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第28話 神へ捧げる聖なる甘味
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春の日差しは意外にも強い。
だが、そんな太陽の光をエネルギーに変え、植物たちは青々と育つ。
日よけの帽子を被りながら、エレノアは第一庭園の植物を嬉しそうに眺める。
「聖なる菓子」作りを口実に、果実やハーブで使えるものを採取したいと許可を取って、平民研修士ヴェイリスたちの作業を手伝っているのだ。
「やっぱり、土に触れるっていいわね。それにこの晴天、野菜も果実もすくすく育つでしょうね、楽しみだわ」
そんな言葉が貴族令嬢らしからぬもの、同行したリリーも驚きで目を丸くし、カミラは困ったような表情になる。
この場にラディリスしかいないのは、貴族研修士ヴェイリスが日焼けを嫌うことや重労働が出来ないせいもあるのだ。
多くの貴族令嬢は学びや祈りの時間を過ごしていることになっている。実際はそうなっていないことが、正道院長イライザの目下の悩みのタネである。
「エレノアさま、いらっしゃいますか?」
「まぁ、グレースさん。ここですわ」
背の高いグレースがこちらへと歩いてくるのが見える。
どうしたことだろうと思ったエレノアにグレースは伝言を告げた。
「正道院長がエレノアさまとスカーレットをお呼びなんです……! 何か、大変なことが起こったそうで……私もまだお話を伺っていないのですが、正道院長がひどく慌ててらっしゃって」
「え、イライザさまが私とスカーレットさまを……?」
正道院長であるイライザが、エレノアとスカーレットを正道院長室へと呼びだす。
これはまた何か新たな問題が起きたか、ヒギンス伯爵家との問題に進展があったかのどちらかであろう。エレノアの表情も引き締まる。
果実の入ったカゴを隣にいたリリーが受け取り、エレノアが微笑む。
いずれにせよ、何かが動き出したのだ。
グレースに頷き、正道院室へとエレノアは歩き出したのだった。
*****
優雅さを保ちながらも、エレノアとカミラは足を速める。
グレースもまた、同じように急ぎながら歩みを進めた。
落ち着きと威厳を持った正道院長イライザが慌てる事態、その緊急性は高いものだと考えられる。
正道院長室の前に立ち、ドアをノックしたグレースは、イライザの返事を聞くと同時に扉を開いた。
「イライザさま、エレノアさまをお連れしました!」
「あぁ、グレース! よく来てくれました。エレノア研修士もありがとう」
正道院長室には二人を見て安堵した様子の正道院長イライザと、先に部屋に訪れていたスカーレットとマーサがいる。
グレースがイライザの元に近付くと、ソファーに座るように勧めた。
「えぇ、ありがとうグレース。皆さんも席にお座りになって……あぁ、どうしたことでしょう」
「落ち着いてください、正道院長。一体何が起こったのですか?」
「そうですね、皆さんにきちんとお話せねば……」
ソファーに腰かけたエレノアたちはイライザの言葉を待つ。
ふぅと息をつくと、イライザは背筋を伸ばして皆を見た。
「皆さんのご尽力もあって、「聖なる甘味」への不信はほぼ払拭されたかと思います。未だ、問題がなくなったわけではありません。ですが、皆さんが自ら動き出したことで大きな変化を生んだのです。そして、それは信仰会の方々の心も動かしました」
悪い報告ではないようだが、信仰会の人々の心を動かしたらどうなるのだとエレノアは内心で疑問に思う。おそらくはスカーレットも同じだろうが、そこは侯爵令嬢、表情には決して出さない。
エレノアとして長年過ごしてきたものの、ハルの魂が入ったことで少々表情にも感情が出がちな公爵令嬢も、同じように口元を引き締める。
一方で信仰の篤いグレースは目を輝かせて、イライザの言葉を待つ。
「信仰会の上層部の方々も聖なる甘味の復活を喜び、この度、建国記念の祈祷の場で神と王族に捧げる菓子にマドレーヌが選ばれました!」
「きゃあああ! 正道院長、それは本当のことですか!?」
「えぇ、グレース。信じられないことですが、建国記念の菓子に私たちの聖なる甘味が選ばれたのです!」
「なんて、誇らしいことでしょう! 素晴らしいわ!」
普段、落ち着いたイライザ、大人しいグレースまで興奮するこの状況にエレノアもスカーレットも頭の回転が追い付かない。
そんな少女二人にそっとペトゥラが小声で説明をする。
「――建国記念で神と王族に捧げる菓子はかつては『聖なる甘味』を用意していたと聞いたことがあります。ですが、『聖なる甘味』自体が失われた後は、貴族の家々から選ばれた菓子職人が作っていたはずです。お二人の家の職人も選ばれたことがあるはずですよ」
そう言われてエレノアもスカーレットもなんとなく記憶にあると気づく。だが、特にそれが名誉なことだという意識がなかったのだ。
高位貴族の中で持ち回りで順番が回って来るもの、そういう認識だったのだ。
だが、正道院で深い信仰を持って日々を送ってきた、グレースやイライザにとっては特別で名誉なことであろう。あの喜びようも無理はないことなのだ。
「おめでとうございます。イライザ正道院長、グレースさん。皆さまが日々努めてきたことが認めて頂けたのですね」
「本当に素晴らしいことですわね。おめでとうございます」
祝いの言葉を述べるエレノアとスカーレットに、正道院長であるイライザは柔らかな微笑みを浮かべる。この成果は今までの聖リディール正道院のままでは、得られないものだったのだ。
「いえ、あなた方のおかげです。特にエレノア研修士は我々の悲願、『聖なる甘味』の復活に尽力してくださったわ。あなたの力なくしては不可能でした」
「そうです。私たちの活動に共感してくださり、菓子を生み出し、その上で私たちに結束を促してくださったのですから!」
未だグレースは興奮した様子で目を輝かせている。
喜んでくれるのも、彼女たちの力に慣れたのも喜ばしいことだが、そう称賛されるのも気恥ずかしいものだ。
「祈祷の場に捧げられる菓子というのは、皆さま食されないものですよね」
「えぇ、あくまで形のみです。ただ、とても名誉なことですし、これを機会に『聖なる甘味』が国中に知られることでしょう」
いくら魔法でその安全性を確かめられようとも、王族が見知らぬ者が作った菓子を食べることは当然あり得ない。
それでも建国記念の祈祷の場、貴族が多く集まる場で聖リディール正道院の菓子が、神と王族に献上されるのだ。名は国中に知られ、注文も確実に増えるだろう。
何より、イライザとグレースの喜びようが、それがどれだけ彼女たちにとって光栄で素晴らしいことなのかをエレノアたちに伝える。
「ですが、いつも通りです。あなた方がいつも作っている、その菓子が認められたのです。ですから通常販売しているのと同じように、どうか皆で協力し、作り上げてください」
「はい。いつもと同じように皆で協力し、喜んでいただけるものを作り上げますわ」
「頼みましたよ、エレノア研修士、スカーレット研修士、そしてグレース」
こんなに光栄なことだと喜びをあらわにしていても、街の人々に販売するときと同じように作るように言う正道院長イライザは、不器用なまでに誠実である。
そんな彼女を好もしく思い、エレノアは同じように誠実に献上用の菓子作りに向き合おうと心の中で思う。
「ですが、配送はどのようになさるのですか? その、妨害が入る可能性もあり得ます」
エレノアの言葉に、皆は不安げな表情へと変わる。
スカーレットに未だ敵愾心を燃やすヒギンス伯爵家のことだ。
何らかの形で菓子が届くのを妨害する可能性がある。
聖リディール正道院にいるエレノアたちでは運搬時に問題があっても、対処することが出来ないのだ。
そんなエレノアの不安に、正道院長イライザは笑顔で答える。
「その件でしたら、信頼出来るお方のご協力で、安心して運搬できますので大丈夫ですよ」
「正道院長がそうおっしゃるのなら、きちんとした御方なのですね。それでは、運搬に関してはお任せ致しますわ」
「えぇ、あなたたちは『聖なる甘味』作りに尽力願います」
一年に一度の建国記念の祈祷の日、王族と神に捧げられる甘味に聖リディール正道院の『聖なる甘味』が選ばれたのだ。
『聖なる甘味』の復活は信仰会にとっては悲願であった。
だが、このマドレーヌの真の価値は貴族研修士ヴェイリスと平民研修士ラディリスが共に作り上げたことにある。
それはエレノア・コールマン公爵令嬢なしでは成し遂げられなかっただろうと、正道院長であるイライザは思うのだ。
銀色の髪と紫の瞳の公爵令嬢エレノアは、そんなイライザの視線にも思いにも気付かず、菓子作りへの思いに胸を躍らせるのだった。
だが、そんな太陽の光をエネルギーに変え、植物たちは青々と育つ。
日よけの帽子を被りながら、エレノアは第一庭園の植物を嬉しそうに眺める。
「聖なる菓子」作りを口実に、果実やハーブで使えるものを採取したいと許可を取って、平民研修士ヴェイリスたちの作業を手伝っているのだ。
「やっぱり、土に触れるっていいわね。それにこの晴天、野菜も果実もすくすく育つでしょうね、楽しみだわ」
そんな言葉が貴族令嬢らしからぬもの、同行したリリーも驚きで目を丸くし、カミラは困ったような表情になる。
この場にラディリスしかいないのは、貴族研修士ヴェイリスが日焼けを嫌うことや重労働が出来ないせいもあるのだ。
多くの貴族令嬢は学びや祈りの時間を過ごしていることになっている。実際はそうなっていないことが、正道院長イライザの目下の悩みのタネである。
「エレノアさま、いらっしゃいますか?」
「まぁ、グレースさん。ここですわ」
背の高いグレースがこちらへと歩いてくるのが見える。
どうしたことだろうと思ったエレノアにグレースは伝言を告げた。
「正道院長がエレノアさまとスカーレットをお呼びなんです……! 何か、大変なことが起こったそうで……私もまだお話を伺っていないのですが、正道院長がひどく慌ててらっしゃって」
「え、イライザさまが私とスカーレットさまを……?」
正道院長であるイライザが、エレノアとスカーレットを正道院長室へと呼びだす。
これはまた何か新たな問題が起きたか、ヒギンス伯爵家との問題に進展があったかのどちらかであろう。エレノアの表情も引き締まる。
果実の入ったカゴを隣にいたリリーが受け取り、エレノアが微笑む。
いずれにせよ、何かが動き出したのだ。
グレースに頷き、正道院室へとエレノアは歩き出したのだった。
*****
優雅さを保ちながらも、エレノアとカミラは足を速める。
グレースもまた、同じように急ぎながら歩みを進めた。
落ち着きと威厳を持った正道院長イライザが慌てる事態、その緊急性は高いものだと考えられる。
正道院長室の前に立ち、ドアをノックしたグレースは、イライザの返事を聞くと同時に扉を開いた。
「イライザさま、エレノアさまをお連れしました!」
「あぁ、グレース! よく来てくれました。エレノア研修士もありがとう」
正道院長室には二人を見て安堵した様子の正道院長イライザと、先に部屋に訪れていたスカーレットとマーサがいる。
グレースがイライザの元に近付くと、ソファーに座るように勧めた。
「えぇ、ありがとうグレース。皆さんも席にお座りになって……あぁ、どうしたことでしょう」
「落ち着いてください、正道院長。一体何が起こったのですか?」
「そうですね、皆さんにきちんとお話せねば……」
ソファーに腰かけたエレノアたちはイライザの言葉を待つ。
ふぅと息をつくと、イライザは背筋を伸ばして皆を見た。
「皆さんのご尽力もあって、「聖なる甘味」への不信はほぼ払拭されたかと思います。未だ、問題がなくなったわけではありません。ですが、皆さんが自ら動き出したことで大きな変化を生んだのです。そして、それは信仰会の方々の心も動かしました」
悪い報告ではないようだが、信仰会の人々の心を動かしたらどうなるのだとエレノアは内心で疑問に思う。おそらくはスカーレットも同じだろうが、そこは侯爵令嬢、表情には決して出さない。
エレノアとして長年過ごしてきたものの、ハルの魂が入ったことで少々表情にも感情が出がちな公爵令嬢も、同じように口元を引き締める。
一方で信仰の篤いグレースは目を輝かせて、イライザの言葉を待つ。
「信仰会の上層部の方々も聖なる甘味の復活を喜び、この度、建国記念の祈祷の場で神と王族に捧げる菓子にマドレーヌが選ばれました!」
「きゃあああ! 正道院長、それは本当のことですか!?」
「えぇ、グレース。信じられないことですが、建国記念の菓子に私たちの聖なる甘味が選ばれたのです!」
「なんて、誇らしいことでしょう! 素晴らしいわ!」
普段、落ち着いたイライザ、大人しいグレースまで興奮するこの状況にエレノアもスカーレットも頭の回転が追い付かない。
そんな少女二人にそっとペトゥラが小声で説明をする。
「――建国記念で神と王族に捧げる菓子はかつては『聖なる甘味』を用意していたと聞いたことがあります。ですが、『聖なる甘味』自体が失われた後は、貴族の家々から選ばれた菓子職人が作っていたはずです。お二人の家の職人も選ばれたことがあるはずですよ」
そう言われてエレノアもスカーレットもなんとなく記憶にあると気づく。だが、特にそれが名誉なことだという意識がなかったのだ。
高位貴族の中で持ち回りで順番が回って来るもの、そういう認識だったのだ。
だが、正道院で深い信仰を持って日々を送ってきた、グレースやイライザにとっては特別で名誉なことであろう。あの喜びようも無理はないことなのだ。
「おめでとうございます。イライザ正道院長、グレースさん。皆さまが日々努めてきたことが認めて頂けたのですね」
「本当に素晴らしいことですわね。おめでとうございます」
祝いの言葉を述べるエレノアとスカーレットに、正道院長であるイライザは柔らかな微笑みを浮かべる。この成果は今までの聖リディール正道院のままでは、得られないものだったのだ。
「いえ、あなた方のおかげです。特にエレノア研修士は我々の悲願、『聖なる甘味』の復活に尽力してくださったわ。あなたの力なくしては不可能でした」
「そうです。私たちの活動に共感してくださり、菓子を生み出し、その上で私たちに結束を促してくださったのですから!」
未だグレースは興奮した様子で目を輝かせている。
喜んでくれるのも、彼女たちの力に慣れたのも喜ばしいことだが、そう称賛されるのも気恥ずかしいものだ。
「祈祷の場に捧げられる菓子というのは、皆さま食されないものですよね」
「えぇ、あくまで形のみです。ただ、とても名誉なことですし、これを機会に『聖なる甘味』が国中に知られることでしょう」
いくら魔法でその安全性を確かめられようとも、王族が見知らぬ者が作った菓子を食べることは当然あり得ない。
それでも建国記念の祈祷の場、貴族が多く集まる場で聖リディール正道院の菓子が、神と王族に献上されるのだ。名は国中に知られ、注文も確実に増えるだろう。
何より、イライザとグレースの喜びようが、それがどれだけ彼女たちにとって光栄で素晴らしいことなのかをエレノアたちに伝える。
「ですが、いつも通りです。あなた方がいつも作っている、その菓子が認められたのです。ですから通常販売しているのと同じように、どうか皆で協力し、作り上げてください」
「はい。いつもと同じように皆で協力し、喜んでいただけるものを作り上げますわ」
「頼みましたよ、エレノア研修士、スカーレット研修士、そしてグレース」
こんなに光栄なことだと喜びをあらわにしていても、街の人々に販売するときと同じように作るように言う正道院長イライザは、不器用なまでに誠実である。
そんな彼女を好もしく思い、エレノアは同じように誠実に献上用の菓子作りに向き合おうと心の中で思う。
「ですが、配送はどのようになさるのですか? その、妨害が入る可能性もあり得ます」
エレノアの言葉に、皆は不安げな表情へと変わる。
スカーレットに未だ敵愾心を燃やすヒギンス伯爵家のことだ。
何らかの形で菓子が届くのを妨害する可能性がある。
聖リディール正道院にいるエレノアたちでは運搬時に問題があっても、対処することが出来ないのだ。
そんなエレノアの不安に、正道院長イライザは笑顔で答える。
「その件でしたら、信頼出来るお方のご協力で、安心して運搬できますので大丈夫ですよ」
「正道院長がそうおっしゃるのなら、きちんとした御方なのですね。それでは、運搬に関してはお任せ致しますわ」
「えぇ、あなたたちは『聖なる甘味』作りに尽力願います」
一年に一度の建国記念の祈祷の日、王族と神に捧げられる甘味に聖リディール正道院の『聖なる甘味』が選ばれたのだ。
『聖なる甘味』の復活は信仰会にとっては悲願であった。
だが、このマドレーヌの真の価値は貴族研修士ヴェイリスと平民研修士ラディリスが共に作り上げたことにある。
それはエレノア・コールマン公爵令嬢なしでは成し遂げられなかっただろうと、正道院長であるイライザは思うのだ。
銀色の髪と紫の瞳の公爵令嬢エレノアは、そんなイライザの視線にも思いにも気付かず、菓子作りへの思いに胸を躍らせるのだった。
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