36 / 38
第36話 身代わりベータは執着アルファから逃げられない
しおりを挟む
自分は一生、誰からも愛されないと思っていた。
新はベータの男だ。
オメガが代々当主を務める中野家においては、政略結婚の駒にもできない役立たずでしかない。生まれたときから彼は、両親や拓海に溺愛される美しく華やかなオメガの兄、律の影だった。
結婚相手ですら式の後の初めての夜、新をオメガである兄の身代わりとして、「律」と呼びながら抱いた――。
「新。どこに行くんだ?」
その結婚相手ににじり寄られて、新は壁際に追い詰められていた。
どこに。
早朝、ベッドから出て行くところといったら、行き先は決まってるじゃないか。
「トイレです」
「トイレ」
「小用を足すだけ」
直樹が寝起きとは思えない凛々しい顔で、重々しく頷いた。
「小用。それは手伝わなくては」
新は呆然として配偶者のアルファを見上げた。この人は何を言っているんだろう。健常者の二十四歳の男が、小用を足すのにどんな手伝いがいるんだ。
直樹の自分に対する愛を、今の新は疑っていない。
運命の番である律の、濃厚なフェロモンにも屈することなく、直樹は新だけを愛していると告げてくれた。
お互いに対する数々の誤解を解き、結ばれたときの歓びは忘れられない。直樹に跨ったまま、新が極まって射精する瞬間にも、アルファの眼差しには配偶者であるベータへの愛と賛美と欲情しかなかった。
そういう濃密な愛の営みをしたからだろう、中野家の本宅でニューヨークから帰国した父と話したとき、自分がベータであっても、みんなから愛され、大切にされていると心から受け入れることができた。
そんなにも愛しあっているのに、直樹の言動は時々理解できなくなる。
アルファの性欲がベータより激しいことは知っているけれど、どうしてトイレについてきたがるんだろう。もしかしてトイレで新の体を洗浄して、またセックスしたいんだろうか。
「今日は仕事だから、もうセックスはできません。三連休明けなのできっと忙しくなる」
「違う。仕事があるのはわかってる。小用を足すんだろう? 早く行かないと」
アナルセックスはできないとわかってくれたのか。でもそれならどうしてトイレについてきたがるんだろう。
「どうしたんだい、新。漏らすところを見てほしい?」
漏らすって。なぜか背筋がゾクゾクした。そんなことするわけないのに、どうして自分はこんな言葉に興奮してしまうんだろう。
「直樹、そこを通してください」
「もちろん。さ、一緒に行こう」
笑顔の夫が怖い。新は呆然として、彼に手を引かれるがままトイレに行った。
直樹と新が使う主寝室は、トイレや浴室もついている。
もちろんユニットバスじゃない。中野家の生まれである新は、社会人となって出張でビジネスホテルに泊まるまで、ユニットバスを見たことがなかった。この家のトイレはユニットバスではないけれど、一般の人が考えるトイレよりずっと広くて豪華で、何人かで入っても狭くはない。それでも普通トイレは、扉を閉めて一人で入るものだ。
普通は。
新は洋式トイレでは、周囲を汚さないよう便座に座って小用を足しているのに、直樹は勝手に便座を手ではね上げた。蓋は自動で開閉、便座もボタン操作で上げることができるのに、それすら待てないようだった。
「さあ、おしっこしようね」
おしっこ。
直樹の唇から、そんな卑語が出るなんて。
洋式便器の前で尿意と困惑に立ち尽くしていると、「俺がさせてあげよう」と言われて背後に回られた。不意にパジャマのズボンを下着ごと引き下ろされて、新はひっと悲鳴を上げた。くぐもった笑い声。後ろから手を回され、性器を両手で握られた。
「新。おしっこだよ。しーっ」
「直樹」
握られたペニスが便器に向けられた。新は我慢できなくて、しーっという擬音にあわせて腰を前に突き出し、尿意を解放した。じょぼじょぼと音を立てて、薄黄色のおしっこが勢いよく便器に放たれる。
嫌だ。
恥ずかしい。
こんな。こんな。
夫に陰茎を支えてもらって、後ろから覗き込まれながら小便をするなんて!
セックスのあと喉が枯れて水を飲んだからか、寝ている間に体が冷えたせいか、小便はなかなか終わらなかった。
新は呆然と、自分の尿が便器に吸い込まれていくのを見下ろした。
大量に排尿したせいで、特有の悪臭がトイレに立ち込める。尿道に残っていたおしっこまで出し切ったのを確認して、直樹は配偶者の陰茎を軽く上下に振った。
「まいったな。新のおしっこする姿がこんなにいやらしいとは思わなかった。舐めてもいいか?」
新はぎょっとして夫を振り向くと、慌てて首を横に振った。なんてことを言うんだ、いいわけがない。直樹は残念そうにしながらも頷いた。
「まあそうだろうな。キスするときに抵抗があるだろうから」
「いや、そういう問題じゃない!」
キスもだけど、それ以前に。
「汚いです」
「汚い? 結婚以来、何度も教えたつもりだが新に汚いところなんてどこにもないよ。どこもかしこも、何をしていても俺を誘惑する。ああ、新が用を足すところを見ていたら、俺もしたくなった」
男らしい顔をくしゃっと照れ笑いにゆがめた直樹が、自分もズボンと下着を下ろす。新は急いで下着とパジャマのズボンを引き上げ、よろよろとトイレから出た。
「新に汚いところはないけれど、そんなに気になるなら私の手できれいに洗おう。マーキングもしないといけないからね」
マーキング。なんのことだろう。
わからない。
自分の夫がわからない。
怖い。
直樹の、多くの人を惹きつける魅力的な笑顔。その瞳に浮かぶ執着心が恐ろしかった。
父が母に、拓海が律にじりじりと焼き焦がすような眼差しを向けるのは、何回も見ている。だけど自分はベータの男で、アルファの男からそんな目で見られることはないはずなのに、父や拓海が番に向ける以上の感情を向けられている。
扉を開けたままのせいで、恥ずかしい水音が響く。新は我慢できずに振り返った。
そうして、立ち小便する夫の姿から目が離せなくなった。
どうしよう。
新は唾を飲み込んだ。まだ直樹から視線が外せない。喉がヒリついている。
同性の立ち小便を見て興奮するなんて、想像したこともなかった。
(優れたアルファであればあるほど、独占欲は深くなる)
今でも覚えている父の言葉。
でもこんな! トイレにまでついてくるなんて異常だ。しかも直樹に感化されて、自分までおかしくなってきている……。
悠々と排尿を終えた直樹が、丁寧に手を洗って新を見る。ずっと凝視していたことにはとっくに気づいているのだろう、うっすらと笑みを浮かべた。
眼差しに情欲が揺らめいているのを見て、呼吸が早くなった。
「これでわかったね」
優しく言われてもわからない。
「何を?」
「排泄は個室でしかしてはいけない」
「どうして!」
喉に声が引っかかった。直樹が、聞き分けの悪い子どもを見るかのように、困った顔をする。
「どうしてって。配偶者の淫らな姿を、誰にも見せたくないからに決まってるだろう」
淫ら。小便するだけなのに。
言下に否定しようとして、さっきの直樹の立ち小便する姿を思いだした。腰を前に突き出し、赤黒いペニスを両手で支えて悠々と小便する姿。
そう言えば以前尋ねられた。
(新は職場で排尿するとき、トイレの小便器を使っているのか)
あのときは意味がわからなかった。でも今なら少しわかる。自分もこの人に小便器を使ってほしくない。あんな男らしい淫らな姿を他人に見せつけないでほしい。
駄目だ。直樹を直視できない。
「どうしたんだ?」
夫が追い詰めるように新を覗き込む。目が笑ってなかった。
「個室ですると約束できるか」
できないと言いたい。くだらないと。たかがトイレだ。男の場合、小をするならみんな並んで小便器でする。
そうだ、直樹は考えすぎだ!
「個室で、します」
新の声は震えていた。
直樹は、見惚れるほど晴れやかな笑みを浮かべた。
「わかってくれて嬉しいよ、新」
怖い。
この人の執着が、怖くてたまらない。
初めて園遊会で会ったとき、この人に恋をした。中野家の息子じゃない、ちっぽけな少年に、初めて無償の優しさをくれた人。
今は想いが叶っているのに、自分に向けてくる感情の重みに押しつぶされそうだ。
「それじゃあお風呂で新を洗って、マーキングしよう」
優しい夫の言葉。
理由はわからない、けれど、どんどん逃げ道を塞がれているような気がした。
「マーキング」
「ああ。新に俺のザーメンを全部飲んでもらう」
大きく目を見開いた。
「だって。今から仕事に」
「だからだ。新の周りのアルファとオメガを牽制しなくてはいけない。亀頭球まで挿入してナマで中出しすると新の体に負担がかかるし、避妊具をつけてのセックスだと3回はしないといけないから、もっと新の体に負担が大きいだろう?」
まるで、新のためを思っているかのような言葉。優秀なアルファは愛しいベータに近づくと、パジャマの上から新の萎えているペニスを軽く握ってもてあそんだ。
「本当は一歩も外に出したくないんだよ。でも新はベータ、それもとびきり優秀な男だ。その才能や自由を奪いたくないし、奪うべきじゃない。わかってる。わかっていても苦しいんだ。女とは一生セックスできないように、新のちんぽにピアスをしてしまいたい」
ゾッとするような眼。新は息もできなかった。ふっと直樹が視線を和らげた。
「しないよ。できるわけがない、新の体に傷をつけるなんて」
安堵に足元がふらつく。くつくつと夫が笑って体を支えてくれた。新は虚勢を張って言った。
「何回も言いますが、俺はベータの男です。兄さんと違って、一度ももてたことなんてない。俺なんかに手を出そうとする人はいません」
「お義父さんが言ってただろう、新を狙ってるものは男女問わず、バース性を問わずいくらでもいると。新は自分でわかってないだけで、信じられないぐらい魅力的なんだよ。私の心を、運命の番から奪い去ってしまうほどに」
直樹が新の左手を取った。
「怖いんだ。新みたいな魅力的な配偶者を番にもできずに、いろんな人と出会う職場に送り出すのが。怖くて、恐ろしくて、たまらなくなる。なのに閉じ込めることもできない。ベータの新を家から出さずにいたら、羽をもがれた鳥のように衰弱してしまうというのも、わかっているんだ」
新は信じられない思いで直樹を見上げた。
自分だけが、直樹を他の女やオメガに奪われるのを恐れているんだと思っていた。直樹ほど優秀なアルファが怯えるなんて、想像もしていなかった。
けれど、直樹の目にはたしかに怯えが潜んでいた。
「できれば明日からは、浴室でお漏らしする新も見たい」
ぞくりと背筋が粟立つ。
「新の、恥ずかしい姿をすべて、私だけに見せてほしい。そしてマーキングさせてほしい。……愛してる」
左手を持ち上げられ、結婚指輪の輝く薬指に、ゆっくりとキスされる。
ああ。自分はもう、決してこのアルファから逃げることはできないんだ。
不意に、その思いが全身を貫いた。番にできない、子どもも作れないベータを、優れたアルファが心の底から愛するというのは、こんなにも恐ろしいことなのか。
恐ろしいのに新は幸せだった。直樹自身を狂わせかねない、新自身を壊しかねないほど深く愛されて、心の奥底から深い歓喜が湧き上がる。このまま直樹の愛に噛み砕かれて、バラバラになってしまいたい。でもきっとこの人は自分を噛み砕くことができずに泣くのだろう。可愛い人。木南直樹を可愛いと思えるのはきっと、世界にたった一人自分だけだ。
直樹の太くて長い、赤黒いペニスを口に含むことを考えただけで、新の目は情欲に蕩けた。フェラチオをしたことがないから下手だとは思うけれど、愛する人の濃い精液を全部飲みたい。そうして自分の全ては直樹のものだとマーキングされてしまいたい。
新は直樹に抱きつくと、「俺も、あなただけを愛してる」と囁いた。
新はベータの男だ。
オメガが代々当主を務める中野家においては、政略結婚の駒にもできない役立たずでしかない。生まれたときから彼は、両親や拓海に溺愛される美しく華やかなオメガの兄、律の影だった。
結婚相手ですら式の後の初めての夜、新をオメガである兄の身代わりとして、「律」と呼びながら抱いた――。
「新。どこに行くんだ?」
その結婚相手ににじり寄られて、新は壁際に追い詰められていた。
どこに。
早朝、ベッドから出て行くところといったら、行き先は決まってるじゃないか。
「トイレです」
「トイレ」
「小用を足すだけ」
直樹が寝起きとは思えない凛々しい顔で、重々しく頷いた。
「小用。それは手伝わなくては」
新は呆然として配偶者のアルファを見上げた。この人は何を言っているんだろう。健常者の二十四歳の男が、小用を足すのにどんな手伝いがいるんだ。
直樹の自分に対する愛を、今の新は疑っていない。
運命の番である律の、濃厚なフェロモンにも屈することなく、直樹は新だけを愛していると告げてくれた。
お互いに対する数々の誤解を解き、結ばれたときの歓びは忘れられない。直樹に跨ったまま、新が極まって射精する瞬間にも、アルファの眼差しには配偶者であるベータへの愛と賛美と欲情しかなかった。
そういう濃密な愛の営みをしたからだろう、中野家の本宅でニューヨークから帰国した父と話したとき、自分がベータであっても、みんなから愛され、大切にされていると心から受け入れることができた。
そんなにも愛しあっているのに、直樹の言動は時々理解できなくなる。
アルファの性欲がベータより激しいことは知っているけれど、どうしてトイレについてきたがるんだろう。もしかしてトイレで新の体を洗浄して、またセックスしたいんだろうか。
「今日は仕事だから、もうセックスはできません。三連休明けなのできっと忙しくなる」
「違う。仕事があるのはわかってる。小用を足すんだろう? 早く行かないと」
アナルセックスはできないとわかってくれたのか。でもそれならどうしてトイレについてきたがるんだろう。
「どうしたんだい、新。漏らすところを見てほしい?」
漏らすって。なぜか背筋がゾクゾクした。そんなことするわけないのに、どうして自分はこんな言葉に興奮してしまうんだろう。
「直樹、そこを通してください」
「もちろん。さ、一緒に行こう」
笑顔の夫が怖い。新は呆然として、彼に手を引かれるがままトイレに行った。
直樹と新が使う主寝室は、トイレや浴室もついている。
もちろんユニットバスじゃない。中野家の生まれである新は、社会人となって出張でビジネスホテルに泊まるまで、ユニットバスを見たことがなかった。この家のトイレはユニットバスではないけれど、一般の人が考えるトイレよりずっと広くて豪華で、何人かで入っても狭くはない。それでも普通トイレは、扉を閉めて一人で入るものだ。
普通は。
新は洋式トイレでは、周囲を汚さないよう便座に座って小用を足しているのに、直樹は勝手に便座を手ではね上げた。蓋は自動で開閉、便座もボタン操作で上げることができるのに、それすら待てないようだった。
「さあ、おしっこしようね」
おしっこ。
直樹の唇から、そんな卑語が出るなんて。
洋式便器の前で尿意と困惑に立ち尽くしていると、「俺がさせてあげよう」と言われて背後に回られた。不意にパジャマのズボンを下着ごと引き下ろされて、新はひっと悲鳴を上げた。くぐもった笑い声。後ろから手を回され、性器を両手で握られた。
「新。おしっこだよ。しーっ」
「直樹」
握られたペニスが便器に向けられた。新は我慢できなくて、しーっという擬音にあわせて腰を前に突き出し、尿意を解放した。じょぼじょぼと音を立てて、薄黄色のおしっこが勢いよく便器に放たれる。
嫌だ。
恥ずかしい。
こんな。こんな。
夫に陰茎を支えてもらって、後ろから覗き込まれながら小便をするなんて!
セックスのあと喉が枯れて水を飲んだからか、寝ている間に体が冷えたせいか、小便はなかなか終わらなかった。
新は呆然と、自分の尿が便器に吸い込まれていくのを見下ろした。
大量に排尿したせいで、特有の悪臭がトイレに立ち込める。尿道に残っていたおしっこまで出し切ったのを確認して、直樹は配偶者の陰茎を軽く上下に振った。
「まいったな。新のおしっこする姿がこんなにいやらしいとは思わなかった。舐めてもいいか?」
新はぎょっとして夫を振り向くと、慌てて首を横に振った。なんてことを言うんだ、いいわけがない。直樹は残念そうにしながらも頷いた。
「まあそうだろうな。キスするときに抵抗があるだろうから」
「いや、そういう問題じゃない!」
キスもだけど、それ以前に。
「汚いです」
「汚い? 結婚以来、何度も教えたつもりだが新に汚いところなんてどこにもないよ。どこもかしこも、何をしていても俺を誘惑する。ああ、新が用を足すところを見ていたら、俺もしたくなった」
男らしい顔をくしゃっと照れ笑いにゆがめた直樹が、自分もズボンと下着を下ろす。新は急いで下着とパジャマのズボンを引き上げ、よろよろとトイレから出た。
「新に汚いところはないけれど、そんなに気になるなら私の手できれいに洗おう。マーキングもしないといけないからね」
マーキング。なんのことだろう。
わからない。
自分の夫がわからない。
怖い。
直樹の、多くの人を惹きつける魅力的な笑顔。その瞳に浮かぶ執着心が恐ろしかった。
父が母に、拓海が律にじりじりと焼き焦がすような眼差しを向けるのは、何回も見ている。だけど自分はベータの男で、アルファの男からそんな目で見られることはないはずなのに、父や拓海が番に向ける以上の感情を向けられている。
扉を開けたままのせいで、恥ずかしい水音が響く。新は我慢できずに振り返った。
そうして、立ち小便する夫の姿から目が離せなくなった。
どうしよう。
新は唾を飲み込んだ。まだ直樹から視線が外せない。喉がヒリついている。
同性の立ち小便を見て興奮するなんて、想像したこともなかった。
(優れたアルファであればあるほど、独占欲は深くなる)
今でも覚えている父の言葉。
でもこんな! トイレにまでついてくるなんて異常だ。しかも直樹に感化されて、自分までおかしくなってきている……。
悠々と排尿を終えた直樹が、丁寧に手を洗って新を見る。ずっと凝視していたことにはとっくに気づいているのだろう、うっすらと笑みを浮かべた。
眼差しに情欲が揺らめいているのを見て、呼吸が早くなった。
「これでわかったね」
優しく言われてもわからない。
「何を?」
「排泄は個室でしかしてはいけない」
「どうして!」
喉に声が引っかかった。直樹が、聞き分けの悪い子どもを見るかのように、困った顔をする。
「どうしてって。配偶者の淫らな姿を、誰にも見せたくないからに決まってるだろう」
淫ら。小便するだけなのに。
言下に否定しようとして、さっきの直樹の立ち小便する姿を思いだした。腰を前に突き出し、赤黒いペニスを両手で支えて悠々と小便する姿。
そう言えば以前尋ねられた。
(新は職場で排尿するとき、トイレの小便器を使っているのか)
あのときは意味がわからなかった。でも今なら少しわかる。自分もこの人に小便器を使ってほしくない。あんな男らしい淫らな姿を他人に見せつけないでほしい。
駄目だ。直樹を直視できない。
「どうしたんだ?」
夫が追い詰めるように新を覗き込む。目が笑ってなかった。
「個室ですると約束できるか」
できないと言いたい。くだらないと。たかがトイレだ。男の場合、小をするならみんな並んで小便器でする。
そうだ、直樹は考えすぎだ!
「個室で、します」
新の声は震えていた。
直樹は、見惚れるほど晴れやかな笑みを浮かべた。
「わかってくれて嬉しいよ、新」
怖い。
この人の執着が、怖くてたまらない。
初めて園遊会で会ったとき、この人に恋をした。中野家の息子じゃない、ちっぽけな少年に、初めて無償の優しさをくれた人。
今は想いが叶っているのに、自分に向けてくる感情の重みに押しつぶされそうだ。
「それじゃあお風呂で新を洗って、マーキングしよう」
優しい夫の言葉。
理由はわからない、けれど、どんどん逃げ道を塞がれているような気がした。
「マーキング」
「ああ。新に俺のザーメンを全部飲んでもらう」
大きく目を見開いた。
「だって。今から仕事に」
「だからだ。新の周りのアルファとオメガを牽制しなくてはいけない。亀頭球まで挿入してナマで中出しすると新の体に負担がかかるし、避妊具をつけてのセックスだと3回はしないといけないから、もっと新の体に負担が大きいだろう?」
まるで、新のためを思っているかのような言葉。優秀なアルファは愛しいベータに近づくと、パジャマの上から新の萎えているペニスを軽く握ってもてあそんだ。
「本当は一歩も外に出したくないんだよ。でも新はベータ、それもとびきり優秀な男だ。その才能や自由を奪いたくないし、奪うべきじゃない。わかってる。わかっていても苦しいんだ。女とは一生セックスできないように、新のちんぽにピアスをしてしまいたい」
ゾッとするような眼。新は息もできなかった。ふっと直樹が視線を和らげた。
「しないよ。できるわけがない、新の体に傷をつけるなんて」
安堵に足元がふらつく。くつくつと夫が笑って体を支えてくれた。新は虚勢を張って言った。
「何回も言いますが、俺はベータの男です。兄さんと違って、一度ももてたことなんてない。俺なんかに手を出そうとする人はいません」
「お義父さんが言ってただろう、新を狙ってるものは男女問わず、バース性を問わずいくらでもいると。新は自分でわかってないだけで、信じられないぐらい魅力的なんだよ。私の心を、運命の番から奪い去ってしまうほどに」
直樹が新の左手を取った。
「怖いんだ。新みたいな魅力的な配偶者を番にもできずに、いろんな人と出会う職場に送り出すのが。怖くて、恐ろしくて、たまらなくなる。なのに閉じ込めることもできない。ベータの新を家から出さずにいたら、羽をもがれた鳥のように衰弱してしまうというのも、わかっているんだ」
新は信じられない思いで直樹を見上げた。
自分だけが、直樹を他の女やオメガに奪われるのを恐れているんだと思っていた。直樹ほど優秀なアルファが怯えるなんて、想像もしていなかった。
けれど、直樹の目にはたしかに怯えが潜んでいた。
「できれば明日からは、浴室でお漏らしする新も見たい」
ぞくりと背筋が粟立つ。
「新の、恥ずかしい姿をすべて、私だけに見せてほしい。そしてマーキングさせてほしい。……愛してる」
左手を持ち上げられ、結婚指輪の輝く薬指に、ゆっくりとキスされる。
ああ。自分はもう、決してこのアルファから逃げることはできないんだ。
不意に、その思いが全身を貫いた。番にできない、子どもも作れないベータを、優れたアルファが心の底から愛するというのは、こんなにも恐ろしいことなのか。
恐ろしいのに新は幸せだった。直樹自身を狂わせかねない、新自身を壊しかねないほど深く愛されて、心の奥底から深い歓喜が湧き上がる。このまま直樹の愛に噛み砕かれて、バラバラになってしまいたい。でもきっとこの人は自分を噛み砕くことができずに泣くのだろう。可愛い人。木南直樹を可愛いと思えるのはきっと、世界にたった一人自分だけだ。
直樹の太くて長い、赤黒いペニスを口に含むことを考えただけで、新の目は情欲に蕩けた。フェラチオをしたことがないから下手だとは思うけれど、愛する人の濃い精液を全部飲みたい。そうして自分の全ては直樹のものだとマーキングされてしまいたい。
新は直樹に抱きつくと、「俺も、あなただけを愛してる」と囁いた。
44
お気に入りに追加
1,234
あなたにおすすめの小説
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
試情のΩは番えない
metta
BL
発情時の匂いが強すぎる体質のフィアルカは、オメガであるにもかかわらず、アルファに拒絶され続け「政略婚に使えないオメガはいらない」と家から放逐されることになった。寄る辺のなかったフィアルカは、幼い頃から主治医だった医師に誘われ、その強い匂いを利用して他のアルファとオメガが番になる手助けをしながら暮らしていた。
しかし医師が金を貰って、オメガ達を望まない番にしていたいう罪で捕まり、フィアルカは自分の匂いで望まない番となってしまった者がいるということを知る。
その事実に打ちひしがれるフィアルカに命じられた罰は、病にかかったアルファの青年の世話、そして青年との間に子を設けることだった。
フィアルカは青年に「罪びとのオメガ」だと罵られ拒絶されてしまうが、青年の拒絶は病をフィアルカに移さないためのものだと気づいたフィアルカは献身的に青年に仕え、やがて心を通わせていくがー一
病の青年α×発情の強すぎるΩ
紆余曲折ありますがハピエンです。
imooo(@imodayosagyo )さんの「再会年下攻め創作BL」の1次創作タグ企画に参加させていただいたツイノベをお話にしたものになります。素敵な表紙絵もimoooさんに描いていただいております。
愛しいアルファが擬態をやめたら。
フジミサヤ
BL
「樹を傷物にしたの俺だし。責任とらせて」
「その言い方ヤメロ」
黒川樹の幼馴染みである九條蓮は、『運命の番』に憧れるハイスペック完璧人間のアルファである。蓮の元恋人が原因の事故で、樹は蓮に項を噛まれてしまう。樹は「番になっていないので責任をとる必要はない」と告げるが蓮は納得しない。しかし、樹は蓮に伝えていない秘密を抱えていた。
◇同級生の幼馴染みがお互いの本性曝すまでの話です。小学生→中学生→高校生→大学生までサクサク進みます。ハッピーエンド。
◇オメガバースの設定を一応借りてますが、あまりそれっぽい描写はありません。ムーンライトノベルズにも投稿しています。
回帰したシリルの見る夢は
riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。
しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。
嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。
執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語!
執着アルファ×回帰オメガ
本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます。
物語お楽しみいただけたら幸いです。
***
2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました!
応援してくれた皆様のお陰です。
ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!!
☆☆☆
2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!!
応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。
最強で美人なお飾り嫁(♂)は無自覚に無双する
竜鳴躍
BL
ミリオン=フィッシュ(旧姓:バード)はフィッシュ伯爵家のお飾り嫁で、オメガだけど冴えない男の子。と、いうことになっている。だが実家の義母さえ知らない。夫も知らない。彼が陛下から信頼も厚い美貌の勇者であることを。
幼い頃に死別した両親。乗っ取られた家。幼馴染の王子様と彼を狙う従妹。
白い結婚で離縁を狙いながら、実は転生者の主人公は今日も勇者稼業で自分のお財布を豊かにしています。
金色の恋と愛とが降ってくる
鳩かなこ
BL
もう18歳になるオメガなのに、鶯原あゆたはまだ発情期の来ていない。
引き取られた富豪のアルファ家系の梅渓家で
オメガらしくないあゆたは厄介者扱いされている。
二学期の初めのある日、委員長を務める美化委員会に
転校生だというアルファの一年生・八月一日宮が参加してくれることに。
初のアルファの後輩は初日に遅刻。
やっと顔を出した八月一日宮と出会い頭にぶつかって、あゆたは足に怪我をしてしまう。
転校してきた訳アリ? 一年生のアルファ×幸薄い自覚のない未成熟のオメガのマイペース初恋物語。
オメガバースの世界観ですが、オメガへの差別が社会からなくなりつつある現代が舞台です。
途中主人公がちょっと不憫です。
性描写のあるお話にはタイトルに「*」がついてます。
あなたは僕の運命の番 出会えた奇跡に祝福を
羽兎里
BL
本編完結いたしました。覗きに来て下さった方々。本当にありがとうございました。
番外編を開始しました。
優秀なαの兄達といつも比べられていたΩの僕。
αの父様にも厄介者だと言われていたけど、それは仕方がない事だった。
そんな僕でもようやく家の役に立つ時が来た。
αであるマティアス様の下に嫁ぐことが決まったんだ。
たとえ運命の番でなくても僕をもらってくれると言う優しいマティアス様。
ところが式まであとわずかというある日、マティアス様の前に運命の番が現れてしまった。
僕はもういらないんだね。
その場からそっと僕は立ち去った。
ちょっと切ないけれど、とても優しい作品だと思っています。
他サイトにも公開中。もう一つのサイトにも女性版の始めてしまいました。(今の所シリアスですが、どうやらギャグ要素満載になりそうです。)
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる