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4章 狭間ノ國
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彼女の部屋は3階にあるという。
エレベーターを待つのも惜しいので、階段を駆け上がっていく。
真人さんは未央さんの部屋のインターホンを勢いよく押した。
…………未央さんからの応答はない。
真人さんはもう一度、力強くインターホンを押した。
…………やはり応答はない……と思われたが、ひっそりと静かに玄関が開けられた。
「ど、どうしたの3人とも」
未央さんは驚いた眼差しで、私たち一人一人に視線を向ける。
「それはこっちの台詞だ。なんの返事もないから心配したぞ」
「ごめんなさい。実は帰ったら妹がいてね。その……ちょっと思い詰めてるように見えたから……」
未央さんは視線を下ろして、玄関に行儀よく並べられている白いミュールを示した。
「もちろん、身内のごたごたに時間を割いてる場合じゃないってことはわかってる。でも……」
「そうか。そういうことなら妹さんについててやってくれ」
「本当にごめん。妹が落ち着いたら必ず合流するから」
未央さんは思っていたよりも元気であった。私達はそのことにまず安心を覚える。
もしかすると、妹さんの身を案じることで、未央さんに向けられていた恐怖と不安の矛先が、彼女からそらされているのかもしれない。
未央さんの姿を確認することができた。私達は彼女の意を酌み、マンションを後にした。
夜もすっかり更けた。
明日は夜明とともに出発する予定でいる。必ず悪夢を見てしまう手前、眠るのは気が進まないけれど、そろそろ就寝しなければならない。
特に真人さんはドライバーなのだから、特に眠っておかなければならない人だ。
そういうわけで、一番最初に眠ってもらうことになった。
『見守られてると思うと緊張するな』と言っていたけれど、疲れていたのだろう。真人さんは体を横たえると、すぐに規則正しい寝息をたて始めた。
「できるだけ、長く眠ってもらいたいね」
「そうだね」
しんと耳が痛くなりそうな静寂が私達を包んでいる。
普通ではない現状にあるからか、時々聴こえる外の音は、どこか別の世界から聴こえてくるように感じられる。
あまり寝顔を凝視するのも失礼かと思い、少し視界からずらした。
「そういえば、私は亡霊に追われる前に、たまにいろんなものが見えたりするんだけど、美伽はそういうことないの?」
美伽は左右に首を振ってみせた。
脈絡もなく見せられる光景。
一見バラバラだけど、考えてみると、あれは全て繋がっているんじゃないだろうか。
繋ぎ合わせることで、何かわかることがあるかもしれない……。
そんなことを考えているうちに一時間が経とうとしていた。
真人さんの静かな寝息がにわかに苦しげな呻きに掏り替わった。
「起きてください!」
私と美伽は強く彼を揺さぶる。
「──ッ!」
真人さんはそろそろと体を起こす。
「ヤバかった。もう少しで捕まるところだったよ。2人とも、ありがとう」
力ない安堵の笑みを向けられた。ホッとする反面ゾッとしてしまったのも事実だ。すぐに起こしたつもりなのに……。
うなされてから起こすのでは遅いのだろうか……。
次は、私か美伽が眠る番だ。
「あたしはどっちでもいいよ」
「そう? じゃあ次は私の番でいい?」
「うん」
うまくいけば夢の中で情報収集ができるかもしれない。
そうなることを期待して眠りにつく。
△▼△
祈りが聞き届けられたのか、私は目当ての夢を見ることができた。
そこは、噂の屋敷と思われる場所であった。
──まだ廃墟になる前の状態だ。
座敷に、いつかの女性の姿が確認できる。黒地に牡丹柄の着物が映える美しい少女の姿が。
彼女は嬉しそうに花束を作っている。恋人へのプレゼントだろうか?
『沙雪様、見事な桔梗でございますね。許嫁様に贈られるのですか?』
もう1人女性が現れた。
質素だが清潔感がある着物の女性だ。あの屋敷で働いていた女中……だろうか。
沙雪……それが、この少女の名前なんだ。
許嫁──2人は恋人よりも深い仲だったのか。
『ええ。綺麗に咲いてくれましたから、あの御方にもぜひ御覧になっていただきたくて』
沙雪と呼ばれた少女は幸せそうにはにかみ、できあがった桔梗の花束を抱える。そして女性に優美な所作で会釈をして座敷を出ていった。
沙雪さんは屋敷の廊下を歩いていく。
途中、呪い師と思しき男達と何人かすれ違う。彼らは皆一様に、沙雪さんの姿を確認すると畏まったように姿勢を正し、一礼して彼女を見送る。
沙雪さんは彼らよりも身分が高いようだ。
屋敷と屋敷を繋ぐ渡り廊下のような通路に出た。沙雪さんはそれを渡り、もうひとつの屋敷へと入る。
複雑な構造の屋敷であるが、彼女は屋敷の全てを把握しているようだ。迷うことなく中庭へと出た。
許嫁の部屋がある離れ家が見える。
沙雪さんは嬉しそうに、小走りで離れ家へと近づく。
その様子をやや離れたところから観察する者がいた。
──殺し合う人々を満足げに、狂気の眼差しで眺めていた酷薄そうな美青年だ。
青年の魅惑的な漆黒の目は吊り上がっている。研ぎ澄まされた刃を思い起こさせる冷え冷えとした危うい目付きだ。
彼は憎々しげに沙雪さんを睨んでいる。
……この人は、沙雪さんが憎いのだろうか──?
いや、そもそも、沙雪さんとは一体どんな関係にあるというんだろう……。
疑問は解けないまま、夢は悪夢へと移ろいでいく。
△▼△
眼前にあるのは、朽ちた屋敷内の光景だ。
昨日までの私なら、ただただ嘆き、絶望していただろう。
でも、これからは違う。
ここでも積極的に手がかりを求めて動いてみるんだ。
屋敷は2つ存在する。
月宮邸と、まだ名は知らないもうひとつの屋敷。
ここは、どっちなんだろう……。
まあいい、とにかく探索してみよう。
幸いなことに、まだあの亡霊が現れる気配はない。
どんな小さなことでも構わないから、何か得られるものがありますように──。
私が今いる付近には、いくつか部屋がある。
とりあえず、その中のひとつに入ってみた。
居間と書斎が合わさったような部屋……武家屋敷などでは確か書院と呼んでいた気がする。
かなり広い。文机が2列に3つずつ、計6つも並んでいる。どうやら複数の人で使われていた部屋のようだ。
室内の保存状態はなかなか良い。それでも、廃墟なので置かれている家具などには分厚い埃が膜となって覆っている。
試しに小振りの桐箪笥を開けてみる。長年放置されているせいで歪んでしまったのか、3センチほどの隙間を作ることしかできなかった。
今度は文机に視線を移した。文机はどれも同じもので、引出しが1つついている。私はそれらを開けていく。
目ぼしいものはないかと思っていたところに、1冊の筆記帳が出てきた。
表紙を捲ると大きく表題が書かれている。
「“形代管理に関する覚書”……?」
思わず口に出していた。
形代──よくわからないけれど、確か呪術に使う道具だった気がする……。
ざっと目を通してみると、形代の消費と補充についてのことが淡々と記されている。
……ここにはもう、手がかりになりそうなものはなさそうだ。
移動しよう。
書院の間の近くにある部屋は荒れ果てており、人が入れるような状態ではない。私はひたすらに廊下を進む。
すると、炊事場らしき場所に出てしまった。
さすがにこんなところで手がかりは見つからないだろう。少し引き返し、手近にあった部屋に入った。
そこは、やけに広い床張りのがらんとした和室であった。
押し入れに入りきらないのか、部屋の隅に布団が積まれている。
その脇にある葛籠の中には、先ほど現れた女中らしき女性が身に付けていたものと同じ着物と帯がしまわれていた。
どうやらここは、この屋敷で下働きをしていた人達の部屋らしい。
積まれている布団と布団の間から、冊子らしきものがわずかに顔を覗かせていることに気づいた。
それを引っ張り出して中を確認してみる。使用人が書き綴った日記のようだ。
エレベーターを待つのも惜しいので、階段を駆け上がっていく。
真人さんは未央さんの部屋のインターホンを勢いよく押した。
…………未央さんからの応答はない。
真人さんはもう一度、力強くインターホンを押した。
…………やはり応答はない……と思われたが、ひっそりと静かに玄関が開けられた。
「ど、どうしたの3人とも」
未央さんは驚いた眼差しで、私たち一人一人に視線を向ける。
「それはこっちの台詞だ。なんの返事もないから心配したぞ」
「ごめんなさい。実は帰ったら妹がいてね。その……ちょっと思い詰めてるように見えたから……」
未央さんは視線を下ろして、玄関に行儀よく並べられている白いミュールを示した。
「もちろん、身内のごたごたに時間を割いてる場合じゃないってことはわかってる。でも……」
「そうか。そういうことなら妹さんについててやってくれ」
「本当にごめん。妹が落ち着いたら必ず合流するから」
未央さんは思っていたよりも元気であった。私達はそのことにまず安心を覚える。
もしかすると、妹さんの身を案じることで、未央さんに向けられていた恐怖と不安の矛先が、彼女からそらされているのかもしれない。
未央さんの姿を確認することができた。私達は彼女の意を酌み、マンションを後にした。
夜もすっかり更けた。
明日は夜明とともに出発する予定でいる。必ず悪夢を見てしまう手前、眠るのは気が進まないけれど、そろそろ就寝しなければならない。
特に真人さんはドライバーなのだから、特に眠っておかなければならない人だ。
そういうわけで、一番最初に眠ってもらうことになった。
『見守られてると思うと緊張するな』と言っていたけれど、疲れていたのだろう。真人さんは体を横たえると、すぐに規則正しい寝息をたて始めた。
「できるだけ、長く眠ってもらいたいね」
「そうだね」
しんと耳が痛くなりそうな静寂が私達を包んでいる。
普通ではない現状にあるからか、時々聴こえる外の音は、どこか別の世界から聴こえてくるように感じられる。
あまり寝顔を凝視するのも失礼かと思い、少し視界からずらした。
「そういえば、私は亡霊に追われる前に、たまにいろんなものが見えたりするんだけど、美伽はそういうことないの?」
美伽は左右に首を振ってみせた。
脈絡もなく見せられる光景。
一見バラバラだけど、考えてみると、あれは全て繋がっているんじゃないだろうか。
繋ぎ合わせることで、何かわかることがあるかもしれない……。
そんなことを考えているうちに一時間が経とうとしていた。
真人さんの静かな寝息がにわかに苦しげな呻きに掏り替わった。
「起きてください!」
私と美伽は強く彼を揺さぶる。
「──ッ!」
真人さんはそろそろと体を起こす。
「ヤバかった。もう少しで捕まるところだったよ。2人とも、ありがとう」
力ない安堵の笑みを向けられた。ホッとする反面ゾッとしてしまったのも事実だ。すぐに起こしたつもりなのに……。
うなされてから起こすのでは遅いのだろうか……。
次は、私か美伽が眠る番だ。
「あたしはどっちでもいいよ」
「そう? じゃあ次は私の番でいい?」
「うん」
うまくいけば夢の中で情報収集ができるかもしれない。
そうなることを期待して眠りにつく。
△▼△
祈りが聞き届けられたのか、私は目当ての夢を見ることができた。
そこは、噂の屋敷と思われる場所であった。
──まだ廃墟になる前の状態だ。
座敷に、いつかの女性の姿が確認できる。黒地に牡丹柄の着物が映える美しい少女の姿が。
彼女は嬉しそうに花束を作っている。恋人へのプレゼントだろうか?
『沙雪様、見事な桔梗でございますね。許嫁様に贈られるのですか?』
もう1人女性が現れた。
質素だが清潔感がある着物の女性だ。あの屋敷で働いていた女中……だろうか。
沙雪……それが、この少女の名前なんだ。
許嫁──2人は恋人よりも深い仲だったのか。
『ええ。綺麗に咲いてくれましたから、あの御方にもぜひ御覧になっていただきたくて』
沙雪と呼ばれた少女は幸せそうにはにかみ、できあがった桔梗の花束を抱える。そして女性に優美な所作で会釈をして座敷を出ていった。
沙雪さんは屋敷の廊下を歩いていく。
途中、呪い師と思しき男達と何人かすれ違う。彼らは皆一様に、沙雪さんの姿を確認すると畏まったように姿勢を正し、一礼して彼女を見送る。
沙雪さんは彼らよりも身分が高いようだ。
屋敷と屋敷を繋ぐ渡り廊下のような通路に出た。沙雪さんはそれを渡り、もうひとつの屋敷へと入る。
複雑な構造の屋敷であるが、彼女は屋敷の全てを把握しているようだ。迷うことなく中庭へと出た。
許嫁の部屋がある離れ家が見える。
沙雪さんは嬉しそうに、小走りで離れ家へと近づく。
その様子をやや離れたところから観察する者がいた。
──殺し合う人々を満足げに、狂気の眼差しで眺めていた酷薄そうな美青年だ。
青年の魅惑的な漆黒の目は吊り上がっている。研ぎ澄まされた刃を思い起こさせる冷え冷えとした危うい目付きだ。
彼は憎々しげに沙雪さんを睨んでいる。
……この人は、沙雪さんが憎いのだろうか──?
いや、そもそも、沙雪さんとは一体どんな関係にあるというんだろう……。
疑問は解けないまま、夢は悪夢へと移ろいでいく。
△▼△
眼前にあるのは、朽ちた屋敷内の光景だ。
昨日までの私なら、ただただ嘆き、絶望していただろう。
でも、これからは違う。
ここでも積極的に手がかりを求めて動いてみるんだ。
屋敷は2つ存在する。
月宮邸と、まだ名は知らないもうひとつの屋敷。
ここは、どっちなんだろう……。
まあいい、とにかく探索してみよう。
幸いなことに、まだあの亡霊が現れる気配はない。
どんな小さなことでも構わないから、何か得られるものがありますように──。
私が今いる付近には、いくつか部屋がある。
とりあえず、その中のひとつに入ってみた。
居間と書斎が合わさったような部屋……武家屋敷などでは確か書院と呼んでいた気がする。
かなり広い。文机が2列に3つずつ、計6つも並んでいる。どうやら複数の人で使われていた部屋のようだ。
室内の保存状態はなかなか良い。それでも、廃墟なので置かれている家具などには分厚い埃が膜となって覆っている。
試しに小振りの桐箪笥を開けてみる。長年放置されているせいで歪んでしまったのか、3センチほどの隙間を作ることしかできなかった。
今度は文机に視線を移した。文机はどれも同じもので、引出しが1つついている。私はそれらを開けていく。
目ぼしいものはないかと思っていたところに、1冊の筆記帳が出てきた。
表紙を捲ると大きく表題が書かれている。
「“形代管理に関する覚書”……?」
思わず口に出していた。
形代──よくわからないけれど、確か呪術に使う道具だった気がする……。
ざっと目を通してみると、形代の消費と補充についてのことが淡々と記されている。
……ここにはもう、手がかりになりそうなものはなさそうだ。
移動しよう。
書院の間の近くにある部屋は荒れ果てており、人が入れるような状態ではない。私はひたすらに廊下を進む。
すると、炊事場らしき場所に出てしまった。
さすがにこんなところで手がかりは見つからないだろう。少し引き返し、手近にあった部屋に入った。
そこは、やけに広い床張りのがらんとした和室であった。
押し入れに入りきらないのか、部屋の隅に布団が積まれている。
その脇にある葛籠の中には、先ほど現れた女中らしき女性が身に付けていたものと同じ着物と帯がしまわれていた。
どうやらここは、この屋敷で下働きをしていた人達の部屋らしい。
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