禁踏区

nami

文字の大きさ
上 下
18 / 58
3章 呪い

8

しおりを挟む
 極度の緊張で口内は干上がっている。
 額から汗が吹き出し、頬を伝い首まで流れ落ちてきた。



 先延ばしにしたところで、何になるっていうの?
 現実は変わらない。
 逃避するのはやめなさい。



 頭のどこかで、冷静な私もまだ残っていたようだ。
 それが背中を押してくれた。


 私は自分の胸──心臓に当たる部分へと目を向ける。



 もう一度、柏原さんの声が頭の中で響いた。



『こうピって線を引いたような。もう気持ち悪くてぇ』



 深淵の谷に突き落とされ、どこまでも落ちていくような絶望に包囲された。



 心臓のちょうど真上には、内出血でもしているような紫みを帯びた赤黒い痣が、斜めに走るように線を作っていた。



 終わってなんか、いないんだ──……



 絶望に侵される中で、冷静な私が残酷に呟いた。



 終わってはいない──
 それどころか、事態はより深刻になっていた。

 それは最悪な知らせを以て、私達に振りかかることとなる……。


 △▼△


 これは、現実なんだろうか──?


 何度目の自問になるだろう。
 私はまだ、この現実を直視できずにいた。


 だけどそれは、私だけじゃないはず。

 美伽も、真人さんも、未央さんも、柏原さんも、皆例外なく“信じられない”というような顔で、ある一点を呆然と見つめている。



 ある一点──祭壇だ。
 そして、そこに掲げられている1枚の遺影。
 写っているのは、新井さん──。

 顔立ちが少し幼いのは、最近の写真がなかったからだろうか。
 
 遺影の下には棺が据えられている。
 この中に、命の輝きを失った新井さんが横たわっているんだ。


 ──まだ信じられない。
 当然だ。ほんの数日前に会っていた人が亡くなっただなんて。


 参列者は若い人も多い。新井さんの知人友人だろう。
 斎場内は、そんな参列者のすすり泣きで満たされている。
 それが、新井さんの死は紛い物ではないという証明になっていた。


 私達は言葉もなく、ただ祭壇の方を見つめ続けている。
 遺影の新井さんは朗らかな笑顔でこちらを見ている。キラキラと溌剌とした表情。まさか、二十歳はたちを迎える前に、その生涯を閉じることになるとは思ってもいなかったことだろう。

 居たたまれず、私はそっと祭壇を視界から外した。
 斜向はすむかいにいる3人の若者グループに目が止まった。
 彼らの目に涙はない。その顔に浮かぶのは悲しみではなく好奇心に似たものだ。

 彼らはひそひそと話をしている。
 盗み聞きはよくないけれど、なんとなく気になって耳をそばだてる。


「ねえ、聞いた? あり得ないくらいヤバい死に方だったみたいだよ」

「え、心臓麻痺って聞いたけど」

「表向きはね」

「何よ、もったいぶらないで教えてよ」




「……実はさ、心臓が燃えて無くなったんだって」




 え──?
 私は反射的に自分の心臓部に手をやった。


 亡霊の手が体内に侵入した時のことがよみがえる。


 あの時、熱い痛みが走った──
 そう、それこそ焼けるような激痛だった。

 この符合は、単なる偶然で片付けることはできない。
 じっとりと、冷たい汗が背中から吹き出した。


 死──という名の恐怖心が私を覆い尽くす。


 皆は今の話を聞いただろうか?
 さりげなく様子をうかがうが、依然として祭壇の方を見つめているばかりだ。

 
 恐怖心を押し殺して再びグループの会話に耳を傾ける。


「心臓が燃えるって……そんなことってあり得るの?」

「ないだろ。つーか、さすがに現実味ないって、そんな死因」

「わからないよ? だってさ、博之ってオカルト同好会だっけ? そういう怪しいサークルに入ってたんでしょ?」

「あー、んなこと言ってたな」

「だからさ、“呪い”なのかも」

「ええ、なんの?」

「そんなのわかるわけないじゃん。でも、ヤバいことに首を突っ込んで、何かに呪われたんじゃない?」


 この後は面白おかしく、呪いか否かで盛り上がるだけだった。



「……呪い──!」


 美伽が呟いた。
 顔が蒼白だ。
 彼らの会話を聴いてしまったらしい……。


 告別式からの帰途、私達はファミレスに立ち寄った。
 今後、どうするべきかを話し合うためである。

 席に案内され、とりあえずドリンクバーを注文した。だが、誰も飲み物を持ってこようとはしない。
 皆俯き沈黙している。

 黒い礼装姿の3人と学生服姿の2人だ。傍から見ても容易に葬儀と結びつくだろう。
 その全員が滅入っているように見えるのは、故人を偲んでいるから。そんな風に映っているかもしれない。

 しかし、私達の置かれている状況といえば、さらに深刻なものだ。


「…………峰岸さんに、相談しようか」


 真人さんが力なく提案した時だ。
 誰かがドンッとテーブルを打ち付けた。

「そんなことして、何になるってんだよッ!」

 柏原さんであった。
 般若のような形相で、真人さんを睨みつける。

「あのオッサン、役立たずだっただろが!」

「峰岸さんを侮辱するのは止めろ」

 火山が噴火するような勢いの柏原さんとは対照的に、真人さんは静かに憤ってみせる。冷たい刃物を思わせる目で睨んで返す。

「死人が出ちまったんだよッ! なのに、『悪い気配はしない』なんて言いやがって! これが役立たずじゃないなら、一体なんだってんだよ!?」

 紛れもない現実を突きつけられたからだろう。真人さんは返す言葉もなく、苦い表情で柏原さんから目をそらした。

「ヨシノ、少し落ち着こう……?」

 柏原さんが声を張り上げているからだ。気づけば、お客の誰もがこちらに注視している。
 それに耐えられなくなったのか、未央さんが遠慮がちになだめる。
 だが、それがよくなかった。柏原さんは鎮まるどころか、さらに加熱する。

「落ち着く!? よくそんなのんきなこと言ってられんね? このままじゃうちら、死ぬんだよっ!?」



 死ぬ──ストレートな恐怖が突き刺さる。未央さんは青い顔で固まった。


「……あの……大丈夫ですか……?」

 見かねたようにスタッフが声をかけてきた。心配する風を装ってはいるが、その顔には『迷惑だ。よそでやれ』というようなことが、うっすらと書かれている。

「すみません。……すぐに出ていきますので」

 非難の匂いを嗅ぎとったのか、真人さんは伝票を取り立ち上がった。私達もそれに倣う。



 場所をカラオケ店に移した。
 ここなら個室だし周りも騒がしい。騒ぐようなことになっても咎められないだろう。

「では、こちらの部屋になります」

 私達は葬儀に関わったという身なりだ。
 カウンターで対応してくれたスタッフが、好奇の眼差しをぶつけてくる。
 しかし、それを気にする余裕は誰にもなかった。

 あてがわれた部屋へと向かう。
 廊下にひしめく楽しげなメロディーや歌声が、やけに耳に障った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

菅原龍馬の怖い話。

菅原龍馬
ホラー
これは、私が実際に体験した話しと、知人から聞いた怖い話である。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
よくよく考えると ん? となるようなお話を書いてゆくつもりです 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

処理中です...