時渡りの姫巫女

真麻一花

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二幕

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「君が俺に甘えているというのなら、俺のほうがずっと君に甘えている。……気付いていなかっただろう? なのに、君はその重さを感じていないじゃないか。君が甘えることが、俺にとって全く重荷ではないのと同じなのだろうさ」
「ヴォルフ様がいつ私に甘えたりなんか……」

 信じられないと首を振るリィナに、ヴォルフが苦しげに微笑んだ。

「君が、ここにいてくれるじゃないか。笑って俺の帰る場所を作ってくれているじゃないか。君は無理をしてでも笑顔で俺を受け入れ続けてくれていた。食事を作って、話をして、俺を癒してくれている。俺は、いつも君に頼ってばかりだよ」
「そんなの……!!」

 否定しようとするリィナを遮るようにヴォルフは続ける。

「それが、どれだけすごいことか、君が分かっていないだけだ。もし、俺がそれを失ったら、きっと俺はまともではいられない。人間の心なんて、簡単に荒む物だ。君が当たり前に俺に与えてくれている物が、どれほど尊い物か、君が分かっていないだけだ。それらを持ってない人間が、どれだけ無性に与えられる愛情や信頼を求めているか君は知らないから。暖かさを知らない人間、失った人間は、驚くほど簡単に荒む。当たり前に居場所を与えられることが、どれだけ幸運なことか、君は分かっていないから、そんな事が言える」

 その幸運が些細なことだとは、リィナも言うつもりはない。けれど、それに支払うリィナの苦労など何一つないのだ。
 笑ってヴォルフを迎えるのは、彼が自分の元に返ってきてくれるのが嬉しいだけだ。リィナが笑えばヴォルフも笑顔を返してくれる、食事を作れば喜んでくれる。ヴォルフがリィナから与えられていると言われる物を、リィナもまた同じように返してもらっている。

「リィナ、人には役割がそれぞれにある。できる事がそれぞれ違っている物だ。同じ事をする必要はない。できる事をすれば良いんだ。俺は君より適しているという理由で肉体的に負担のある役割を確かに負っているだろう。目に見える部分で俺が引き受ける分担は確かに多かったかもしれない。だが、それで良いんだ。俺は君より少し世の中の仕組みを知っていて、君より体が大きくて丈夫なんだから当たり前だろう。そして君は君で、俺には出来ない情報を得てくれているし、肉体的に疲れた俺が帰る場所を作ってくれている。君の役割を、君はしっかりと果たしているじゃないか。俺は、リィナに支えられている。二人でいないと困るのは、俺の方だ。君がいなくて耐えられないのは、俺の方なんだ。だから、君が一人で苦しみを抱えるのが辛い。そんな事を理由に俺を自由にするだなんて言うな」

 ヴォルフが苦しげに訴えるのを、リィナはうれしさと困惑で呆然としながら聞く。

「俺は、君が居ない生活なんか耐えられない……!」

 最後の言葉は、切実なほどの懇願のようにも聞こえた。
 うれしかった。ヴォルフがリィナを求めてくれているという事実が、ただ、それだけで。でもそれを受け入れてしまえば、ヴォルフに甘えっぱなしになるということだ。ヴォルフの言葉を聞いてなお、自分が役に立たないお荷物という、リィナにとっての事実は変わらない。
 苦労を背負い込んで喜びと言われても、それではいつか、ヴォルフ辛くなる日が来るのではないか。
 積み上げてきた不安はなくならない。不安の蓋が開いたまま、それに再び蓋をすることが出来ない。
 ありがとうございますと、笑顔で受け入れるふりぐらいすればいいのに、出来ない。
 溢れた感情に収拾を付けられないリィナに、ヴォルフが小さな手をさすりながら、ゆっくりと話し始めた。

「なあ、リィナ、人が一人でできる事なんて、限られているんだ。俺に君がいるように、君のために俺がいても良いじゃないか。俺に頼ることを、君自身に許してやっても良いじゃないか。一番に俺に頼ってくれ。そのくらいの事は、俺にもさせてくれ」

 嬉しくて、だから余計にリィナの苦しさが増す。受け入れるわけにはいかないとリィナは必死で首を横に振った。

「でも、ヴォルフ様は、私の力に巻き込まれたんです。ヴォルフ様が背負う必要がなかった物なんです。もし、私がヴォルフ様の力になれているのなら嬉しいです。でも、私が巻き込んだんだから、当たり前です。それなのに巻き込まれたヴォルフ様の方が、私の面倒ばかりを引き受けて……」

 強情なリィナに、ヴォルフが笑った。リィナをのぞき込む瞳は優しい。

「バカ言うな。どれだけ俺は物好きなんだ。俺は苦労して喜ぶ性癖もなければ、そんな酔狂な趣味もないぞ。そういうのはな、苦労とはいわないんだ。喜びっていうんだ。人と人とがつながる、喜びだろう? 大切に思っている人から必要とされるのは、嬉しいことだと思わないか? そういうのは迷惑だとか、苦労だとか言わないだろう」

 唇を噛み締めるリィナに、ヴォルフが仕方なさそうに溜息をつく。

「じゃあ、リィナ。君は、……そうだな、例えば小さな子供に手がかかったからって、迷惑か? まあ、時には面倒なときもあるだろうな。だが笑って甘えてきただけで、全てが報われると思わないか? 笑顔を返してくれる誰かのために力を出したいと思うことは、それは、本当に苦労か? 自分から望むことは本当にないか? それを迷惑なだけだと思うか?」

 リィナは唇を噛み締めたまま、首を横に振った。

「コンラート殿と、ラウラ殿は、君を育てて君のために力を尽くして、それを迷惑だと感じていると思うか?」

 リィナははっとして、それから確かに首を横に振る。
 コンラートも、ラウラも、きっと苦労とは思っていない。リィナが笑ってさえいれば幸せだときっと言う。そして、リィナはそれを信じられる。

 もしかして、ヴォルフ様も、一緒……?


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