそうだったから、声もかけられなかったんだぜ。
 気がついたら斉藤が反対側の隣に、村田室長が向かいに陣取っていた。皆でガッチリ中野を囲んで、女性社員を排除している。
「中野の彼女どんな人?」
 俺の質問に中野が軽く眉を寄せる。少し酔ってるんだろう、頬が赤い。中野がここまでガードを下げてるのは珍しかった。
「恋人なんていません」
「マジ? モテるでしょ」
 俺の言葉に寂しげな微笑みを浮かべる。なんだ。なんだこれ。ベータ男相手に、ぎゅうっと胸が苦しくなる。
「いえ。うちは兄がオメガで。兄は俺とは違って本当に綺麗で華があるんです。だから家族もみんな兄ばかり可愛がって」
 遠い目をする。何を見ているんだ。俺を見たらいいだろ。
「俺なんて目立ちませんし、モテません。俺を選ぶ人なんていないんじゃないかな。誰とも付き合ったことないですよ」
 心拍数が上がっていった。無闇に喉が渇く。
 マジかよ、と思った。
 マジだ、とわかってしまった。
 なんだよ。こんなのヤバすぎだろ。欲しくなるじゃん。まだ誰のものにもなっていない中野を手に入れたくなるじゃん。
 絶対ヤバい。
 ビールを煽る中野の、白い喉から視線をはずせなくなる。
 その後の会話は覚えていない。みんなで牽制しあったせいで、中野をお持ち帰りすることはできなかった。

 その夜、俺は中野でヌいた。
 寂しげな中野を後ろから抱き寄せ、振り返る彼にキスを繰り返す。丁寧に一枚ずつ脱がせ、白い喉にも、うなじにも、鎖骨にも、乳首にも、さらに下へも。中野のペニスにもキスを繰り返して、泣き出す中野を思い浮かべながら、右手の動きを早くした。
 あの濡れた眼が、俺を見上げて「藤田さんが、好き」と囁く。
 俺は「新!」と叫びながら射精した。アルファ独特の、長い長い放出。信じられない。これまで何度も合コン行って、適当なオメガ食い漁ってきたってのに。ベータの男でオナるとか、なんだよ。
 なんなんだよ!



 アルファ男とオメガ男、アルファ女とオメガ女の間には子どもができるから、同性婚は合法化されている。
 とは言っても、ベータ女同士とか、アルファ男同士みたいに子どものできないカップルへの偏見はまだまだ強い。

 俺はアルファで男だ。そして中野新はベータで男。俺たちの間に子どもは産まれない。
 もし中野と付き合ってることが知られたら、絶対にヒソヒソ噂されるだろう。物好きとか、アルファなのにモテないからベータ男に手を出したとか。
 そういう偏見があるから、モテる俺が中野のところに日参しても、みんな仕事の話だとしか思わない。ガチ恋してることに気づいているのは俺と同類の村田室長と斉藤ぐらいか。中野が俺たちの気持ちに気づかないのも無理はない。

 中野のことが好きだ。でもなんて言うんだ? 「セフレになってください」か? そりゃセックスも、したい。だけどヤリモクじゃない。
 オメガの兄ちゃんじゃない、新自身が好きだ。そう告白して、中野のあの寂しそうな顔を、笑顔に変えたい。
 なのに。
 どれほど考えても、「中野がオメガだったら」というところに結論は落ち着いた。

 アルファにとって結婚は、ステータスを誇示するためのものだ。
 一番のステータスは運命の番との結婚。これは揺るがない。
 次は見目のいいオメガか、見目が良くて社会的地位の高いアルファとの結婚か。
 まあそのあたりはケースバイケースだけど、最悪なのは男アルファと男ベータの結婚だ。発情期もない、子どもも産めない、アルファの男と違って容姿や頭の良さ、財産にも期待できない。
 そんな相手と結婚なんて、失笑されるか、憐れみの目を向けられるか。どちらにしろ耐えられない。
 耐えられない……けれど、中野の寂しげな顔が忘れられなかった。

 中野の顔を見たい。彼に会えばこの悶々とした気持ちが明確になるかもしれない。そう思ったのに、翌週、中野は一週間の長期休暇をとっていた。
 やっと出勤してきても、休んでいた間の仕事を片付けたりしてすごく忙しそうだ。そのうちに新商品シリーズの開発会議の準備とかで、声をかけられる雰囲気じゃなくなった。
 そして、そのウェブ会議で、俺は決定的に恋に落ちた。



 俺だけじゃない。アルファで、ある程度自分に自信があるやつほど、中野のプレゼンに引き込まれたはずだ。
 既存の他社の商品展開と比較した、緻密で的確なマーケティング。どのような層に向けた、どのような商品展開にするべきかを示した明晰なビジョン。
 ベータの、男なのに。
 会議のあと、平山や近藤、オメガの大江まで中野に話しかけている。俺は我慢できなくて金曜の夕方、商品企画部に顔を出して中野をつかまえた。

「今夜、付き合ってくれないか。先日の会議の件なんだけど」
 仕事を理由にしたら、真面目な中野は決して断らない。はずだった。
「すみません、今夜は先約があって」
「村田室長か?」
 広告宣伝室長のスカした顔が脳裏に浮かぶ。
「いえ、社外の……関連企業の方なんです。ウェブ会議のあとにご連絡をいただいて」
 中野の様子からして、関連企業の幹部だと見当がついた。
「わかった。じゃあ月曜日……は祝日だから、火曜日に時間をくれ」
「わかりました、藤田課長」

 鮮やかな微笑。もう外聞なんてどうでもいい。ベータの男だからなんだ。番にできなくても、欲しいのはこいつだけだ。

 中野が定時で退勤する後ろ姿を、俺は自席からいつまでも見送った。



(藤田課長様。中野さん来ましたよ。会ったらびっくりすると思います!)
 頼んでおいたメールがきた。俺は大きく息を吸い込んだ。席を立ち、課員たちに断って商品企画部に向かう。
 さてどうするか。
 もちろん職場でいきなり告白するわけにはいかない。夜、時間を取ってもらって食事に誘おう。うん、それだな。
 敷居の高い店には慣れてないかもしれない。カジュアルなイタリアンがいいんだろうか。これまで遊び相手と行ったいろんな店を思い浮かべる。
 できれば食事のあとバーに連れて行って、さらに距離を縮めたい。
 あー駄目だな。何を焦っているんだ。相手はベータなのに。そうだ、焦る必要はない。
 村田室長も斉藤も、俺ほど本気じゃないはずだ。勝てる。誰も気がつかないうちに、新を手に入れる。
 中野がいた。俺をみとめて微笑む。
「おはようございます、藤田課長」

 俺はその場に立ち尽くした。

 禍々しい芳香がした。
 ベータにはわからなくても、アルファとオメガにははっきりわかる。自分よりはるかに格上のアルファがべっとりとつけた、執着と威嚇の香り。
 あまりにも強烈で、中野の側に近づこうとすると足が震えた。
「中野……」
 声をかけるのすらつらい。やりすぎだろうが、これ。
「見てくださいよー、課長。中野主任、結婚指輪してるんですよ」
 ぐらっと世界が回った。遅かった。
「中野、結婚してたのか」
 自分の声が遠い。
「1か月ぐらい前、一週間休みをいただいていた時に」
 納涼会は金曜の夜だったから、式を挙げたのは翌日か翌々日か。
 俺は吐きそうになった。あのとき、珍しくガードが下がっていた中野。薬を使って眠らせてお持ち帰りすればよかった。そんなことしたら、生まれてきたことを後悔するようなやり方で殺されただろうけれど。
「なんで今まで指輪してなかったんですかー?」
「恥ずかしくて」
 なんて顔してんだ。愛されてます、幸せですって表情。納涼会のときの寂しそうな顔はなんだったんだ。
 こんな悪臭、先週までさせてなかったくせに!

「びっくりした。言ってくれたらお祝いしたのに」

 何を言ってるかな、俺は。祝えるわけない。

「お気持ちだけで充分です。ところで用件は新商品シリーズの話でしたよね?」
 ああ、と俺はこたえて仕事の話をした。アルファでよかった。こんな精神状態でも仕事の話ができる。
「ああ、斉藤さん、村田室長も。おはようございます」
 中野が挨拶する。
 俺が振り返ると、二人とも真っ青な顔をしていた。わかる。側に近寄るのもつらいんだろう?

 誰も近寄るな。
 こいつにさわるな。
 じっと見つめることも禁じる。

 低く囁かれているかのような香り。
 こんなの、まるで呪いじゃねえか。そう考えて俺は笑い出しそうになった。呪いって! なんてオフィスに似つかわしくない言葉だよ。
 でもそうとしか言いようがねえだろ、こんなの。

 アルファが強く、賢く、魅力的に進化したのは、番に執着する性質で、番を絶対に他人に渡したくないからだと学者先生は言っていた。
 それなら。
 番にしたいと思った相手を、はるかに格上のアルファに奪われたアルファは、どうなるんだろう……。

 俺は平静を装って、自席に戻った。
 
 死にたい。
 今後、自分が誰と番になったり結婚したりしても、心の空洞は埋まらないだろう。
 ずっと、中野の寂しげな横顔が忘れられないだろう。
 死ぬまでずっと、心の真ん中は中野が占めているだろう。
 もう彼は永遠に手に入らないのに。

 ……死にたい。

 始業のチャイムが死刑宣告のように鳴り響いた。
 


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