遠く離れた、この世界で。

真麻一花

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 あの湖は「聖地」だったらしい。

 神の神託により、まもなく神殿から迎えが来た。
 彼と私は神子として迎えられたが、まもなくして一ノ瀬君と共に私は神殿を出奔することとなる。
 望めば知ることの出来る一ノ瀬君の力は、神殿の意図と、私たちの扱いをどうするつもりなのかまで見抜いていた。

 この世界に存在するだけで良い私たちは、客寄せパンダであり、体の良い偶像、そして、権力の道具でしかなかった。
 いずれ私と一ノ瀬君はどこかの権力者の伴侶として使われる事がほぼ間違いないだろうといわれた。そして、そこで人形のように大切にされることはあっても、人権なんてない様な扱いをされるかもしれない、と。生きていればそれだけで良いのだから、確実に保証されるのは衣食住だけ。
 無知なフリして最初は迎えに来た彼らの言いなりになる事を決め、私たちは兄妹を名乗り常に一緒にいられるようにした。

 私はこんな所に連れてこられたという、言葉にならないわだかまりを抱えていたけど、頼れるのは一ノ瀬君だけで、信頼出来るのも一ノ瀬君だけだった。しかも隣同士のベッドで眠り、朝一番最初に顔を合わすのも、一日の一番終わりに顔を合わすのも一ノ瀬君という生活。その上彼はいつだって私を気遣ってくれて、泣き言もグチも全部受け止めてくれて、私には彼しかいなくて、そんな状態で怒りなんて持続するはずがない。

「知る」事の出来ない私は、脅えることが多く、その度に一ノ瀬君が「大丈夫」「俺がいるから」と、手を繋いでくれた。
 こんな所に連れてこられた怒りより、好きな気持ちが大きくなっていく方が、ずっとずっと早かった。

 一ノ瀬君の力は隠し通した。一ノ瀬君の力は、権力者には魅力的すぎる。そして、私の力もまた、些細な物ではあったけれど、便利な物だった。

 私に与えられた力は、気配を消す力。

「私にも力があれば良いのに」とつぶやいたとき、一ノ瀬君が教えてくれた。
 すぐそばにいても、気付かれたくないと強く祈るほどに、人は私に気付きにくくなる。見えていても「いる」と意識出来ないという物だそうだ。
 その力は一ノ瀬君には効かなくて、そして手を繋いでいると、私の力は一ノ瀬君も一緒に作用する。二人のためだけの力だった。

「神殿を抜け出すのにもってこいの力だね」と私が言うと、「ほんとだ」と一ノ瀬君が笑って「その時は頼りにしてるから」と、わざとらしく頼み込んでくる。「任せて!」と胸をはったのは、足手まといになるばかりの自分ではないことに、少しだけ安堵したのをかくすためだった。

 長い時間集中して祈り続けるのは難しいけれど、長ければ1時間ぐらいは完璧に気配を消し続けられるだろうか。でも1時間なんて、よっぽど切羽詰まらないと難しいだろう。
 私たちはあのままではいくら知識があっても生活する力はなかった。だから神殿に身を寄せて、神子として民の暮らしを視察しながら、私たちの暮らしてゆける術を模索していた。

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