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3章 呪い
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極度の緊張で口内は干上がっている。
額から汗が吹き出し、頬を伝い首まで流れ落ちてきた。
先延ばしにしたところで、何になるっていうの?
現実は変わらない。
逃避するのはやめなさい。
頭のどこかで、冷静な私もまだ残っていたようだ。
それが背中を押してくれた。
私は自分の胸──心臓に当たる部分へと目を向ける。
もう一度、柏原さんの声が頭の中で響いた。
『こうピって線を引いたような。もう気持ち悪くてぇ』
深淵の谷に突き落とされ、どこまでも落ちていくような絶望に包囲された。
心臓のちょうど真上には、内出血でもしているような紫みを帯びた赤黒い痣が、斜めに走るように線を作っていた。
終わってなんか、いないんだ──……
絶望に侵される中で、冷静な私が残酷に呟いた。
終わってはいない──
それどころか、事態はより深刻になっていた。
それは最悪な知らせを以て、私達に振りかかることとなる……。
△▼△
これは、現実なんだろうか──?
何度目の自問になるだろう。
私はまだ、この現実を直視できずにいた。
だけどそれは、私だけじゃないはず。
美伽も、真人さんも、未央さんも、柏原さんも、皆例外なく“信じられない”というような顔で、ある一点を呆然と見つめている。
ある一点──祭壇だ。
そして、そこに掲げられている1枚の遺影。
写っているのは、新井さん──。
顔立ちが少し幼いのは、最近の写真がなかったからだろうか。
遺影の下には棺が据えられている。
この中に、命の輝きを失った新井さんが横たわっているんだ。
──まだ信じられない。
当然だ。ほんの数日前に会っていた人が亡くなっただなんて。
参列者は若い人も多い。新井さんの知人友人だろう。
斎場内は、そんな参列者のすすり泣きで満たされている。
それが、新井さんの死は紛い物ではないという証明になっていた。
私達は言葉もなく、ただ祭壇の方を見つめ続けている。
遺影の新井さんは朗らかな笑顔でこちらを見ている。キラキラと溌剌とした表情。まさか、二十歳を迎える前に、その生涯を閉じることになるとは思ってもいなかったことだろう。
居たたまれず、私はそっと祭壇を視界から外した。
斜向かいにいる3人の若者グループに目が止まった。
彼らの目に涙はない。その顔に浮かぶのは悲しみではなく好奇心に似たものだ。
彼らはひそひそと話をしている。
盗み聞きはよくないけれど、なんとなく気になって耳をそばだてる。
「ねえ、聞いた? あり得ないくらいヤバい死に方だったみたいだよ」
「え、心臓麻痺って聞いたけど」
「表向きはね」
「何よ、もったいぶらないで教えてよ」
「……実はさ、心臓が燃えて無くなったんだって」
え──?
私は反射的に自分の心臓部に手をやった。
亡霊の手が体内に侵入した時のことがよみがえる。
あの時、熱い痛みが走った──
そう、それこそ焼けるような激痛だった。
この符合は、単なる偶然で片付けることはできない。
じっとりと、冷たい汗が背中から吹き出した。
死──という名の恐怖心が私を覆い尽くす。
皆は今の話を聞いただろうか?
さりげなく様子をうかがうが、依然として祭壇の方を見つめているばかりだ。
恐怖心を押し殺して再びグループの会話に耳を傾ける。
「心臓が燃えるって……そんなことってあり得るの?」
「ないだろ。つーか、さすがに現実味ないって、そんな死因」
「わからないよ? だってさ、博之ってオカルト同好会だっけ? そういう怪しいサークルに入ってたんでしょ?」
「あー、んなこと言ってたな」
「だからさ、“呪い”なのかも」
「ええ、なんの?」
「そんなのわかるわけないじゃん。でも、ヤバいことに首を突っ込んで、何かに呪われたんじゃない?」
この後は面白おかしく、呪いか否かで盛り上がるだけだった。
「……呪い──!」
美伽が呟いた。
顔が蒼白だ。
彼らの会話を聴いてしまったらしい……。
告別式からの帰途、私達はファミレスに立ち寄った。
今後、どうするべきかを話し合うためである。
席に案内され、とりあえずドリンクバーを注文した。だが、誰も飲み物を持ってこようとはしない。
皆俯き沈黙している。
黒い礼装姿の3人と学生服姿の2人だ。傍から見ても容易に葬儀と結びつくだろう。
その全員が滅入っているように見えるのは、故人を偲んでいるから。そんな風に映っているかもしれない。
しかし、私達の置かれている状況といえば、さらに深刻なものだ。
「…………峰岸さんに、相談しようか」
真人さんが力なく提案した時だ。
誰かがドンッとテーブルを打ち付けた。
「そんなことして、何になるってんだよッ!」
柏原さんであった。
般若のような形相で、真人さんを睨みつける。
「あのオッサン、役立たずだっただろが!」
「峰岸さんを侮辱するのは止めろ」
火山が噴火するような勢いの柏原さんとは対照的に、真人さんは静かに憤ってみせる。冷たい刃物を思わせる目で睨んで返す。
「死人が出ちまったんだよッ! なのに、『悪い気配はしない』なんて言いやがって! これが役立たずじゃないなら、一体なんだってんだよ!?」
紛れもない現実を突きつけられたからだろう。真人さんは返す言葉もなく、苦い表情で柏原さんから目をそらした。
「ヨシノ、少し落ち着こう……?」
柏原さんが声を張り上げているからだ。気づけば、お客の誰もがこちらに注視している。
それに耐えられなくなったのか、未央さんが遠慮がちになだめる。
だが、それがよくなかった。柏原さんは鎮まるどころか、さらに加熱する。
「落ち着く!? よくそんなのんきなこと言ってられんね? このままじゃうちら、死ぬんだよっ!?」
死ぬ──ストレートな恐怖が突き刺さる。未央さんは青い顔で固まった。
「……あの……大丈夫ですか……?」
見かねたようにスタッフが声をかけてきた。心配する風を装ってはいるが、その顔には『迷惑だ。よそでやれ』というようなことが、うっすらと書かれている。
「すみません。……すぐに出ていきますので」
非難の匂いを嗅ぎとったのか、真人さんは伝票を取り立ち上がった。私達もそれに倣う。
場所をカラオケ店に移した。
ここなら個室だし周りも騒がしい。騒ぐようなことになっても咎められないだろう。
「では、こちらの部屋になります」
私達は葬儀に関わったという身なりだ。
カウンターで対応してくれたスタッフが、好奇の眼差しをぶつけてくる。
しかし、それを気にする余裕は誰にもなかった。
あてがわれた部屋へと向かう。
廊下にひしめく楽しげなメロディーや歌声が、やけに耳に障った。
額から汗が吹き出し、頬を伝い首まで流れ落ちてきた。
先延ばしにしたところで、何になるっていうの?
現実は変わらない。
逃避するのはやめなさい。
頭のどこかで、冷静な私もまだ残っていたようだ。
それが背中を押してくれた。
私は自分の胸──心臓に当たる部分へと目を向ける。
もう一度、柏原さんの声が頭の中で響いた。
『こうピって線を引いたような。もう気持ち悪くてぇ』
深淵の谷に突き落とされ、どこまでも落ちていくような絶望に包囲された。
心臓のちょうど真上には、内出血でもしているような紫みを帯びた赤黒い痣が、斜めに走るように線を作っていた。
終わってなんか、いないんだ──……
絶望に侵される中で、冷静な私が残酷に呟いた。
終わってはいない──
それどころか、事態はより深刻になっていた。
それは最悪な知らせを以て、私達に振りかかることとなる……。
△▼△
これは、現実なんだろうか──?
何度目の自問になるだろう。
私はまだ、この現実を直視できずにいた。
だけどそれは、私だけじゃないはず。
美伽も、真人さんも、未央さんも、柏原さんも、皆例外なく“信じられない”というような顔で、ある一点を呆然と見つめている。
ある一点──祭壇だ。
そして、そこに掲げられている1枚の遺影。
写っているのは、新井さん──。
顔立ちが少し幼いのは、最近の写真がなかったからだろうか。
遺影の下には棺が据えられている。
この中に、命の輝きを失った新井さんが横たわっているんだ。
──まだ信じられない。
当然だ。ほんの数日前に会っていた人が亡くなっただなんて。
参列者は若い人も多い。新井さんの知人友人だろう。
斎場内は、そんな参列者のすすり泣きで満たされている。
それが、新井さんの死は紛い物ではないという証明になっていた。
私達は言葉もなく、ただ祭壇の方を見つめ続けている。
遺影の新井さんは朗らかな笑顔でこちらを見ている。キラキラと溌剌とした表情。まさか、二十歳を迎える前に、その生涯を閉じることになるとは思ってもいなかったことだろう。
居たたまれず、私はそっと祭壇を視界から外した。
斜向かいにいる3人の若者グループに目が止まった。
彼らの目に涙はない。その顔に浮かぶのは悲しみではなく好奇心に似たものだ。
彼らはひそひそと話をしている。
盗み聞きはよくないけれど、なんとなく気になって耳をそばだてる。
「ねえ、聞いた? あり得ないくらいヤバい死に方だったみたいだよ」
「え、心臓麻痺って聞いたけど」
「表向きはね」
「何よ、もったいぶらないで教えてよ」
「……実はさ、心臓が燃えて無くなったんだって」
え──?
私は反射的に自分の心臓部に手をやった。
亡霊の手が体内に侵入した時のことがよみがえる。
あの時、熱い痛みが走った──
そう、それこそ焼けるような激痛だった。
この符合は、単なる偶然で片付けることはできない。
じっとりと、冷たい汗が背中から吹き出した。
死──という名の恐怖心が私を覆い尽くす。
皆は今の話を聞いただろうか?
さりげなく様子をうかがうが、依然として祭壇の方を見つめているばかりだ。
恐怖心を押し殺して再びグループの会話に耳を傾ける。
「心臓が燃えるって……そんなことってあり得るの?」
「ないだろ。つーか、さすがに現実味ないって、そんな死因」
「わからないよ? だってさ、博之ってオカルト同好会だっけ? そういう怪しいサークルに入ってたんでしょ?」
「あー、んなこと言ってたな」
「だからさ、“呪い”なのかも」
「ええ、なんの?」
「そんなのわかるわけないじゃん。でも、ヤバいことに首を突っ込んで、何かに呪われたんじゃない?」
この後は面白おかしく、呪いか否かで盛り上がるだけだった。
「……呪い──!」
美伽が呟いた。
顔が蒼白だ。
彼らの会話を聴いてしまったらしい……。
告別式からの帰途、私達はファミレスに立ち寄った。
今後、どうするべきかを話し合うためである。
席に案内され、とりあえずドリンクバーを注文した。だが、誰も飲み物を持ってこようとはしない。
皆俯き沈黙している。
黒い礼装姿の3人と学生服姿の2人だ。傍から見ても容易に葬儀と結びつくだろう。
その全員が滅入っているように見えるのは、故人を偲んでいるから。そんな風に映っているかもしれない。
しかし、私達の置かれている状況といえば、さらに深刻なものだ。
「…………峰岸さんに、相談しようか」
真人さんが力なく提案した時だ。
誰かがドンッとテーブルを打ち付けた。
「そんなことして、何になるってんだよッ!」
柏原さんであった。
般若のような形相で、真人さんを睨みつける。
「あのオッサン、役立たずだっただろが!」
「峰岸さんを侮辱するのは止めろ」
火山が噴火するような勢いの柏原さんとは対照的に、真人さんは静かに憤ってみせる。冷たい刃物を思わせる目で睨んで返す。
「死人が出ちまったんだよッ! なのに、『悪い気配はしない』なんて言いやがって! これが役立たずじゃないなら、一体なんだってんだよ!?」
紛れもない現実を突きつけられたからだろう。真人さんは返す言葉もなく、苦い表情で柏原さんから目をそらした。
「ヨシノ、少し落ち着こう……?」
柏原さんが声を張り上げているからだ。気づけば、お客の誰もがこちらに注視している。
それに耐えられなくなったのか、未央さんが遠慮がちになだめる。
だが、それがよくなかった。柏原さんは鎮まるどころか、さらに加熱する。
「落ち着く!? よくそんなのんきなこと言ってられんね? このままじゃうちら、死ぬんだよっ!?」
死ぬ──ストレートな恐怖が突き刺さる。未央さんは青い顔で固まった。
「……あの……大丈夫ですか……?」
見かねたようにスタッフが声をかけてきた。心配する風を装ってはいるが、その顔には『迷惑だ。よそでやれ』というようなことが、うっすらと書かれている。
「すみません。……すぐに出ていきますので」
非難の匂いを嗅ぎとったのか、真人さんは伝票を取り立ち上がった。私達もそれに倣う。
場所をカラオケ店に移した。
ここなら個室だし周りも騒がしい。騒ぐようなことになっても咎められないだろう。
「では、こちらの部屋になります」
私達は葬儀に関わったという身なりだ。
カウンターで対応してくれたスタッフが、好奇の眼差しをぶつけてくる。
しかし、それを気にする余裕は誰にもなかった。
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