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第二話
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仕事場は男女で棟が違う、だからこそ休憩時間や行き帰りの時間に交流を図るのだが、いまいちぱっとした男はいない。
野暮ったい男、見るからに卑しい男、異国からの流れ者、罪人と噂される男にご老体。実に様々だが、私の中ではあんな男達より身近にいたジョンの方が一番だった。
ジョンは誰よりも美しく、何よりも頼りになって、それでいて誰にでも優しい。幼い頃から私の憧れの王子様だった。本人は金ではなく焦げ茶な髪の色を気にしていたが、私はそんなところもジョンらしくて好きだった。男達の中には金髪の者もいたが、外見ばかりで中身はそこらの溝鼠以下だ。その華やかさで無知な女の目をだまし、傷物にしては笑っている。そんな吐き気がするような最低な男だ。私はそんな男達とそれに媚びへつらうような女達の群れを眺めて、溜息をついた。
私もあんな風だったら、幸せになれたのだろうか。
中途半端なプライドが邪魔をする、中途半端な家柄が見る物も左右する。中途半端な見た目が、付き合いの善し悪しを決める。私は、どっちつかずな人間だ。パンを千切る手を止めて、私は一人考える。
仮に私が地位も名誉も高い存在だったら、ジョンは私のことを見てくれただろうか。ただの幼馴染ではなく、隣に並んでも相応しいと思えるような恋人にしてくれただろうか。はっきりとした答えは、出てこなかった。当たり前の話だ、私はジョンではないのだから。
そしてジョンは、あれから私の知らないジョンになってしまった。
大学での成績も優秀で、彼女の影響で乗馬クラブにも所属したそうだ。私はそんな朝の話を聞きながら、自分はなんてつまらない人間なのだろうと落胆した。
いつまでもジョンに囚われて、本のページも捲れずに、ただただ働いては寝起きするような毎日を送っている。
しかし、大学にも行けない私には労働しかないのだ。適当に手を動かし、適当に同僚達と会話をして、何の意味もなく生きている。それが私なのだ。私の母も、そうして生きてきたのだ。
「ねえ、今晩時間あるかしら?」
「ええ、どうして?」
「たまには私の家でディナーでもどうかしら?」
「いいの?」
「今日は旦那がいないのよ。」
彼女は悲しそうに笑った。彼女には悪いが、私は直感で今日はあの日なのだと感じた。
「それなら、喜んで。」
手早く荷物を纏めて、何度か訪れたことのある彼女の家にお邪魔した。
相変わらず可愛らしい物が好きなようで、私がジロジロと見るたびに彼女は照れたように笑った。彼女の旦那が種なしで有名なのには、訳がある。
月に一度、こうして家を空けてはとある医師の元へと通っているからなのだ。
しかもそれは隣町の超有名な医師で、有名すぎるが故に既婚者であれば誰もがその存在を知っている医師。平たく言えば、夫婦間の夜の営み全般に対応する医師。だからこそ、彼の元に通うとたちまちその噂はこの小さい町中にも広がってしまう。私も一度、月のものについて聞きに行こうと思ったのだが何故だかジョンに止められてしまってその顔は一度も拝めていない。しかし、いつかはその医師を見てみたいとも思う。
そして、今日は旦那が医師の元を訪ねているためここには彼女一人だけだ。
「今日のスープはどうかしら?」
「おいしいわ。こんな料理が食べられる旦那様が羨ましいくらい。」
「ありがとう。」
彼女もまた、そんな夜は寂しいのだろうか。表面では明るく振る舞っていても、その瞳の奥に絶望を感じる。まるで今日までの私のような悲しみや怒り、妬みなどの負の感情が彼女の中にあることは確かだった。
「ねえ、泊まっていかない?」
「えっ、でもそれは流石に気が引けるわ。」
夜には旦那は帰ってくるはずだ。そう思い、申し出を断ろうとした私だったのだが彼女が発した衝撃的な一言によってお世話になることを決めた。
「主人、今夜手術をするのよ。だから、帰ってくるのはまだまだ先なの。」
流石に、そこまでは噂で流れてこなかった。
「どうして、この間見た時は元気そうだったのに…。」
「私に子供を迫られていると、勝手に思っているのよ。」
彼女は苦しい心境をぽつりぽつりとこぼし始めた。私は既婚者でもなければ、なんでもない。ただの同僚だ。それでも悲しそうな顔をした彼女が放っておけずに、私は初めて同僚と共に一夜を過ごした。
彼女は旦那との生活を幸せだと言っていた、しかしその旦那はいらぬプレッシャーを与えて自滅している。私も、ああなってしまうのだろうか。彼女の気を遣わせないためにも、私はジョンへの恋心を打ち明けることはまたいつかにしようと誓った。それでも、いつかは彼女に聞いてほしいと思った。
翌朝、私は泣きはらした彼女の眼にタオルをあてながら、いつもの小道について悩んでいた。
ジョンと私は互いに約束をして毎朝挨拶をしている訳ではない。
幼い頃は家も隣同士だったため、朝の挨拶を交わしてから出掛けるということが習慣になっていた。しかし、歳を重ねるようになり互いに別々の道に進んだ時には、その習慣はもうなくなってしまっていた。普段はたまたま、互いの家を出る時間があそこで遭遇する時間と重なるだけなのだ。
厳密に言えば、私がその時間になるようにあそこに向かっていただけなのだが、ジョンは恐らく偶然であると信じている。ジョンも人間だ。寝坊もすればあの道を通らない時もある。そんな時は、私自身も運が悪かっただけだと自分の寂しさに気付かないふりをして仕事場に向かっていた。
けれども、彼女ができてからも毎朝私と挨拶を交わすジョンは優しかった。けれどもそれは、私が幼馴染であるが故の優しさなのだ。きっとそうに違いない。
「どうしたの?もう出るわよ。」
「ええ、ごめんなさい。行きましょう。」
私は初めて、彼女の家から仕事場に向かった。
荷物はしばらくの滞在の為に、彼女の家に置かせてもらった。
ジョンと挨拶を交わさない朝は、何故だか私の気持ちを晴れやかなものにした。私は彼女の旦那と同じように、自分自身にいらぬ負担をかけていたのではないかと感じた。
「毒りんご、欲しいのかい?」
休憩に向かおうとしたところを魔女に呼び止められた。私はその問いかけに首を振って、彼女に謝った。
「ごめんなさい。やっぱりいらないわ。」
「そうかい。」
彼女は口を歪ませた。私は同僚の彼女の手を引いて、いつもの場所に腰を下ろした。彼女は真っ青な顔をして、今朝届けられた手紙を開封しようとした。しかし、いつまで経っても開ける気配がなかったので、私は先に昼食をとろうと声を掛けた。
いつかの私のように、ぼんやりとパンを食べる彼女は死人の様だった。私もこんな感じだったのかと、客観的に見て初めて私は自分を哀れに思った。彼女が手紙を開き、みるみるうちに涙を流した。私はその涙を、ジョンがくれたお気に入りのハンカチで拭いながら彼女が落ち着くのを待った。
「特に異常はないとのことだったわ。早ければ一週間以内に帰ってくると。」
私はその報告に安堵して、彼女を優しく抱き締めた。
「よかったわ。」
しかし、口から飛び出した声は思いのほか低く、私は裏腹な心を押さえつけるのに必死だった。
「でも、やっぱり彼が帰ってくるまでは泊まっていって?」
「ええ、もちろんよ。」
私も彼女と同じで、一人になりたくなかったのかもしれない。
そう気付いたのは、荷物を取りに行くために家に戻った時のことだった。
掃除も怠っていた部屋は重苦しく、いかにも魔の巣窟だった。私は窓を全開にして、丁寧に掃除を行った。ジョンのことで悩み、ここでうじうじしていた私を追い出すかのように。ベッドサイドには花も飾り、久々に本のページをめくってみた。
物語は以外にも、幸福な結末を迎えていた。もっと早く読み終えていたら、私の何かが変わったのではないかと後悔もしてみたが。今がその時だったのだ、と気持ちを切り替えた。
再び荷物を抱えて彼女の家に向かおうと通い慣れた道を歩いていると、ここいらでは見ない男に声を掛けられた。どうやらジョンの家を探しているようだったので、私は手短に口頭で説明してからその男に頭を下げた。そんな失礼な態度を取ったにも関わらず、男は人の好い笑みを浮かべて私に感謝をした。ついでに名前も聞かれたが、面倒くさかったので偽名を名乗った。
「へえ、いい名だね。また会おう。」
「ええ、またどこかで。」
こんなところから始まる運命も、物語の中ではよくあることなのだが私はあれ以来一度もその男に遭遇していない。それに私は、あの男の名前を聞いてもいなかった。現実は、こんなものなのだ。
野暮ったい男、見るからに卑しい男、異国からの流れ者、罪人と噂される男にご老体。実に様々だが、私の中ではあんな男達より身近にいたジョンの方が一番だった。
ジョンは誰よりも美しく、何よりも頼りになって、それでいて誰にでも優しい。幼い頃から私の憧れの王子様だった。本人は金ではなく焦げ茶な髪の色を気にしていたが、私はそんなところもジョンらしくて好きだった。男達の中には金髪の者もいたが、外見ばかりで中身はそこらの溝鼠以下だ。その華やかさで無知な女の目をだまし、傷物にしては笑っている。そんな吐き気がするような最低な男だ。私はそんな男達とそれに媚びへつらうような女達の群れを眺めて、溜息をついた。
私もあんな風だったら、幸せになれたのだろうか。
中途半端なプライドが邪魔をする、中途半端な家柄が見る物も左右する。中途半端な見た目が、付き合いの善し悪しを決める。私は、どっちつかずな人間だ。パンを千切る手を止めて、私は一人考える。
仮に私が地位も名誉も高い存在だったら、ジョンは私のことを見てくれただろうか。ただの幼馴染ではなく、隣に並んでも相応しいと思えるような恋人にしてくれただろうか。はっきりとした答えは、出てこなかった。当たり前の話だ、私はジョンではないのだから。
そしてジョンは、あれから私の知らないジョンになってしまった。
大学での成績も優秀で、彼女の影響で乗馬クラブにも所属したそうだ。私はそんな朝の話を聞きながら、自分はなんてつまらない人間なのだろうと落胆した。
いつまでもジョンに囚われて、本のページも捲れずに、ただただ働いては寝起きするような毎日を送っている。
しかし、大学にも行けない私には労働しかないのだ。適当に手を動かし、適当に同僚達と会話をして、何の意味もなく生きている。それが私なのだ。私の母も、そうして生きてきたのだ。
「ねえ、今晩時間あるかしら?」
「ええ、どうして?」
「たまには私の家でディナーでもどうかしら?」
「いいの?」
「今日は旦那がいないのよ。」
彼女は悲しそうに笑った。彼女には悪いが、私は直感で今日はあの日なのだと感じた。
「それなら、喜んで。」
手早く荷物を纏めて、何度か訪れたことのある彼女の家にお邪魔した。
相変わらず可愛らしい物が好きなようで、私がジロジロと見るたびに彼女は照れたように笑った。彼女の旦那が種なしで有名なのには、訳がある。
月に一度、こうして家を空けてはとある医師の元へと通っているからなのだ。
しかもそれは隣町の超有名な医師で、有名すぎるが故に既婚者であれば誰もがその存在を知っている医師。平たく言えば、夫婦間の夜の営み全般に対応する医師。だからこそ、彼の元に通うとたちまちその噂はこの小さい町中にも広がってしまう。私も一度、月のものについて聞きに行こうと思ったのだが何故だかジョンに止められてしまってその顔は一度も拝めていない。しかし、いつかはその医師を見てみたいとも思う。
そして、今日は旦那が医師の元を訪ねているためここには彼女一人だけだ。
「今日のスープはどうかしら?」
「おいしいわ。こんな料理が食べられる旦那様が羨ましいくらい。」
「ありがとう。」
彼女もまた、そんな夜は寂しいのだろうか。表面では明るく振る舞っていても、その瞳の奥に絶望を感じる。まるで今日までの私のような悲しみや怒り、妬みなどの負の感情が彼女の中にあることは確かだった。
「ねえ、泊まっていかない?」
「えっ、でもそれは流石に気が引けるわ。」
夜には旦那は帰ってくるはずだ。そう思い、申し出を断ろうとした私だったのだが彼女が発した衝撃的な一言によってお世話になることを決めた。
「主人、今夜手術をするのよ。だから、帰ってくるのはまだまだ先なの。」
流石に、そこまでは噂で流れてこなかった。
「どうして、この間見た時は元気そうだったのに…。」
「私に子供を迫られていると、勝手に思っているのよ。」
彼女は苦しい心境をぽつりぽつりとこぼし始めた。私は既婚者でもなければ、なんでもない。ただの同僚だ。それでも悲しそうな顔をした彼女が放っておけずに、私は初めて同僚と共に一夜を過ごした。
彼女は旦那との生活を幸せだと言っていた、しかしその旦那はいらぬプレッシャーを与えて自滅している。私も、ああなってしまうのだろうか。彼女の気を遣わせないためにも、私はジョンへの恋心を打ち明けることはまたいつかにしようと誓った。それでも、いつかは彼女に聞いてほしいと思った。
翌朝、私は泣きはらした彼女の眼にタオルをあてながら、いつもの小道について悩んでいた。
ジョンと私は互いに約束をして毎朝挨拶をしている訳ではない。
幼い頃は家も隣同士だったため、朝の挨拶を交わしてから出掛けるということが習慣になっていた。しかし、歳を重ねるようになり互いに別々の道に進んだ時には、その習慣はもうなくなってしまっていた。普段はたまたま、互いの家を出る時間があそこで遭遇する時間と重なるだけなのだ。
厳密に言えば、私がその時間になるようにあそこに向かっていただけなのだが、ジョンは恐らく偶然であると信じている。ジョンも人間だ。寝坊もすればあの道を通らない時もある。そんな時は、私自身も運が悪かっただけだと自分の寂しさに気付かないふりをして仕事場に向かっていた。
けれども、彼女ができてからも毎朝私と挨拶を交わすジョンは優しかった。けれどもそれは、私が幼馴染であるが故の優しさなのだ。きっとそうに違いない。
「どうしたの?もう出るわよ。」
「ええ、ごめんなさい。行きましょう。」
私は初めて、彼女の家から仕事場に向かった。
荷物はしばらくの滞在の為に、彼女の家に置かせてもらった。
ジョンと挨拶を交わさない朝は、何故だか私の気持ちを晴れやかなものにした。私は彼女の旦那と同じように、自分自身にいらぬ負担をかけていたのではないかと感じた。
「毒りんご、欲しいのかい?」
休憩に向かおうとしたところを魔女に呼び止められた。私はその問いかけに首を振って、彼女に謝った。
「ごめんなさい。やっぱりいらないわ。」
「そうかい。」
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「特に異常はないとのことだったわ。早ければ一週間以内に帰ってくると。」
私はその報告に安堵して、彼女を優しく抱き締めた。
「よかったわ。」
しかし、口から飛び出した声は思いのほか低く、私は裏腹な心を押さえつけるのに必死だった。
「でも、やっぱり彼が帰ってくるまでは泊まっていって?」
「ええ、もちろんよ。」
私も彼女と同じで、一人になりたくなかったのかもしれない。
そう気付いたのは、荷物を取りに行くために家に戻った時のことだった。
掃除も怠っていた部屋は重苦しく、いかにも魔の巣窟だった。私は窓を全開にして、丁寧に掃除を行った。ジョンのことで悩み、ここでうじうじしていた私を追い出すかのように。ベッドサイドには花も飾り、久々に本のページをめくってみた。
物語は以外にも、幸福な結末を迎えていた。もっと早く読み終えていたら、私の何かが変わったのではないかと後悔もしてみたが。今がその時だったのだ、と気持ちを切り替えた。
再び荷物を抱えて彼女の家に向かおうと通い慣れた道を歩いていると、ここいらでは見ない男に声を掛けられた。どうやらジョンの家を探しているようだったので、私は手短に口頭で説明してからその男に頭を下げた。そんな失礼な態度を取ったにも関わらず、男は人の好い笑みを浮かべて私に感謝をした。ついでに名前も聞かれたが、面倒くさかったので偽名を名乗った。
「へえ、いい名だね。また会おう。」
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