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第27話 本物と偽物

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(終わった……)

 新は、律が直樹に呼応して発情するのを、呆然と見ていることしかできなかった。
 兄の、いかにもオメガらしい華やかで美しい顔に血がのぼり、頬が赤らんでいく。
 吐息が熱く、早くなった。
 眼が欲望に潤んでいく。
 そして誰彼かまわず誘惑するフェロモンが律から放たれた。花のような果実のような、人を引き寄せてやまない魔性の香り。

 律と直樹の視線が絡みあうのを、新は絶望に打ちのめされて、ただ見ていた。
「あ……」
 律の甘い喘ぎが、弟である新の下半身までねっとりと愛撫した。
 フェロモンの調整を受けていない兄のヒートは凶暴だった。ついさっきまで理性のある人間だったのに、運命の番の精液を残さず搾りとり、子どもを孕むためだけの存在へと変容していく。その変化は恐ろしいほど劇的だった。
 律のフェロモンの直撃を受けて、直樹は顔を歪めた。日曜日に新を抱いて以来ずっと禁欲していたアルファが、強制的にラットに追い込まれていく。

(やっぱり、俺では駄目なんだ)

 悲痛な思いが胸を貫いて、新は息ができなくなった。
 知っていた。
 そんなこと、律の身代わりになんてなれないこと、物心ついたときからわかってた。
 顔立ちが似ていても、オメガとベータは骨格から身体のつくりまで何もかもが違う。オメガは男女関係なく、アルファを引き寄せて子どもを産むための性だ。容姿も、声も、体格も、フェロモンも、何もかもが、アルファを狂わせるためのもの。
 そして新はベータだった。どれほど直樹とセックスしても、子どもを産むことはできないし番にもなれない。
 本物のダイヤモンドの隣にガラス玉を置いたって、ダイヤモンドには敵わない。
 決して、決して、決して、決して。ガラス玉はダイヤモンドにはなれない。

 身代わりは、本物にはなれない……。



「何をやっている!」
 不意に響いた怒号に、新は我に返った。直樹が睨みつけている相手は、拓海だった。
「そいつに打つ緊急用抑制剤を持ってないのか!」
 言いながら、直樹は震える手でジャケットの内ポケットに手を入れ、ペン型の注射器を取り出して腕に自己注射した。
「所持金の入ったバッグごと、奪われた」
 拓海が、正気を失って直樹の元に行こうとする律を抱きしめて、苦しげにこたえる。
「お前もこれを打っておけ」
 直樹は予備のアルファ用の抑制剤を拓海に投げた。怪我をし、律を抑えこんでいるにも関わらず、拓海は器用に受け止めて自分に打った。怒号を聞いて何事かと出てきたコンシェルジュに、直樹は言った。
「すまない、オメガ用の緊急抑制剤をもらえないか。俺はアルファで近づけない、あそこのオメガに渡してやってくれ」
「かしこまりました」
 抑制剤を受け取った拓海が律に注射する。びくんと大きく震えたあと、律の発情フェロモンは徐々におさまっていった。ハァハァという荒い息が落ち着いた頃、兄の眼に理性の光が戻った。
「申し訳、ありませんでした、木南社長」
「今ごろのこのこと現れて。何があった」
 直樹が冷たく吐き捨てる。口を開いた律を、拓海が制した。他人を警戒して低い声で囁く。
「木南社長、律様は中国マフィアに狙われています」
 直樹の身体が、憤怒に一回り大きくなった。
「新まで巻き込むつもりか!」
「やめてください」
 新は夫の腕を掴んだ。直樹がギラつく眼で新を見下ろした。それでも新は引かなかった。
「さっきも言ったでしょう、俺たちは身代金目当てで狙われることに慣れてます。だからセキュリティの厳重な、分不相応なところに住んでいる」
 直樹はしばらく黙っていたが、やがて深い溜め息をついた。
「たしかにここはコンシェルジュが常駐している。だがマンションは身元のわからない人間の出入りが多いし、そもそも武装した犯罪組織の襲撃に耐えられる場所じゃない。うちで話を聞こう」
 不意に拓海がよろめいた。
「拓海!」
 新は叫んで駆け寄った。律と一緒に左右から、幼いときからの側仕えを支える。
「銃で撃たれたって、医者には?」
 まだ……と律が首を振る。直樹が尋ねた。
「貫通してるのか?」
「掠っただけです。病院に行けば警察に通報される。その前に忠彦様に指示を仰がなくては」
 緊張の糸が緩んだせいか、拓海の息がどんどん荒くなる。額に滲んだ冷や汗をハンカチで拭きながら、新は心配のあまり泣きそうになった。
「何言ってるんだ。父さんの指示より、拓海の治療のほうが大事に決まってる!」
 直樹は不機嫌をあらわにして、眉を寄せた。
「……わかった。懇意にしている医者がいるから、口止めしてうちに来てもらおう。それと」
 言葉を切って、律と拓海を睨みつけた。
「なんでお前たち、番の契約を交わしていない」
 律が眼を伏せた。長い睫毛が影を落とす。美しい兄がそんな悲しそうな顔をすると、ベータである新ですら胸が締め付けられた。
「ネックガードの暗証番号は父親しか知らないからです。自白剤を飲まされたら危険なので、俺自身も聞かされていない。木南さん、本当は俺の口から結婚の話をお断りしたかった。けれど常に周囲の目があってできませんでした。婚約公表後に突然姿を消したことは、いくら謝っても許されないことだとわかっています。本当に申し訳ありません」
 律は深々と頭を下げた。直樹はしばらく何も言わなかった。
「……終わったことだ。三人ともうちの車に乗るんだ」
 それだけ言い残して振り返りもせず、地下駐車場に向かう。新たちは前を歩く直樹の後ろを、少し間隔を空けて追っていった。

 運命の番であるオメガに逃げられたアルファ。

 直樹の広い背中は、安っぽい同情を拒絶していた。それでも新は、その広い背中に苦しみと孤独を感じてたまらなかった。

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