アクセサリー

真麻一花

文字の大きさ
上 下
26 / 53
本編

26

しおりを挟む

 それはどこか苦しさを伴って響いた。どこか悲しげにも見える雅貴の視線が実咲にそう思わせるのか。

 何を今更……。

 美咲は、雅貴の言葉、そしてその様子にひどく動揺していた。
 好きだという言葉を雅貴から向けられたのは、初めてだった。付き合い始めてから最後の瞬間まで、一度も向けられることのなかった言葉。
 それを別れて二ヶ月もたった今になって、雅貴の口から聞くことになるとは。

 向けられてくるまなざしを探るように見つめ返し、美咲は彼の真意を探ろうとした。
 本気のわけがない。
 そう思うのに、美咲の瞳に映る雅貴は、どこか憔悴し、まるですがるかのように美咲を見つめているのだ。どうしても、そこに嘘が見つけられない。

「俺は、お前に、最低なことをした。ごめん」

 どくん、と実咲の心臓が大きくはねた。

 なによ今更。

 自分自身に対して半ば虚勢を張って実咲はそう思おうとした。

 そうだ、今更だ。ごめんの一言ですむほど軽く済ませられるとでも思っているのだろうか。あの苦しさを、そんなたった一言で。

 なぜか泣きたくなるような気持ちがこみ上げて、それに気付きたくなくて、美咲はうなだれる彼をなじろうと、必死に言葉を探す。

 出ていって。お願いだから、早く出ていって。

 美咲は、許しそうになる感情から逃げるように、それを不快感にすり替えた。
 そして口端を意識的に引き上げて雅貴に向かって笑いかける。

「最低なこと? なにが? 雅貴に、何が分かるって言うの? 悪いなんて全く思ってなかったくせに」

 言葉にした直後、美咲の胸がズキリと痛む。
 自分の言葉の中に真実を見て、傷つく自分が情けない。美咲は自分を嗤う。嗤いながら雅貴を見つめる。

「ひどいことをしたなんて気持ちは、全くなかったくせに。よくそんな事が言えるよね」

 この笑顔は、雅貴への嘲笑のように、見えているだろうか。

 胸が苦しい。
 早く、早く追い出さないと。

 実咲は焦りを胸に、雅貴を見つめる目を逸らせた。
 雅貴の視線が怖かった。時折まっすぐに見つめてくる視線が、偽りなく実咲をとらえているからだ。
 以前のような上っ面で誤魔化そうとする顔ではなかった。
 早く雅貴を家から出さないと、きっと、感情に負けてしまう。好きな気持ちに負けてしまう。二ヶ月前の雅貴ならともかく、今、目の前にいる雅貴を振り切るだけの自信がない。
 実咲は笑いを納めて、気持ちを強く持とうと、睨むように雅貴を見ることで対峙しようとする。
 それを受けて、彼は重く息を吐き、静かにうなずいた。

「実咲に切り捨てられたときに言われたこと、ずっと考えていた」

 低い声と、どこかくたびれて見えるその姿。
 実咲の視線の先で、雅貴の表情が、苦しげにゆがんでいた。

「実咲の言うとおりだった。俺は女と付き合うことに、特に何も考えていなかったし、おまえと付き合いだしたときも同じだった」

 雅貴は言葉を切ると、うつむき、また、ゆっくりと言葉をつなぐ。

「俺は、実咲のことは友達と思っていたし、大切にしたいとは思っていたけど、付き合うことに関しては、おまえと、他の女を分けて考えていたわけでもなかった」

 静かな口調で、まるで他人事のように淡々と雅貴が言葉を紡いでゆく。
 事実であるが故に、その言葉が、じわりと鈍く実咲の心を斬りつけるように浸透していった。

 胸が、苦しい。

 未だに、そんな雅貴の何の気もなしに紡がれる言葉で傷ついてしまう自分、未だに泣きたいくらい雅貴を好きな自分を、実咲は自覚する。

 たった今、好きって言ったくせに、何よそれ。

 これ以上雅貴の言葉を聞いていたくない、逃げ出したいという思いに駆られた。けれど実咲の気持ちとは裏腹に雅貴は淡々と言葉をつなげる。

「誰と付き合おうが別れようが、俺には姿が変わるだけでたいして違いはなかった。極端な話、女と付き合うことなんてセックスさえできれば後はどうでもいいことだった。……俺は、分かっていなかったんだ」

 雅貴の声が、苦しげにゆがんだ。淡々としたその口調が、にじみ出る苦しさを吐き出すように絞り出される物へと変わる。

「俺は、実咲が俺にとって特別だと言うことを、分かっていなかった。当たり前にいてくれたから、それに甘えていることにさえ気付いていなかった。俺は、あんな事までしておいて、おまえと会えなくなるなんて、全然、考えてもいなかったんだ……」

 苦しげな告白に、実咲の頭の中は、真っ白になる。けれど、ただ一つだけ、心に残った言葉があった。

 私が、雅貴にとって、特別……?

 どくんと、強く心臓が音を立てる。

「……なに、それ」

 心の中を渦巻く疑問が、口をついて出た。
 激しく打ち鳴らされる鼓動は雅貴にまで聞こえそうなほど大きな音を立てている。
 その先の言葉を聞きたくて見つめた雅貴の顔は、先ほどまでの苦しげな様子はなりを潜め、代わりに静かに、どこか悲しげに沈んでいる。それは実咲の目に、憎たらしいほど落ち着いていて見えた。

「……まともに付き合いだしたの、半年ぐらい前だったよな。それまでずっとおまえのことは友達だと思っていた。付き合うと言っても、それまでのつきあいにセックスが入ってくるかどうかぐらいの差にしか思ってなかった」

 抑揚のない声で話す雅貴の眉間に小さくしわが入る。ややあって今度は息を大きく吸い込む。辛そうな表情だった。
「それまでみたいに二股かけてるの見て怒りながらも笑って小突いてた感じで、女のことで俺が何しても、笑って許されると思っていた」

 そう言って見せた苦い笑いは、雅貴自身に向けられ、自分を嘲るように言葉を続ける。

「そんなわけないのにな。おまえが俺のこと好きって言ってくれてたのに、たぶん、俺はその意味がよく分かってなかったんだ。あんな事したら、おまえがどれだけ傷つくかなんて、考えてもなかった」

 腹立たしいほど率直な言葉だった。特別だと言われた言葉への期待をたたき落とす程度には。
 未だに雅貴の言葉に一喜一憂している自分に実咲は泣きたくなる。苦しさから逃げようと雅貴をなじる。

「だから? それが何だって言うの。分かっていなかったから、仕方がないって?」

 雅貴が言葉を見つけられないのか、息苦しそうに見つめて来た。

「……実咲……」

 苦しげな雅貴の表情に反比例するように、実咲の中に沸々と怒りが込み上げてきていた。

 意味が分かってなかった? 笑って許されると思っていた? 男友達と同等とでも言うのだろうか? 体以外、女として認めてもくれてなかったということなのか。

 ああ、と、実咲は思い至る。

 そっか。そういうことか。

 ようやく、納得がいく。確かに、それならば好かれているのだろうと、実咲は出会い頭の告白の意味に気付く。傷つけて反省もしただろう。落ち込んだ様子の雅貴の姿も当然だ。
 なぜなら、実咲は、彼が最も大切にする「友達」という存在なのだから。
 腹立たしさと、あきらめと、悲しさと。渦巻いた感情が揶揄となって雅貴に向かう。

「女だけど、特別に友達として好き? そんなこと言われて何を喜べって?」

 怒りを通り越して、滑稽すぎて笑ってしまいそうだった。
 分かっている。雅貴は女は大切にしないが、友達は大切にしている。実咲は他の女のようにどうでもいい存在ではないと、雅貴はそう言っているのだ。だから実咲は友達でいられたらよかったと、一時期は願っていたはずだった。
 けれど、どうして今更それを喜べるのだろう。大切だと言われても女として見てくれないのなら同じではないか。
 友達でしかいられないことと、女と見られれば大切にされないこと。立場は違っても、雅貴を好きな実咲にとって辛さに変わりはないではないか。
 その思いが実咲を苦しめる。
 女性として、唯一人の雅貴の恋人として愛されて、大切にされたいのだから。片方だけでは、けっきょく苦しみの形が違うだけで、辛い思いを繰り返すのだから。
 泣きたかった。友達でいたかったはずなのに、それが叶いそうな今、それさえ不満に感じてしまう自分がいる。
 今の実咲にとって、雅貴の特別な女性でなければ意味がなかった。友達だけではダメなのだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ボロボロになった心

空宇海
恋愛
付き合ってそろそろ3年の彼氏が居る 彼氏は浮気して謝っての繰り返し もう、私の心が限界だった。 心がボロボロで もう、疲れたよ… 彼のためにって思ってやってきたのに… それが、彼を苦しめてた。 だからさよなら… 私はまた、懲りずに新しい恋をした ※初めから書きなおしました。

逢いたくて逢えない先に...

詩織
恋愛
逢いたくて逢えない。 遠距離恋愛は覚悟してたけど、やっぱり寂しい。 そこ先に待ってたものは…

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

やっぱり幼馴染がいいそうです。 〜二年付き合った彼氏に振られたら、彼のライバルが迫って来て恋人の振りをする事になりました〜

藍生蕗
恋愛
社会人一年生の三上雪子は、ある日突然初恋の彼氏に振られてしまう。 そしてお酒に飲まれ、気付けば見知らぬ家で一夜を明かしていた。 酔い潰れたところを拾って帰ったという男性は、学生時代に元カレと仲が悪かった相手で、河村貴也。雪子は急いでお礼を言って逃げ帰る。 けれど河村が同じ勤務先の人間だったと知る事になり、先日のお礼と称して恋人の振りを要求されてしまう。 ……恋人の振りというのは、こんなに距離が近いものなのでしょうか……? 初恋に敗れ恋愛に臆病になった雪子と、今まで保ってきた「同級生」の距離からの一歩が踏み出せない、貴也とのジレ恋なお話。

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

史上最強最低男からの求愛〜今更貴方とはやり直せません!!〜

鳴宮鶉子
恋愛
中高一貫校時代に愛し合ってた仲だけど、大学時代に史上最強最低な別れ方をし、わたしを男嫌いにした相手と復縁できますか?

処理中です...