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1章 月隠村の都市伝説
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「──ッ!」
気がつくと、私はベッドに横たわっていた。
「おっはよ、凛」
体を起こすと、美伽が明るい挨拶を寄越してきた。
「あれ、ここは……」
「もー、凛ってば寝惚けてる? ここはあたしの親戚の別荘だよ」
……そうだった。
昨日からしばらく、ここで過ごすことになってたんだった。
美伽の親戚は、手入れも兼ねて毎年この時期──八月半ば、つまりお盆休みにここに来ていたそうだ。
しかし、今年は都合がつかないらしく、美伽に白羽の矢を立てたのだとか。
美伽曰く、1人で行くのもつまらないので、私を誘ったというわけである。
「凛、うなされてたね。もしかして怖い夢でも見ちゃった?」
右肩に意識が向いた。あの男に掴まれたところだ。左手をそこへ持っていく。
ひりつくような感触が残っている気がした。
「やだ、図星? 昨日のあれ、そんなに怖かった?」
「だから止めてって言ったのに……」
私は恨みがましく、美伽を睨んだ。
“昨日のあれ”というのは、ここ──長野県月隠村で発祥した都市伝説のことである。
なんでも、月隠村を取り囲む山には、絶対に足を踏み入れてはいけない場所があるらしい。
そしてそこには、巨大な屋敷があって、そこに入ると決して生きて帰ることはできないとか……。
──よくある話だ。
月隠村は長野県栄村に寄り添うように位置する小さな村である。本当に小さな村で、人口は1000人にも届かないらしい。
こんなこと言うのは失礼だけど、秘境と呼んでも過言じゃない場所だ。
真偽を確かめに来る者は滅多にいないらしく、とてもマイナーな都市伝説らしい。
「汗びっしょりじゃん。シャワー浴びてきたら?」
確かにその通りだった。
涼しいくらいなのに、ひどく汗をかいていた。多分、冷や汗というやつだ。
なんにせよ、パジャマが背中に張り付いて気持ち悪い。
「いやあッ!」
浴室に掛けられている鏡を見た瞬間、私は悲鳴をあげてしまった。
鏡に映る私の右肩──そこにはくっきりと手形のような痣が残っていたのだ。
そんな、あれは夢の中でのことなのに!
「どうしたの凛、変な虫でもいた?」
悲鳴を聞きつけた美伽が、浴室のドア越しに訊ねてきた。
「う、うん。びっくりしちゃった」
咄嗟に嘘をついてしまった。
まさか夢の中でのことが現実になったなんて、言えるわけがない。
「ここ山奥だからね。あたしが追っ払おうか?」
「大丈夫、窓を開けたら出ていったから」
怖いもの見たさで、もう一度鏡を覗き込む。
「え、そんな……」
右肩の手形は消えていた。
よく確認したけど、痣一つ残ってない。
あれは、幻覚だったの……?
──ううん、さっきは確かにあった。
気味が悪い。
考えていると、夢のことを思い出してしまい、気分が塞いだ。
怖い夢ということもそうだけど、何より嫌な感じがするのは、夢の中でのこととはいえ“あの力”が発現したせいだ。
もう、すっかり消えたと思ってたのに……。
──大丈夫、あれは夢だった。
もう、忘れよう。
手早くシャワーを済ませ、美伽のとこに戻った。
別荘の管理というのは主に掃除のことだ。
午前中にそれは完了した。
年に一度の掃除とはいえ、人の出入りもないから、それほど汚れもないのだ。
「さて、次は買い出しに行こうか」
美伽は壁に掛けられている時計で時刻を確認する。
この辺りを巡回しているバスは1日に3本しかないからだ。
時間を気にしないと移動も満足にできないなんて。東京じゃちょっと考えられない。
△▼△
バスで月隠村の中心地へと出た。
中心地といっても別に栄えているわけではなく、役場といくつかの商店がぽつぽつと並んでいる程度だ。
私と美伽はコンビニに入った。
コンビニといっても24時間営業じゃない。営業時間は10時~18時と書いてある。
店名も聞いたことがない。どうやら個人で営業しているコンビニらしい。
店内は私が知るコンビニとあまり変わらなかった。
美伽は主にレトルト食品をかごに入れていく。
必要なものも揃い、レジに向かう。
しかし、レジに人はいない。
美伽はカウンター奥に向かって呼び掛けた。
すると、奥からエプロン姿のおばさんが現れた。
どうやら、いつもカウンターに立っているわけではなく、清算する時に呼び出さなければいけないらしい。
こんな仕組みだ。商品を持ち逃げされたりしないんだろうかと、心配になってしまう。
「あら、浅倉さんとこの美伽ちゃん?」
「はい。覚えててくれたんですね」
「確か、もう高校生よね?」
「おかげさまで高2ですよ」
「そちらの子は、お友達?」
「あ、はい。穂高凛といいます」
頭を下げると、おばさんは微笑ましげに頷いた。
けれど、すぐに困ったような顔でため息を一つ吐いて、
「高校生がこんなに礼儀正しいっていうのに、さっきの子達ときたら……」
なんとなく話を聞いてほしいという雰囲気だ。
美伽もそれを察知したらしく、何かあったのか訊ねた。
「あなた達より少し年上かしら。4人組のお客が来たんだけど、汚いだの、品揃えが悪いだの、大声でわめき散らしてたのよ」
その時の憤りがぶり返したのか、おばさんの口調は少しきつかった。
別荘に戻り、少し遅めの昼食を用意していた時だ。
表の方が少し騒がしくなった。
「なんだろ、道に迷ったのかな? ちょっと見てくるね」
美伽はパタパタと行ってしまった。
ここは人里からかなり離れた山の中だ。迷い人が現れるのも不思議じゃない。私だって美伽がいなかったら、迷ってしまうだろう。
ほどなくして、美伽は戻ってきた。
けれど、彼女1人ではなかった。
美伽に続いて入ってきたのは、男2人女2人の若者グループだ。
すぐにピンときた。きっとこの人達が、コンビニのおばさんが言っていた失礼な4人組の客だ。
突然の来客に、私は何事かと美伽に目配せをする。
すると、美伽はイタズラっぽくニッと笑い、
「ほら、昨日話した都市伝説。あれを調査しに来たんだって」
△▼△
彼らは全員開明大学の生徒だそうだ。
開明大学──偏差値はそこそこ。とにかく無難な、という評判の国立大学だ。
そして、やはり全員がそこのサークル“オカルト研究会”──オカ研のメンバーだとか。
彼らは夏期合宿として、月隠村に伝わる都市伝説の調査に来たのだという。
しかし、合宿とは名ばかりで、実は宿泊する場所は決まってないらしい。
「じゃあ、ここを使いませんか?」
美伽は平然と言ってのけた。
なぜこうも簡単に言えるのか……。
それは、偶然にも彼ら全員が、私達が通う霞ヶ丘高校の卒業生だからだろう。元々人懐こい美伽だけど、それを知ってからは明らかに親近感の色が濃くなったから。
美伽らしいとは思うけど、それでもやっぱり呆れてしまう。
「うわ、超ラッキー、美伽ってばサイコー!」
「よっしゃ、これで野宿ってことはなくなったし!」
はしゃぐのは、柏原佳乃さんと新井博之さんだ。
ともに大学1年。
2人とも、話を聞いてると性格はちょっときつめ。思ったことをズバズバ言うタイプで、見た目も派手。
……私はちょっと苦手とする種類の人達だ。
「おい、はしゃぐな。まだ決めたわけじゃないぞ」
「美伽ちゃん、そういうことはもっとよく考えてから言わないと」
常識的な反応を示したのは東海林真人さんと増沢未央さんだ。
東海林さんは3年、増沢さんは2年。
二人とも年齢よりも落ち着いた雰囲気をまとっている。物静かで、新井さんと柏原さんとは正反対なタイプの人達だ。
コンビニのおばさんは4人組と一くくりにしていたけど、失礼な発言で騒いでいたのは新井さんと柏原さんで、この2人はそれをたしなめていたんじゃないかと思う。
「大丈夫ですってば。ここ、元はペンションだったらしくて、部屋数は多いですから」
美伽は上目遣いで「そ・の・代・わ・り~」と続ける。
……嫌な予感しかない。
「その調査に、あたし達も連れてってくださいね!」
はぁ、やっぱり……。
パッと花が咲いたような笑顔を作る美伽。
美伽はかなり美少女だ。特に笑うとその華やかさがいっそう際立つ。
都市伝説の調査に来たとはいうが、漠然とした噂を頼りにやって来たに過ぎない。
問題の場所がわからない彼らは、「心当たりがある」という美伽の言葉によって、あっさりと籠絡されたのであった。
というのも、美伽も前々から興味津々で、その噂の屋敷とやらをいつか探してやろうと思っていたらしいのだ。
しかし、1人で山の中を歩き回るのは不安だし、何より怖い。
そういうわけなので、今回オカ研メンバーと出会ったのは、美伽にとっては思いがけない幸運だったりする。
けど、オカ研メンバーと出会わなくても、私と2人で実行しようと企んでいたらしいが……。
△▼△
「この先ですよ」
美伽が指差す方向には、鬱蒼とした藪に続いている。
「小さい頃から、この先には絶対行くなって言われてるんですよ。なんか怪しいと思いませんか?」
美伽はそう言うが、怪しい雰囲気は特に感じられない。
それでも、先に進まないと始まらないので、私達はその藪の中へと入っていった。
「ひでー道だな、おい。つーか道じゃねーよ、これ」
「サイアクー、なんかチクチクするし」
背の高い草を掻き分けて進まなければならない。
新井さんと柏原さんの口からは、早くも文句が飛び出す。
ようやく、少し開けた場所へ出た。
「しかし、広いな……」
東海林さんはぐるりと見回す。
四方八方に果てなく山が続いている。
広大なので、噂の屋敷は手分けして探すことに。
といっても単独行動ではない。さすがにそれは危ないということで、二人一組で行動することになった。
「ねえ、せっかくだからアミダで班分けしない?」
「わあ、面白そう!」
増沢さんの提案に美伽はすかさず賛成する。他の人達も異存はない。
私は気乗りしないが、ここで反対という水を差す勇気はなかった。
──結果、東海林さんと新井さん。美伽と柏原さん。私と増沢さんという組み合わせに決まった。
「くっそー、俺の相手はマサやんかよ。おいヨシノ、代われ」
「はァ? ふざけんな。アンタみたいな男に美伽は任せらんないし」
どうやら新井さんは美伽を狙っていたらしい。
まあ、気持ちはわかる気がする。美伽は可愛いから。
「よろしくね、凛ちゃん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、増沢さん」
「やだなぁ、未央でいいよ」
増沢さ……未央さんがパートナーでよかったと心底思う。
内心、新井さんや柏原さんと組むことになったらどうしようかとヒヤヒヤしていた。
△▼△
未央さんと山道を歩いていく。
植物が好き放題に繁っている。全く人の手が加えられていないようで、歩きにくいことこの上ない。
「いいわね、この感じ。想像だけじゃわからない感覚だわ」
「え?」
「ああ、私ね、小説家を目指してるの」
未央さんは文芸サークルにも籍を置き、日夜執筆に励んでいるそうだ。オカ研に入った動機も取材目的だとか。ホラー作家を目指しているらしい。
辺りは薄闇が迫りつつある。
長いこと山をさまよっているけれど、噂の屋敷を発見することはできない。
「ちょっと休もうか」
「はい」
未央さんの表情には、疲労の色が濃く浮かんでいる。
きっと私も似たようなものだろう。慣れない山歩きであちこちが痛い。
──と、その時であった。
え──?
未央さんの後ろ数メートル先に、小学低学年くらいの男の子がいた。
「どうしたの?」
「あそこ……」
と、言い掛けて私は言葉を失う。
指そうとしていた指先が行き場を失い、宙ぶらりんになる。
一瞬のうちに男の子の姿は消えていた。
「気になるものでも?」
「その……男の子がいたような……」
歯切れ悪く言った時だ。
私と未央さんのスマホにラインの通知が入った。
東海林さんだった。暗くなってきたので、今日の調査は終了する、とのことだ。
別荘に戻ると、早速調査の報告会をすることになった。
成果の方はというと、ほぼゼロだ。
しかし、私が見たという男の子について、リーダーの東海林さんが想像以上に興味を持ってくれた。
「もう少し詳しく教えて。そうだな……その子を見て、どんな風に思った?」
「それはやっぱり、こんな山奥にどうして子供が? って思いましたけど……」
「他には?」
「うーん……、──あ」
思い出したと同時に鳥肌が立った。
もったいつけるように言葉を切ったからだろう。皆、身を乗り出すようにして私に注目する。
「今は夏なのに、その子、冬の格好をしていました。──今考えると、これって変ですね」
遠目からでもはっきりとわかった。あれはニットのセーターだった。
「うわっ、めっちゃ怖ッ!」
「そいつ、確実にユーレイじゃね?」
盛り上がりをみせる中、東海林さんだけは難しい顔で、何か考え込んでいるように見えた。
△▼△
あの場所には絶対に何かある。
──しかし
あれ以来何も起こらなかった。
そうして、数日があっという間に過ぎた。
本日の調査とその報告会を終えた私達は、リビングの方でくつろいでいた。
「なんかさー、やっぱ噂は噂なんじゃね?」
ついに、柏原さんの口から弱音が紡がれた。
「けどよォ、こんな動画まであるんだぜ?」
新井さんはタブレット端末で動画を再生させた。
これは、オカルト系コミュニティに投稿されたものである。“westforest”という人の動画だ。
皆なんとなく集まって、再度確認する。
ざらざらとした低画質。
耳障りなノイズが少し流れ、現れたのは仰々しい威圧的な門だ。
『あ、きっとあれだ、噂の屋敷!』
撮影者と思われる若い男の声だ。画質同様に音質も悪いため、少しくぐもって聴こえる。
『じゃあ、早速入ってみたいと思います』
門に近づく。
『うわ、すげぇ、逆さ五芒星だ。怖え!』
それは、門の上部中央に描かれている。
ここでカメラは下に向けられて地面が映し出される。
『何やってんだよ、カナ。早く来いよ』
『えー、本当に入るのぉ? やっぱ止めようよ』
撮影者と同行しているのは若い女らしい。
それからしばらく、入る入らないで揉めるが、ここでピーという電子音が割り込んでくる。
『やっべ、バッテリーがもうねえ』
その数十秒後に動画は終わった。
「こうして見るとガセっぽいって。肝心なとこは何も撮されてないんだからさぁ」
「あんなバカでかい門、どうやって用意するってんだよ!」
新井さんと柏原さんの間で、本格的に口論が始まった。
「二人とも落ち着け。わかった、明日中に成果がなければ解散。それでいいだろ?」
東海林さんの決断に、二人は静まった。
△▼△
調査も今日で最後だ。
都市伝説とかに興味があまりない私はどこかホッとしている。
が、美伽はそうじゃないらしい。どこか不満げな顔つきだ。
最後の調査だというのに、雰囲気はあまりよくない。
昨晩の喧嘩が尾を引いているようで、新井さんと柏原さんを中心に、空気がピリピリしている。
しかし、その険悪ムードを吹き飛ばす事件が起こった。
「こらぁー! お前ら、どこに向かおうとしている」
しわがれた怒鳴り声が、私達の足を止めた。
ぼろをまとったみすぼらしい老人だ。
髪も髭も真っ白で伸び放題だからか、どことなく浮浪者を思わせるが、不潔な感じはあまりしない。
それどころか、仙人のような雰囲気を漂わせている。
気がつくと、私はベッドに横たわっていた。
「おっはよ、凛」
体を起こすと、美伽が明るい挨拶を寄越してきた。
「あれ、ここは……」
「もー、凛ってば寝惚けてる? ここはあたしの親戚の別荘だよ」
……そうだった。
昨日からしばらく、ここで過ごすことになってたんだった。
美伽の親戚は、手入れも兼ねて毎年この時期──八月半ば、つまりお盆休みにここに来ていたそうだ。
しかし、今年は都合がつかないらしく、美伽に白羽の矢を立てたのだとか。
美伽曰く、1人で行くのもつまらないので、私を誘ったというわけである。
「凛、うなされてたね。もしかして怖い夢でも見ちゃった?」
右肩に意識が向いた。あの男に掴まれたところだ。左手をそこへ持っていく。
ひりつくような感触が残っている気がした。
「やだ、図星? 昨日のあれ、そんなに怖かった?」
「だから止めてって言ったのに……」
私は恨みがましく、美伽を睨んだ。
“昨日のあれ”というのは、ここ──長野県月隠村で発祥した都市伝説のことである。
なんでも、月隠村を取り囲む山には、絶対に足を踏み入れてはいけない場所があるらしい。
そしてそこには、巨大な屋敷があって、そこに入ると決して生きて帰ることはできないとか……。
──よくある話だ。
月隠村は長野県栄村に寄り添うように位置する小さな村である。本当に小さな村で、人口は1000人にも届かないらしい。
こんなこと言うのは失礼だけど、秘境と呼んでも過言じゃない場所だ。
真偽を確かめに来る者は滅多にいないらしく、とてもマイナーな都市伝説らしい。
「汗びっしょりじゃん。シャワー浴びてきたら?」
確かにその通りだった。
涼しいくらいなのに、ひどく汗をかいていた。多分、冷や汗というやつだ。
なんにせよ、パジャマが背中に張り付いて気持ち悪い。
「いやあッ!」
浴室に掛けられている鏡を見た瞬間、私は悲鳴をあげてしまった。
鏡に映る私の右肩──そこにはくっきりと手形のような痣が残っていたのだ。
そんな、あれは夢の中でのことなのに!
「どうしたの凛、変な虫でもいた?」
悲鳴を聞きつけた美伽が、浴室のドア越しに訊ねてきた。
「う、うん。びっくりしちゃった」
咄嗟に嘘をついてしまった。
まさか夢の中でのことが現実になったなんて、言えるわけがない。
「ここ山奥だからね。あたしが追っ払おうか?」
「大丈夫、窓を開けたら出ていったから」
怖いもの見たさで、もう一度鏡を覗き込む。
「え、そんな……」
右肩の手形は消えていた。
よく確認したけど、痣一つ残ってない。
あれは、幻覚だったの……?
──ううん、さっきは確かにあった。
気味が悪い。
考えていると、夢のことを思い出してしまい、気分が塞いだ。
怖い夢ということもそうだけど、何より嫌な感じがするのは、夢の中でのこととはいえ“あの力”が発現したせいだ。
もう、すっかり消えたと思ってたのに……。
──大丈夫、あれは夢だった。
もう、忘れよう。
手早くシャワーを済ませ、美伽のとこに戻った。
別荘の管理というのは主に掃除のことだ。
午前中にそれは完了した。
年に一度の掃除とはいえ、人の出入りもないから、それほど汚れもないのだ。
「さて、次は買い出しに行こうか」
美伽は壁に掛けられている時計で時刻を確認する。
この辺りを巡回しているバスは1日に3本しかないからだ。
時間を気にしないと移動も満足にできないなんて。東京じゃちょっと考えられない。
△▼△
バスで月隠村の中心地へと出た。
中心地といっても別に栄えているわけではなく、役場といくつかの商店がぽつぽつと並んでいる程度だ。
私と美伽はコンビニに入った。
コンビニといっても24時間営業じゃない。営業時間は10時~18時と書いてある。
店名も聞いたことがない。どうやら個人で営業しているコンビニらしい。
店内は私が知るコンビニとあまり変わらなかった。
美伽は主にレトルト食品をかごに入れていく。
必要なものも揃い、レジに向かう。
しかし、レジに人はいない。
美伽はカウンター奥に向かって呼び掛けた。
すると、奥からエプロン姿のおばさんが現れた。
どうやら、いつもカウンターに立っているわけではなく、清算する時に呼び出さなければいけないらしい。
こんな仕組みだ。商品を持ち逃げされたりしないんだろうかと、心配になってしまう。
「あら、浅倉さんとこの美伽ちゃん?」
「はい。覚えててくれたんですね」
「確か、もう高校生よね?」
「おかげさまで高2ですよ」
「そちらの子は、お友達?」
「あ、はい。穂高凛といいます」
頭を下げると、おばさんは微笑ましげに頷いた。
けれど、すぐに困ったような顔でため息を一つ吐いて、
「高校生がこんなに礼儀正しいっていうのに、さっきの子達ときたら……」
なんとなく話を聞いてほしいという雰囲気だ。
美伽もそれを察知したらしく、何かあったのか訊ねた。
「あなた達より少し年上かしら。4人組のお客が来たんだけど、汚いだの、品揃えが悪いだの、大声でわめき散らしてたのよ」
その時の憤りがぶり返したのか、おばさんの口調は少しきつかった。
別荘に戻り、少し遅めの昼食を用意していた時だ。
表の方が少し騒がしくなった。
「なんだろ、道に迷ったのかな? ちょっと見てくるね」
美伽はパタパタと行ってしまった。
ここは人里からかなり離れた山の中だ。迷い人が現れるのも不思議じゃない。私だって美伽がいなかったら、迷ってしまうだろう。
ほどなくして、美伽は戻ってきた。
けれど、彼女1人ではなかった。
美伽に続いて入ってきたのは、男2人女2人の若者グループだ。
すぐにピンときた。きっとこの人達が、コンビニのおばさんが言っていた失礼な4人組の客だ。
突然の来客に、私は何事かと美伽に目配せをする。
すると、美伽はイタズラっぽくニッと笑い、
「ほら、昨日話した都市伝説。あれを調査しに来たんだって」
△▼△
彼らは全員開明大学の生徒だそうだ。
開明大学──偏差値はそこそこ。とにかく無難な、という評判の国立大学だ。
そして、やはり全員がそこのサークル“オカルト研究会”──オカ研のメンバーだとか。
彼らは夏期合宿として、月隠村に伝わる都市伝説の調査に来たのだという。
しかし、合宿とは名ばかりで、実は宿泊する場所は決まってないらしい。
「じゃあ、ここを使いませんか?」
美伽は平然と言ってのけた。
なぜこうも簡単に言えるのか……。
それは、偶然にも彼ら全員が、私達が通う霞ヶ丘高校の卒業生だからだろう。元々人懐こい美伽だけど、それを知ってからは明らかに親近感の色が濃くなったから。
美伽らしいとは思うけど、それでもやっぱり呆れてしまう。
「うわ、超ラッキー、美伽ってばサイコー!」
「よっしゃ、これで野宿ってことはなくなったし!」
はしゃぐのは、柏原佳乃さんと新井博之さんだ。
ともに大学1年。
2人とも、話を聞いてると性格はちょっときつめ。思ったことをズバズバ言うタイプで、見た目も派手。
……私はちょっと苦手とする種類の人達だ。
「おい、はしゃぐな。まだ決めたわけじゃないぞ」
「美伽ちゃん、そういうことはもっとよく考えてから言わないと」
常識的な反応を示したのは東海林真人さんと増沢未央さんだ。
東海林さんは3年、増沢さんは2年。
二人とも年齢よりも落ち着いた雰囲気をまとっている。物静かで、新井さんと柏原さんとは正反対なタイプの人達だ。
コンビニのおばさんは4人組と一くくりにしていたけど、失礼な発言で騒いでいたのは新井さんと柏原さんで、この2人はそれをたしなめていたんじゃないかと思う。
「大丈夫ですってば。ここ、元はペンションだったらしくて、部屋数は多いですから」
美伽は上目遣いで「そ・の・代・わ・り~」と続ける。
……嫌な予感しかない。
「その調査に、あたし達も連れてってくださいね!」
はぁ、やっぱり……。
パッと花が咲いたような笑顔を作る美伽。
美伽はかなり美少女だ。特に笑うとその華やかさがいっそう際立つ。
都市伝説の調査に来たとはいうが、漠然とした噂を頼りにやって来たに過ぎない。
問題の場所がわからない彼らは、「心当たりがある」という美伽の言葉によって、あっさりと籠絡されたのであった。
というのも、美伽も前々から興味津々で、その噂の屋敷とやらをいつか探してやろうと思っていたらしいのだ。
しかし、1人で山の中を歩き回るのは不安だし、何より怖い。
そういうわけなので、今回オカ研メンバーと出会ったのは、美伽にとっては思いがけない幸運だったりする。
けど、オカ研メンバーと出会わなくても、私と2人で実行しようと企んでいたらしいが……。
△▼△
「この先ですよ」
美伽が指差す方向には、鬱蒼とした藪に続いている。
「小さい頃から、この先には絶対行くなって言われてるんですよ。なんか怪しいと思いませんか?」
美伽はそう言うが、怪しい雰囲気は特に感じられない。
それでも、先に進まないと始まらないので、私達はその藪の中へと入っていった。
「ひでー道だな、おい。つーか道じゃねーよ、これ」
「サイアクー、なんかチクチクするし」
背の高い草を掻き分けて進まなければならない。
新井さんと柏原さんの口からは、早くも文句が飛び出す。
ようやく、少し開けた場所へ出た。
「しかし、広いな……」
東海林さんはぐるりと見回す。
四方八方に果てなく山が続いている。
広大なので、噂の屋敷は手分けして探すことに。
といっても単独行動ではない。さすがにそれは危ないということで、二人一組で行動することになった。
「ねえ、せっかくだからアミダで班分けしない?」
「わあ、面白そう!」
増沢さんの提案に美伽はすかさず賛成する。他の人達も異存はない。
私は気乗りしないが、ここで反対という水を差す勇気はなかった。
──結果、東海林さんと新井さん。美伽と柏原さん。私と増沢さんという組み合わせに決まった。
「くっそー、俺の相手はマサやんかよ。おいヨシノ、代われ」
「はァ? ふざけんな。アンタみたいな男に美伽は任せらんないし」
どうやら新井さんは美伽を狙っていたらしい。
まあ、気持ちはわかる気がする。美伽は可愛いから。
「よろしくね、凛ちゃん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、増沢さん」
「やだなぁ、未央でいいよ」
増沢さ……未央さんがパートナーでよかったと心底思う。
内心、新井さんや柏原さんと組むことになったらどうしようかとヒヤヒヤしていた。
△▼△
未央さんと山道を歩いていく。
植物が好き放題に繁っている。全く人の手が加えられていないようで、歩きにくいことこの上ない。
「いいわね、この感じ。想像だけじゃわからない感覚だわ」
「え?」
「ああ、私ね、小説家を目指してるの」
未央さんは文芸サークルにも籍を置き、日夜執筆に励んでいるそうだ。オカ研に入った動機も取材目的だとか。ホラー作家を目指しているらしい。
辺りは薄闇が迫りつつある。
長いこと山をさまよっているけれど、噂の屋敷を発見することはできない。
「ちょっと休もうか」
「はい」
未央さんの表情には、疲労の色が濃く浮かんでいる。
きっと私も似たようなものだろう。慣れない山歩きであちこちが痛い。
──と、その時であった。
え──?
未央さんの後ろ数メートル先に、小学低学年くらいの男の子がいた。
「どうしたの?」
「あそこ……」
と、言い掛けて私は言葉を失う。
指そうとしていた指先が行き場を失い、宙ぶらりんになる。
一瞬のうちに男の子の姿は消えていた。
「気になるものでも?」
「その……男の子がいたような……」
歯切れ悪く言った時だ。
私と未央さんのスマホにラインの通知が入った。
東海林さんだった。暗くなってきたので、今日の調査は終了する、とのことだ。
別荘に戻ると、早速調査の報告会をすることになった。
成果の方はというと、ほぼゼロだ。
しかし、私が見たという男の子について、リーダーの東海林さんが想像以上に興味を持ってくれた。
「もう少し詳しく教えて。そうだな……その子を見て、どんな風に思った?」
「それはやっぱり、こんな山奥にどうして子供が? って思いましたけど……」
「他には?」
「うーん……、──あ」
思い出したと同時に鳥肌が立った。
もったいつけるように言葉を切ったからだろう。皆、身を乗り出すようにして私に注目する。
「今は夏なのに、その子、冬の格好をしていました。──今考えると、これって変ですね」
遠目からでもはっきりとわかった。あれはニットのセーターだった。
「うわっ、めっちゃ怖ッ!」
「そいつ、確実にユーレイじゃね?」
盛り上がりをみせる中、東海林さんだけは難しい顔で、何か考え込んでいるように見えた。
△▼△
あの場所には絶対に何かある。
──しかし
あれ以来何も起こらなかった。
そうして、数日があっという間に過ぎた。
本日の調査とその報告会を終えた私達は、リビングの方でくつろいでいた。
「なんかさー、やっぱ噂は噂なんじゃね?」
ついに、柏原さんの口から弱音が紡がれた。
「けどよォ、こんな動画まであるんだぜ?」
新井さんはタブレット端末で動画を再生させた。
これは、オカルト系コミュニティに投稿されたものである。“westforest”という人の動画だ。
皆なんとなく集まって、再度確認する。
ざらざらとした低画質。
耳障りなノイズが少し流れ、現れたのは仰々しい威圧的な門だ。
『あ、きっとあれだ、噂の屋敷!』
撮影者と思われる若い男の声だ。画質同様に音質も悪いため、少しくぐもって聴こえる。
『じゃあ、早速入ってみたいと思います』
門に近づく。
『うわ、すげぇ、逆さ五芒星だ。怖え!』
それは、門の上部中央に描かれている。
ここでカメラは下に向けられて地面が映し出される。
『何やってんだよ、カナ。早く来いよ』
『えー、本当に入るのぉ? やっぱ止めようよ』
撮影者と同行しているのは若い女らしい。
それからしばらく、入る入らないで揉めるが、ここでピーという電子音が割り込んでくる。
『やっべ、バッテリーがもうねえ』
その数十秒後に動画は終わった。
「こうして見るとガセっぽいって。肝心なとこは何も撮されてないんだからさぁ」
「あんなバカでかい門、どうやって用意するってんだよ!」
新井さんと柏原さんの間で、本格的に口論が始まった。
「二人とも落ち着け。わかった、明日中に成果がなければ解散。それでいいだろ?」
東海林さんの決断に、二人は静まった。
△▼△
調査も今日で最後だ。
都市伝説とかに興味があまりない私はどこかホッとしている。
が、美伽はそうじゃないらしい。どこか不満げな顔つきだ。
最後の調査だというのに、雰囲気はあまりよくない。
昨晩の喧嘩が尾を引いているようで、新井さんと柏原さんを中心に、空気がピリピリしている。
しかし、その険悪ムードを吹き飛ばす事件が起こった。
「こらぁー! お前ら、どこに向かおうとしている」
しわがれた怒鳴り声が、私達の足を止めた。
ぼろをまとったみすぼらしい老人だ。
髪も髭も真っ白で伸び放題だからか、どことなく浮浪者を思わせるが、不潔な感じはあまりしない。
それどころか、仙人のような雰囲気を漂わせている。
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大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
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毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2024/12/21:『ゆぶね』の章を追加。2024/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
2024/12/20:『ゆきだるま』の章を追加。2024/12/27の朝4時頃より公開開始予定。
2024/12/19:『いぬ』の章を追加。2024/12/26の朝4時頃より公開開始予定。
2024/12/18:『つうち』の章を追加。2024/12/25の朝4時頃より公開開始予定。
2024/12/17:『のぞくがいこつ』の章を追加。2024/12/24の朝4時頃より公開開始予定。
2024/12/16:『じゅうさん』の章を追加。2024/12/23の朝4時頃より公開開始予定。
2024/12/15:『にちようび』の章を追加。2024/12/22の朝8時頃より公開開始予定。
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