禁踏区

nami

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5章 陰と陽

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「ごめん、今戻るよ」

 壁に反響してか、真人さんの声にはエコーがかかっていた。
 それからすぐに彼は戻ってきた。

「裏切り者に罰を与える部屋があるって話だけど、多分ここがそんな場所みたいだ」

 私も美伽も思わず顔をしかめる。

「八雲さんの亡骸はなかったよ。遺骨は欠片も見当たらない」

「ということは、別の場所ってことですね……」

「そうだ、実は途中で月宮家の息子が書いたと思われる手記を見つけてね。持ってきたんだ」

「あの鬼畜男の?」

 露骨に嫌そうな表情を作る美伽。月宮伊吹は今や完全に彼女の仇敵になっているようだ。

「八雲さんを殺害した容疑者といってもいい人物だ。その辺りのことが何か書かれてるかもしれないだろ。読んでみようか」

 高床式の畳に腰を下ろすと、真人さんはバッグから手記を取り出し、開いた。


 △▼△


 ○月 ●日

 今日で沙雪も十五になった。生まれた時から美しい沙雪であるが、よわいを重ねる毎にその美しさは増しているように思われる。
 沙雪の誕辰たんしん自体は目出度きことである。しかし同時に忌むべき日であるのも確かだ。

 齢十六になりし娘は月読家に嫁ぐべし。

 なぜこのような不山戯ふざけた掟があるのだろうか。あと一年だ。あと一年で沙雪は彼の家に嫁いでしまう。
 月読八雲──沙雪の許嫁。死に損ないの忌々しい男。虚弱ということで婚姻を結ぶ前にくたばるだろうと思っていたが存外しぶといことだ。
 しかしまだ望みは潰えていない。沙雪はまだあの男と対面したことはないのだ。あの化物としか言い様のない醜い姿を目の当たりにしたならば、きっと奴との婚姻を拒絶するに違いない。
 その時は俺が父に掛け合って沙雪を救ってやろう。


 ○月 ●日

 今日は沙雪と月読家の死に損ないを対面させた。
 まさかこのような結果になるとは。有ろうことか沙雪はあの死に損ないを気に入ってしまった。
 父も沙雪が奴との婚姻を拒絶すると懸念していたようだ。その懸念が消えたからだろう。父は何時に無く上機嫌であった。
 こんなはずでは。いや、もしかすると沙雪は堪忍んでいるだけかもしれない。
 沙雪は心根の優しい娘だ。下男下女は元より形代どもにも憐憫の情を見せるくらいである。きっと家のためと思って堪えているに違いない。
 可哀想な沙雪。俺が必ず救ってやる。


 ○月 ●日

 奴と対面した日以来、沙雪は毎日のように甲斐甲斐しく奴の元へと通っている。
 生意気にもあの死に損ないが呼びつけているかと思ったが、どうも沙雪は随意に奴に逢いに行っているようだ。
 そして今日も、庭の花が綺麗に咲いたことを口実にして奴に逢いに行ったそうだ。そういえば、奴の住まいである離れ家に駆けて行くのを見かけた。
 認めたくはないが、家のために堪えているということではなさそうである。心からあの男を慕っていなければ、このような行動は到底出来まい。
 一体なぜだ。あの化物の何がそんなに沙雪を惹き付けているというのだ。もしやあの化物め、魅了の呪いで沙雪を虜にしているのではあるまいな。
 それにしても沙雪が心配だ。虚弱とはいえ奴も男。離れ家という密室に二人きりということが殆どだろう。劣情に委せ、関係を持とうと沙雪に迫ったりしていないだろうか。
 どうしたらいい。このままでは沙雪は奴のものになってしまう。
 忌々しい。虚弱ゆえに満足に家の責務を果たすこともできぬ役立たずの化物が。そのような出来損ないの男に沙雪を奪われるのか。
 嫌だ。やはりあのような穀潰しの化物に沙雪を嫁がせるなど断じて許せぬ。


 ○月 ●日

 なぜ俺は月宮の家に生まれてきたのだろうか。できることなら月読の家に生まれたかったものだ。
 なぜ俺は沙雪の兄なのだろう。なぜ兄は妹と婚姻を結んではいけないのだろう。
 塞ぎ込む日々が続く中で、倉の整理をしていたら系譜図を発見したと下女が報告してきた。
 随分と長い系譜図であった。月宮も月読も血統の起源は平安の時代という話だから無理もない。
 系譜図は月宮と月読の両家を記しているが、遡っていくと一つになってしまった。
 これはどういうことか。調べてみると両家は“月ノ一族ツキノイチゾク”という一つの家だったらしい。
 兄と妹、姉と弟で婚姻を繰り返し、連綿とその血を守ってきたそうだ。
 二つに分かれた家──今こそ一つに戻す時かもしれない。やはり沙雪は俺が娶るべきなのだ。月読の化物と婚姻を結んだところで沙雪は不幸になるだけだ。
 そうだ、沙雪は古今、未来永劫俺のもの。誰にも渡しはしない。


 ○月 ●日

 父に沙雪を娶りたいと懇望した。
 愚か者と罵られ、早く扇屋おうぎや家か四辻よつじ家の娘を娶れと叱り飛ばされた。
 あり得ぬ。なぜ俺があのような下賤の女を妻として迎えなければならぬのだ。
 俺の妻は沙雪しか認めぬと返すと、父は怒り狂い、これ以上穢らわしい戯言を抜かすようであれば、実の子と言えども雪ぐと恫喝してきた。
 愚か者はどちらだ。父がここまで蒙昧だとは思わなかった。
 最早父と認めたくもない。今日よりあの男は俺の敵だ。そして敵は早々に始末しなければ。
 あの男がくたばれば月宮の当主は俺になる。さすれば予てから興味の対象であった禁術書も同時に相続できる。得することばかりではないか。なぜもっと早くこの事実に気づかなかったのだろう。
 効力の高い呪いで一息に仕留めてもいいのだが、あの男の剣幕は尋常ではなかった。今ここであの男がくたばれば俺の仕業だと勘付く者も現れることだろう。
 下僕を始末するのと実父を始末するのでは重みはまた違ってくる。下僕どもを動揺させるのは得策ではない。遅効の呪いで病気と見せかけて葬るのがいいだろう。
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