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nami

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5章 陰と陽

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 天津さんも含め、皆、一言も発さない。それぞれの思いに身を沈めているようだ。

 いろいろなことを知ることができた。これも、天津さんのおかげだ。
 しかし、一度に知りすぎたせいで、理解が追いつかない。
 少し……いや、かなり頭の中を整理していく必要がありそうだ。

 一度、判明したことを書き起こしてみようか。
 四角くくり貫かれた窓と思われる箇所。そこから暮れなずむ様子を眺め、そんなことを考えていた。

 小屋の中にも、薄闇が少しずつ忍び寄る。
 文明の利器というものが一切ないこの場所では、炎が明かりの役目を果たす。天津さんは囲炉裏に火をべ始める。
 もちろんライターもマッチすらない。火打石を使って火を起こすなんて初めて見る。石同士を打つのかと思っていたけど違っていた。片方は鉄のようなものを使っている。
 相当に慣れているのか、あっという間に囲炉裏に炎が灯された。

「いろいろ教えていただき、ありがとうございました」

 真人さんは立ち上がろうとするが、

「もうじき日が暮れる。今日はここに泊まっていけ。もてなしはできんと言うたが、川魚を焼いたものでよければ馳走してやろう」

 立ち上がろうとする際のちょっとした音で察知したのか、天津さんは引き留める。

「しかし……」

「お前達に時間がないことは理解しておる。だがな、夜の山を舐めるな。夜の山は日がある時とは姿が違う。迷うてしまえば、呪いが成就する前に犬死にじゃ。なぁに、この天津桜助、腐っても元呪い師じゃ。一晩くらいならば、お前達を蝕む悪夢から護ってやれるだろう」

「本当にそんなことが可能なんですか?」

「月宮と月読はともに呪い師であったが、得意とする呪いは違っていた。月宮は人に災いを与える呪詛を──月読は災いを跳ね返す呪詛返しを得意としていたのじゃ。儂は月読家に仕えていたから呪詛返しを叩き込まれておる。……さすがに跳ね返すまでには至らぬだろうが、時間を稼ぐことくらいは可能じゃろう」

「そういうことでしたら、ぜひお願いします」と真人さんは深く頭を下げた。もちろん私と美伽もそれに続く。

 天津さんは火の番を私達に託すと、壁に立て掛けてある手製と思しき釣竿と、その近くに置いてあるやはり手製と思しき木製の桶をもって外に出ていった。

 私はバッグからノートを取り出すと、判明したことを箇条書きで書き出してみる。
 さっき天津さんから聞いたことに加え、過去視と夢の中で知ったことも書いておく。

「何してんの?」

 美伽が覗き込んできた。
 情報整理をしていると教えると、真人さんも興味深そうにノートを覗き込む。

「……あたし、悪いのはこの“月宮伊吹”って男だと思う。八雲さんを殺した犯人は絶対こいつだよ。間違いない!」

 彼の名前が書いてあるところを、美伽は忌々しげに人差し指でちょんちょんと指した。
 私の意見も美伽と同じだ。


 月宮伊吹──……


 図らずも夢に現れたわけだけど、本当に恐ろしい人だった……。
 きっとあの人は、人の命を摘み取ることに、なんの呵責も覚えなかっただろう。

 それどころか、楽しんですらいた。
 あの目は──そういう目だ。

 虫の脚や羽をむしり取って喜ぶ残酷な子供の遊び──それと同じ感覚でしかなかったのかもしれない……。

 釣りから戻ってきた天津さんに晩御飯を振る舞われた。
 ただ焼いただけで味付けをしてない焼き魚。でも、元呪い師の天津さんが傍にいて頼もしいからか、最近の食事の中では一番美味しかった。

 食事が終わると、私達3人はすぐに就寝する。
 この小屋は元々天津さん1人で住むように建てられたものだ。だから中は狭い。私達は縮こまるようにして、それぞれの場所に体を横たえた。

 天津さんは不揃いの石を通して作られた数珠のようなものを爪繰りながら、何やら呪文のようなものを唱え始める。これが、私達を護る源になるのだろう。

 独特の節回しで流れていく呪文は、私の中に安らぎとなって満たされていく。まるで子守唄だ。
 ゆっくりと眠りの扉が開かれていく。

 開かれた先には、柔らかな夢の世界が広がっていた。


 △▼△


 私は月読家の中庭に立っていた。
 目の前には、八雲さんの部屋がある離れ家。
 いつも不吉な気配がする場所だが、天津さんの呪文が護ってくれているのか、そういった気配はまるで感じない。

 そよ風が私の髪を控えめに靡かせた。優しく頬を撫でる感覚が心地いい。
 空はまろやかな青。細々とした雲片が群れをなして鱗雲を作り上げていた。

 とても穏やかだ。
 きっと狭間ノ國が滅びる前なんだろう。

 私の足は勝手に離れ家へと近づく。
 足同様にその手も勝手に動き、扉を開けた。

 1番目の格子戸の近くには、私より少し年下くらいの少年が胡座あぐらを組んでいた。ちょっと負けん気の強そうな顔だ。
 法衣姿ということから、呪い師の1人ということがわかる。彼は難しい顔をして書物を読んでいる。

 ページを捲る右手の甲がちらっと見えた。焦げ茶色の雪だるまみたいな痣は見覚えがある。──ああ、若かりし頃の天津さんだったのか。

 天津さんは私が入ってきたことに気づかない。
 扉を開ける時はかなり軋んだのに……。もしかして、私のことが見えないのだろうか?
 考えてみると、これは夢の中。その可能性は大きい。


 奥の座敷牢に、八雲さんはいるのだろうか……?


 会いに行ってみようかと思う。
 しかし、格子戸はしっかりと施錠されている。
 多分、天津さんがその鍵を持っているんだろうけど、どこに忍ばせているかわからない。

 諦めて離れ家を出ようと踵を返した時だ。
 解錠され、錠前が落ちる硬い音がした。
 振り返ると、格子戸が次々に勝手に開かれていく。

 やはり、天津さんは気づかない。
 きっと、夢だからだ。


 面会することを歓迎してくれているんだ。


 勝手にそう解釈して、私は奥へと進んでいく。
 座敷牢に近づくほどに、その緊張は高まっていく。


 座敷牢の扉の前までやって来た。
 ここを施錠していた錠前も独りでにあっさりと解かれる。


 強い緊張感の虜になりながら、私は扉を潜った。


 八畳ほどの部屋の中央には、真っ白で清潔な布団が敷かれている。
 だが、そこに横たわっているであろう八雲さんの姿はない。


 彼は、お情けで造られたと勘繰らせる小窓の前に佇んでいた。
 私達に仇なす時と同じく、白い着物を着ている。
 
 気晴らしに景色を眺めているようだ。
 それにしても、本当に小さな窓だ。あれでは顔を出すこともままならないだろう。
 だけど八雲さんにとっては、唯一外と繋がることができる存在。沙雪さんの次くらいに大切な場所かもしれない。


「よく来てくれたね」


 穏やかな歓迎の言葉とともに、静かに八雲さんはこちらに向いた。
 病の後遺症であるという左半身の爛れが痛ましい。
 けれど、それ以上にその瞳に惹き付けられる。


 ──哀しくて清らかな瞳。
 様々な辛苦を溶かして流し込んだ瞳──とでもいうのだろうか。
 迫害を受けて耐え忍ぶ聖者を思わせた。

 八雲さんは不意に目を伏せた。哀しさがその分増したような気がした。

「君達には、本当に申し訳ないと思っている……。このようなことは頼める義理ではないけれど、どうか、僕を止めてほしい……」

「え……?」

「もう……嫌なんだ……。誰かの命を奪い続けるのは……」

 八雲さんは伏せた目を閉じた。締め出されるようにして、涙が頬を伝う。
 続けざまに項垂れるようにしてくずおれた。

「僕の魂は、陰と陽に分かれてしまったようなんだ。大半を占めるのは陰──無差別に命を刈り取る凶悪な存在……。僕は光が届かぬ狭い場所に幽閉され、食べ物も水すらも与えられずに餓死した。だから、遺恨がなかったと言えば嘘になる。だけど、こんな恐ろしい存在になりたいとは思わなかった……」

 どうしてそんなことをしようと思ったのかは、うまく説明できない。


 私は、八雲さんの元に歩み寄ると、彼の頭にそっと手を置いて、労るように撫でた。


 そしてしゃがみ込み、ポケットからハンカチを出すと、そっと彼の涙を拭った。


 八雲さんは当然、驚いた眼差しを投げ掛けてくる。


 けれど、それはすぐに柔らかく変化した。──微笑みだ。
 ──微笑んでも、哀しみで染まりきっているからなのか、その瞳は哀しさをたたえていた。


「ありがとう」


 感謝の言葉を最後に、八雲さんの姿はだんだん遠くなっていった。


 △▼△


 目が覚めると、囲炉裏にくべられた薪がぱちぱちとぜる音が聞こえた。

 ゆっくりと体を起こす。布団の上じゃないことに加え、かなり無理な体勢で寝ていたせいで、体のあちこちが悲鳴をあげそうだ。
 美伽と真人さんはよく眠っている。

「なんじゃ、眠れんのか?」

 天津さんは先ほど爪繰っていた数珠に使われていたものと同じような不揃いの石を糸に通し、新しく数珠を作っている。私達にかけられた呪いが大きすぎるせいで、壊れてしまったのだろうか?

「いえ、目が覚めてしまって」

「そうか。悪夢は見なかったじゃろう?」

「はい、おかげさまで。……八雲さんの夢を見ていました。悪霊になる前の……」

「ほう、あの御方の……。お優しい御方だったじゃろう?」

「はい。優しくて……でも、とても寂しそうな……」

「……羨ましいことだ。何度強く祈っても、儂の夢の中には、八雲様は一度もお姿を御見せにならん……」

 天津さんは作業の手を止め、しんみりと呟いた。

「凛殿……といったか。しばし、昔話に付き合ってはもらえんだろうか?」

「はい、いいですよ」

 天津さんは作業を再開して、語り始めた。
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