逢花(おうか)

真麻一花

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逢花

後編

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 顔の造作は普通かもしれない。けれど、とてもきれいな人だと思った。 
 髪を耳にかけるのは癖なんだろうか。 
 風が吹くたびに白い指が乱れた黒髪を触る姿がきれいだと思った。 
 こんなに感じのいい子だなんて知らなかった。知り合えるチャンスはあったのに、知ろうともしなかった。 

 一度、彼女に興味を持ったのに、それをいかせなかった。自ら棒に振ってしまった。 
 彼女を知ろうともせずに「暗そうな女」と思い込んで近づく事もしなかった。
 
 目の前の彼女をバカにしたのだと思うと、情けなくて、透哉は過去の自分が腹立たしく思えた。こんな風に笑いながら側にいる権利なんてないんじゃないか、そんな風にさえ感じた。 

 彼女と話をしながら、その楽しさとうれしさが後悔へと変化して透哉の胸を占めていく。 
 後悔する事でその時間が取り戻せたのなら、人はどれほど救われるだろう。 

 ふとした間が二人の間に訪れた。 
 すると、ためらいがちに、そして照れくさそうに彼女が言った。
 
「最後の日だけど、高野君と話できてよかったぁ。こんなに面白い人なんて知らないまま卒業なんて、もったいないことするとこだった」 

 自己嫌悪や気恥ずかしさ、いろんな思いが交差して透哉が言葉にできずにいた気持ちだった。それを彼女があっさり口にした。自分がそれを簡単に口に出来ないもどかしさと切なさに胸の痛みを覚え、けれど自分と話したことを良かったと笑った彼女の笑顔が胸に暖かくしみる。 

「ありがとう、話しかけてくれて」 

 少し恥ずかしそうに笑った彼女が透哉を見上げていた。 

「いや、俺のほうこそ……」 

 岡崎と話せてよかった……そう言葉を続けようとしていた。
 
「透哉!」
 
 祐二の声が割り込んでくる。
 
「なんだよ」 
「夜の打ち上げの事決めるから、お前も来いよ」 
「ああ、後でいく」 

 透哉はうるさい友人にちらりと目を向け、手を振りながら会話を無理やり打ち切って彼女を振り返ると、彼女は遠慮がちに笑っていた。 

「呼んでるね。行っていいよ」 

 そう言われると、透哉には自分が彼女を引き留めたという意識がある上に、もしかしたら卒業式の日に話したこともないクラスメートに引き留められるのは迷惑かもしれないようにと思えてきて、これ以上彼女を引き止めるのもためらわれた。 
 透哉は諦めきれずに、けれど仕方なく小さくうなずく。 

「……そうだな、じゃあ……またな」 

 透哉がつぶやくと、彼女は最後の言葉の後に少しうれしそうに笑った。
 
「うん、またね」 

 彼女が小さく手を振る。 
 彼女に背を向けながら、透哉も軽く手を振った。 
 彼女は分かっているだろうか。 
 透哉は祐二のもとに向かいながら考える。 

「また」その一言を言うために、どれだけ勇気がいったか。 
「また」なんて、きっと来ない。彼女と自分の間には、何一つ接点がないのだから。それでも、また彼女と会いたかった。また話がしたかった。 
 そんな気持ちがどうしても形に出来なかった。そうしてようやく出た言葉が、「またな」の、ただ一言だった。 

 彼女は分かっているだろうか。 
 笑いながら彼女が返した同じ言葉が、どれほどうれしかったか。 

 彼女と別れたことは残念だったが、透哉の心は少し浮き立っていた。
 
「また」 

 未来を暗示するその言葉を同じように返してくれた、それは彼女も自分と同じように次につながればいいと思ってくれたのではないかと、そう思えて。 



 祐二たちと合流し、その後のことを決めて帰ろうとしたときだった。 
 離れたところで、同じように帰ろうとしている彼女たちのグループを見つけた。 
 透哉が彼女を見ていると、不意に振り返った彼女と目が合った。 
 胸がどきどきした。
 
「……じゃあな!」
 
 遠くにいる彼女に聞こえるように声を張り上げた。精一杯の言葉だった。 
 手を振る透哉を見て、彼女が満面の笑顔を浮かべた。 

「じゃあね!!」 

 彼女が笑って手を振った。 
 そして彼女は透哉たちとは反対方向に歩いていった。 
 彼女が笑顔で答えてくれた、その事がうれしかった。けれど寂しいとも思った。 
 きっと、もう会うことはないのだろうから。 
 複雑な気持ちに、透哉はため息を付いた。
 
「……お前、岡崎と親しかったっけ?」 

 後ろで祐二がつぶやいた。 

「……まあ、さっき親しくなった……気がする」 

 けれど、これ以上親しくなる事はないだろうな……と、心の中でつけたした。 





 記憶を探ると、意外と彼女のことを覚えている自分に驚くことがあった。 
 全く関わる事がなかったのに、ふとした瞬間、不意に彼女を思い出すのだ。 

 それは、偶然すれ違ったときの彼女の表情だったり、日直で準備をしている姿だったり、全く彼女を気にかけて見ていたわけでないときの記憶だった。印象深いわけでもなく、日々の日常の中に埋もれているような記憶ばかり、それが何かのきっかけで不意に思い出されるのだ。 

 今になって思えば、自分は無意識のうちに彼女を意識していたのだろうと透哉は思った。 
 入学式の、あの桜吹雪の日から。 
 後悔と未練が、卒業式のあの日から透哉の胸に残った。 



 大学に入学し、あの日の事は過去の事となって、記憶の中に埋もれていった。 
 けれど、忘れては不意に小さなきっかけで思いだし、そしてまた忘れる、それを繰り返す。 

 彼女を思い出させるそれは、桜の花だったり、黒い髪だったり、髪をかきあげる白い指だったり。 
 懐かしく思い出しては、こみ上げる切なさに胸が痛む。 

 ただ、透哉はあの日のように後悔して自分を責めてはいなかった。 
 入学したあの日、自分は勝手な思い込みから、出会えるチャンスを自ら棒に振った。けれど卒業式の日、自分は彼女と話すことが出来た。彼女を誤解することのないまま分かれることが出来た。その事がとてもうれしく思えるのだ。 

 切なさはまだ胸にある。卒業後も連絡を取り合えるほど親しくなれなかった未練もまだ胸にある。 
 けれどそれでいいと思った。切なく思えるのも、未練を感じるのも、卒業式のあの日、話しかけることが出来たからこそ感じるものだから。 
 それはうれしいことかもしれないと、少し強がりもこめて透哉は思う。 






 高校を卒業した日から四年がたった。 
 透哉は会社の門をくぐった。 
 透哉の就職した会社には敷地内の塀に沿って桜が植えてあった。 
「入社式の頃には満開だよ」 
 桜の木に興味を示した透哉に会社の人が言った。
 言葉の通り、この日、桜は満開だった。 

 桜を見上げながらゆっくりと進む透哉のそばを、彼より速い足取りで何人もの人が通り過ぎていく。 
 透哉の脳裏に七年前の桜の花がよみがえる。

 一面が薄桃色に染まった絵画のような一瞬。 
 いつかまた出会えたらいいと思う。 あの日のように、偶然に、そしてこんな満開の桜の下で。 
 そしたら今度こそ声をかけよう。 
 あの一瞬のひとときに自分も加わろう。 

 いつの頃からか、そんな風に夢見ている自分がいる。 
 透哉はそんな自分の感傷を笑って、桜に背を向けて歩みを速めた。 

 そんな透哉の背中を追うように、強い風が吹き抜けていった。 
 思わず振り返った。 

 視界一面に広がる、薄桃色の桜吹雪。 

 あの日の桜吹雪のようだと思った。 
 ただひとつ、彼女の姿だけがない。 
 透哉は花びらが舞い散る桜の木をもう一度見上げ、そして再び背を向けて歩き出そうとした。 
 桜から目を離した瞬間、視界の端に人影が見えた気がした。 

 どくんと、心臓が音を立てた。 

 視線を桜の木に戻す。その視界の端には確かに桜を見上げる女性の姿があった。 
 透哉はゆっくりと彼女に目を向けた。 
 桜舞い散る中、たたずむその姿。 

 まさか。 

 透哉は彼女を見つめる。 
 黒髪がわずかに風になびき、白い指がその髪を押さえている。 
 目を細めて桜を眺めるその人。 

 見間違えるはずがなかった。 

 こんなきれいな立ち姿を、彼女のほかに自分は知らない。 
 透哉の胸をあの日の感動にも似た思いがこみ上げる。 

 なんと君に声をかけようか。 

 透哉は彼女に向かって一歩を踏み出した。 


 もう二度と迷わない。 
 桜舞い散る木の下で、今度こそ、君に声をかける。 








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