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第16話 アルファの巣に連れ込まれたベータ(7)

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 自分を抱きすくめていた腕が離れていく。新は寂しさをこらえて直樹を見上げた。いつもは傲慢なアルファが苦しげな表情を浮かべていた。
「新は本当に優しいな」
 褒め言葉なのに、まるで自責の言葉に聞こえる。どうしてそんな顔をするんだろう。問いかける前に直樹は痛みをこらえる目を新に向けた。
「新婚旅行のとき話しただろう。俺の両親は団地住まいの貧しいベータだ。そういう環境だから、周囲にはベータしかいなかった。アルファやオメガと出会うこともなく、感情的になるたび周囲の人間に被害を及ぼし、どんなに努力しても誰とも馴染めなくて苦しかった」
 新は頷いた。もちろん覚えている。
「両親とは折り合いが悪くて、大学入学とともに親元を離れたんだ。幸い、在学中に起業して成功したけれど、その後色々あって……。両親には手切れ金を渡して、縁を切った」
 新は息を呑んだ。結婚式に直樹の両親が来ていないことは気になっていた。けれど新のほうも父しか参列していなかったから、事情は聞かないようにしていた。直樹は目を伏せた。
「両親には親孝行のつもりで株券を贈与していたんだが、それを相談もなく、売ってはいけない相手に売り渡した。どうしてそんなことをしたのかと聞いたら、自分たちの子どもが手の届かない成功者になったのが憎かったと言われた」
「そんなの言い訳にならない!」
 新の叫びに、直樹は目元だけで笑った。
「……そうだな。自分が家族に愛されなかったから、もしかしてお前もそうじゃないかと、ご家族に失礼な勘繰りをしてしまった」
「いいえ、それはいいんです、でも親なのに!」
「親だから無条件に子どもを愛するというのは幻想だ。世の中には、自分より格下だと思っていた相手が幸福になるのを、許せないタイプの人間がいる。俺の両親のように」
 家族から深く愛されて生きてきた新には、直樹にかける言葉がなかった。
 なんでもないことのように言っているけれど、そんなわけがない。実の両親に裏切られた痛手はどれほど大きかっただろう。
 自分の中で過去の苦しみを追体験していたのか、黙り込んでいた直樹が、再び話し始めた。
「両親の寝返りを乗り越え、俺は損害を取り戻した。いや、それどころか、さらに事業を大きくしていった。周囲からはさすがアルファだと持て囃されたけれど、心の中は砂漠のように乾ききっていた。自分がベータだったらよかった、ベータだったら両親に愛されたんじゃないか、友達もできて、ごく当たり前の幸せな生活を送れたんじゃないか。そう鬱々と考えていた頃、一人のオメガに出会って言われた。『いつかあなたにふさわしい相手に、アルファで良かったって思える相手に出会える』と。その言葉が俺を支えてくれた」

 そうか。
 思い出を懐かしむ直樹の表情でわかった。
 そのオメガが直樹の初恋の人なんだ。

「俺はその後、何人かの女性と付き合ったが、みんな俺の収入狙いで、一緒に発情期明けを迎えるようなオメガには出会えなかった。それでもいつか、俺自身を受け入れ、愛してくれる人に出会えると信じていた。そんなときだ。中野家から俺のフェロモンの数値を測定したいと申し出があったのは」
 知っている。そして兄のフェロモンを分析した結果、最も適合率の高いアルファは……。
「俺が中野律の運命の番だと、分析結果とともに無味乾燥な手紙が添えられていた」
「――はい」
 この人は知らない。兄の傍で自分がそれを聞かされて、奈落の底に落ちていくような衝撃を味わったなんて。
「顔合わせの場がセットされて初めて彼と会ったとき、全身に衝撃が走った。間違いない、彼こそ俺の運命の番だ、俺は彼と出会うためにアルファとして生まれたんだ、彼こそ俺にふさわしい相手だ。……そう思った」
 直樹は一旦口をつぐんだ。新も何も言わなかった。長い沈黙を破ったのは、直樹のかすれた声だった。

「他のアルファと駆け落ちしたと知らされて、俺は自分自身が世界から否定されたような気がした」

 誤解を解きたくて、新は必死に口を挟んだ。
「違います。兄はあなたを嫌ったわけじゃない。あなたでなくとも、拓海以外のどのアルファも受け入れられなかった」
「そうだな。今はそれがわかる。だがお前が忠彦氏と謝罪に来たとき、俺は多分無意識に、ベータのお前に、俺を裏切った両親を重ねた」

 あ。
 呼吸が停止した。

 そうだ。
 あの時、この人は初めから自分を憎しみの目で見ていた。結婚式のときも、その後の初夜のときも、兄ではなく新が直樹を裏切ったかのように、冷酷に振る舞った。本来のこの人は、初めて会う少年が知り合いに絡まれているのを助け、わざわざ園遊会を抜けてペットボトルの水を買ってきてくれるほど優しい人なのに。

 直樹は悔いるように目を伏せた。
「自分の認知のゆがみに気づいたのは、さっきの食事の後だ。発情期明けの料理のことを知らないせいで、新に不快な思いをさせてしまった。それだけじゃない、俺はそもそも新のことを知らないのに、どうして初対面のときからあんなひどいことを言ってしまったんだろうと考えて、ようやく気づいた」

 直樹が。この誇り高いアルファが。

「お前に、最悪なことをしてしまった。すまない」

 新と視線を合わせて、深く頭を下げる。
 新は何も言えずに、直樹のつむじを見つめた。いつか自分のことをわかってもらえたらと思っていた。でもこんなふうに彼を苦しめたくはなかった。

「頭を上げてください」
「いや。あれだけひどいことをしてきた俺を、許してほしいとは言えない。言えないが……その、せめて、友人として傍にいさせてほしい」
 直樹が頭を下げたまま懇願する。
 友人。
 彼から友達になりたいと言われたのは純粋に嬉しいのに、もうそういう相手としては見てもらえないんだと思うと、鼻の奥が痛くなった。駄目だ、泣いてはいけない。笑顔を作るんだ。
「わかりました。それじゃあ俺、帰り支度をしますね」

 



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