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囚心
囚心 1
しおりを挟む彼女に背を向けて雅貴は服を着けていた。
「雅貴」
彼女が呼んだが、振り返るのが面倒だった。
いつもそうだった。彼女を抱くのはいつでも気持ちが良い。他の女性を抱くときとは違う快感が胸をしめる。
けれど、抱いた後は不思議なくらい落ち着かなかった。彼女の顔を見るのさえ不快になる。
嫌いなわけではない。むしろ大切に思っている。けれど、彼女を抱いた後は、どうしても彼女の側にいるのが耐えられなかった。
なのに彼女を抱くのをやめられない。
「なに?」
彼女に答えた声が、どこか冷淡に響いた。けれどいらだちを押さえながら雅貴は願う。彼女が、この冷ややかさに気付かなければいい。決して、彼女を傷つけたいわけではなかったから。
わずかな沈黙の後、彼女がつぶやいた。
「別れようっか」
一瞬、心臓が止まったかと思った。先ほど見せた自分でも理解できない冷たさが彼女を傷つけたのかと、だから突然そんな事を言われたのかと。
振り返ると、しずかな瞳で自分を見ている実咲がいた。
訳が分からなかった。確かに、あまり良い態度ではなかったかもしれないが、別れを切り出されるほどのこととも思えなかった。彼女の真意が見えなかった。
「なんで?」
理由を尋ねても、彼女はすぐには答えず、分からないことをあざけった。
「だろうね、雅貴は思い当たらないかもね」
ゆがむように笑った彼女は真っ直ぐに雅貴を見ていた。
「雅貴さ、昨日何してた?」
挑むような瞳で見つめてくる彼女が、今にも泣き出しそうに見えたのは気のせいか。
雅貴は、彼女の様子と、そしてその内容に動揺した。
答えることができなかった。言ってしまえば、彼女が泣くのではないかと思うと怖かった。
彼女は知っていたはずではないかと、雅貴は自分に問いかける。
そう、彼女は知っているはずなのだ。自分が平行して、何人もの女性と遊ぶことを。
雅貴は何故今更彼女がそんな事を気にしているのか理解できなかった。
彼女は自分の事を名目だけの彼女だと、そういって笑った。
名目だけ。
違う。
雅貴は思った。
むしろ、今までで唯一「彼女」らしく接してきたのが実咲だった。
雅貴の視線の先で彼女は笑っている。その表情はとても冷静で、そしてあきらめているように見えた。なのに、今にも泣き出しそうだ、と雅貴は思った。
「私さ、やっぱり理解できないし。わかってたつもりだったけど、ああゆうことやられるのはやっぱりイヤだし」
彼女が、思いがけないことを次々と言葉にしてゆくのを、雅貴は呆然と立ち尽くして聞いていた。
そんな感情を表に出すようなことはしないが、雅貴は少なからず動揺していた。彼女がそんな風に感じているとは、想像もしていなかったのだ。
「雅貴、うっとうしいの、嫌いでしょ?」
彼女が確認するようにつぶやいた。小さく息を吐いて、彼女の視線が雅貴を突き刺す。挑まれているように思えた。
けして雅貴からの否定を求めていない瞳。
こんな言い回しをされれば、否定して欲しがっているのだろうと、雅貴は考える。「そんな事はない、おまえだけだ」とでも言わせたいのだろうと思いながら、「そうだな」と肯定するのだ。そうすれば大抵の女は終わらせられる。
けれど、彼女は違う。
これは確認でしかないのだ。
彼女は自分の肯定を得て、終わらせるつもりなのだ。雅貴の否定を望んでいなかった。
その事が更に雅貴の動揺を誘った。
彼女はどうしてそんなに簡単に終わらせられると思っているのか、いっそそのことの方が不思議だった。
自分たちはうまくいっていた。
確かに、実咲を抱いた後の訳の分からないいらだちを紛らわせるために、他の女性と関係を持ったことは何度かあった。けれど、そのどれもが、その場限りでしかなく、実咲のことを適当に扱ったつもりは一度もなかった。
こんなに大切にしているのに、それに気付いてない実咲に、思わず笑みがこぼれた。
「実咲なら、それでもいいけど?」
その言葉に、彼女の顔が複雑そうにゆがんだ。
彼女は自分の事が好きなのだと、その表情から改めて認識すると、自然と雅貴の表情はゆるんだ。
こんなに大切にしているのに、そんな些細な事を実咲が気にする必要はないのに。
そう思う反面、えもいえぬ興奮と快感が雅貴の中に、わずかに湧き上がる。
傷つき、逃げようとする実咲。
その彼女を再び手に入れ抱きしめるのを想像すると、いつものいらだちが払拭されるようだった。彼女を抱きしめるといつも理解できないいらだちにとらわれた。けれど今なら大切に抱きしめられる気がした。
彼女のことを手放す気は毛頭ない。雅貴は実咲のことを気に入っていた。
けれど、別れるつもりでいる彼女を引き留める言葉が見つからない。
もし相手が実咲でなければ、いくらでも引き留めるための言葉を言う事ができる。上っ面の、耳障りの良い言葉を。
けれど、なんとしても引き留めたいこんな局面にもかかわらず、何故か彼女に対してだけは、当たり障りのない恋人らしい言葉を言う気にはなれなかった。むしろ、不快だったと言ってもいいほどに。彼女に、恋愛感情で縋っていると思われるのは、雅貴にとって、絶対的に譲れないところだった。理由などない。ただ、自分が彼女を好きなのだと、彼女にそう思われるのだけは避けたかった。
雅貴は考えた。
「じゃあ、賭けるか?」
我ながらいいアイデアだと、雅貴は思った。
彼女は自分の事を好きなのだ。彼女が賭に勝っても、負けても、彼女にとって有利。これならば、自分の事を好きな彼女は思いとどまるかもしれない。
彼女はそんな雅貴に呆れた様子で、しかし、それでも賭けを拒まなかった。
十分だった。彼女が自分の側にとどまることが決まった、そのことが雅貴には重要だった。
彼女のことが好きだった。恋人としての実咲である必要はない。友達としての関係で十分なのだ。むしろ、友人関係が続いていた方が良かったのかもしれない。彼女と抱き合う心地よさは捨てがたいとはいえ、あの頃は意味不明のいらだちを彼女に感じることはなかったのだから。
けれど彼女の性格を考えるに、別れたりすれば彼女はきっと雅貴の元を去ってしまう。その後に友人関係としてつなぐことは難しいだろう。それだけは避けたかった。実咲を彼女としてでいいから、引き留めたかった。
とりあえず、それはうまくいった。実咲はまだ雅貴の手の届くところにいる。
「なあ、も一回しようか?」
彼女に被さると、それに応えてきたことにほっとした。
彼女に口づけ、抱きしめる。
彼女に触れるのは、ひどく気持ちが良い。それは、腹立たしいほどに。
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