禁踏区

nami

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5章 陰と陽

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「いやああああぁぁッ!」


 恐怖と悲しみが、私に悲鳴をあげさせた。


 来た道を全力で駆け戻る。


『待ってよぉ……! あなたの体を……体をちょうだぁいいぃぃ……!』


 カクカクとぎこちない動きで追いかけてくる。



 そんな……そんな……未央さんが!


 親しい間柄なだけに、その衝撃は筆舌に尽くし難いものであった。


 優しかった未央さん──。


 その彼女に、襲われている。


 どうか、悪い夢であってほしい。


 …………でも、現実なんだ──。



 逃げ続けているうちに玄関へと出てしまった。
 といっても、入ってきた時に通ったものではない。

 広すぎるゆえに玄関も複数あるのかもしれない。
 ここは、そのいくつかある玄関の1つのようだ。

 飛び付くようにして玄関を開けようとするが、びくともしなかった。
 私達を逃がすまいとする邪悪な意思が、ここでもしっかりと働いているようだ。

 玄関が開かない以上、ここは袋小路と同じだ。


 ギイッ……ギイッギイッ…………ギイッ……

 ……ギイッ……ギイッギイッ…………ギイッ


 たどたどしい足音が迫る。


 塩を手放してしまった私だ。
 迎え撃つという手段は断たれている。


 どうにかしないと──!


 他に抜け道はないか探す。
 すると、玄関の脇に引き戸があることに気づいた。

 開けると土間の部分と高床式の畳が半々になっている、それなりに広い部屋に続いていた。
 いくつかの甲冑と槍が立て掛けられている。
 もしかしたら警備を担当していた人達の詰所になっていた場所かもしれない。

 収納庫になっていると思われる引き戸が目についた。

 上段には腐ってえた臭いを放つまだら状に黒い布団が押し込まれていた。仮眠する時に使われていたのかもしれない。
 下段には大きめの長持ながもちがあるが、なんとか隠れられそうだ。

 戸を閉めると饐えた臭いが容赦なく鼻に突き刺さった。私はそれに耐えて、長持の奥で縮こまる。


 部屋の引き戸が開く音がゆっくりとした。



『うふふふ……。凛ちゃん……隠れてもダメよぉ……?』



 身体中の血液が瞬時に凍てついた。



 見つかる──!?



 こめかみの辺りがキリキリと痛みだし、手と足が痺れてくる。


 体が震えだす。


 床下から冷気が立ち上ぼり始める。
 それが、一層に体の震えを強めた。





 やがて





 収納庫の戸はゆっくりと開かれた……。


『もう……逃げられないわよぉぉ……』





 異形と化した未央さんが上半身を捩じ込んできた。




「きゃああああぁぁッ!」




 ぐらん……ぐらん……と揺れる未央さんの顔がニタリと笑った。


 走ってきたせいなのか、彼女の割れた頭はより深い亀裂を作ってしまったようで、脳みその一部がトロリと流れ落ちる。



『体ぁぁ……ちょうだあぁいぃぃ……!』



 未央さんは私に掴みかかろうと手を伸ばす。


「いやああああぁぁッ!」


「凛ッ!」


 何が起こったのかわからなかった。


 未央さんはぐにゃりと歪んだかと思うと、そのまま消えてしまった。


「凛、大丈夫!?」


 美伽だった。
 塩を投げつけて撃退してくれたらしい。

 放心して動けない私を、美伽は引っぱり出してくれた。

「もう大丈夫だからね」

 強く抱きしめられる。
 服越しに伝わる体温が、不安と恐怖を少しずつ溶かしていった。

 極限状態に置かれ張り詰めていた緊張の糸が弾け飛んだ。
 ぼろぼろと涙が溢れてくる。

 私も美伽も泣いた。
 抱き合って、ひたすらにわんわん泣いた。

 あの日──真人さんのアパートの前でも2人で泣き、体から涙が空になるくらい泣いたつもりだった。
 けれど、まだまだ私達の中にはたくさん涙が残っていたようだ。


 ──ようやく、落ち着いた。
 今度こそ空になったかもしれない。
 一生分、泣いたような気がする。

 美伽は私と合流できたことを真人さんに報告した。


 マサト
 『よかった。今はどういった場所にいるの?』


 ミカ
 『入ってきた時とは別の玄関があって、そのすぐそばにある兵士の詰所っぽいところです』


 マサト
 『そうか。だったらそこにいて。すれ違いを避けるためにも俺が迎えに行く。もちろんヤバそうだったら離れてくれ。で、また連絡して』


 ミカ
 『了解です』


 また未央さんが現れるんじゃ……と不安になったけど、そんな気配は今のところない。
 それでも、1人じゃ耐えられなかっただろう。
 でも、今は美伽が一緒だ。それだけでとても心強かった。

 歩き回ってくたくただ。それは美伽も同じようだった。
 私達は高床式の畳に昇って腰を下ろした。

「あんな化物まで現れるなんて……。ここ、ヤバすぎだよ」

「あれ、未央さんだよ……」

「嘘っ!? あ……、もしかして、飛び降り自殺をしたから……?」

 私は頷いて返した。
 美伽の驚愕の表情に悲しみの色が混ざる。

「じゃあ、亡くなった仲間……これで全員現れたことになるね……」

「え?」

「ここに来る前にね、ヨシノ先輩に襲われたの。……別人みたいで怖かった。見た目はヨシノ先輩なんだけど、中身が違うっていうか……。これもやっぱり、呪いのせいなのかな?」

「そうかもしれないね……」

「怖かったけど、何よりも苦しそうだった」

「うん……」

「全部終わったら、先輩達も助けてあげることができるかな……?」

「そうであってほしいよ……」

 彼らの死──というだけでもショッキングなことだった。
 その彼らが死後も苦しみ続けている……。
 惨い事実を知ってしまい、気分は最高に落ち込む。

「こんなんじゃダメだよね!」

 気合いを入れるように、美伽は両方の頬を叩く。パンパンと乾いた音が小気味良く静寂な空間に響いた。

「真人先輩が来てくれるまで、この部屋を調べてみない?」

「そうだね」

 壁際には小さな箪笥があり、4段の引き出しがある。
 まずはそこから調べてみることにした。
 隠し部屋について記されたものがあるかもしれない。

 微妙に歪んでいるせいなのか、一番上とその下の段は開けられなかった。
 残りの2段を開けてみると、中には寝間着と思しき質素な着物と手拭いなどが入っていた。どれも長年放置されてきたせいで黴の餌食になり、黴がおぞましいぶち模様を作りあげている。

「あれ? なんか本みたいなのが入ってる」

 寝間着に挟まれる形で、冊子の一部が確認できた。
 美伽はためらうことなく手を突っ込み、それを取り出した。

 寝間着に挟まれ、位置が真ん中だったのが幸いしたのだろう。黴の被害は少なく充分に読める状態に保たれていた。

 やはりここは警備を担当している人達の詰所らしい。ここで働いていた人の日記であった。
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