プレゼント・タイム

床田とこ

文字の大きさ
上 下
7 / 97
【1+0】

しおりを挟む
 陽がとっぷり暮れた頃に、クライヴとリラの父であるチャールズ・アリエスは屋敷に戻ってきた。
 何やら憑き物が取れたようにチャールズは穏やかな笑みを浮かべていた。

 リラはふたりが何を話したのか少し気になったものの、男同士の会話を尋ねるなど不躾だろうと思い尋ねることはなかった。



 晩餐後。
 リラとクライヴはチャールズの執務室に案内された。
 要件はもちろん、チャールズが婚約証書に署名するためであった。

 チャールズは執務机の正面のソファに座るようにふたりを促した。

「リラ、クライヴ様と一緒にいて幸せかい。」

 チャールズは、真剣に真っ直ぐな瞳でリラに尋ねた。
 おそらくこれはリラへの最後の確認なのだろう。

 この婚約証書にチャールズがサインすれば、後戻りはできず、クライヴとの婚約そして結婚はより約束されたものになる。

「はい、お父様。クライヴ様といて、とても幸せです。」

 リラは緊張しながらも、真っ直ぐ瞳でチャールズにそう答えた。
 リラに迷いはなかった。

 誰かといて、これほどまでに心が動かされることなど初めてだった。
 おそらくこれからもクライヴ以外の人間にこれほど心を動かされることはないだろう。
 リラは素直にそう思えたのだった。

「そうか。リラ、幸せになってくれ。忙しいとは思うが、我が家にも領地にもいつでも遊びにきて構わないからな。」

 チャールズは立ち上がり、執務机に向かうとササッと机に置かれた羽ペンで二枚の婚約証書に自身の名前を記し、横に家紋の捺印を行うと一枚をクライヴに手渡した。

「クライヴ様、大変お待たせいたしました。こちらでよろしいでしょうか。」

「ありがとうございます。義父上《ちちうえ》。」

 『義父上』その言葉を受けチャールズは照れくさそうに優しく微笑んだ。

「こちらこそ、義息子《むすこ》になってくださってありがとうございます。」



 翌朝。
 ふたりは街の外れの墓地を訪れた。
 これからの門出を母に報告ためだった。

「クライヴ様、わざわざこちらにお越しいただきましてありがとうございます。」

 リラは墓跡を花を供えながら、クライヴに礼を言った。

「いや、いずれ訪れたいとは思っていた。」

 クライヴのその言葉にリラは目頭が熱くなった。

「俺も手を合わせていいだろうか。」

「はい。もちろんです。」

 リラは、手を合わせ終わるとクライヴにその場を譲った。
 暫くクライヴは目を瞑り手を合わせていた。



 クライヴが祈り終わると、ふたりはそのまま馬車に乗りアクイラ国皇城へと出発した。

 アクイラ国までは橋を渡ればすぐであるが、皇城までは馬車で三日であった。
 リラは、これから待ち構える出来事に不安を抱えながら移り行く景色を眺めていた。

 皇城についたら、まず最初はアクイラ国皇と皇后への挨拶だろう。
 それから婚約式の打ち合わせ、結婚までのスケジュールの相談などやることは山積みである。

 リラの希望としては、領地でやり残した仕事や学園の卒業式もあるため、挨拶が終わったら一度領地に帰りたいと思っていた。

(色々、クライヴ様と相談しなくては…。)

「リラ、改めて礼を言わせてくれ。」

 物思いに耽るリラにクライヴはリラの左手を取り、薬指をなぞりながら話しかけた。

「婚約に了承、いや、妻になってくれる決断をしてくれてありがとう。」

 そう言うとクライヴはその手に口付けをした。

「リラの家族はいいな。ルーカスは面白いし、チャールズはとても優しく、心温かい家族だよ。今まで出逢ったどんな貴族よりも素晴らしい家族に思えた。」

 クライヴはもの寂しげな表情を浮かべた。

「リラに、あらかじめ謝っておきたいことがある。」

 リラは、いつになく頼りないクライヴの表情にドキリッとした。



 一体、今からどんな言葉が紡がれるのだろうか。

(まさか、未だにアクイラ国皇に了承を得ていないのかしら…。)

 元々身分違いの結婚である、結婚証書は発行されているものの未だにアクイラ国皇や皇后の了承を得ていない可能性は十分にあった。
 そうなると、もしかしたら本国に別の婚約者が待っているのかもしれない。

 リラは身震いし、不安に怯えた表情を浮かべた。

 クライヴは、そんなリラの表情を見ると、少しだけ口元を緩めると優しく肩を抱き寄せた。

「結婚については問題ないと思っているのだが、不安なのは俺の家族のことだ。」

「え?」

 リラは意味がわからないといったように小首を傾げた。

「以前にも話した通り、俺は家族と決して良好な関係ではない。母と弟は俺以上に癖のある人間だ。そのことでリラを悩ませるかもしれない。そのことがリラに申し訳なくて。」

 リラは自分が想像したよりも他愛ない内容に拍子抜けしたのか、きょとんっとした表情を浮かべ、吹き出したように笑い出した。

「ふふふっ。ごめんなさい。そんなことを心配されているとは思わなくて。」

 クライヴはリラの反応に驚いた表情を浮かべた。

「大丈夫ですわ。私は、元々片田舎の伯爵家の娘ですわ。皇族に入ることが相応しくないことは重々承知です。鼻から好かれると思っておりません。」

 そうリラは最初から自身がクライヴの家族にすんなり受け入れられるとは思っていなかった。

 リラが一番よくわかっていたのだった。
 この婚約そして結婚が素直に受け入れられるものでないことを…。

 クライヴが直々に選んだとはいえ、リラはアベリア国に対して全く権力のない片田舎の伯爵家の娘である。

 そんな娘を何処の皇族も手放しで喜んで迎えるなど、到底考えられなかった。
 どちらかといえば願い下げという方がしっくりくる。

「けれど、私、クライヴ様と一緒に生きると決めましたの。だから、なんとか相応しくなれるように教養を身につけていこうとは思ってますわ。それをこれからはきちんと伝えていこうと思っておりますの。うふふ。」

 リラは肩をすくめて照れながらもニッコリ笑ってそう言うのだった。

 クライヴはやはり何か腑に落ちない表情を浮かべながらも、リラを強く抱き寄せた。

 クライヴの中では、不安が拭いきれないのだろう。

 リラはクライヴの過去を垣間聞いただけでも、想像を絶していた。
 きっとクライヴはリラが想像に及ばないほどの不便があったに違いなかった。

(これから妻になる私がこの人を支えていかなくては…。)

 リラはそう思いながら、優しくクライヴの腕に頬擦りした。

「さあ!そうと決まればやはり勉強ですわ!」

 リラは気合を入れ直した。
 兎にも角にもクライヴを支えるためにもクライヴの不安を払拭するためにも、自分には教養が必要である、リラはそう思い、目の前の席に置かれたアクイラ国の歴史が書かれた書籍を手に取った。

 そんな真面目なリラにクライヴは退屈そうな表情を一瞬浮かべたかと思うと、ニヤリと意地悪く笑った。

「そうそう、今日からの宿は一緒の部屋を手配するように頼んでおいたから。」

「え!え?え!?」

 リラはあまりの発言に驚き慌てて振り返り、持っていた書籍を落としそうになった。

「どういうことですか!?」

「もう夫婦になったも同然だと思ってね。夫婦は一緒の部屋だろう。」

「え?(いやいや、まだ夫婦どころか婚約もしていませんわ。)」

「嫌だった?」

 クライヴは眉尻をワザとらしく下げて寂しそうにそう言った。

「嫌ではありませんわ。(そんな表情をされては断れないじゃない!!)」

 リラはぶんぶんっと大きく首を横に振った。

「それなら良かった。」

(良かったのだろうか…。)

 異性と寝室を共にするなど、もちろん経験のないリラは顔を真っ紅にしながら目を回していた。

「あ。そうそう。せっかくなら、それ、俺が教えるよ。」

 クライヴは、疲弊したリラを後ろから抱き寄せたまま歴史書のページを捲った。

(このまま勉強など頭に入りませんわ…。)
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...