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6章 済度
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階段を駆け降り、1階へと戻ってきた。
そのまま逃げ続け、適当な部屋に潜り込み身を隠す。
足音が──声が──追ってきた。
霊達は血眼になって私達を捜しているようだ。
だがやがて、ざわめきは小さくなっていき、ようやく消えてくれた。
「なんとか逃げきったようだな……」
「あんな団体で現れるなんて。さすがにキビシイよ……」
「いや……次からは単体で現れても厳しいぞ」
真人さんは塩が入っていた袋を逆さにして、
「今ので尽きた」
恐れていたことが現実になってしまった。
もうこれで、私達は丸腰も同然だ。
私達を取り巻く状況は、良くなる一方で悪くもなっていく。
まるで、見えない力が働き、両者のバランスを均一に保つように。
どちらかに大きく傾くことはない。それがありがたくもあり、もどかしくもある。
△▼△
霊に出会さないよう強く祈りながら、どうにか月宮伊吹の部屋にたどり着くことができた。
狭間ノ國を統べていた2つの家の1つ──絶対的な権力を有する家系の者の住まいにしては質素な部屋であった。
特別目を引くものといえば、黒檀製の文机くらいだろうか。
月宮伊吹の部屋を中心にして、周辺の部屋を調べていく。
彼の父母に当たるであろう人達の部屋を見つけた。
そして、残った部屋──進行方向から見て一番奥にある部屋こそが沙雪さんの部屋だろう。
入室しようと歩み寄る。
ずっ……ずず……
ずっ……ずず……
沙雪さんの部屋の先は、廊下が鉤の手に折れている。その先から奇妙な音が聴こえてきた。
何かを引きずるような、怪しげな音──。
また霊が現れたらしい。
一番身近にあった部屋に逃げ込んだ。鏡が粉々に砕けた鏡台、衣桁に掛けられている落ち着いた柄の女性の着物が目につく。おそらく月宮兄妹の母に当たる人物の部屋だと思われる。
襖には破れ目があり、そこから様子を見ることができる。
ずっ……ずず……
ずっ……ずず……
足を引きずるようにして霊が姿を現した。
暗い場所だが、霊特有の燐光のような光をたたえているため、その姿ははっきりと見ることができる。
乱れた髪に乱れた着物姿をした女性の霊だ。慎ましやかな身なりから察するに使用人の女性だったかもしれない。
彼女の全身には、目を背けたくなるほどの深い切り傷が至るところに刻まれ、その無惨に裂けた創傷からは、赤黒い血がどくどくと流れている。
そして極めつけは彼女の腕だ。両腕とも肘から先がない。袖ごと力任せに切断されている。
『どこ…………? どこ…………? 私の…………腕…………』
失われた両腕を求め、あの霊はさまよっているようだ。
(あ……!)
思わず、狼狽が声として出そうになった。
腕のない女性の霊は、あろうことか沙雪さんの部屋にすーっと吸い込まれるようにして入ってしまったから……。
そのまま、無為に時間だけが過ぎていく。
霊は部屋から出てこない……。
今は1分……いや、1秒だって惜しい状況だ。
「ど……どうしましょう……?」
囁き声で、私は2人に意見を求める。
「……案外、他の場所に行っちゃったかもよ」
「え?」
「ほら、霊って壁をすり抜けられるみたいだし」
気楽な意見だけど、美伽の言い分も一理あると思った。
そうであってほしい。期待を祈りに乗せ、沙雪さんの部屋の方へと近づく。
ずっ……ずず……
ずっ……ずず……
『ない…………。ない…………。あぁ…………体が……腕が……痛いいぃぃぃぃ…………痛いいぃぃぃぃ…………』
部屋の中から聴こえるのは、引きずるような足音と、苦痛による呻き声。
霊は未だに沙雪さんの部屋に留まっているということは明白である。
霊を退散させる手段を失った私達だ。
無策で沙雪さんの部屋に踏み込むのは危険と判断し、再びさっきの部屋に戻り、どうしたらいいかを考える。
「よし、俺が囮になって、あの霊を引き付ける。その隙に2人は部屋を調べてみてくれ」
苦肉の策を真人さんは呈した。
「だ、大丈夫なんですか?」
「あの腕のない霊は、鉈を持った霊と違って攻撃的な霊というわけではなさそうだ。そこまで危険な相手じゃないよ。動きも鈍いから、追いつかれることはまずない。逃げきってみせるさ」
彼は持っていた筐の材料と八雲さんの亡骸を私達に託す。少しでも身軽にするためだ。
「じゃあ、頼んだよ」
しっかりとした足取りで、真人さんは沙雪さんの部屋の前に立つとその戸を開けた。そして少し間を置き、霊がやって来た方向へと去っていく。
その後を、霊はやはり足を引きずるようにして追いかけていく。
彼らの気配がなくなり、静寂が辺りを包む。
私と美伽は頷き合うと、静かに部屋を出て沙雪さんの部屋へと向かった。
部屋の中に入ると、ひんやりと冷たい空気に迎えられた。ついさっきまで霊がいたからだろう。
懐中電灯で室内を軽く照らしてみると、鏡台のひび割れている鏡が光を鈍く跳ね返してきた。よく見ると、鏡の表面は曇り明瞭に対象を映すことはできなくなっている。
「……女の人の部屋みたいだけど、本当に沙雪さんの部屋なのかな?」
「うん、間違いないよ」
美伽の疑問に、私は自信をもって肯定してみせる。
衣桁に掛けられている着物──それが、沙雪さんが着ていた黒地に牡丹柄の着物だったからだ。
「遺書を残すとしたら、やっぱあの辺が怪しいかな?」
美伽は指差した。
壁際の隅に文机があり、その傍らには小振りの書架がある。書架の中には書物がそこそこに収まっている。
まずは文机の引き出しを開けてみる。筆記具と細々とした小物が入っているのみで、筆記帳の類いはなかった。
では書架の方はどうだ。私達は収まっている書物を調べていく。
「これ、アルバム……?」
美伽が手にしている冊子には、モノクロの古びた写真が何枚も貼り付けられていた。
「沙雪さんってどの人だろう?」
「えっとね……あ、この人だよ」
若い男女が写されている写真──その女性の方を示した。
「へえ、美人だね。……でも、言っちゃ悪いけど、ちょっと怖いかも……。なんで顔の半分を髪で隠してるんだろ。もったいない」
独り言のように美伽は呟いた。
「じゃあ、こっちの男はもしかして……」
「うん、彼が月宮伊吹……」
「そうなんだ。……口惜しいけど、結構かっこいいね。とても極悪非道な振る舞いをする人には見えないっていうか……」
美伽の言う通りだった。写真の中の月宮伊吹は、とても穏やかな顔をしている。そこに冷酷さを見いだすことは困難なくらいに。
きっと、最愛の沙雪さんと一緒だからだろう。
手に取った冊子を開くと、日付が目に飛び込んできた。
沙雪さんの日記のようだ。
もしかすると、遺書めいた記述を発見できるかもしれない。
そのまま逃げ続け、適当な部屋に潜り込み身を隠す。
足音が──声が──追ってきた。
霊達は血眼になって私達を捜しているようだ。
だがやがて、ざわめきは小さくなっていき、ようやく消えてくれた。
「なんとか逃げきったようだな……」
「あんな団体で現れるなんて。さすがにキビシイよ……」
「いや……次からは単体で現れても厳しいぞ」
真人さんは塩が入っていた袋を逆さにして、
「今ので尽きた」
恐れていたことが現実になってしまった。
もうこれで、私達は丸腰も同然だ。
私達を取り巻く状況は、良くなる一方で悪くもなっていく。
まるで、見えない力が働き、両者のバランスを均一に保つように。
どちらかに大きく傾くことはない。それがありがたくもあり、もどかしくもある。
△▼△
霊に出会さないよう強く祈りながら、どうにか月宮伊吹の部屋にたどり着くことができた。
狭間ノ國を統べていた2つの家の1つ──絶対的な権力を有する家系の者の住まいにしては質素な部屋であった。
特別目を引くものといえば、黒檀製の文机くらいだろうか。
月宮伊吹の部屋を中心にして、周辺の部屋を調べていく。
彼の父母に当たるであろう人達の部屋を見つけた。
そして、残った部屋──進行方向から見て一番奥にある部屋こそが沙雪さんの部屋だろう。
入室しようと歩み寄る。
ずっ……ずず……
ずっ……ずず……
沙雪さんの部屋の先は、廊下が鉤の手に折れている。その先から奇妙な音が聴こえてきた。
何かを引きずるような、怪しげな音──。
また霊が現れたらしい。
一番身近にあった部屋に逃げ込んだ。鏡が粉々に砕けた鏡台、衣桁に掛けられている落ち着いた柄の女性の着物が目につく。おそらく月宮兄妹の母に当たる人物の部屋だと思われる。
襖には破れ目があり、そこから様子を見ることができる。
ずっ……ずず……
ずっ……ずず……
足を引きずるようにして霊が姿を現した。
暗い場所だが、霊特有の燐光のような光をたたえているため、その姿ははっきりと見ることができる。
乱れた髪に乱れた着物姿をした女性の霊だ。慎ましやかな身なりから察するに使用人の女性だったかもしれない。
彼女の全身には、目を背けたくなるほどの深い切り傷が至るところに刻まれ、その無惨に裂けた創傷からは、赤黒い血がどくどくと流れている。
そして極めつけは彼女の腕だ。両腕とも肘から先がない。袖ごと力任せに切断されている。
『どこ…………? どこ…………? 私の…………腕…………』
失われた両腕を求め、あの霊はさまよっているようだ。
(あ……!)
思わず、狼狽が声として出そうになった。
腕のない女性の霊は、あろうことか沙雪さんの部屋にすーっと吸い込まれるようにして入ってしまったから……。
そのまま、無為に時間だけが過ぎていく。
霊は部屋から出てこない……。
今は1分……いや、1秒だって惜しい状況だ。
「ど……どうしましょう……?」
囁き声で、私は2人に意見を求める。
「……案外、他の場所に行っちゃったかもよ」
「え?」
「ほら、霊って壁をすり抜けられるみたいだし」
気楽な意見だけど、美伽の言い分も一理あると思った。
そうであってほしい。期待を祈りに乗せ、沙雪さんの部屋の方へと近づく。
ずっ……ずず……
ずっ……ずず……
『ない…………。ない…………。あぁ…………体が……腕が……痛いいぃぃぃぃ…………痛いいぃぃぃぃ…………』
部屋の中から聴こえるのは、引きずるような足音と、苦痛による呻き声。
霊は未だに沙雪さんの部屋に留まっているということは明白である。
霊を退散させる手段を失った私達だ。
無策で沙雪さんの部屋に踏み込むのは危険と判断し、再びさっきの部屋に戻り、どうしたらいいかを考える。
「よし、俺が囮になって、あの霊を引き付ける。その隙に2人は部屋を調べてみてくれ」
苦肉の策を真人さんは呈した。
「だ、大丈夫なんですか?」
「あの腕のない霊は、鉈を持った霊と違って攻撃的な霊というわけではなさそうだ。そこまで危険な相手じゃないよ。動きも鈍いから、追いつかれることはまずない。逃げきってみせるさ」
彼は持っていた筐の材料と八雲さんの亡骸を私達に託す。少しでも身軽にするためだ。
「じゃあ、頼んだよ」
しっかりとした足取りで、真人さんは沙雪さんの部屋の前に立つとその戸を開けた。そして少し間を置き、霊がやって来た方向へと去っていく。
その後を、霊はやはり足を引きずるようにして追いかけていく。
彼らの気配がなくなり、静寂が辺りを包む。
私と美伽は頷き合うと、静かに部屋を出て沙雪さんの部屋へと向かった。
部屋の中に入ると、ひんやりと冷たい空気に迎えられた。ついさっきまで霊がいたからだろう。
懐中電灯で室内を軽く照らしてみると、鏡台のひび割れている鏡が光を鈍く跳ね返してきた。よく見ると、鏡の表面は曇り明瞭に対象を映すことはできなくなっている。
「……女の人の部屋みたいだけど、本当に沙雪さんの部屋なのかな?」
「うん、間違いないよ」
美伽の疑問に、私は自信をもって肯定してみせる。
衣桁に掛けられている着物──それが、沙雪さんが着ていた黒地に牡丹柄の着物だったからだ。
「遺書を残すとしたら、やっぱあの辺が怪しいかな?」
美伽は指差した。
壁際の隅に文机があり、その傍らには小振りの書架がある。書架の中には書物がそこそこに収まっている。
まずは文机の引き出しを開けてみる。筆記具と細々とした小物が入っているのみで、筆記帳の類いはなかった。
では書架の方はどうだ。私達は収まっている書物を調べていく。
「これ、アルバム……?」
美伽が手にしている冊子には、モノクロの古びた写真が何枚も貼り付けられていた。
「沙雪さんってどの人だろう?」
「えっとね……あ、この人だよ」
若い男女が写されている写真──その女性の方を示した。
「へえ、美人だね。……でも、言っちゃ悪いけど、ちょっと怖いかも……。なんで顔の半分を髪で隠してるんだろ。もったいない」
独り言のように美伽は呟いた。
「じゃあ、こっちの男はもしかして……」
「うん、彼が月宮伊吹……」
「そうなんだ。……口惜しいけど、結構かっこいいね。とても極悪非道な振る舞いをする人には見えないっていうか……」
美伽の言う通りだった。写真の中の月宮伊吹は、とても穏やかな顔をしている。そこに冷酷さを見いだすことは困難なくらいに。
きっと、最愛の沙雪さんと一緒だからだろう。
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