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終幕
エピローグ
しおりを挟むシャン!
鈴の音が響く。
紫の衣を纏った男はその音に振り返った。視線の向こうでは祭りの見せ場、舞の最後の練習をしているのが見える。笛と太鼓の音、そして姫巫女役が舞う度に響く鈴の音。一年前に聞いた同じ響きと共に、去年その舞を舞った姫巫女のことを思い出す。
彼女は、時の彼方へと渡り、もうここにはいない。
男は、エドヴァルドの先読みの姫巫女が語った言葉を反芻する。
「時渡りの神殿は、このままゆるやかにあり方を転換して行くでしょう。巫女達によって時を読み、民を導く時代はこれから終幕へと向かって行くのです。リィナは最後の時渡りの姫巫女。巫女が人々を導く時代の最後の土台を築いた尊き存在。私達巫女は、失われて行く力と共に、それでも民を導き、そして、無くして行く力を受け入れ、そして神殿と共に違う役目を背負って行くのです。巫女だけの力を頼りに神殿が支えられる時代は、終わるのです」
男は、神殿のために力を注いできた。より、神殿の力を確かな物にするために。だが、敬愛する姫巫女によって、それを否定されてしまった。
男は苦く笑う。
男もまた、その転換を迎える神殿のあり方を受け入れながら、力或る姫巫女を求めるのとは違う別の何かを探さなければならない。そして、未来に必要な物が何かを見極めるのだ。
それは奇しくも、昔彼が慕ったある男の生き方に通じているようにも思えた。
三百年祭から、早一年が過ぎようとしていた。
再び、祭りの季節が訪れていた。
三百年祭で舞を披露した剣士と姫巫女は、村の誰もの心に残っていたが、姫巫女と次期領主の駆け落ちとまで言われたその話題を、祭りの場で口にする者はいない。誰もがその話に口をつぐみ、代わりに、今年新たに二人選ばれた初々しい剣士と姫巫女を楽しみにする言葉を語った。
まだあどけなさの残る剣士と姫巫女が大役に頬を染めながら、しかし、誇らしげに舞台へと向かう。
賑やかな街の賑わい、祭りの音は離れたその場所にも小さく響いてきていた。
屋敷の中で、窓から入ってくるその音だけを聞いている男がいた。
コンコン。
扉を叩く音に、男はゆっくりとそちらに目を向ける。
グレンタールの領主を務める男は、今日の予定を思い出し、深く溜息をついた。
家人が来客を告げ、領主は客間へと向かう。
半年ほど前に、彼の息子は姫巫女を攫った咎人として神殿から追われる身となった。そして、その時息子を断罪したエドヴァルドの神官が訪れたというのだ。
扉を開けると、確かに半年前に何度も見た顔がそこにあった。感情の見えない表情は相変わらずだが、以前のような貼り付けた笑みはない。
「お久しぶりです。神殿の使いとして参りました」
立ち上がり礼を取る神官を見やって、領主は皮肉げに笑う。
「ついに、私の罪状が決まったのかね」
「いいえ、そのようなことは一切ありません。……少し、話は長くなりますが……よろしいでしょうか」
神官の殊勝な態度が、何かあるのではないかと逆に領主を勘ぐらせる。
けれど神官の隣にある男女二人の姿が見えたとき、領主はわずかに警戒を解いた。彼らの表情が穏やかだったためだ。
神官と共に現れた客人は、普段から人の気を和らげるのに長けた人物だが、事、この三者そろった状態で緊迫した話題であったなら、さすがにこんな表情をするはずがない。
彼らは息子が攫ったと言われた姫巫女の両親であるのだから。
「お久しぶりです」
静かに頭を下げる二人に、領主もまた、ゆっくりと頭を下げて礼を取る。
領主は、自分の息子が彼らの娘を守るために罪を犯したことを知ってはいたが、その事で誰かを責めるつもりはなかった。
当時、もう五年も前に成人していた息子である。どのような決断を下そうとも、その責任はその判断を下した己にのみある。
ただ、息子の判断を愚かだと思ったことはあった。息子には未来があった。それを一時の感情で捨てたのだ。助ける手段など他にもあるだろうに。
一人の娘のために未来を棒に振った息子を、領主は惜しんだのだ。
「今回のことは、ヴォルフ殿、リィナ様の縁の方にお見せするよう、三百年も前から申し送られた物です」
「三百年?」
怪訝そうな顔をした三人に、神官がゆっくりと肯く。
「左様にございます。ご存じの通り、このグレンタールは、三百年前に時渡りの姫巫女と剣士によって興された村です。そして、この村で行われる舞は、その創始者である二人の物語と言われております。その彼らからの申し送りでございます」
そう言って、彼は一つの箱を彼らの目の前に差し出した。
「これは、グレンタール神殿にのみ残された、剣士と姫巫女の肖像画です。三百年前の申し送りにより、今年の祭りの準備の際に見つかりました」
そう言いながら、彼は箱を開けてゆく。
「三百年祭の次の年の祭りの際に開けるようにと申し送られておりました。ですので今年の祭りがその年に当たります。遅くなりましたが、神殿が姫巫女様からお預かりしていた品を皆様にお返しいたします」
今ひとつ意図を把握できない様子で、領主も姫巫女の両親も神官を見つめている。
神官が静かに頭を下げた。そして、箱から一つの絵画を取り出す。
「三百年前、グレンタールを興した姫巫女と、剣士の写し絵です。この絵のみならず、神殿に残されていた全ての物が、あなた方に返されます。どうぞ、お受け取り下さい」
そう言って神官は、その絵を見やすいようにテーブルの上に立てる。
息をのんだ。
領主も、姫巫女の両親も、食い入るようにその肖像画を見つめていた。
そこには、金色の髪と美しく穏やかそうな緑の瞳を持った麗しく気品のある姫巫女が描かれている。そしてその傍らには、彼女を守るようにして立つ漆黒の髪と青灰色の瞳をした、たくましく精悍な剣士がいた。
その場にいた三人は彼らのことをよく知っていた。三百年も昔に存在した人物であるにもかかわらず。それは紛れもなく成長した彼らの息子と娘であったのだから。
「このグレンタールの創始者である、剣士ヴォルフ殿と、姫巫女リィナ様です」
幼さは抜け、去年までの二人ではなかった。けれどもその絵の中にいたのは、確かに彼らの知る二人だった。
姫巫女の両親は、娘が無事であることをエドヴァルドの先読みの姫巫女によって約束されていた。時を渡ったことも知らされていた。けれど、娘が背負う運命については、時期尚早と、知ることを許されなかった。分かる日が来ると。
まさか、こんな事とは……!
言葉を失い、その二人の描かれた絵画に見入る。
領主もまた、言葉を失っていた。
領地を受け継ぐよう育ててきた息子であった。グレンタール領を納めるだけでは惜しいほどの才覚を持った息子。それが愚かにも姫巫女を憐れんで攫うなどという真似をしでかし、死んだかもしれなかった息子である。
当初神殿からも責任を追及され、押しかけてきた物が、ある日を境にぱったりと途切れてしまっていた。姫巫女を拐かしたにもかかわらず、あまりにもの反応のなさにどう対処をした物かと対応を取りかねていた。
息子は、死んだ者と思っていた。愚かにも、咎人として。
守人である姫巫女の父親から、息子は姫巫女を守る剣士として選ばれたという形になっているらしい……とは聞いていたのだが、それを鵜呑みに出来るはずもない。息子を失ったというのに泣く暇などないまま、ありとあらゆる事態を想定して、グレンタール領を守る為の手を考えていたのだが。
まさか。
その一言に尽きる。これは文句一つ付けるところのない、姫巫女の剣士である。
ここは、よくやったと、褒めるべきか?
領主は片方の口端をゆがめるようにして微笑む。
……息子は、生きていた……!!
領主の胸に、えも言えぬ歓喜がわき上がった。
様々な思いを胸に、それぞれが、グレンタールの祖として描かれたその肖像画を、言葉もなく、見入っていた。
その沈黙を破ったのは姫巫女の母親だった。
「……あの子は、幸せになったのですね……」
声を震わせ、溢れる涙もぬぐおうともせず、彼女は呟いた。その視線は、美しく成長した娘をみつめたままである。幸せそうに微笑んでいるその絵を、見つめる彼女もまた微笑んでいた。
「……ヴォルフ様が、あの子を守って下さったんですね……幸せに、して下さったんですね……」
溢れる涙で途切れた声が、絞り出すように紡がれた。
「あの子は、本当に幸せ者ですね……」
そう声を震わせた彼女をその夫が静かに抱き寄せる。
そんな簡単な言葉で片付けられることではないことぐらい、彼女は当然分かっているだろう。
グレンタールの基礎を作り、開拓していったグレンタールの祖。易いことではない。小さい村だが国の中でも重要な起点の一つとなっている土地として作り上げるのに、どれだけの苦難があったのか、想像すらつかない。幸せの一言で済ますことは出来ないほどに辛いことは多かったはずだ。
けれど、肖像画に描かれた二人の表情が、彼らに語りかけるのだ。
「幸せである」
と。
ならば、それでいいのだ。
再び沈黙が訪れる。
彼らはその三百年の時を超えた想いを、ようやく受け取った。
その日の夕暮れ、領主の屋敷から一人の美しい女性が出てきた。
祭りの準備で領主に用事があって来ただけであったが、縁があり、一つの絵を一足早く見せてもらうことが出来た。
今宵の祭りで、それらはグレンタール中に知らされるだろう。
彼女は、クスリと微笑んだ。
お子様は相手にしない、なんて言ってたくせに。やっぱり、あなたはリィナを選んだのね。
胸の中で、からかうように語りかける。
目を閉じれば、たった今見せてもらった絵画がまぶたの裏に描かれる。
そして「分かっていたわ」と、彼女は少し寂しげに微笑んだ。
けれど、うれしさと安堵で胸がいっぱいだった。
一度止まったはずの涙が再び込み上げる。
あの子となら、あなたは幸せになれるって、信じていたわ。
彼女は愛しい二人を思い出して、その思いをそっと胸の奥にしまい込む。そして、遠い昔にその生涯を終えた二人に思いを馳せた。
二人の未来に向けた面影への懐かしさと、見も知らぬ遠い昔に馳せる思いと。二人の未来は過去にあった。本来の時の流れの中にあれば交わることがないはずの、過去と未来に馳せる二つの思いが重なるという、不思議な感覚。
彼女は、涙をぬぐうと噛み締めるような幸せを胸に、不思議な感覚に思いをはせながら、ゆっくりと祭りに向かい歩いて行った。
祭りの音色が響く。
まもなく祭りの最大の見せ場である舞が始まる。三百年前、剣士と姫巫女が伝えた舞が。
愛しい彼らが想いをのせて受け繋がれてきた舞が。
彼女は音のする方へと歩んでいく。
三百年の時を渡り、想いを伝えてきた祭りが始まろうとしていた。
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