奴隷たちの話

陽花紫

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血族 奴隷の娘 上

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 男の王族には女の奴隷を、女の王族には男の奴隷を、この国にはそんなしきたりがあった。

 私の父はこの国の何番目かのお姫様の奴隷で、何年も仕えてきた。それは父のそのまた父、母も同じように。ただ、私には母はいない。生まれてこのかた父の存在しか知らない。そう思い込まされて生きている。

「おい、支度をしろ。」
「かしこまりました。」
 今は父の手を離れ、父が仕えているお姫様の子供に私は仕えている。黒い髪の小さな男の子。わがままほうだいな兄弟とは違って、物静かでいつも本ばかり読んでいる。私もお許しをいただいて、時間がある時には文字を学び、主人に本を読み聞かせている。
「狩りは嫌いだ。」
 服装の支度を整える間、奴隷は言葉を発してはいけない。そんな掟を知ってか知らずか、この主人はいつも服の支度をするたびに私に声をかけてくる。今よりうんと幼い頃のとてもお喋りだった時の名残りだろうか。私は投げ掛けられる言葉にわずかに顎を引きながら相槌をうつ。
「獲物の血を見て、何が楽しいのか。私にはさっぱりわからない。」

 心優しき主人に仕えることができて幸せ者だ、と父に言われたことがある。最後に父に会ったのはいつだったろうか、奴隷棟で洗い物をしている時だったか。父は年々痩せ細り、物忘れが激しい様子だった。辛うじて私のことを娘と認識しているものの時折私ではない誰かに話しかけてくる。「君は私の宝。命に代えても。」決まってその時は、よくそう口にする。

「よし、行ってくる。」
 私は主人の部屋の中での奴隷だ。生まれてこのかた、外には出たことがない。狩りに出る主人を外付きの奴隷が護衛する。主人が森から戻るまで私は、部屋の準備を整えたり本に目を通して過ごす。

 そしてその日、私はその本を手にしてしまった。この王家の血筋にまつわる、禁じられた書を。その本は一番下の段にあり、やけに分厚く埃をかぶっていたため掃除をしようと手にしたのがいけなかった。表紙にはなんの文字もなく中を開くとそこには短い単語と線しか書いていない。何かの学問なのかとページをめくっていくと、それは歴代の王族の名前だということがわかった。そこには父のまた父が仕えていたお姫様の名前があった。その線をたどり、何枚も紙をめくった先に、奴隷であるはずの父の名前があった。
 これは一体どういうことなのだろうか、もしくは父と同じ名前の王族が存在していたのだろうか、好奇心から、さらにその線をたどると父が仕えているお姫さまの名前を見つけた。そしてそこにはその子供たちの名前、私の主人の名前があった。そしてその主人の名前の先に、線で引かれた私の名前が存在したのだ。

 久々に目の当たりにする私の名前は、とても気分がいいものではなかった。
 奴隷には名前がない。表向きにはそう言われているが、実はそれぞれにきちんと名前がある。王族も父さえも口にはしないが、標記のような書き文字が生まれた時から存在する。実際にその焼き印がそれぞれの下腹部にあるからだ。
 服をまくり久々にその焼き印と本に記された文字を照らし合わせる、やはりそれは私を表すものだった。では、なぜこの本には父や私が存在しているのか。そして他のお姫様付きの奴隷の名前は、太い線で見えなくなっているものがある。

 いつまでこの本を開いて呆然としていたのだろうか、主人が戻ってくる馬の蹄の音を聞き、私はすぐさま本をしまい出迎えの準備へと頭を切り替えた。

「お帰りなさいませ。湯の支度が整っております。」
「ああ、すぐに入る。」
 一体何頭の獲物を狩ってきたのだろうか、いつにも増して血の匂いのする主人を湯へと案内し、時間を見計らって泡立てた石鹸でその身体を綺麗に磨く。
「留守の間、何かあったか。」
「いえ、変わりなく。」
「そうか。」
 日々の問いかけであるにも関わらず、その日私は動揺していた。私もこの主人のように全てを洗い流すことができたらいいのに。そんな夢物語を思い浮かべながら、再び主人に寝間着を着付ける。
「明日の予定だが、お兄様がこちらにいらっしゃるそうだ。なんでも異国の商人がやってくるらしい。私に同席しろと言ってきた。宝石や服に興味はないが、本があったら手に入れようと思う。」
 うとうとと、頭を揺らしながらも随分と年上のような物言いをするこの少年に、私は仕えている。いつものように髪を撫で、深い眠りにつくまで私は側で静かに控えている。


 あの日以降、私は主人が眠りについたのを確認してから、その本を開いては眺めている。調べたところ、父の父のそのまた父の名前は載っていない、父の母の名前も載っていない、さらには主人の兄弟についている奴隷の名前もその存在があるものとないものがあることに気付く。ではなぜこの本に私や父の名前があるのか。私はこの国の奴隷というもの、王族というものについて調べようと様々な本を洗いざらい読んでみることにした。

 私がその謎を解明するまでに、十年もの年月が流れた。父さえも、他の奴隷さえも知らないような暦の知識まで身に着けた私は主人の指示で髪を伸ばし、一つに束ねていた。主人は恐らく十七か十八になり、今では狩りもお手の物だ。兄弟の仲も変わらず良好で、その奴隷も私と同じように髪を伸ばしていた。相変わらず物静かなものの、ゆくゆくは主人はこの国のある土地を治める指導者になると風の噂で耳にしたことがあった。

「支度をしろ。」
「かしこまりました。」
 また、年頃になった主人は異国の姫を娶らなくてはならない。

 今はその姫探しで私は大忙しだ。直接その姫にお目にかかることはないものの、毎晩こうして夜の服装を着付けるのも一苦労。脱げにくく、肌触りの良い恐ろしく滑りやすいこの服が私は苦手だった。するすると手元を滑る紐を手繰り寄せ、編み込んでいく。この編み込みこそが、主人を表す格のようなものになると他の奴隷から聞いたことがある。私は時間をかけて紐を編み、今の主人に見合った装飾を施していく。
「お前は手先が器用だな。いや、慣れたのか。」

 目先に集中するため、相槌をうつこともできない私を、主人は見捨てずに手元に置いていてくださる。本当に私は幸せ者だ。父は何年か前に死んだ。すでに物忘れがある頃にはお姫様に捨てられて、それでも尚この棟に通い徘徊をしていたことには驚いたが、見かねた心優しき臣下の皆様の心遣いで雑務をこなすことができたのは父の誇りであり喜びであったと思う。
「毎晩毎晩、面倒だ。」

 主人の兄弟の奴隷も、様々な理由で捨てられた者もいるそうだ。
「所詮私は捨て駒だというのに。」
 主人の心の動きが不穏になり、思わず手を止め顔をのぞき込む。相変わらずその顔には無しかなく。私はすぐに装飾に戻る。
「お前が気にするようなことじゃない。」
 いつしか大きくなっていたその手が、私の髪を撫でつける。私はうつむいたままぐいと腰紐を絞め直した。

「すぐに戻る。」
 そう言って、主人は今日も翌朝まで戻らなかった。

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