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第17話 ある婦人のハンカチーフ
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「ハンカチは涙を拭うためのものだと思うの」
そう言った本日の依頼者はこのご婦人ローラは二人の目からは年配の女性だ。
ブラウスを首元まできちんと留め、背筋を伸ばして座る姿は上品で毅然とした印象を受ける。その手元にはきちんと畳まれた自分のハンカチ、年季の入った日傘、そしてテーブルには新品の白いハンカチがあった。
一方で健康的な肌の色や手の皺、白髪の多さなどからは長年の努力が感じられた。ほっそりとした体形のせいもあるのだろう。実年齢よりも上の印象を与える。
清潔で身だしなみの整った婦人ローラの言葉にエレナが悲し気に眉を下げる。
「なにか悲しい出来事があったんですか?」
「えぇ、私の葬式用ね。もうすぐ死ぬのよ、私」
お守りとしてハンカチが必要なのかと思ったエレナに返ってきたのは、思いもよらない答えだ。
思わずひゅっと息を呑んだエレナの様子に、婦人の表情も変わる。
「あら冗談よ」
「悪い冗談をおっしゃるならお引き取り下さい!」
「まぁ、エレナ落ち着くんだ」
むっとした表情になったエレナだがローラはなぜか目を細め、穏やかな表情で見つめる。それはどこか懐かしいものを見つめるような表情だ。
エレナを宥めつつ、ジュリは本題へと話を進める。彼女は依頼主でここに訪れたのには理由があるはずだ。
そう、ここはジュリとエレナのお悩み相談所。依頼主の話を聞いて、それにふさわしい付与のお守りを作るのがジュリの仕事だ――実際には付与の力のことは伝えず、刺繍を施すだけなのだが。
「では、話を聞かせてもらおう」
「えぇ、そうね。私には息子がいるの。その就職祝いにハンカチを贈りたいの」
息子の就職祝いという言葉にジュリとエレナは顔を見合わせる。
年配に見えるローラの息子は何歳なのだろう。二人がそう思っているのを察したローラが困ったように笑いながら伝えた。
「歳をとってから授かった子でね、これまで肩身の狭い思いをさせたわ。夫を亡くしてからは息子を育てるのに必死で、親としてどこまでしてあげられたものだか……」
「……そうだったんですね」
なんと言ってよいのかわからず、エレナは小さく呟くように答えた。
しかし、気にした様子もなくローラは笑う。そうすると目じりの皺が深まるのだが、柔和で親しみやすい印象に変わった。
「厳しいことばっかり言ってきたもの。きっとあの子、ジェフリーは煙たがっていたはずよ。でも、親に似ず優秀で国から補助を受け、進学も出来たの。卒業も決まってね、しっかりしたお店で働けることになったのよ」
「おめでとうございます! そのお祝いの品がハンカチなんですね!」
「そうなの。お祝いに何がいいか悩んだのだけれど、やっぱりまずは身だしなみよね!」
先程までむくれていたエレナはローラの話を嬉しそうに聞く。
ローラもにこやかに息子の話をし、穏やかな空気が部屋には流れる。シリウスはというと、警戒することもなくジュリとエレナの後ろの床に座り込んでいる。
ジュリはと言うと二人の会話を聞いていたが、視線をローラの手元に向ける。
「――あなたは息子にどうなってほしいんだ?」
突然のジュリの質問に、エレナもローラも彼女を見つめる。
じっとローラを見つめるジュリの瞳からはどんなことを考えているのか判断するのは難しい。その神秘的な紫の瞳に映る自分自身の姿、まるで自分の心を問われているようでローラは数秒黙る。
慌てたエレナがジュリの意図を説明し出した。
「えっと、相談所だからお話を聞く中で、知りたいことも出てくるんです。その中で、ご自身の思いに気付くこともあるから……多分、ジュリはそういうことを言いたいんだと思います!」
一生懸命に説明するエレナの様子に、一瞬目を丸くしたローラだがふっと表情を和らげると微笑む。
「そうね、昔の私ならあの子が立派になってくれることを望んだわ。でも、今はもうあの子が健やかに生きてくれること以外望まないわね」
「心境の変化はなんだ? それにハンカチでいいのか? ネクタイやスカーフにも刺せるぞ、ほら」
指を刺すジュリの後ろで、白銀の毛をした狼シリウスが胸を張る。
その首元には刺しゅう入りのスカーフが巻かれていた。
「ふふ、歳をとって丸くなったのよ。そうね、そんなスカーフも素敵だわ。でも、ハンカチがいいのよ。長く持つし、あの子の汗も涙も拭えるもの」
「そうか……。それでいいのなら、引き受けよう。このハンカチでいいんだな」
テーブルの上に置かれたハンカチは無地の綿のものだ。華やかさはないが、洗濯もしやすいだろう。特別なものではなく、日々使えるだろうハンカチを選んだローラ。 そこにはどんな思いがあるのだろうとジュリは思う。
こうしてジュリとエレナはローラという婦人の依頼を引き受けることになったのだ。
*****
ローラが帰ってしばらくした後も、ジュリは一人椅子に座ったまま何事かを考えている。その様子を気にかけ、エレナがジュリの顔を覗き込む。
「どうしたの? ジュリ。さっきの依頼、なんか変なところあった? 毎日使えるハンカチを贈るのって素敵だなーって私は思ったんだけど」
出会った当初こそ、ローラの発言に驚いていたエレナだが、彼女と会話を重ねるうちに息子に贈りたいというその依頼を好もしく思ったようだ。
ジュリとしてもローラという婦人に悪い印象を抱いたわけではない。
ただ少し疑問があるのだ。
「なぁ、エレナ。あの人の握っていたハンカチを見たか?」
「うん! 綺麗な真っ白いハンカチで畳み方も綺麗だったね」
そう、深い皺のあるローラの手に握られたハンカチは折り目正しく折られたものだった。だが、ジュリが気になったのは他のことだ。
「綺麗な花の刺繍が入っていたんだ」
「え? あのハンカチに?」
「あぁ、エレナの方からは見えなかったんだろう。丁寧に刺した刺繍が入っていたよ。あれならば、自分で刺した方が息子さんの祝いになるかと思うんだ……ジュリ? 聞いているのか?」
エレナは固まったまま深刻そうに下を向いたままだったが、ハッとしたように
ジュリを見つめた。小首を傾げたジュリがエレナの言葉を待つが、彼女は困ったように目を伏せ、言葉を選んでいる。
いつも素直で明るいエレナのその様子にジュリは戸惑う。
「あたしもね、気になっていることがあるんだ……でもね、それをローラさん本人に聞くことは出来ないの。でも、それを知ることでジュリの気持ち、付与にも影響してくるんじゃないかなって思うんだ」
「そうか……」
確かに直接本人に問えば、気分を損ねる内容もあるかとジュリは思う。
ローラ本人との会話の中でもエレナはフォローをしてくれていた。
なにより、付与のことまで考慮してくれる姿勢に心強さを感じる。
(自分一人で多くのことを出来ると考えていた私は子どもであったな)
エレナの両親はすでに他界しているという。
ジョーやテッドなど周囲の人の助けを得つつ、エレナは働き、生きてきたのだろう。魔女の亡き後、一人で過ごしてきた自分には気付けないことをエレナは教えてくれるのだ。
「だからね、街に行こうかって思ってるんだ」
「そうか……頼んだぞ。エレナ」
おそらくエレナはジョーの元へ行き、依頼者の状況などさらに詳しく聞くつもりなのだろう。熱心な姿勢に心強さを感じるジュリだが、そんな思いはすぐに吹き飛ぶことになる。
「ん? なに言ってるの。一緒に行くに決まってるでしょ? ここは『ジュリとエレナの相談所』なんだからね!」
「な……! 私は街へ、いや森から出たことなどないんだぞ!」
エレナの言葉に驚愕しつつも、必死の抵抗をするジュリ。しかし、エレナはジュリの言葉にぱぁっと表情を明るくする。
今の会話の中に、なにか楽しい要素などあっただろうかと思うジュリだが、エレナは彼女の手を取るとぶんぶん振りだす。
「ねぇ! じゃあ、すっごく楽しみじゃない!? もちろん、お仕事だけど二人で初めてのおでかけ、それもジュリには初めてのリディルの街なんだよ!」
目を輝かせてこちらを見て笑うエレナに、ジュリはもうこれは決定事項なのだと悟る。肩を落とすジュリだが、その両手はエレナに握られたままだ。
「二人で街に行こう! うわぁ、楽しみになってきちゃった!」
「いや、私はハーフエルフだし、この見た目なんだぞ!?」
「うん! ジュリ可愛いから目立っちゃうね! あ、もちろんお仕事だからね。ジョーじいちゃんにローラさんの話を詳しく聞くのが目的だよ! それを忘れちゃだめなんだからね!」
そう言いつつも、自分との初めての外出が楽しみで仕方のないエレナの様子に、ジュリは口元を緩める。
それほどまでに喜んでくれるのかという思いと、人の多い街へと出る不安、二つの感情が混じって複雑なのだ。
街は変わったとジョーは言う。ハーフエルフである自分が街へ出ることへの恐れを、エレナに伝えることが出来ないジュリであった。
そう言った本日の依頼者はこのご婦人ローラは二人の目からは年配の女性だ。
ブラウスを首元まできちんと留め、背筋を伸ばして座る姿は上品で毅然とした印象を受ける。その手元にはきちんと畳まれた自分のハンカチ、年季の入った日傘、そしてテーブルには新品の白いハンカチがあった。
一方で健康的な肌の色や手の皺、白髪の多さなどからは長年の努力が感じられた。ほっそりとした体形のせいもあるのだろう。実年齢よりも上の印象を与える。
清潔で身だしなみの整った婦人ローラの言葉にエレナが悲し気に眉を下げる。
「なにか悲しい出来事があったんですか?」
「えぇ、私の葬式用ね。もうすぐ死ぬのよ、私」
お守りとしてハンカチが必要なのかと思ったエレナに返ってきたのは、思いもよらない答えだ。
思わずひゅっと息を呑んだエレナの様子に、婦人の表情も変わる。
「あら冗談よ」
「悪い冗談をおっしゃるならお引き取り下さい!」
「まぁ、エレナ落ち着くんだ」
むっとした表情になったエレナだがローラはなぜか目を細め、穏やかな表情で見つめる。それはどこか懐かしいものを見つめるような表情だ。
エレナを宥めつつ、ジュリは本題へと話を進める。彼女は依頼主でここに訪れたのには理由があるはずだ。
そう、ここはジュリとエレナのお悩み相談所。依頼主の話を聞いて、それにふさわしい付与のお守りを作るのがジュリの仕事だ――実際には付与の力のことは伝えず、刺繍を施すだけなのだが。
「では、話を聞かせてもらおう」
「えぇ、そうね。私には息子がいるの。その就職祝いにハンカチを贈りたいの」
息子の就職祝いという言葉にジュリとエレナは顔を見合わせる。
年配に見えるローラの息子は何歳なのだろう。二人がそう思っているのを察したローラが困ったように笑いながら伝えた。
「歳をとってから授かった子でね、これまで肩身の狭い思いをさせたわ。夫を亡くしてからは息子を育てるのに必死で、親としてどこまでしてあげられたものだか……」
「……そうだったんですね」
なんと言ってよいのかわからず、エレナは小さく呟くように答えた。
しかし、気にした様子もなくローラは笑う。そうすると目じりの皺が深まるのだが、柔和で親しみやすい印象に変わった。
「厳しいことばっかり言ってきたもの。きっとあの子、ジェフリーは煙たがっていたはずよ。でも、親に似ず優秀で国から補助を受け、進学も出来たの。卒業も決まってね、しっかりしたお店で働けることになったのよ」
「おめでとうございます! そのお祝いの品がハンカチなんですね!」
「そうなの。お祝いに何がいいか悩んだのだけれど、やっぱりまずは身だしなみよね!」
先程までむくれていたエレナはローラの話を嬉しそうに聞く。
ローラもにこやかに息子の話をし、穏やかな空気が部屋には流れる。シリウスはというと、警戒することもなくジュリとエレナの後ろの床に座り込んでいる。
ジュリはと言うと二人の会話を聞いていたが、視線をローラの手元に向ける。
「――あなたは息子にどうなってほしいんだ?」
突然のジュリの質問に、エレナもローラも彼女を見つめる。
じっとローラを見つめるジュリの瞳からはどんなことを考えているのか判断するのは難しい。その神秘的な紫の瞳に映る自分自身の姿、まるで自分の心を問われているようでローラは数秒黙る。
慌てたエレナがジュリの意図を説明し出した。
「えっと、相談所だからお話を聞く中で、知りたいことも出てくるんです。その中で、ご自身の思いに気付くこともあるから……多分、ジュリはそういうことを言いたいんだと思います!」
一生懸命に説明するエレナの様子に、一瞬目を丸くしたローラだがふっと表情を和らげると微笑む。
「そうね、昔の私ならあの子が立派になってくれることを望んだわ。でも、今はもうあの子が健やかに生きてくれること以外望まないわね」
「心境の変化はなんだ? それにハンカチでいいのか? ネクタイやスカーフにも刺せるぞ、ほら」
指を刺すジュリの後ろで、白銀の毛をした狼シリウスが胸を張る。
その首元には刺しゅう入りのスカーフが巻かれていた。
「ふふ、歳をとって丸くなったのよ。そうね、そんなスカーフも素敵だわ。でも、ハンカチがいいのよ。長く持つし、あの子の汗も涙も拭えるもの」
「そうか……。それでいいのなら、引き受けよう。このハンカチでいいんだな」
テーブルの上に置かれたハンカチは無地の綿のものだ。華やかさはないが、洗濯もしやすいだろう。特別なものではなく、日々使えるだろうハンカチを選んだローラ。 そこにはどんな思いがあるのだろうとジュリは思う。
こうしてジュリとエレナはローラという婦人の依頼を引き受けることになったのだ。
*****
ローラが帰ってしばらくした後も、ジュリは一人椅子に座ったまま何事かを考えている。その様子を気にかけ、エレナがジュリの顔を覗き込む。
「どうしたの? ジュリ。さっきの依頼、なんか変なところあった? 毎日使えるハンカチを贈るのって素敵だなーって私は思ったんだけど」
出会った当初こそ、ローラの発言に驚いていたエレナだが、彼女と会話を重ねるうちに息子に贈りたいというその依頼を好もしく思ったようだ。
ジュリとしてもローラという婦人に悪い印象を抱いたわけではない。
ただ少し疑問があるのだ。
「なぁ、エレナ。あの人の握っていたハンカチを見たか?」
「うん! 綺麗な真っ白いハンカチで畳み方も綺麗だったね」
そう、深い皺のあるローラの手に握られたハンカチは折り目正しく折られたものだった。だが、ジュリが気になったのは他のことだ。
「綺麗な花の刺繍が入っていたんだ」
「え? あのハンカチに?」
「あぁ、エレナの方からは見えなかったんだろう。丁寧に刺した刺繍が入っていたよ。あれならば、自分で刺した方が息子さんの祝いになるかと思うんだ……ジュリ? 聞いているのか?」
エレナは固まったまま深刻そうに下を向いたままだったが、ハッとしたように
ジュリを見つめた。小首を傾げたジュリがエレナの言葉を待つが、彼女は困ったように目を伏せ、言葉を選んでいる。
いつも素直で明るいエレナのその様子にジュリは戸惑う。
「あたしもね、気になっていることがあるんだ……でもね、それをローラさん本人に聞くことは出来ないの。でも、それを知ることでジュリの気持ち、付与にも影響してくるんじゃないかなって思うんだ」
「そうか……」
確かに直接本人に問えば、気分を損ねる内容もあるかとジュリは思う。
ローラ本人との会話の中でもエレナはフォローをしてくれていた。
なにより、付与のことまで考慮してくれる姿勢に心強さを感じる。
(自分一人で多くのことを出来ると考えていた私は子どもであったな)
エレナの両親はすでに他界しているという。
ジョーやテッドなど周囲の人の助けを得つつ、エレナは働き、生きてきたのだろう。魔女の亡き後、一人で過ごしてきた自分には気付けないことをエレナは教えてくれるのだ。
「だからね、街に行こうかって思ってるんだ」
「そうか……頼んだぞ。エレナ」
おそらくエレナはジョーの元へ行き、依頼者の状況などさらに詳しく聞くつもりなのだろう。熱心な姿勢に心強さを感じるジュリだが、そんな思いはすぐに吹き飛ぶことになる。
「ん? なに言ってるの。一緒に行くに決まってるでしょ? ここは『ジュリとエレナの相談所』なんだからね!」
「な……! 私は街へ、いや森から出たことなどないんだぞ!」
エレナの言葉に驚愕しつつも、必死の抵抗をするジュリ。しかし、エレナはジュリの言葉にぱぁっと表情を明るくする。
今の会話の中に、なにか楽しい要素などあっただろうかと思うジュリだが、エレナは彼女の手を取るとぶんぶん振りだす。
「ねぇ! じゃあ、すっごく楽しみじゃない!? もちろん、お仕事だけど二人で初めてのおでかけ、それもジュリには初めてのリディルの街なんだよ!」
目を輝かせてこちらを見て笑うエレナに、ジュリはもうこれは決定事項なのだと悟る。肩を落とすジュリだが、その両手はエレナに握られたままだ。
「二人で街に行こう! うわぁ、楽しみになってきちゃった!」
「いや、私はハーフエルフだし、この見た目なんだぞ!?」
「うん! ジュリ可愛いから目立っちゃうね! あ、もちろんお仕事だからね。ジョーじいちゃんにローラさんの話を詳しく聞くのが目的だよ! それを忘れちゃだめなんだからね!」
そう言いつつも、自分との初めての外出が楽しみで仕方のないエレナの様子に、ジュリは口元を緩める。
それほどまでに喜んでくれるのかという思いと、人の多い街へと出る不安、二つの感情が混じって複雑なのだ。
街は変わったとジョーは言う。ハーフエルフである自分が街へ出ることへの恐れを、エレナに伝えることが出来ないジュリであった。
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