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本編
いいえ、ナンパではありません。
しおりを挟む壁に背が当たり、お兄さんの両手が私の顔の横を遮るように伸ばされ、壁に手をついている。私を見下ろすお兄さんは、結構背が高くて、細身に見えるけど、近くだと、かなり大きくて。
……恐い。
なんだかんだ言っても、さっきまでは変なお兄さんだけど、恐くなかった。からかわれているような感じで、そう……アレは、子犬でも相手にしてるようなスタンスだったんじゃないかと思う。
でも、今、目の前で私を見下ろしているお兄さんは、ちょっと恐い。さっきと変わらない目をしてるように見えるのに、なんか恐い。
ホントに、私はずっと緊張してて、でも、軽口たたけるから何とか押さえてて……。
お兄さんが押さえつけるように目の前にいて、無表情に私を見ていて。
「……ぁぅっ」
なんか言おうとしても、喉がつまって声が出てこない。
涙がにじんできた。
うわ、ホントに泣きそう。
でも、見上げると、お兄さんはやっぱり黙って私を見てるし。
泣きそうになるのをこらえようと、下唇を噛んだ。
何で、こんな事するの。
強がりでそう思ってお兄さんをがんばって睨み付けると、お兄さんは、ふぅ……と、心底めんどくさそうに息を吐いた。
もう、やだ。
悪いのはお兄さんなのに、何で私がこんなふうに呆れられなきゃいけないの。
涙がこぼれる寸前だった。
とたんに、お兄さんの体がぐっと近づいて、そして……ぎゅうぅぅって、抱きしめられた。
「……ひゃぅお?!」
「おまえ、それ、反則だろ……」
耳元で、くぐもったお兄さんの声が聞こえた。
違います、反則なのは、お兄さんです!!
言い返したいけど、なんだか恐くなくなったお兄さんにほっとして、声が出なかった。
代わりに出てきたのはこらえていた涙だった。
「……うっ、……ぐぅっ……ひっく……」
必死でこらえているのに、涙と、声が漏れる。
恐かったのに、こんなに優しくするとか、やっぱり、反則はお兄さんだ。
「ふっ……ふえぇぇぇ……」
なんだよ、ふえぇって……!
でも泣くのを我慢してたところでほっとしたせいで、気の抜けた音が出た。
私はお兄さんにすがって泣いた。
分かってる、間違ってるのは分かってる! でも、安心しちゃったんだから、仕方ないと思います!
「……っ、ああ、もう……!」
私を抱きしめたままお兄さんはいらだったようにつぶやいて、抱きしめる腕の力がぎゅううっと強くなった。
「悪かった……!」
彼は怒ったように声を絞り出した。
お兄さん、それは、逆ギレだよ……。
えぐえぐと泣きながら私は思う。でも、涙は止まらない。
「俺が悪かったから……泣くなよ」
心底困ったような声がして、優しくぽんぽんと背中が叩かれて。
それが気持ちよくて。
私は恐かった本人にうっかりとすがりつくという訳の分からない状況のまま、うっかりと安心して、私好みの筋肉質な胸の感触をうっかりと堪能しながら泣いてしまった。
うっかりが過ぎるとか言わないで、分かってる、分かってるから!
それにしても、お兄さん、やっぱり良い体ですね!
泣き止むと、お兄さんはぽんぽんと頭を叩いて、そして少しかがんで私の目線に合わせてきた。
あうっ、お兄さんの顔が間近に。
やっぱり、かっこいいではないですか。
でも、目の前の顔は、ちょっと困った様子で、私を見ている。
「機嫌なおったか?」
その声が思った以上に優しくて、うっかり私はうなずいた。
なんだか、私、お兄さんの言動にうっかりと流されてばっかりです。でも、好みの顔が近くで優しくしたら、流されるのは仕方がないと思うのですよ!
うん、私、悪くない。悪いのはおにーさん!
「ところでおにーさん、私、状況把握し切れてないです。説明お願いします」
私が目を擦って、ちょっと涙声で言うと、彼はすっと目をそらし、かがめていた体をまっすぐにした。
目が泳いでいますよ、お兄さん。何か後ろめたいんですか。
「……犬に噛まれたと思って、適当に流せば良いだろ?」
「…………じゃあ、ぽち」
「犬の名前を付けるなよ」
「じゃあ、タマで」
「そこで猫の名前に飛ぶのか」
「すみません、やっぱり犬の名前の方が良いですよね。ということで、説明してくれるまで、お兄さんはぽちでお願いします」
「ヤメロ」
「じゃあ、もう一回泣きます」
大丈夫、まだ、今の段階なら素で泣ける。涙目で見上げると、彼はほんの少しひるんだように見えた。
おお、意外と効果があるらしい。腐っても女の涙って、すごいね! いや、私、まだ腐ってないつもりだけどね!!(重要) むしろ若いし。十代乙女青春まっただ中だし! 自分で言うとなんか胡散臭いね!
「それも、勘弁しろ」
彼は顔をしかめた。本当にイヤそうだから、勘弁してあげることにした。乙女の涙万歳!
「じゃあ、あの女の人は何ですか」
「ああ、そっちの説明ね」
どっちの説明のつもりだったんですか。
お兄さんは仕方なさそうに溜息をついた。
「仕事の取引先の役員さん。プライベートで遭遇して邪険に出来ないし、困ってたんだ」
え、邪険にできないって、思いっきりしてたよね。ガン無視してたよね。アレって邪険にしてないって言うんですか。大人の世界は難しいです。
「じゃあ、何で、私に狙いを定めたんですか」
「めんどくさそうになくって、他に手頃なのがいなかったから」
ものすごくお兄さん素で答えやがりましたね。さすがに私、ちょっとかちんと来た。もう少しオブラートに包んで欲しかったです。
「そこは嘘でも一番かわいかったからって言って置いて下さい」
「おまえが一番かわいかったからだ」
仕方なさそうに言わないで下さい。
「残念! 遅かったです!! もうふたつ前の会話で言って下さい」
「わがままだな。でも、そこが、かわいいな」
ま さ か の 棒 読 み ……!!
「今更取り繕っても遅いです」
この敗北感、どうしてくれよう……! 私好みのイケメンのお兄さんに言われると、ちょっと傷つくじゃまいか……!
「じゃあ最後、何でキスするんですか。私のファーストキスなのに!」
「マジか! 今時そんなヤツいるのか!」
お兄さんは驚愕に目を見開いた。えええ! そこ驚くことですか!
「突っ込むところはそこですか! ていうか、お兄さん、自分基準で世間をみないで! 哀れんだ目で見ないで!」
「まあ、よかったじゃないか、最初が俺みたいなイケメンで」
どういう訳か、彼は上機嫌になって言った。すごく、納得がいきません。
「事実ですけど、自分で言わないで下さい。時には日本人の謙遜という美徳を思い出しても良いんじゃないかと思うんですよ」
むっとして私はお兄さんを見上げる。
お兄さんはにやりと笑って私の頭をぽんぽんと叩いた。
何となくいろいろと誤魔化されている気がした。
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