禁踏区

nami

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5章 陰と陽

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 ○月 ●日

 置場にある形代の増え方が芳しくないとのことで、呪い師殿から形代狩りを行うようとの命が下された。
 形代狩りは我ら守備役の者が唯一外界に出ることができる日でもある。もちろん外界に出られることは喜ばしいことだ。しかし、俺は未だに形代狩りには馴染むことができない。なんの咎もない者達を攫って呪具にしてしまうなど、人間のすることではないと感じるのだ。
 だが俺のような考え方はここでは異端らしい。大半の者は形代狩りに疑問を抱くこともない。それどころか中には日頃の鬱積を晴らす機会だと心待ちにしている者もいる。
 俺もいっそのことそのような境地に達したいものだ。そうすれば、こうして苛まれることもなくなるのだから。


 ○月 ●日

 己を殺すことで今回の形代狩りも無事完遂した。
 手土産として外界の書物を持ち帰ることができた。書物を通して外界の様子を知ることは楽しいものだ。
 書物によると外界の世は目まぐるしく変わっているらしい。そのようなことを指す言葉があった気がする。確か日進月歩といったか。
 日進月歩か。狭間ノ國とは無縁の言葉だ。この地は平安の時代に誕生して今日こんにちまで、なんの変化もなければ進歩していくこともないのだから。ずっと同じ身分のまま同じ日々が繰り返されていくだけだ。

 いや、全く変化がなかったわけでもないらしい。現在、この地を治めているのは月宮家と月読家であるが、両家は元は一つの家だと聞いた。
 血が穢れることを恐れ、親族同士で婚姻を結ぶことを連綿と繰り返していたそうだが、代償として血が濃くなりすぎたのか、いつしか廃人や短命しか生まれなくなってしまったらしい。それでやむを得ず家を二つに分けたという。
 けれども泥水に清水を少し注いだところで、やはり泥水は泥水でしかないように、濃くなってしまった血の業は両家を未だに蝕んでいる。その証しに月読家の八雲様はひどく虚弱であられるそうだし、月宮家の沙雪様は生まれつき右の目が見えないという。
 伊吹様は一見なんの影響も受けていないように見受けられるが、あの御方こそが最も血の業に蝕まれているように感じる。冷酷極まる気質はその現れではないだろうか。
 今日もまた、あの御方は茶が濃すぎるという些細な理由で、新米の女中とその教育係を雪いでしまわれた。


 ○月 ●日

 今日は古参の守備役から嫌な話を聞いてしまった。
 役目を終えた形代を流す贄ヶ淵についてだ。
 それほど広くはない湖という話だが、贄ヶ淵の下には空洞があり、どのような仕組みになっているのか、沈められた形代達の骸はそこにうまい具合に溜まっていくそうだ。
 その空洞に溜まった骸を五十年に一度片付けるらしいのだが、それも守備役の仕事らしい。そしてその五十年目に当たるのが今年だという。
 作業する者はくじで決められる上に、過酷な作業ということで特別手当ても出るそうだが、できることなら俺は遠慮したいものだ。
 きっと形代達は計り知れないほどの怨みと無念を抱いて死んでいったことだろう。そのような怨念で埋め尽くされた場所に行くなど考えるだけで震えが襲う。
 しかし俺は昔から貧乏籤を引きやすい。作業を担当することになるかもしれない。


 △▼△


「ふーん、場所が場所なだけに頭のおかしな連中ばっかかと思ってたけど、この日記書いてた人はそこそこマトモな人だったみたいだね」

「うん」

「ていうかさ、この“雪いで”って……やっぱり“殺す”って意味かな……?」

「多分ね……」

「最悪! お茶が濃いから殺すって意味不明だから。薄めりゃいいだけの話なんじゃないの?」

 憤慨する美伽。私も同意だ。
 そういえば、いつかの使用人の日記──ミスを繰り返してしまう新人の教育係だった人が書いていたようだったけれど、もしかして雪がれてしまったのは、その人とその新人だったのだろうか……?

 隠し部屋について何かヒントがないか期待していたけれど、そういった記述は一切なかった。ただ、この土地はやはり異常だったということが嫌というほど理解できただけで終わった。

 引き続き、私達は部屋を調べる。
 次はさっき逃げ込んだ収納庫だ。
 開けた途端、腐った布団による悪臭の洗礼を受けた。でも我慢我慢。

 とりあえず長持を開けてみようということで引っ張り出す。
 想像以上に重い。奥の方から押し出すのが効率的かもしれない。
 私が奥に入った。




『……うぅ…………ぅぅうううぅぅ……』




 不気味な唸り声がして、ひんやりとした冷気が下から立ち上り始めた。


 思わず私は硬直する。


「ちょっと凛、どうしたの?」

 美伽が覗き込んできた。

「唸り声が……」

「え……ま、またなんか出てくるわけ……?」

 囁き声で返すと、美伽も囁き声で返してきた。
 辺りを警戒する美伽。もちろん私だって同じだ。



『…………ぅうぅ……ぅぅ…………』



『ぅぅ…………ぅううぅぅぅ…………』



 聴こえるのは唸り声だけで、他にはなんの異変もない。



 ──あれ?



『…………ぅううぅぅ…………ぅぅ……』



 唸り声は下の方から聴こえてくる。


 そういえば冷気も下から上ってきている。


 床に手をゆっくりすべらせてみた。
 すると、ヒヤッとした風が吹き込んでいるのに気づいた。


「美伽!」

「な、何!?」

「あるかもしれない」

「え……?」

「隠し部屋」

 長持を収納庫の外に出して床を調べてみる。

「やっぱり……。見て、取っ手みたいなものが付いてる」

 床の一部は、キッチンなどにある床下収納の扉みたいなものになっていた。

「収納庫の戸が邪魔だね。外しちゃおうか」

「OK」

 戸を外すと視界が開け、作業もやり易くなった。
 取っ手は押し込むとその部分が飛び出す造りになっている。

 取っ手を思いっきり引っ張る。想像以上に重くて1人じゃ開けられない。
 美伽と協力してなんとか開けることができた。

 やはりこの下には何かあるらしい。下ろされた頑丈そうな木の梯子が、それを語っている。
 かなり深いようだ。懐中電灯の明かりが底まで届かない。


 ひゅううぅうぅぅぅ…………!


 ぽっかりと空いた正方形の穴から、唸りをともなって冷たい風が吹き上げてくる。この地に縛られ、さまよう者達の嘆きの悲鳴みたいに聴こえた。

「よし、降りてみよっか」

「待ちなよ美伽。真人さんが来るまで待とう?」

「そうそう、先走るのは感心しないな」

 男の人の声が加わった。
 いつの間にか真人さんが隣にいた。

「真人先輩!」

「やっと合流することができたな。2人とも無事で何よりだ」

 穏やかな笑みで私達をねぎらってくれた。
 そして彼は緊張した面持ちで、正方形の穴に視線を向ける。

「何が起こるかわからないからな。先に俺が降りてみよう」

「わかりました」

「気を付けてくださいね、真人先輩」

 真人さんは慎重に梯子を降りていく。
 やがて、彼の姿は闇の中に沈んでしまい見えなくなってしまった。

 待てども待てども、真人さんから言葉はない。

 時間だけが過ぎていく。
 さすがに心配になってきた。

「真人先輩!」

 美伽が声を掛ける。
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