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2章 噂の屋敷

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「見ろよ、あれが噂の屋敷じゃね?」

 新井さんが指差す先には、黒い日本家屋の一部が木々の切れ間から覗いていた。この距離からでも、かなり大きいと思われる。地上を見下ろすように聳えているようだ。

 そこへ向かおうと歩を進める。
 未央さんはここでもデジカメを取り出す。打ち捨てられた民家や荒れた田畑の跡を撮している。


 △▼△


「ねえ、これって……」

 私達の前に現れたのは、あの投稿動画で映っていた門だ。
 
 逆さ五芒星がそこはかとなく禍々しさを放っているような気がしてならない。
 威圧感は動画で観た時とは桁が違う。ただただ、気圧されるばかりだ。

 門は特に封鎖されていない。
 新井さんがためらいなく開ける。
 ギギギ、と軋みながらゆっくりと開かれた。

 門の先には石畳と砂利が敷き詰められている道に続いていた。

 その奥に、噂の屋敷は鎮座している。
 巨大な、そして不吉を描いたような屋敷であった。
 奇妙な形をしているのは、無計画に建て増しを繰り返したからだと思われる。
 
 玄関の前に立つ。
 ここも門と同じく、封鎖はされていない。
 
 玄関はぴったりと閉じている。
 それなのに、得たいの知れない嫌な空気──瘴気しょうきのようなものが漏れ出て、こちら側へ流れてくるような気がした。

「……ねえマサやん、やっぱり引き返さない?」

 屋敷から漂う異様な雰囲気に呑まれたのか、未央さんが遠慮がちに口を開いた。

「だよね。なんかさー、これはさすがにヤバすぎ」

 柏原さんも顔をしかめている。
 好奇心旺盛な美伽も、この時ばかりは頷いて同調した。

「なんだよなんだよ、ビビってんのか? これだから女は足手まといなんだよ」

 煽る新井さんに柏原さんは即座に噛みつく。二人の間で小さな口喧嘩が始まった。

「…………そうだな、引き返した方がいいかもしれない」

 最終的に東海林さんも同調した。
 しかし、その顔はひどく沈んでいる。まさに断腸の思いといった感じだ。
 
 なぜ、そこまでこだわるのか。──やっぱりわからない。
 でも、単なる興味本意とは一線を画したものを感じる。
 ……気のせいだろうか? 
 
「そりゃねーぜ。せっかく苦労してたどり着いたってのによォ。俺は行くからな。お前ら、止めるなよ!」

 新井さんは意気込んで玄関に向き直った。
 皆は引き留めようとするが、彼は聞く耳を持たない。

「え……?」

 戸を開けようとした新井さんの手がぴたりと停止する。

「いやッ!」

 玄関に目を向けた美伽が悲鳴をあげた。
 ──無理もない反応だ。


 ぴったりと閉じられていた玄関が、開いていたのだから……。
 スライド式の扉であるが、それが10センチほど開いていた。

 隙間の奥は、深淵に続いていそうな濃い闇色が満ちている。

「へっ、さ、誘ってやがるぜ。じょっ、上等じゃねえか! 受けて立ってやるよ!」

 勇ましく啖呵たんかを切ってはいるが、その声は震えている。
 新井さんはガラッと勢いよく戸を開けた。


「止せ、ヒロ!」

 東海林さんが制止するが無駄だった。
 新井さんはリーダーである彼の言葉を無視して屋敷の中へと入ってしまった。

「……ど、どうすんの?」

「俺が連れ戻してくる。皆はここで待っ……」


「うわああああッ!」


 東海林さんの言葉を遮る形で、新井さんの悲鳴が辺りの空気を切り裂いた。

「ヒロ!?」

 東海林さんが屋敷の中へと飛び込む。
 一瞬ためらいが生じたものの、私達も彼に続いた。

 土間の奥は、広間のような空間になっていた。
 新井さんはその中央に、私達に背を向ける形で佇んでいる。

「ヒロ……?」

 東海林さんが懐中電灯を点ける。
 光に照らされ、新井さんの姿が浮かび上がった。
 彼は、かすかに震えている。

「一体何があった?」

 東海林さんが新井さんの肩に手を置く。
 すると、新井さんは爆発したように笑いだした。

「引っ掛かってやがんのー。バッカでー」

「は……?」

「別になんもねーよ。ただ、叫んでみただけだし。つか、お前らの反応!」

 よほどツボにはまったのか、再び新井さんは笑いだす。
 私達は呆れ果てて言葉を失う。
 皆、爆笑する新井さんに白い眼を向けている。
 
 そしてとうとう柏原さんが新井さんに掴みかかった。皆の心情を代弁するかのように。

「バカはアンタだろ! ガキみたいなことしやがって! いっぺん死ね!」

「死にますェーん。生きる!」

 おどける新井さんを見て、美伽が小さく吹き出した。
 未央さんも釣られて吹き出す。
 そして、私も。
 さっきまで怖がっていたのが、無性に馬鹿らしく思えてきた。

「とにかく、もう調査は終わりだ」

 東海林さんが宣言した時であった。


 ──ガラガラガラ、バンッ!


 突然、玄関が閉まった。


 すぐさま、東海林さんが開けようとするが……

「嘘だろ、開かない!」

 傍目からでも力を込めているのがわかる。
 新井さんも加勢するが、玄関はびくともしない。

「何これ……、あ、あたし達、閉じ込められたってこと……?」

 美伽が泣きそうな声で呟く。

「きゃああああッ!」
「うわああああッ!」

 遅れてやって来た恐怖心が、私達に悲鳴をあげさせた。

「ヒロ、アンタのせいだからね!?」

「はァ? なんでだよ!?」

「アンタがバカやるから、こんなことになったんだろ!?」

「止めろ、2人とも!」

 凄まじい喧嘩を繰り広げる柏原さんと新井さんの間に東海林さんが割り込む。
 しかし、仲裁するまでには至らなかった。
 
 それどころか、2人の矛先は東海林さんへと向けられる始末だ。

「うるさい! そもそも、マサやんが月隠村に行こうって言ったのが悪いんだろ!?」

「そうだそうだ! こんなやべえトコに連れてきやがって!」

 苛烈に攻め立てられた東海林さんは、返す言葉が見つからないのか、黙り込んでいる。

「いい加減にしてください!」

 美伽が叫んだ。
 私を含め、一同は驚いた目を彼女に向ける。

「今は争ってる場合じゃないでしょう!? 誰が悪いというなら、全員悪いですよ。だって、ここに来たのは、誰かから強制されたわけじゃない。自分の意思なんだから」

 一気にまくし立てた美伽。
 直後、それを後悔したらしい。
「すみません、年下が生意気なこと言って……」と頭を下げる。

「……ううん、美伽ちゃんの言う通りよ」

「ああ」

「……ごめん、ついカッときちゃって……」

 誰ともなく、柏原さんは謝罪した。
 新井さんは忌々しげに舌打ちをする。けどそれは、ばつの悪さからくるものに見えた。

 尖っていた雰囲気があっという間にまろやかになった。
 そうしたのが美伽だ。

 やっぱり美伽はすごい。
 あの時と同じだ。


 △▼△


 ──私は小学1年生のある日を境にして、いじめられるようになった。
 いじめといっても、暴力を振るわれたり、陰口を叩かれるなどの、実害があるものじゃなかったが。

 ただ、徹底して存在を無視された。
 どの先生も見て見ぬふりだった。
 ……それが6年生までずっと続いた。


 小学校生活で最後の夏休み明けのことだ。
 美伽が転校してきた。
 そして、彼女の席は私の隣になった。

 気さくに話し掛けてくれるのが、とても嬉しかった。
 私にも友達ができるかもしれないと、心が踊った。

 でも、私とつきあっていたら、彼女もいじめられるかもしれない。

 だから言った。私と関わらない方がいいよ、って。
 クラスのお節介な子達も「あの子と関わらない方がいいよ」と忠告していた。

 けれど、美伽は耳を貸さなかった。
 それどころか……


 何それ、バッカみたい。


 清々しいまでの跳ね返しようだった。
 それがきっかけで、何年にも渡る私へのいじめは終わりを迎えた。


 美伽は恩人で、今でも一番の友達──


 △▼△


「奥に進んでみよう。これだけ巨大な屋敷なんだ。他にも出入り口はあるはずだ」

 東海林さんを先頭に、私達は屋敷の中へと歩を進める。
 
 広間には、年代を感じさせる大きな振り子時計が設置してあるのに気づいた。
 全体的に埃を被っているが、文字盤は辛うじて見える。
 針は2時40分を指して止まっていた。
 
 空気が重い……。
 長い間、人の出入りがなかったからということもあるだろう。
 だけど、この異様な空気はどう説明したらいいのか……。適切な言葉が見つからない。
 
 閉めきられた屋敷の中は、当然、闇に支配されている。
 東海林さんの持つ懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
 
 しかし、光を照らせばその反対側には墨を流し込んだような濃い影が作られることになる。
 その影に、何か邪悪なものが潜んでいそうで怖い……。

 屋敷の中は荒れ果てている。
 壁も床もボロボロだ。
 
 
 ギイッ……ギイッ……


 踏み締める度に軋む床。
 なんとなく、あの時の悪夢を思い出してしまい、気が滅入る。
 そういえばあの夢も、こんな廃墟のような場所だったっけ……。


 広間を過ぎると、今度は細長い廊下へと繋がっている。
 広間から廊下へ移ろうとした時だ。
 また、あの感覚──過去の映像が流れてくる気配が襲った。

 また──?
 もう何年も発現しなかったのに、力が強くなっている……?

 抵抗するすべはない。
 耐えるようにして、私は身を任せた。


 場所は、今まさに私達が通ろうとしている広間と廊下の境だ。
 若い女性が泣き崩れている。歳は……未央さんくらいだろうか?

 彼女の前には若い男性。眼前の彼女と同年代だと思われる。

『だから、止めようって言ったのに!』

 泣いている女性はヒステリックに叫び、男性を睨みつける。

『落ち着けよ』

『落ち着く!? あたし達、閉じ込められたんだよ!?』

『きっと他に出口あるって。それを探そ? な?』

『……ここから出たら、ケイタとは別れるから』


 ここで映像は終わった。
 


 私達の他にも、閉じ込められた人が!
 ──彼らは、一体どうなったんだろう……?

「どうしたの凛、具合でも悪いの?」

 美伽が覗き込むように訊いてきた。
 この力が発現すると、かなり体力を消耗してしまう。

「平気よ。その……なんだか怖くて」

「うん、あたしも怖い……」

 一瞬、今見たことを皆に話した方がいいかもしれないと思った。
 だけど、どうやって説明したらいいのかわからない。

 ──結局、言い出すことはできなかった……。

 しばらく進むと襖があった。
 中を確認してみると、6畳間の座敷だ。
 窓から出られないかと思ったが、それらしいものはない。

 小さな和箪笥の上には、肩口で髪を切り揃えた女の子の和人形が2体置かれている。
 着ている着物は、昔はさぞ鮮やかな赤い色だったことだろう。
 しかし今は、経過した年月の影響か、すっかり色褪せてしまっている。

 西洋人形にも言えることだけど、人形はなんとなく不気味だ。
 だから私はあまり好きじゃない。
 それが、こんな廃屋にあるものなら尚更……。
 なるべく目を向けないよう努める。

「え……地震?」

 柏原さんが周囲を見回す。
 特に揺れなどは感じないが、そういえばカタカタと音がする。

「そんな……人形が!」

 未央さんが指差した。


 カタカタカタカタ…………


 カタカタカタカタ……


 カタカタカタカタ


 カタカタカタカタ!



 人形の揺れは激しさを増していく。
 にもかかわらず、部屋自体はなんともない。

「これって、ポルターガイスト!?」

 美伽が叫んだと同時に、和人形は箪笥から転がり落ちた。
 その弾みで、片方の人形の頭がもげる。


 ずりっ……ずりっ……ずりっ……

 頭が取れた人形が、私達の方へと這いずってくる。


 ずりっ……ずりっ……ずりっ……


 緩慢な動きで、人形は確実に距離を詰めてくる。


「逃げるぞ!」

 東海林さんの声を合図にして、私達は転げるようにして部屋を出た。
 
「きゃああああッ!」
「うわああああッ!」

 そのまま、悲鳴を振り撒きながら、闇雲に逃げる。

 どれだけ走ったのか。
 とりあえず、これだけ逃げれば、さすがに追ってこれないだろうと、走るのを止めた。
 私も含め、皆、乱れた呼吸を整えている。

「なっ、なんなんだよ、あれ!? ヤベーだろ、ここ! ガチの幽霊屋敷じゃねえか!」

「んなもん、最初からわかりきってんだろ!? 玄関が勝手に開いた時点で!」

 柏原さんは激しく応酬する。
 だが直後、彼女は泣き出してしまった。

「どうしてこんな目に遭わなきゃなんないの……? 早く帰りたい……」

「泣かないでくださいよ、ヨシノ先輩。あたしも……もらい泣きしちゃうじゃないですか……!」

 美伽の目は涙ぐんで赤くなっている。
 そんな二人を未央さんが励ます。
 しかしよく見ると、未央さんの目も赤いし、声はかすかに震えている。


 その時……


 ♪♪~♪♪♪~♪♪~


 私達はギクッとなる。
 誰かのスマホが鳴ったようだ。

「なんだ……、ツレからか……」

 安心したように新井さんは呟き、スマホを操作する。

「そうよ、どうして気づかなかったのかしら。私達は通信手段を持ってるじゃない。助けを呼べばいいのよ」

 未央さんはスマホを取り出した。

「助け? 一体誰に?」

「とりあえず警察にでも」

「正気か? 俺達がしていることは不法侵入──犯罪なんだぞ?」

「それでも、あるかどうかもわからない出口を探すよりはマシよ!」

 未央さんはダイヤルを押して、スマホを耳元へ持っていく。
 呼び出す電子音がわずかにこちらまで聴こえてくる。
 やがて、それは終わった。通話へと切り替わったようだ。

「いやあッ!」

 いきなり、未央さんは手にしていたスマホを放り投げた。

「な、なんなの……なんなのよ、これ!」

「なんだ、どうした!?」

 未央さんのスマホから、はっきりとしたノイズが聴こえてきた。


『……イ…………サ…………ガ…………』


 激しいノイズの奥から、声が途切れ途切れに聴こえてくる。


 何を言っているのか、はっきりと聴き取れるようになった時だ。
 今まで感じたことのない戦慄が襲った。


『……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……』


 老若男女が入り交じった、深く、強い怨念が込められた声。
 それも、数人程度じゃない。何十人もの声が折り重なって、不気味な不協和音を作り上げている。

 身体中の毛穴が開いた気がした。
 心臓が、今にも凍りついてしまいそうだ。

「どういうことだよ、コレ!? 未央、どこに電話したんだよ!?」

「警察よッ! 決まってるじゃない!」

 未央さんはスマホを指す。
 画面は上を向いて転がっているので、発信先が表示されている。

 発信先は110。
 そして……


 スピーカーモードはオフになっている。


 ──やがて、通話は切れた。


 私達はその場を動けないでいた。
 誰も言葉を発さない。

「…………やはり、自力で脱出するしか道はないようだな……」

 沈黙を破ったのは東海林さんだ。


「未央、スマホ拾わないの?」

「簡単に言わないでよ。あんなことがあったばかりなのに……」

「けど、ないと困るんじゃない?」

「それは、そうだけど……」

 未央さんは不吉なものを見る目で、自身のスマホを見つめている。

 怯える未央さんに代わって東海林さんがスマホの前に屈み込んだ。
 パラッと白い砂のようなものをスマホに振り掛ける。

「今、何したの?」

「塩を撒いた」

「ああ、浄めの塩ってこと?」

「そんなところだ。塩はあらゆる霊に効く。……受け売りだけどな」

 少し安心したのか、未央さんはためらいつつもスマホを拾い上げた。
 もう、特におかしいことは起きない。
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