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2章 噂の屋敷
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残る格子戸は3つ。
あと半分抜けてしまえばいいだけ。
こんなとこ、早く去りたい──!
漠然とした不安が這い昇ってくる。
自分でも、なぜこうも不安を感じるのかわからない。
落ち着け、落ち着け……
内心で必死に言い聞かせながら、私は周囲の様子をうかがう。
一本道だ。
錠前付きの格子戸がなければ、ただひたすらに長い廊下であることだろう。
そう
長い長い廊下が果てしなく続いている……
母屋にも長い廊下はあったけど、これほど長い廊下はなかったように思う。
ドクン──強く鼓動する。
あの時、私は確かにいた、この場所に──!
冷や汗が背中を伝う。
長い長い、どこまでも続くかと思われる廊下……
そんなわけない!
あれは、ただの夢──!
だって、あの夢には6つ設置された格子戸はなかったじゃないか。
──けれど、本当にそうだったんだろうか?
あの夢の中では、私は全力で逃げていた。
それこそ、周囲の様子など目に入らないくらいに──
最奥にあった部屋。
その部屋に続く扉は──屈まないと通れない。
その扉の位置は──?
進行方向から見ると左側だった。
──夢と同じだ。
震えが襲った。
底冷えが忍び寄る。
そしてそれを感じたのは、どうやら私だけじゃないようだ。
「なんだろ……急に寒気が……」
寒さから身を守るように、美伽は背中を丸めた。
懐中電灯に照らされた皆の吐息が、白く立ち昇っていく。
「ほんと……。蒸し暑いくらいだったのに、急にどうして……」
その時、真人さんが持つ懐中電灯が明滅し始めた。
「な、何? もしかして電池切れ?」
「まさか、フル充電させておいたんだぞ。切れるには早すぎる」
明滅を繰り返し、やがて懐中電灯は消えてしまった。何度スイッチを入れても、点く気配がない。
予備の懐中電灯に切り替えようとするが、こちらも明かりが点かなくなってしまっている。
「ちょっとやだ! 一体どういう……」
突如、未央さんの言葉を邪魔するように、奇怪な音が割り込む。
…………ヒタ…………
私も含め、皆の足が止まる。
…………ヒタ…………
裸足で歩くような音──
「な……なんの音だ……?」
「後ろ……後ろから聴こえた……よね……?」
新井さんと柏原さんが囁き合う。
その正体は──きっと私だけが知っている。
振り向きたくない!
振り向きたくない!
振り向きたくない!
なのに、ゆっくりと私は振り返る。
見えない力で操られているかのように、抗うことができない。
後方には、濃い闇が充満している。
そこに浮かび上がる、燐光のような人影。
ヒタ…………ヒタ…………
それは、過剰なほどに頭を垂れ、ゆらゆらと不安定に前進してくる。
そして、フッと消えてしまった。
──かと思えば、私達のいるすぐ傍まで接近してきた。
紛れもなく、あの夢に現れた白い着物の男だ。
「きゃああああッ!」
「こっ……こっ……こいつだッ! 物置の、かっ……鏡に映り込んだ奴!」
「とにかく逃げるぞ!」
私達は全力で駆け出す。
格子戸を1つ抜け、2つ抜け──
残るはあと1つ
すぐそこだ。あと少し──!
けれど、目の前でそれは激しい音を立てて閉ざされた。
「開かない!?」
「そんな、嘘でしょ!?」
ヒタ…………ヒタ…………
白い着物の男が迫る。
ヒタ…………ヒタ…………
私達の恐怖を煽るように、ゆっくり、ゆっくりと──
その左半身は、夢同様に痛々しく爛れていた。
血の気の失せている蒼ざめた肌。亡霊というよりも死体に近い。
実体があるように見えて、そうでないと感じさせるのは、顔がよくわからないからだろう。
「いやああああッ!」
未央さんは柏原さんと、私は美伽と、それぞれ抱き合うような格好で悲鳴をあげる。
「ヒロ、貸せ!」
真人さんは新井さんが持つ袋を引ったくるように取った。袋を引きちぎると、塩がざあっと床にこぼれ落ちる。
それを一掴みにして、白い着物の男めがけて投げつけた。
男の体がぐにゃりと歪み、煙のように消えた。
──しかし、すぐに復元される。
「おい、塩はどんな霊にも効くんじゃなかったのかよ!?」
新井さんが泣き叫ぶ。
「こいつが強すぎるんだ。だから効かない!」
万事休す。
男は間近に迫っている。
掴み掛かろうというのか、緩慢な動作で両手を突きだしてくる。
恐ろしくて見ていられない。
なのに、私の目は閉じることを拒み、見開かれたままだ。
男は無言のまま顔を寄せてきた。
ピントがずれたようにぼやけている顔。
それでも、はっきりと見ることができた──その眼を。
それは、深く暗く淀んだ色をしていた。
こんな……こんな眼は、今まで見たことがない。
憎しみや怨みを煮詰めて煮詰めて作り上げられた、世にもおぞましい眼──
男の指先が胸に──ちょうど心臓がある位置に触れた。
冷たいのに火傷しそうな──まるでドライアイスを押しつけられたような痛みが走る。
そして──
私の意識はことごとく失せてしまった……
あと半分抜けてしまえばいいだけ。
こんなとこ、早く去りたい──!
漠然とした不安が這い昇ってくる。
自分でも、なぜこうも不安を感じるのかわからない。
落ち着け、落ち着け……
内心で必死に言い聞かせながら、私は周囲の様子をうかがう。
一本道だ。
錠前付きの格子戸がなければ、ただひたすらに長い廊下であることだろう。
そう
長い長い廊下が果てしなく続いている……
母屋にも長い廊下はあったけど、これほど長い廊下はなかったように思う。
ドクン──強く鼓動する。
あの時、私は確かにいた、この場所に──!
冷や汗が背中を伝う。
長い長い、どこまでも続くかと思われる廊下……
そんなわけない!
あれは、ただの夢──!
だって、あの夢には6つ設置された格子戸はなかったじゃないか。
──けれど、本当にそうだったんだろうか?
あの夢の中では、私は全力で逃げていた。
それこそ、周囲の様子など目に入らないくらいに──
最奥にあった部屋。
その部屋に続く扉は──屈まないと通れない。
その扉の位置は──?
進行方向から見ると左側だった。
──夢と同じだ。
震えが襲った。
底冷えが忍び寄る。
そしてそれを感じたのは、どうやら私だけじゃないようだ。
「なんだろ……急に寒気が……」
寒さから身を守るように、美伽は背中を丸めた。
懐中電灯に照らされた皆の吐息が、白く立ち昇っていく。
「ほんと……。蒸し暑いくらいだったのに、急にどうして……」
その時、真人さんが持つ懐中電灯が明滅し始めた。
「な、何? もしかして電池切れ?」
「まさか、フル充電させておいたんだぞ。切れるには早すぎる」
明滅を繰り返し、やがて懐中電灯は消えてしまった。何度スイッチを入れても、点く気配がない。
予備の懐中電灯に切り替えようとするが、こちらも明かりが点かなくなってしまっている。
「ちょっとやだ! 一体どういう……」
突如、未央さんの言葉を邪魔するように、奇怪な音が割り込む。
…………ヒタ…………
私も含め、皆の足が止まる。
…………ヒタ…………
裸足で歩くような音──
「な……なんの音だ……?」
「後ろ……後ろから聴こえた……よね……?」
新井さんと柏原さんが囁き合う。
その正体は──きっと私だけが知っている。
振り向きたくない!
振り向きたくない!
振り向きたくない!
なのに、ゆっくりと私は振り返る。
見えない力で操られているかのように、抗うことができない。
後方には、濃い闇が充満している。
そこに浮かび上がる、燐光のような人影。
ヒタ…………ヒタ…………
それは、過剰なほどに頭を垂れ、ゆらゆらと不安定に前進してくる。
そして、フッと消えてしまった。
──かと思えば、私達のいるすぐ傍まで接近してきた。
紛れもなく、あの夢に現れた白い着物の男だ。
「きゃああああッ!」
「こっ……こっ……こいつだッ! 物置の、かっ……鏡に映り込んだ奴!」
「とにかく逃げるぞ!」
私達は全力で駆け出す。
格子戸を1つ抜け、2つ抜け──
残るはあと1つ
すぐそこだ。あと少し──!
けれど、目の前でそれは激しい音を立てて閉ざされた。
「開かない!?」
「そんな、嘘でしょ!?」
ヒタ…………ヒタ…………
白い着物の男が迫る。
ヒタ…………ヒタ…………
私達の恐怖を煽るように、ゆっくり、ゆっくりと──
その左半身は、夢同様に痛々しく爛れていた。
血の気の失せている蒼ざめた肌。亡霊というよりも死体に近い。
実体があるように見えて、そうでないと感じさせるのは、顔がよくわからないからだろう。
「いやああああッ!」
未央さんは柏原さんと、私は美伽と、それぞれ抱き合うような格好で悲鳴をあげる。
「ヒロ、貸せ!」
真人さんは新井さんが持つ袋を引ったくるように取った。袋を引きちぎると、塩がざあっと床にこぼれ落ちる。
それを一掴みにして、白い着物の男めがけて投げつけた。
男の体がぐにゃりと歪み、煙のように消えた。
──しかし、すぐに復元される。
「おい、塩はどんな霊にも効くんじゃなかったのかよ!?」
新井さんが泣き叫ぶ。
「こいつが強すぎるんだ。だから効かない!」
万事休す。
男は間近に迫っている。
掴み掛かろうというのか、緩慢な動作で両手を突きだしてくる。
恐ろしくて見ていられない。
なのに、私の目は閉じることを拒み、見開かれたままだ。
男は無言のまま顔を寄せてきた。
ピントがずれたようにぼやけている顔。
それでも、はっきりと見ることができた──その眼を。
それは、深く暗く淀んだ色をしていた。
こんな……こんな眼は、今まで見たことがない。
憎しみや怨みを煮詰めて煮詰めて作り上げられた、世にもおぞましい眼──
男の指先が胸に──ちょうど心臓がある位置に触れた。
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そして──
私の意識はことごとく失せてしまった……
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