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真麻一花

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囚心

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 久しぶりに実咲のいる研究室まで納品に行ったとき、実咲を見るのが怖くなっていた。
 声を聞きたい、謝りたい、そう思う気持ち以上に、何を言えばいいのか、よりを戻したいなどと懇願する価値が自分にあるのか、そう思えた。
 怖くて見つめる勇気さえ持てなかった。

 そのくせして、凉子からちくちくと嫌みったらしく聞かされる合コンの話に、気が狂いそうなほどに嫉妬した。
 実咲が自分以外の男のいる場所へ行くのかと思うと、居ても立ってもいられないような衝動で、すぐにでも駆けつけて彼女を引き留めたくなった。
 合コンだという日は、隣に他の男がいるのを想像しただけで焦燥感と不安に押しつぶされそうだった。

 けれど、止める権利もなければ、声をかける勇気さえ持てず、ただ焦燥感ばかりが募るだけで、一人、それに耐えるしかなかった。

 彼女のいない部屋で、雅貴は何度目とも分からない溜息をつく。

 実咲。

 最愛の名前を声に出さず、呼ぶ。
 自分の知らない誰かと笑い合っている彼女を想像して、心臓が潰れそうになる。自分以外の男が彼女に触れるのではないかと思うだけで、想像の男に憎しみすら覚える。
 彼女の隣を、誰よりも望んでいる男がここにいるのに。なのに、彼女はここにいない。
 けれど、こんな現状を作ったのは、自分自身だった。

 自分の愚かさに気付いてからは眠れない日が続いていた。
 雅貴を拒絶し続ける実咲への苛立ちは嘘みたいに消え、後悔と、罪悪感と、彼女を失った苦しみばかりが胸をしめつけた。
 浅い眠りばかりが続き、何度も夜中に目を覚ます。
 暗闇の中で襲ってくるのは、どうしようもない焦燥感と、喪失感。そして恐怖。

 実咲が恋しかった。
 暗い寝室で雅貴は、醒めた頭と眠さを訴える体を抱えて思い出す。

 このベッドで彼女を抱いた。
 クスクスと笑ってふざけて、甘ったるく触れ合って気持ちよさに身をゆだねて、触れ合うだけで満ち足りた、そんな時間が、あの時、ここにはあった。

 思い出す過去は苦しいぐらいに鮮明で、その時腕の中に抱いた温もりを思い出せば切ないほどに愛しくて、けれどそれはもうこの腕の中にはないという痛みと喪失感となって同時に襲い、それをなくした後悔が胸を占める。
 今実咲は何をしているのだろうと考えて、その心の中にもう自分の存在はないのだろうかと思うと絶望が押し寄せる。今、彼女の側に誰か男がいるのではないかと思うと、完全に失うかもしれない恐怖と、嫉妬で頭が沸騰しそうなほどの怒りが襲う。

 苦しみと痛み、絶望と恐怖。
 体は眠さを訴えるのに、冴えきった意識は、眠りを拒絶する。
 眠ってしまえば、考えずにすむのに。彼女のいない苦しさをひととき忘れさせてくれるのに。
 けれど眠れない長い夜は何度も何度も訪れる。
 苦しい。実咲が恋しくて、苦しい。
 仕事をしているときはまだ良い。けれどプライベートの時間になるととたんに彼女のことだけで頭の中がいっぱいになる。眠りから覚めたこんな夜は、特に酷い。

 そして、その度に雅貴は考えた。
 俺が実咲を裏切っていた間、彼女もこんな痛みを抱えていたのだろうか。
 だとしたら。

「……ごめん」

 暗闇に向けて、雅貴はこみ上げてくる涙をかみ殺しながらつぶやく。けれど、その声が彼女に届くことはない。
 脳裏をよぎるのは、雅貴を拒絶する彼女の背中。決して雅貴を見つめることのない横顔。その視線が雅貴に向けられることは、もうない。
 会いたい。会って声を聞きたい。こちらを向かせたい。

 会いたい、会いたい、会いたい。

 けれど、拒絶する彼女の姿を見るのが辛かった。拒絶の言葉を聞くのが怖かった。
 彼女に声をかけることさえ、こわくなっていた。

 会えない。

 暗闇の中、そんな現実は知りたくないとでもいうように、雅貴はその目を閉じて考えるのをやめた。



「佐藤さん、ちょっと良いかな」

 久しぶりに凉子に声をかけると、彼女は溜息混じりに了解してくれた。
 待ち合わせたのは居酒屋。
 ちゃんと話がしたいと言ったのに、このチョイスはどうなんだというと「変にちゃんとした店に行って、変な噂を立てられたくない」と、心底嫌そうに言われた。店内に入りながら、ずいぶんと嫌われた物だと苦笑いする。それでもこうして応じてくれるのは、何か彼女なりの思惑があるのだろうかと、今日は、少し好意的に彼女のことを考える。
 凉子に対する苦手意識は強まる一方だったが、彼女は、ただ真摯に、実咲を守ろうとしているのだと思うと、嫌いだとは思えなくなっていた。

 自分が実咲にしてきたのがどういう事だったのかに気付いてから、雅貴は自分がどうすべきかをずっと考えていた。
 実咲とやり直したい気持ちと、そんなムシのいい話が許されるはずがないという気持ちとで自分がどうしたいのかさえ決められないような状態だった。ただ、会いたい気持ちは募る一方で、せめて誠意を込めて謝るぐらいはさせてもらいたいという気持ちは強かった。
 もっとも、謝ったところで、謝る側が反省の意を伝えてすっきりするだけで、謝られる側に許したい気持ちがない場合には、謝罪する価値など、ないに等しい。下手すると謝ることがマイナスにすらなり得る。
 実咲に冷たい瞳でそう断罪されるのが、簡単に想像されて、雅貴の身がすくむ。

 会いたい気持ちに比例するように、会うのが怖くなってゆく。
 実咲の会社に納品に行くたびに、彼女のいる研究室に続く通路を見るが、いざ研究室まで納品にいくと、決して振り返ることのない彼女の背中を目の端にとらえるのが精一杯で、彼女に視線を向けることにさえ怯えている。
 振り返って自分を見つめて欲しいと思う気持ちと同じだけ、振り返って雅貴を拒絶する表情を見せる彼女を見るくらいなら振り返らないで欲しいと願う。

 凉子にずっと頼んでいた会えるように機会を作ってくれと頼むことさえ、最近は出来なくなっていた。おかげで彼女からの厳しい嫌味を聞かずにすんでいたが、その代わり、何でもないように話しかけられては、実咲を合コンや飲み会に連れて行った話をいちいち報告してくる。
 どのくらいの頻度でいっているんだと遠回しに尋ねると、どう聞いても二日に一回ぐらいのペースで参加しているらしいことまで分かって、頭が沸騰しそうだった。

 会えない苦しさと、会う事への恐怖と、彼女に似合わない自分とで、さんざん苦しんできたが、凉子からの度重なる合コン報告に、嫉妬と、他の男に実咲を奪われる恐怖に煽られて、雅貴はようやく決断をした。
 今のままでは、自分はこの感情を持て余して立ちすくむだけになってしまう。何らかの形での解決をしなければならない。

 実咲と別れて、早二ヶ月が経とうとしていた。

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