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第一話
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馬鹿みたい。時間とお金を無駄にして、変に期待して。
それで喜んだり落ち込んだりして勝手に自分で自分の首を絞めて、馬鹿みたい。
私の長い長い初恋は消えた。
幼馴染のジョンは大学で出来たという女友達にもっていかれてしまった。
そんな報告を受けた時、私は私でなくなってしまったような気がした。だから家を出た。アドレスも消したし、ジョンに関わることの全てを捨てた。思い出の写真も、誕生日にもらったプレゼントも、その包装紙の切れ端もなんてことないノートのメモも、ずっと返せなかったあの消しゴムも。気持ち悪いくらい長い間、私にはジョンしか見えなかった。それにジョンしかいらなかった。ジョンが私の全てだった。でも彼の隣に立つのは私じゃなかった。
ただ一つだけ、捨てに捨てきれなかった分厚い本を抱えて私は泣いた。
翌朝、やりきれない思いを抱えて、でも私は何事もなかったかのようにいつも通り仕事場に向かった。
「どうしたの?」
仲の良い同僚が、そんな私にいち早く気付いて声を掛けてくれたけど、それは私の耳には入ってこなかった。
私は工場で働いていた。
大学なんて行けやしなかった。家も貧しく学もない。私はこれが普通だと思っていた。だから、知らず知らずのうちに彼との間に生まれていたその差に気付けなかった。ジョンは家を継ぐために借金をしてまで大学に通っていた。彼をかっさらった女友達はきっと家柄も良くて頭も良いのだろう。
写真でしか見たことがないその彼女は、金色の長い髪を風になびかせてスタイルのいい体にちゃんとした乗馬服を纏わせては、馬鹿みたいに明るく笑っていた。
誰からも好かれていて、きっと彼の借金をも返済してしまうような経済力があるのだろうと羨ましく思った。
「もう休憩時間よ?」
休憩のサイレンが鳴っても動こうとしない私から道具を取り上げ、同僚は私を力ずくで外に引っ張り出した。
「もう、いったい今日はどうしたの?」
私は彼女の顔を見ると泣きたくなってきた。けれども午後の労働も残っているから、曖昧な顔をしてなんでもないと答えておいた。
「そう?明日もそんな様子だったら、無理やりにでも聞き出すわよ?」
既婚者な彼女は、将来は子沢山な母になりたいのだと言っていた。
しかしそんな彼女の夫は、ここいらでは珍しく種なしで有名な男だった。
何かを多く望むということは、贅沢なことなのだろうか。そう思いながら、私は作業に集中する。隣の席に座る女は、いつも香水の匂いを漂わせていた。私もこれくらいすれば良かったのかと考えてみるものの、日中は労働に追われているためお洒落なドレスはおろか、私が香水などといった高価なものは持っているはずもなかった。前の席に座る女は、私より数段やせ細り年齢を思わせない顔つきをしている。まるでおとぎ話に出てくる魔女のような風貌をした女だ。後ろに座る女は、でっぷりとした家畜のような女。私は何のために生きているのだろう。そう思いながら、私の一日は終わっていく。
終業のサイレンが鳴り、私達は簡単に身支度を整えてから仕事場から各々の家に帰宅する。
中には夫が迎えに来たりだとか、意中の相手の家に向かう女も絶えなかった。しかし、私はいつも一人で薄暗い道を歩いていく。
ジョンは今、何をしているのだろうか。
きっともう家に帰って、夕食をとりシャワーを浴びて自室で難しい本でも読んでいるのだろうか。それとも、既婚者の様に彼女を家まで送って行ったのだろうか。
彼は明日も私に微笑みかけてくれるだろうか、いつもと変わらず挨拶をしてくれるのだろうか、やはり彼女の家まで迎えに行くのだろうか。
そんな虚しい事ばかりを考えながら、私は見慣れた道をとぼとぼと歩く。
ここで私が消えてしまったら、彼は私のことを心配してくれるだろうか。
そう思い、足がいつもの道と外れて森の方へと向いてしまうのを戻しながら、私は家に帰った。
適当に食事をとり、適当にシャワーを浴びてから私はベッドに寝転んだ。
以前は彼からプレゼントされた分厚い本を読んでいたのだが、あの日以来ページを捲ってはいない。唯一残したこの本は、異国の童話だという。彼から贈られた時、私は飛びはねるほど喜んだ。
「君にもわかりやすい話だと思うし、きっと気に入ると思う。」
そうはにかんでいた彼は、今はもうどこにもいない。童話の内容は思いのほか残酷で、それでいて美しく儚いもあれば甘く時には切ないものも多かった。しかし、どれだけ話の内容が気になっていても今日はもう本棚まで手を伸ばす気力は残っていなかった。
いつの間に眠りについてしまっていたのだろうか、置時計がいつもの起床時間を指していたことに安心したものの、今日は彼の姿を見ることが出来るのかと不安だった。
身支度を終えて、家を出る。いつもの小道に、彼はいた。どうやら隣に彼女はいないようだ。
「やあ、おはよう。今日もいい天気だね。」
「ええ、そうね。」
「これから彼女を迎えに行くところなんだ。」
「そう、それはいいわね。」
「ジェーンも、今日も一日頑張ろうな。」
「ええ、ありがとう。ジョンも頑張って。」
「ああ!」
私達はお互いに声を掛けあいながら、一日をはじめる。
けれども、もう以前のような喜びや期待は湧かなくなってしまった。かわりに陰鬱な気持ちと、なんとも言えない絶望が私の背中を押すばかりだった。
「やっぱり、昨日から変よ。」
同僚の彼女には、何も話してはいない。
「変じゃないわ。大丈夫よ。」
「何が大丈夫なんだか。でも、本当に困ったら言いなさいよ?」
「ありがとう。」
私は彼女に感謝した。そして一日が終わり、今日も私は味気ない帰り道を経て何もない家について眠りにつく。
朝になると、いつものように身支度を整えて、ジョンに会い絶望に打ちひしがれながら仕事場に通う。その繰り返しだった。自分が生きている実感がなかった、ジョンによって色づいた世界がジョンによって色褪せていく。そんな不思議な感覚が面白くもあり、おかしかった。
「孤独ね。」
魔女のような女に、そう言われた。
「ええ、孤独だわ。毒りんごにでも噛り付きたいくらい。」
私の目を覚ましてくれる王子様は居るのだろうか、少なくともこの仕事場にはいそうもない。魔女はそんな私の返答に驚いたのか、はたまた相手にされて嬉しいのか薄気味悪い笑みを浮かべているだけだった。
それで喜んだり落ち込んだりして勝手に自分で自分の首を絞めて、馬鹿みたい。
私の長い長い初恋は消えた。
幼馴染のジョンは大学で出来たという女友達にもっていかれてしまった。
そんな報告を受けた時、私は私でなくなってしまったような気がした。だから家を出た。アドレスも消したし、ジョンに関わることの全てを捨てた。思い出の写真も、誕生日にもらったプレゼントも、その包装紙の切れ端もなんてことないノートのメモも、ずっと返せなかったあの消しゴムも。気持ち悪いくらい長い間、私にはジョンしか見えなかった。それにジョンしかいらなかった。ジョンが私の全てだった。でも彼の隣に立つのは私じゃなかった。
ただ一つだけ、捨てに捨てきれなかった分厚い本を抱えて私は泣いた。
翌朝、やりきれない思いを抱えて、でも私は何事もなかったかのようにいつも通り仕事場に向かった。
「どうしたの?」
仲の良い同僚が、そんな私にいち早く気付いて声を掛けてくれたけど、それは私の耳には入ってこなかった。
私は工場で働いていた。
大学なんて行けやしなかった。家も貧しく学もない。私はこれが普通だと思っていた。だから、知らず知らずのうちに彼との間に生まれていたその差に気付けなかった。ジョンは家を継ぐために借金をしてまで大学に通っていた。彼をかっさらった女友達はきっと家柄も良くて頭も良いのだろう。
写真でしか見たことがないその彼女は、金色の長い髪を風になびかせてスタイルのいい体にちゃんとした乗馬服を纏わせては、馬鹿みたいに明るく笑っていた。
誰からも好かれていて、きっと彼の借金をも返済してしまうような経済力があるのだろうと羨ましく思った。
「もう休憩時間よ?」
休憩のサイレンが鳴っても動こうとしない私から道具を取り上げ、同僚は私を力ずくで外に引っ張り出した。
「もう、いったい今日はどうしたの?」
私は彼女の顔を見ると泣きたくなってきた。けれども午後の労働も残っているから、曖昧な顔をしてなんでもないと答えておいた。
「そう?明日もそんな様子だったら、無理やりにでも聞き出すわよ?」
既婚者な彼女は、将来は子沢山な母になりたいのだと言っていた。
しかしそんな彼女の夫は、ここいらでは珍しく種なしで有名な男だった。
何かを多く望むということは、贅沢なことなのだろうか。そう思いながら、私は作業に集中する。隣の席に座る女は、いつも香水の匂いを漂わせていた。私もこれくらいすれば良かったのかと考えてみるものの、日中は労働に追われているためお洒落なドレスはおろか、私が香水などといった高価なものは持っているはずもなかった。前の席に座る女は、私より数段やせ細り年齢を思わせない顔つきをしている。まるでおとぎ話に出てくる魔女のような風貌をした女だ。後ろに座る女は、でっぷりとした家畜のような女。私は何のために生きているのだろう。そう思いながら、私の一日は終わっていく。
終業のサイレンが鳴り、私達は簡単に身支度を整えてから仕事場から各々の家に帰宅する。
中には夫が迎えに来たりだとか、意中の相手の家に向かう女も絶えなかった。しかし、私はいつも一人で薄暗い道を歩いていく。
ジョンは今、何をしているのだろうか。
きっともう家に帰って、夕食をとりシャワーを浴びて自室で難しい本でも読んでいるのだろうか。それとも、既婚者の様に彼女を家まで送って行ったのだろうか。
彼は明日も私に微笑みかけてくれるだろうか、いつもと変わらず挨拶をしてくれるのだろうか、やはり彼女の家まで迎えに行くのだろうか。
そんな虚しい事ばかりを考えながら、私は見慣れた道をとぼとぼと歩く。
ここで私が消えてしまったら、彼は私のことを心配してくれるだろうか。
そう思い、足がいつもの道と外れて森の方へと向いてしまうのを戻しながら、私は家に帰った。
適当に食事をとり、適当にシャワーを浴びてから私はベッドに寝転んだ。
以前は彼からプレゼントされた分厚い本を読んでいたのだが、あの日以来ページを捲ってはいない。唯一残したこの本は、異国の童話だという。彼から贈られた時、私は飛びはねるほど喜んだ。
「君にもわかりやすい話だと思うし、きっと気に入ると思う。」
そうはにかんでいた彼は、今はもうどこにもいない。童話の内容は思いのほか残酷で、それでいて美しく儚いもあれば甘く時には切ないものも多かった。しかし、どれだけ話の内容が気になっていても今日はもう本棚まで手を伸ばす気力は残っていなかった。
いつの間に眠りについてしまっていたのだろうか、置時計がいつもの起床時間を指していたことに安心したものの、今日は彼の姿を見ることが出来るのかと不安だった。
身支度を終えて、家を出る。いつもの小道に、彼はいた。どうやら隣に彼女はいないようだ。
「やあ、おはよう。今日もいい天気だね。」
「ええ、そうね。」
「これから彼女を迎えに行くところなんだ。」
「そう、それはいいわね。」
「ジェーンも、今日も一日頑張ろうな。」
「ええ、ありがとう。ジョンも頑張って。」
「ああ!」
私達はお互いに声を掛けあいながら、一日をはじめる。
けれども、もう以前のような喜びや期待は湧かなくなってしまった。かわりに陰鬱な気持ちと、なんとも言えない絶望が私の背中を押すばかりだった。
「やっぱり、昨日から変よ。」
同僚の彼女には、何も話してはいない。
「変じゃないわ。大丈夫よ。」
「何が大丈夫なんだか。でも、本当に困ったら言いなさいよ?」
「ありがとう。」
私は彼女に感謝した。そして一日が終わり、今日も私は味気ない帰り道を経て何もない家について眠りにつく。
朝になると、いつものように身支度を整えて、ジョンに会い絶望に打ちひしがれながら仕事場に通う。その繰り返しだった。自分が生きている実感がなかった、ジョンによって色づいた世界がジョンによって色褪せていく。そんな不思議な感覚が面白くもあり、おかしかった。
「孤独ね。」
魔女のような女に、そう言われた。
「ええ、孤独だわ。毒りんごにでも噛り付きたいくらい。」
私の目を覚ましてくれる王子様は居るのだろうか、少なくともこの仕事場にはいそうもない。魔女はそんな私の返答に驚いたのか、はたまた相手にされて嬉しいのか薄気味悪い笑みを浮かべているだけだった。
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