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4章 狭間ノ國
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「凛っ! 凛ってば!」
激しく体を揺さぶられる感覚とともに、焦りを帯びた悲鳴に近い美伽の声が私の鼓膜をビリビリと震わせた。
「あ……、私、目が覚めたんだ……」
「ちょっと寝ぼけてる? もう、揺すっても叩いても目が覚めないから心配したんだからね?」
「ごめん。あ……、手がかりを探すのに夢中だったからかも……」
私の言葉に、2人は疑問を抱いた時の顔を作ったので、事の次第を簡単に説明した。
「だからって無茶しないでよ。まだ猶予はいくらかあるけど、それでも危ないことには変わらないんだから……」
美伽は泣きそうな顔になる。そんな美伽を見るとさすがに申し訳なくなり、私は心の中で深く反省をした。
「でも、その姿勢は見習うべきだよな。俺も心に留めておくよ」
「そうですね。さて、次はあたしが眠る番か……。あたしも、できる範囲で手がかりを見つけてみるね」
「無理はしないでね」
「凛に言われても説得力ないよ?」
こんな風に交代で眠り、夜明けを待った。
細切れの睡眠だったけれど、全く眠らないよりはマシ……という風に考えておこう。
△▼△
白々と日が昇っていく。待望の夜明けだ。
それぞれ身支度を済ませる。
……それにしても、昨晩はとうとう未央さんからの連絡はなかった。
妹さんはまだ落ち着いていないのだろうか。
気になっているのは、もちろん私だけではない。
「そろそろ出発ですけど、未央先輩はどうしましょうか?」
「そうだな……。ちょっと訊いてみるか」
真人さんはラインでその旨を送ってみる。
……返事はなかなか来ない。
時間が時間だから、もしかしてまだ寝ているんだろうか。
いや、そんなはずはない。夜明けを待って出発という話はしてあるのだから。
「……妹さんのこともあるからな。ここは3人で行こうか?」
私と美伽に異存はなかった。ほぼ同時に頷いてみせる。
真人さんは再び報告のためにメッセージを送る。
すると今度はすぐに返事がきた。
「おい……これはどういう意味だ……」
スマホの画面に視線を落とす真人さんの顔が硬いものになる。
ただ事じゃない。私と美伽は真人さんのスマホを覗きこんだ。
ミオ
『ごめん妹の話は嘘なの』
ミオ
『やっぱり私もう耐えられない』
ミオ
『でもようやく降りる決心がついた』
ミオ
『約束破って本当にごめんなさい』
次々と送られてくるラインのメッセージからは、不穏な空気がありありと伝わってくる。
「な、なんなんですか、これ……!」
「未央さんのマンションに行きましょう!」
「ああ!」
直接的な表現は用いられてなかったが、彼女は命を絶とうとしている。
早朝ということで道路が空いていたのは幸いした。
未央さんの住むマンションまですぐに着くことができた。
「ああッ!」
車を降りるなり、美伽はマンションを見上げて指差した。
「未央さんッ!」
未央さんはマンションの屋上を囲む高い柵を乗り越え、そこに力なく佇んでいた。
「止めろおおぉぉッ!」
真人さんが力の限り叫ぶ。
聞こえない距離ではないだろう。しかし、未央さんはこちらを見ようともしなかった。
そして──
前方にぐらりと倒れ込む未央さん。
一瞬の出来事であった。
ドサッ──!
未央さんが叩きつけられる音が合図になり、私の意識はそこで失われた。
△▼△
ぼんやりと祭壇のようなものが見える。
ここは、どこなの……?
……考えるまでもない、いつもの夢だ。
きっと、あの2つの屋敷のどこかにある部屋だろう。
曖昧だった輪郭が鮮明になる。
私は改めてその部屋を観察してみた。
おかしな形の部屋だ。
これは、五角形──?
祭壇は部屋の中央に据えられている。
祭壇の形も五角形だ。よくわからない祭具が並べられ、太い蝋燭が室内を不気味に照らす。
その祭壇を取り囲むように、煤けた御札が何枚も貼られている黒い箱が5つ置かれている。およそ50センチの立方体だ。
いずれも蓋は空けられたままだ。
何か入っているのだろうか?
心に住むもう1人の私が『見ない方がいい』と警告するけれど、置かれた箱には強力な磁力でも秘めているのか、私は吸い寄せられるように箱のひとつに近づく。
ためらいつつも、覗き込もうとした時だ──
「何をしている」
背後から声を掛けられ、心臓がギュッと収縮した。
振り返ると、そこには男が1人。
その顔を見た瞬間、収縮した心臓がさらに締め付けられた。
月宮伊吹──!
「早く“それ”を筐に詰めよ」
どこか女性的な端正な面は、恐れを抱かせるほどに冷たい。
涼しげで凛とした声音には、他人を容易く服従させてしまう威圧感が籠められている。
月宮伊吹が指差した方──祭壇に視線を定める。
「きゃああああッ!」
網膜が“それ”を捉えたのとほぼ同時だ。私の口から悲鳴が迸った。
ついさっきまで何もなかった祭壇の上には、人間の頭が3つ置かれている。
ただの頭ではない。
新井さん、柏原さん、そして未央さんの頭だ。
「ぐずぐずするな。早く“それ”を筐に詰めよ」
月宮伊吹の美しい顔が苛立ちに歪められる。
仄暗い狂気が宿る漆黒の目に捕らえられると、抵抗しようとする意思は容赦なく削がれてしまう。
“心の内に何匹もの鬼を住まわせている”──というフレーズがよみがえる。
従うしかない。
そうでないと、何をされるかわかったもんじゃない。
夢の中とはいえ、恐ろしい目に遭わされるのは御免だ。
3人の頭の前に立つ。
皆、土気色になり、見開かれている目はどんよりと濁り、どことも言えぬ空間を見つめている。
だらしなく半開きになった口の隙間から、何やら蠢くものが確認できる。
──蛆だ。生命力が失われ、単なる蛋白質の固まりと化した彼らを餌にしているんだ。
嫌だ嫌だ嫌だ!
触りたくない──!
泣きたい気持ちが頭の中を埋め尽くす。
しかし、泣いたところで、この無情な命令が免除されるわけではない。それは自信をもって言える。
対峙してみてわかった。
月宮伊吹は、命令に背くことを決して許しはしないだろう。
まずは新井さんの頭から……。
震える指先が、彼の死せる皮膚に触れた。
刺すほどの冷たさと、ねとっとした嫌な感触が指先から脳髄に瞬時に伝わった。──腐敗が着々と進んでいることがわかる。
鼻先を掠めるのは、得も言われぬ悪臭。これが、死臭というものなんだろうか……。
五感を通じてあらゆる不快感を叩きつけられ、吐き気を催した。
しっかりと彼を掴む。
腐敗が進み、皮膚が脆くなっているようで、気を付けないと皮膚がずるっと頭蓋から分離しそうだ。
虚空を見つめていた眼球がこちらに向いた。
濁った眼差しは、確かに私を見据えている。
『り ん……、止 め て く れ えぇ……。た す け て く れ よ おぉぉぉ……』
恨めしそうに助けを求められた。
哀れみを誘うくぐもった声は、地獄の底から響いてくるようだ。
ゆっくりと動かされる唇の隙間から蛆が数匹這い出てくる。
「いやぁッ!」
思わず手を離す。
──が、それきり新井さんは何も言わない。というよりも、初めから何事もなかったようだ。
……恐怖心が見せた幻覚だったのだろうか?
激しく体を揺さぶられる感覚とともに、焦りを帯びた悲鳴に近い美伽の声が私の鼓膜をビリビリと震わせた。
「あ……、私、目が覚めたんだ……」
「ちょっと寝ぼけてる? もう、揺すっても叩いても目が覚めないから心配したんだからね?」
「ごめん。あ……、手がかりを探すのに夢中だったからかも……」
私の言葉に、2人は疑問を抱いた時の顔を作ったので、事の次第を簡単に説明した。
「だからって無茶しないでよ。まだ猶予はいくらかあるけど、それでも危ないことには変わらないんだから……」
美伽は泣きそうな顔になる。そんな美伽を見るとさすがに申し訳なくなり、私は心の中で深く反省をした。
「でも、その姿勢は見習うべきだよな。俺も心に留めておくよ」
「そうですね。さて、次はあたしが眠る番か……。あたしも、できる範囲で手がかりを見つけてみるね」
「無理はしないでね」
「凛に言われても説得力ないよ?」
こんな風に交代で眠り、夜明けを待った。
細切れの睡眠だったけれど、全く眠らないよりはマシ……という風に考えておこう。
△▼△
白々と日が昇っていく。待望の夜明けだ。
それぞれ身支度を済ませる。
……それにしても、昨晩はとうとう未央さんからの連絡はなかった。
妹さんはまだ落ち着いていないのだろうか。
気になっているのは、もちろん私だけではない。
「そろそろ出発ですけど、未央先輩はどうしましょうか?」
「そうだな……。ちょっと訊いてみるか」
真人さんはラインでその旨を送ってみる。
……返事はなかなか来ない。
時間が時間だから、もしかしてまだ寝ているんだろうか。
いや、そんなはずはない。夜明けを待って出発という話はしてあるのだから。
「……妹さんのこともあるからな。ここは3人で行こうか?」
私と美伽に異存はなかった。ほぼ同時に頷いてみせる。
真人さんは再び報告のためにメッセージを送る。
すると今度はすぐに返事がきた。
「おい……これはどういう意味だ……」
スマホの画面に視線を落とす真人さんの顔が硬いものになる。
ただ事じゃない。私と美伽は真人さんのスマホを覗きこんだ。
ミオ
『ごめん妹の話は嘘なの』
ミオ
『やっぱり私もう耐えられない』
ミオ
『でもようやく降りる決心がついた』
ミオ
『約束破って本当にごめんなさい』
次々と送られてくるラインのメッセージからは、不穏な空気がありありと伝わってくる。
「な、なんなんですか、これ……!」
「未央さんのマンションに行きましょう!」
「ああ!」
直接的な表現は用いられてなかったが、彼女は命を絶とうとしている。
早朝ということで道路が空いていたのは幸いした。
未央さんの住むマンションまですぐに着くことができた。
「ああッ!」
車を降りるなり、美伽はマンションを見上げて指差した。
「未央さんッ!」
未央さんはマンションの屋上を囲む高い柵を乗り越え、そこに力なく佇んでいた。
「止めろおおぉぉッ!」
真人さんが力の限り叫ぶ。
聞こえない距離ではないだろう。しかし、未央さんはこちらを見ようともしなかった。
そして──
前方にぐらりと倒れ込む未央さん。
一瞬の出来事であった。
ドサッ──!
未央さんが叩きつけられる音が合図になり、私の意識はそこで失われた。
△▼△
ぼんやりと祭壇のようなものが見える。
ここは、どこなの……?
……考えるまでもない、いつもの夢だ。
きっと、あの2つの屋敷のどこかにある部屋だろう。
曖昧だった輪郭が鮮明になる。
私は改めてその部屋を観察してみた。
おかしな形の部屋だ。
これは、五角形──?
祭壇は部屋の中央に据えられている。
祭壇の形も五角形だ。よくわからない祭具が並べられ、太い蝋燭が室内を不気味に照らす。
その祭壇を取り囲むように、煤けた御札が何枚も貼られている黒い箱が5つ置かれている。およそ50センチの立方体だ。
いずれも蓋は空けられたままだ。
何か入っているのだろうか?
心に住むもう1人の私が『見ない方がいい』と警告するけれど、置かれた箱には強力な磁力でも秘めているのか、私は吸い寄せられるように箱のひとつに近づく。
ためらいつつも、覗き込もうとした時だ──
「何をしている」
背後から声を掛けられ、心臓がギュッと収縮した。
振り返ると、そこには男が1人。
その顔を見た瞬間、収縮した心臓がさらに締め付けられた。
月宮伊吹──!
「早く“それ”を筐に詰めよ」
どこか女性的な端正な面は、恐れを抱かせるほどに冷たい。
涼しげで凛とした声音には、他人を容易く服従させてしまう威圧感が籠められている。
月宮伊吹が指差した方──祭壇に視線を定める。
「きゃああああッ!」
網膜が“それ”を捉えたのとほぼ同時だ。私の口から悲鳴が迸った。
ついさっきまで何もなかった祭壇の上には、人間の頭が3つ置かれている。
ただの頭ではない。
新井さん、柏原さん、そして未央さんの頭だ。
「ぐずぐずするな。早く“それ”を筐に詰めよ」
月宮伊吹の美しい顔が苛立ちに歪められる。
仄暗い狂気が宿る漆黒の目に捕らえられると、抵抗しようとする意思は容赦なく削がれてしまう。
“心の内に何匹もの鬼を住まわせている”──というフレーズがよみがえる。
従うしかない。
そうでないと、何をされるかわかったもんじゃない。
夢の中とはいえ、恐ろしい目に遭わされるのは御免だ。
3人の頭の前に立つ。
皆、土気色になり、見開かれている目はどんよりと濁り、どことも言えぬ空間を見つめている。
だらしなく半開きになった口の隙間から、何やら蠢くものが確認できる。
──蛆だ。生命力が失われ、単なる蛋白質の固まりと化した彼らを餌にしているんだ。
嫌だ嫌だ嫌だ!
触りたくない──!
泣きたい気持ちが頭の中を埋め尽くす。
しかし、泣いたところで、この無情な命令が免除されるわけではない。それは自信をもって言える。
対峙してみてわかった。
月宮伊吹は、命令に背くことを決して許しはしないだろう。
まずは新井さんの頭から……。
震える指先が、彼の死せる皮膚に触れた。
刺すほどの冷たさと、ねとっとした嫌な感触が指先から脳髄に瞬時に伝わった。──腐敗が着々と進んでいることがわかる。
鼻先を掠めるのは、得も言われぬ悪臭。これが、死臭というものなんだろうか……。
五感を通じてあらゆる不快感を叩きつけられ、吐き気を催した。
しっかりと彼を掴む。
腐敗が進み、皮膚が脆くなっているようで、気を付けないと皮膚がずるっと頭蓋から分離しそうだ。
虚空を見つめていた眼球がこちらに向いた。
濁った眼差しは、確かに私を見据えている。
『り ん……、止 め て く れ えぇ……。た す け て く れ よ おぉぉぉ……』
恨めしそうに助けを求められた。
哀れみを誘うくぐもった声は、地獄の底から響いてくるようだ。
ゆっくりと動かされる唇の隙間から蛆が数匹這い出てくる。
「いやぁッ!」
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