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本編
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しおりを挟む何を考えているのかわからなかった。
実咲に気付いたとたんキスをした雅貴。
別れたければ、そう言えばそれですむというのに、何を回りくどくこんな形で見せつけられなければいけないのか。どうしてこうまで私を傷つけようとするのか。
実咲は雅貴から視線をそらし、きびすを返す。
何でもないように、気にもしていないように。ただ、あきれただけのふりをして。
傷ついたと悟られないように、走り去らないだけがせめてものプライド。
勝手にすればいい。いい加減に愛想も尽きた。どんなに好きでも、雅貴という人間がどれだけ女に対して最低になれるのか、いいかげん思い知らされた。自分の人生をこれ以上めちゃくちゃにする必要もないだろう。
泣きそうになるのをこらえる。誰がこんなところで泣くものか。視界が霞んだが拭いもしなかった。拭うそぶりさえ雅貴には見せたくなかった。うつむきそうになる顔をぐっとまっすぐ前に上げた。
家に帰れば、一人でいくらでも泣ける。ここはまだ人目もある。泣いたら止まらなくなるのは目に見えている。あいつのせいでこれ以上恥なんてかきたくもない。
「……実咲っ」
思いがけない声が後ろから駆け寄ってくる。
今更何をしにきたのか。
追いかけてくる雅貴を振り返りもせず、実咲は歩いた。
「待てよ」
肩をつかまれて顔も見ずにふりほどいた。
「そんなに怒るなよ、ほんの冗談だよ。浮気する気なんてないから」
困ったような声にも聞こえるが、あまりにも空々しく思えた。
実咲は小さく鼻で笑った。
じゃあ、さっきのあれは何のつもりだったという気なのか。あれが浮気でないなら、なんだと。
雅貴の言葉に応える気すら起こらなかった。
「ホントにそんな気はなかったんだ。実咲、悪かった。ちゃんと何でも言うこと聞くから」
あまりにも軽い雅貴の声が実咲の耳を通り過ぎる。
今更、何を言っているのだろう。
馬鹿にして。ここまで本気でゲームの延長にされているとは思わなかった。未だに賭のことを言うだなんて。
「ああ、そう、そうだったわね。何でも言うこと聞くのよね?」
ならば望み通り、賭に勝った商品を頂いてやろうと実咲は思った。勝つことは分かっていても、勝ちたくもなかった賭の、代償を。
言い捨てた実咲に喜々として雅貴の言葉が返ってきた。
「うん、何でも言って。ちゃんと聞くから」
やっと話が通じたと、ほっとしている雅貴の考えが、手に取るように分かった。
そんなはずはないと考えたら分かるだろうに。雅貴の何一つ心の込もっていない言葉、そんなものが、どうしてこの状況の自分に通じるなんて考えることができるのか。
腹立たしい。
そんな風に雅貴が思うのは、それだけ実咲のことを見ていないからなのだ、そういうことだと思った。
早足で歩きながら実咲は顔も見ずに吐き捨てた。
「二度と私の前に顔を見せないで」
「え……ちょ……っ、実咲?」
どうして焦るんだろう、今更。分かっていたことだろうに。
「悪かった、ホントに悪かったから! そんなに怒るなよ」
意外にも真剣な声だった。思わず実咲が振り返りそうになるほどに。けれど振り返る前に雅貴の腕が力ずくで実咲の歩みを止めさせた。その反動で実咲はそのまま雅貴に顔を向ける。
そして雅貴の目を見据えると怒りを隠すのをやめて吐き捨てた。
「……聞こえなかったの? 顔を見せるなと言ったのよ? 何でも言うこと聞くんでしょ?」
あの一瞬、実咲を止める真剣な声が初めて実咲の胸に届いた。けれど一度や二度雅貴が心に響くような言葉を言ったくらいで収まるような怒りでもなかった。
「そうだけど、そうじゃなくて。なあ、本当にもうしないから、そんなに怒るなよ」
向かい合ったとたん、ほっとしたのか雅貴の言葉が軽くなった。口調から困っているのは確かなようだ。けれどそれだけだった。
なんて、心のこもらない言葉なんだろう。
そう思えて、雅貴の言葉が更に実咲の怒りをたきつけた。
「もうしない?」
実咲は嘲笑った。
「私とつきあうのはゲームなんでしょ? 浮気するかしないか賭けてただけでしょ? あんたは浮気をした、だから、ゲームオーバーでしょ? なにマジになってんの?」
怒鳴りたいのをこらえて、雅貴の口調に合わせて軽く言ってみせる。
雅貴が一瞬考え込んだ。
「俺のこと、好きじゃないの?」
真剣な表情で雅貴が問いかけてきた。実咲にはその言葉の真意が分からなかった。その表情の意味も。本気なのか、そうでないのか。
「だとしたら、なんなの?」
切り返して雅貴の本心を探る。その答えはあまりにも実咲をこけにしていた。少なくとも実咲はそう感じた。
「やりなおそうよ」
実咲は笑った。
「二回も同じ事されて、しかもさっきのはわざと、だったよね? 好きな男にそこまでされて、それでもつきあうような馬鹿になれって?」
実咲は笑いながら、雅貴の目をのぞき込む。
「あんまり馬鹿にしないでほしいわね。あんた、何したか分かってないわけ? 人傷つけて、それが簡単に許されるとでも思ってんの?」
笑うしかなかった。あまりにもバカバカしくて。あまりにも呆れたり、あまりにも辛かったりすると、人はほんとに笑ってしまうものだと、頭の片隅で考えていた。
「それは……本当に悪かった。でも、本当に本気じゃなかった。本気なら、わざと見せるようにやらないことぐらい、わかるだろ?」
本気じゃない、よくもそんな白々しいことが言えたものだ。分かりたくもない。その言葉を飲み込み、実咲は子供をあやすように雅貴の言葉を聞いてあげる。そして、言いたいことを言わせてあげているのは、雅貴に最後通知を告げるためだった。
「仮に、本気じゃなかったとして? あんた、私になにさせたかったの」
実咲の問いかけに、一瞬ひるんだ雅貴だったが、ためらいがちに答えた。
「おまえなら、なにを命令するのか、その、興味があった」
そんなことのためにこんなバカげたことをされて自分は傷ついたのか。
その内容に、実咲はどうしようもない衝撃を受けた。焦燥感なのか、怒りなのか、それとも悲しみだったのか。
「あんた、馬鹿なの? 「私だけ見て」とか、本気で言うと思ったの? あんなところ見せておいて、そんな命令したところで、あんたが本気で従うと、そんなことを私が信じるとでも思ったわけ? 所詮あんたはゲームみたいに遊んでいるだけでしょ? 私だけ見てるふりをして? 私に、そんなゲームして楽しんでるあんたを見て、喜べって? 本気でもないあんたをみて、何を喜べって?」
実咲が堪えきれずにまくし立てると、雅貴の表情が違うとそんなつもりはないと訴えかけた。
「確かに、実咲の言うとおりだな……悪かった。ただ、そう言うと、思ったんだ。もし、実咲がそう言ったら、実咲とだけとつきあうつもりだった。それは本当だ」
真剣な声だった。けれど、それが必要以上に実咲の神経を逆撫でた。
私がつきあえといったら、つきあうつもりだった? 自分の意志じゃなく「おまえがつきあえといったから」つきあう?
屈辱的だと思った。つき合いたいから付き合う訳じゃない、そういう意味とほぼ等しいではないか。
それが、好きな女に対する仕打ちか。
実咲は口に出しそうになったその言葉を飲み込んだ。
好きだなんて、言われたことは一度もない。好きじゃないから、自分にこんな仕打ちができるのだ。仮に、本当は好きだとして、なのにこんな事をするというのなら、尚更これ以上付き合い切れない。
おかしくて、涙が出てくる。
最後まで、人を馬鹿にしている男だ。
これ以上、話すことなんて、なにもない。
真剣な表情で懇願するような雅貴の視線。それをまっすぐにらみ返していた実咲はそっけないほどの動きで背を向けると言い放った。
「……バイバイ」
実咲の決意を感じてか雅貴はそれ以上何も言わず、帰ろうとする実咲をひきとめようともしなかった。ただ、実咲はその場から逃げるような気持ちで歩きながら、その場を立ち去るまで背中に雅貴の視線を感じていた。
肩肘張って、強がって、ようやく家にたどり着くと、倒れ込むようにベッドに転がる。
疲れた、な。
実咲は何をする気力も起きないまま寝返りを打ち、その度にため息をこぼした。
毎日かかってきていた電話は、もう来ない。
自分自身で別れを決めたのに、それでも悲しさがこみ上げてきて、涙がこぼれた。
「雅貴、あんた最低だよ」
つぶやく声が震えた。
もう、二度と会いたくない。会えば、きっと決心が揺らいでしまうから。あんな馬鹿な男に引っかかって、これ以上生活をめちゃくちゃにしたくない。
ふと自分の姿を思い出す。
この服も、このスカートも、この髪型も、身につけたアクセサリーも、クローゼットに入っているあの服も、あのワンピースも、あのコートも、あの靴も、全部、全部、雅貴に自分を見て欲しくて選んだ。
ホントはどれも私の趣味じゃない。貯金を全部はたいてまでして買った服。バカみたいな金額のバッグに、邪魔なばかりのアクセサリー。私は自分を殺してまで、雅貴の何が欲しかったんだろう。
もう、雅貴になんか振り回されない。
こんな物はもういらない。全部明日処分しよう。
私はもう、無駄に自分を飾ったりしない。
アクセサリーは、必要ない。
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