上 下
5 / 8

5

しおりを挟む

 自分を愛してくれるような男と結婚しても互いに不幸になるだけだと言い切るクリシュナに、国王は項垂れて、呻くように呟いた。

「お前は……俺を、脅しているのか?」

 握りしめた拳が震えている。
 クリシュナは自嘲めいた笑いが込み上げるのをこらえていた。
 その通りだ。脅しているのだ。わたくしが不幸になるのは、あなたのせいだと。だから、一度で良いから、一夜の情けが欲しいと。それも出来ないくせに、適当な事を言ったあなたが悪い、と。
 責めたかったのだ。なのに、衝撃を受けている国王を目の当たりにすると、そんな事をしてしまった自分の心が、やめておけば良かったと疼く。
 力なく項垂れる彼の姿を見るのが苦しい。愛しい人を傷つけて胸が痛まないわけがない。
 けれど、撤回する気にもなれなかった。「ごめんなさい」「大丈夫」と慰めたい気持ちと同じぐらい、自分の気持ちを国王に思い知らせたかった。
 クリシュナは唇を噛んだ。

「約束を、破るからですわ」

 努めて冷静な声で返すと、国王は凶暴な猛獣を思わせる瞳で睨むようにクリシュナを見た。

「誰が約束を破るなどと言った」
「落ちぬ男はおらぬと言ったのに、陛下は……」

 言いかけたところで、それを遮るように国王が言葉をかぶせてきた。

「誰が、落ちておらぬと言った?」

 厳しく見つめてくる瞳とぶつかった。引き締められた口元も、唸るような低い声もどれも人を怯えさせるほど威圧的な物だった。
 けれどクリシュナには、言葉の内容に比べれば、それらのどれも些細な物と思えた。

「……え?」

 クリシュナは意味が分からずに、惚けたような声を漏らす。

「お前を奪えぬ事と、お前に落ちぬ事は別の問題だとは思わないのか?」

 皮肉げに笑うその顔は、先ほどまでの凶暴さをたたえたままだ。厳しいまでの視線は今もクリシュナを突き刺すように向けられている。

「……え?」
「年がお前の倍より上だぞ。お前のような未来のある若い女を、どうしてこんな老いた俺が奪える。俺がお前を奪うということが、どれだけお前を過酷な世界に引きずり込むか分かっているのに、どうして……」

 怒りのように吐き出される言葉は、苦悩が滲んでいるように思えた。
 その言葉が真実なのか、それとも体の良い言い訳なのか、クリシュナには分からなかった。ただ、そんな言葉で逃げられるのも、ないがしろにされるのもやりきれないと思った。そんな言葉を理由にされて、自分の気持ちを拒絶されるのでは、あまりにもやるせない。
 いっそ、そんな目で見る事が出来ないと言われた方がまだ納得が行く。中途半端にかけられる思いがあれば、いつまでも彼に気持ちを引きずられるままで、未練ばかりに縋りたくなる。けれど、それはクリシュナには許されないのだ。家のために結婚はさせられる事に変わりはないのだから。未練に縋って惨めに生きていくつもりもない。ならば想いを変える事は出来なくても、未練を打ち砕かれた方がずっとましだ。

「陛下が、わたくしを受け入れてくれないのでしたら、わたくしの恋だの愛だのといったものの未来などどうでも良いのです。わたくし、もう一八ですのよ。これでも望みがないからと、何度も諦めようとしましたわ。他の方を見ようと、恋しようと、これでも頑張ったのです。でも、諦めたのです。わたくしは、あなたを諦めることなど出来ないのだと。わたくしのこの想いは、たった一度の恋で良いのです。きっと一生に一度の恋ですわ」

 国王がクリシュナに歩ませたい未来などないのだと、彼女は迷うことなく語った。

「ですから、もう、陛下がわたくしを手折ってくれないのでしたら、どうでも良いのです。陛下にその気がないのでしたら、わたくしにとって落ちるも落ちぬも同じこと。それならどうか先ほどの言葉はいっそ無かった事にして下さいませ。その方がわたくしももっと楽に嫁ぐ事が出来ますわ。受け入れられぬとおっしゃるのでしたら、どうかわたくしの事に口を出したりなさらないで下さいませ。このまま放っておいて下さいませ。手折る気すらないのでしたら、それ以上はわたくしだけの問題。幸せになるもならぬも、わたくしが自身で選ぶ道ですもの。陛下には関係のないことなのですから」

 国王はクリシュナの諦めの混じった懇願を静かに聞いていたが、ややあって、彼女の細い手首を掴んだ。その顔には先ほどまでの怒りのような感情も、苦悩も浮かんでいない。けれど、思い詰めているのではないかと感じるほど、ひどく真剣な顔をしていた。



「……来い」
「陛下?」

 国王の変化は突然だった。
 急に引かれた腕に、クリシュナは慌てて足を繰り出す。そうしなければ転んでしまいそうなほど、クリシュナの意志を無視した引っ張り方だった。掴んだ国王の手は強く、掴まれた手首は痛みさえ覚える。

「陛下、どこへ……」

 強い力で引かれながら、クリシュナは国王の顔を仰ぎ見た。見つめる横顔は厳しいと思えるほど真剣な表情のままだ。

「陛下」

 呼んでも返事をしてくれない。振り返ってさえくれない。
 クリシュナは泣きたくなった。感情は読み取れないが、きっと怒っているのだと思えた。それは全て自分のせいであると思うと悲しかった。
 全部自分が起こした事なのに怖かった。

「陛下?」

 突然引かれた腕に、クリシュナは慌てて足を繰り出す。そうしなければ転んでしまいそうなほど、クリシュナの意志を無視した引っ張り方だった。掴んだ国王の手は強く、掴まれた手首は痛みさえ覚える。

「陛下、どこへ……」

 強い力で引かれながら、クリシュナは国王の顔を仰ぎ見た。見つめる横顔は厳しいと思えるほど真剣な表情のままだ。

「陛下」

 呼んでも返事をしてくれない。振り返ってさえくれない。
 クリシュナは泣きたくなった。感情は読み取れないが、きっと怒っているのだと思えた。それは全て自分のせいであると思うと悲しかった。
 全部自分が起こした事なのに怖かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

Endless - エンドレス

泉野ジュール
恋愛
『この想いは消えない。たとえ立場が変わっても』 かつて王子だった少年は、国の侵略により奴隷に身を落とした。15年後、青年へと成長した少年は、自らが仕える侵略者のフィアンセに屈折した想いを寄せることになる。 愛は憎しみへと形を変えた。 そして、侵略者が再び征服されるとき、終わらない夢がはじまる。 【魔法のiらんど、小説家になろう様等にも掲載しています】

伯爵令嬢の苦悩

夕鈴
恋愛
伯爵令嬢ライラの婚約者の趣味は婚約破棄だった。 婚約破棄してほしいと願う婚約者を宥めることが面倒になった。10回目の申し出のときに了承することにした。ただ二人の中で婚約破棄の認識の違いがあった・・・。

もう一度だけ。

しらす
恋愛
私の一番の願いは、貴方の幸せ。 最期に、うまく笑えたかな。 **タグご注意下さい。 ***ギャグが上手く書けなくてシリアスを書きたくなったので書きました。 ****ありきたりなお話です。 *****小説家になろう様にても掲載しています。

国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく

ヒンメル
恋愛
公爵家嫡男と婚約中の公爵令嬢オフィーリア・ノーリッシュ。学園の卒業パーティーで婚約破棄を言い渡される。そこに助け舟が現れ……。   初投稿なので、おかしい所があったら、(打たれ弱いので)優しく教えてください。よろしくお願いします。 ※本編はR15ではありません。番外編の中でR15になるものに★を付けています。  番外編でBLっぽい表現があるものにはタイトルに表示していますので、苦手な方は回避してください。  BL色の強い番外編はこれとは別に独立させています。  「婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました」  (https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/974304595) ※表現や内容を修正中です。予告なく、若干内容が変わっていくことがあります。(大筋は変わっていません。) ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  完結後もお気に入り登録をして頂けて嬉しいです。(増える度に小躍りしてしまいます←小物感出てますが……) ※小説家になろう様でも公開中です。

この恋、諦めます

ラプラス
恋愛
片想いの相手、イザラが学園一の美少女に告白されているところを目撃してしまったセレン。 もうおしまいだ…。と絶望するかたわら、色々と腹を括ってしまう気の早い猪突猛進ヒロインのおはなし。

ふたりは片想い 〜騎士団長と司書の恋のゆくえ〜

長岡更紗
恋愛
王立図書館の司書として働いているミシェルが好きになったのは、騎士団長のスタンリー。 幼い頃に助けてもらった時から、スタンリーはミシェルのヒーローだった。 そんなずっと憧れていた人と、18歳で再会し、恋心を募らせながらミシェルはスタンリーと仲良くなっていく。 けれどお互いにお互いの気持ちを勘違いしまくりで……?! 元気いっぱいミシェルと、大人な魅力のスタンリー。そんな二人の恋の行方は。 他サイトにも投稿しています。

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

処理中です...