禁踏区

nami

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3章 呪い

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 都市伝説の調査も終わったということで、彼らは明日、東京に帰るそうだ。
 私と美伽は、もう少し滞在する予定だったけど、あんな目に遭ったのだ。このまま滞在を続ける気にはとてもなれない。私達も明日、帰ることに決めた。


 △▼△


 曰くありげなトンネルの先にあった廃村らしき場所。そこに聳える巨大で禍々しい屋敷から無事戻ることができ、皆、心の底から安堵したことだろう。
 別荘に戻ってきた時には、もう16時過ぎであった。

 朝から別荘を出て、トンネルを発見したのもまだ午前中だった。
 何時間もあんな気味の悪い場所にいたとは。今更ながらゾッとする。

 わけのわからないまま脱出を果たした私達は、雨が降る山に揃って転がっていた。
 当然、服は泥だらけだ。
 戻って真っ先にしたことといえば、シャワーを浴びて着替えである。

 さっぱりしたところで、途端に空腹が主張しだした。
 無理もない。ずっと屋敷に閉じ込められていたせいで、昼御飯どころじゃなかったわけだから。
 まあ、あの時はさすがに空腹を感じる余裕はなかったから、特に問題なかったけど……。

 そんなわけで、少し早いけど、夕食にしようということになり、私達女性陣で準備をしている。
 そして、その準備も完了した。

「凛、真人先輩呼んできてよ。テラスにいると思うから」

 美伽がレトルトのマカロニサラダを皿に盛り付けながら言った。
 美伽の言葉に従い、私はテラスへと向かう。

 雨は止み、テラスには紫がかった蒼い薄闇に包まれている。
 美伽が言った通り、真人さんはテラスにいた。
 ちょうど背中を向ける形で立っているので、はっきりとはわからないけど、何かを持ってそれを眺めているようだ。

 その背からは、哀しさのようなものが滲んでいるような気がした。
 だからだろう。なんとなく、声を掛けるのがためらわれる。

「……ああ、凛ちゃんか」

 気配を感じ取ったのか、真人さんが振り返った。
 彼が手にしていたものは、あの手帳──新井さんが見つけたという鍵付きの手帳であった。

 もしかして、それは──

 ある可能性が浮かんだが、私なんかが気安く訊ねてもいいものか……。
 そうやって躊躇していると、

「──これか。……兄貴のだったよ」

 私の予想とピタリと重なる答えだった。

 悲しげに笑んで、真人さんは手帳の隅を指す。
 エンボス加工で“SUMITO.S”と控えめに記されている。

「漢字は、澄んだ人と書くんだ」

 真人さんはお兄さん──澄人すみとさんの名前を空中に書いてみせた。
 そして彼は、テラスにぽつんと置かれている木製の2人掛けベンチに腰を下ろす。

 少しいびつなそのベンチは、美伽の叔父に当たる人が趣味で造ったものらしい。
『見た目はアレだけど、頑丈だから』と、美伽は苦笑してたっけ。

 流れで私も真人さんの隣に腰を下ろす。
 山特有の、ひんやりとした風が心地よく髪と肌を撫でる。かすかに潤った大地の匂いがした。

「……ずっと追い求めてたのに、こうして実際に痕跡を見つけると、複雑な気分だ」

 なんと返していいかわからない。言葉にすると、ひどく白々しい気がした。
 なので、私は小さく頷くことで応える。

「……兄貴のこと、聞いてくれる?」

「えっと……、私でよければ」

 真人さんは、誰かに話すことで心の整理をしようとしているのかもしれない。

「“名は体を表す”って言葉があるけど、まさに、その通りだったよ。澄んだ心を持った人だった」

 なんとなくわかる気がした。
 霊感があることを恐れる一方で、それを他人のために役立てたいと考えていた人だ。
 多分、そうなるきっかけはあったのかもしれない。
 でも、そうだとしても、相当な覚悟と勇気が必要だったことだろう。

「俺とは15も歳が離れてたんだ。こんだけ離れてるとさ、兄弟喧嘩も起きないんだよ。今思うと、兄貴というよりも、親父が2人いるような感じだったな」

 どれだけお兄さんのことを慕っていたのかは、真人さんのこの穏やかな表情を見ればわかる。
 そんな彼を見ていると、私も優しい気持ちになってくるから不思議だ。
 そして、少し羨ましいとも思う。私は一人っ子だから……。

 ──不意に、真人さんの表情が翳る。

「……兄貴は、この手帳を肌身離さず持ち歩いていた。それが、あんなところにあったということは……多分、もう……」

 真人さんの瞳が揺らぐ。
 はっきりと口にしてしまえば、悲しみに呑まれると思ったのか。消え入るように言葉を止めた。
 彼は目元を数秒ほど指で押さえる。
 溢れてきた涙を押し返しているように見えた。

 指を離す。
 眼は赤いけれど、涙は溢れてくることはなかった。

「──皮肉なもんだ。兄貴が姿を消したのは23の時だった。それをようやく、同じ歳になった弟が、その手掛かりを発見するだなんて」

「えっ?」

 思わず声に出してしまった。
 真人さんは、いくらか決まり悪そうに頭を掻き、

「そのなんだ……俺、一浪して、今年留年してるんだよ。言い訳にもならないけど、兄貴を捜すのにかまけて、学業の方が疎かになったっていうか……」

 なるほど。そういうことか。
 ばつが悪そうに弁明する真人さんが、ちょっぴり可愛く思えてしまった(失礼かな?)。

 だからだろう。口角が自然に上がる。
 ……あっと、さすがに笑ったらダメよね。
 持ち上がった口角は、すぐさま元の位置に戻した。

「……このこと、他の連中は知らなかったりするんだ。別に隠すことでもないんだけど、秘密にしてくれたら嬉しい」

「わかりました」

「じゃあ、指切り」

 真人さんが小指を差し出す。

 心臓が高鳴った。
 ドキドキしながら、私も小指を差し出した。


 小指と小指が結び付く。


 真人さんの手(というか指だけど)は、温かかった。

 顔が熱い……。
 きっと、真っ赤になってることだろう。

 どうか……どうか……
 夕闇が隠していてくれますように──

 ささやかな約束の儀式が終わり、互いの小指が離れる。

「もしバラしたら、針千本だからな?」

 軽く、それでいてイタズラっぽく、真人さんが睨みつけてくる。

「もう、わかってますってば」

 赤面していることはバレてないようだ。
 内心でホッと息を吐く。


 真人さんの表情は柔らかい。先ほどまで落ちていた哀しみの影が薄らいだように感じる。
 話す、ということで少しは落ち着いたのだろうか?


 でも、澄人さんその人はまだ見つかってない。
 真人さんは、これからどうするんだろう……。


 力になりたい。


 私の過去を見る力──過去視が役に立つかもしれない。


 そんなことを考えている私に驚いた。
 あんなに嫌だった能力だったのに……。

 そして思った。

 澄人さんもこんな風に、自身の力を役立てたいと考えたんじゃないだろうか。
 

「ちょっと凛ってば! 真人先輩呼んできてって言ったのに、こんなところで落ち着いちゃってー」
 
 バンッとテラスと室内を繋ぐドアが開いたと思ったら、形良い眉を吊り上げた美伽から叱られた。
 
 いけない、そうだった!
 慌てて私は立ち上がる。

「……えーと真人さん、晩御飯です」

「あ、俺を呼びに来たのか。美伽ちゃん、俺が引き留めたようなもんだから、あまり凛ちゃんを責めないでやってくれ」

 真人さんは手帳を部屋に置いてくると言って、先に行ってしまった。

 何やら美伽がニヤニヤしている。

「……えーと、何?」

「ううん、別に。ただ、凛さんにもモテ期が来たのかーってね♪」

「そっ、そんなんじゃ……!」

「またまたー。真人先輩のこと、いつの間にか名前で呼んでるじゃん」

「あれは、名前で呼んでくれると嬉しいって言われたから……」

「本当にそれだけ~?」

「そうだよ! ほら、私達も早く行こ? 御飯、冷めちゃうよ」

 こうなった美伽は手に負えない。
 強引に打ち切って、私は一足早くテラスを出た。
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